第9話 名探偵イモちゃんの推理
私が塚田さん家で悪戦苦闘していた、同時刻。
海碧屋工場事務所には、オヤマ君にイスミさん、ショート君たちが勢ぞろいして、イモちゃんの不機嫌な視線に睨まれながら、かき氷を食べていました。
もちろん、おいしいかき氷を買ってきたから、おすそ分けのために皆を呼んだわけじゃなく、一連の騒動に対するお説教のためです。イモちゃんは「助手」として船大工さんを連れてきていました。助っ人代の代わりとして、焼酎のボトルを奢ったとかで、この年のいった「ワトソン君」のほうは、早速冷えたウーロン茶で割って、チビチビと呑んでいたのです。
「では、早速、謎解きをします」
イモちゃんの厳粛な宣言に、ショート君が手を上げました。
「海碧屋さんとか、ウチの父さん、呼ばなくて大丈夫?」
「二人は問題解決のために、りばあねっと事務所とか、め・ぱん幹部との会合とかに、出てます。単なる謎解きなら、大人二人が来て、懇切丁寧に解説すべきだろうけど、皆にお説教をするなら、私のほうが適任、てことになったのよ、お兄ちゃん」
「……分かったよ。そんなに睨まないでくれ、妹よ」
「ふん」
今度は、イスミさんが質問します。
「犯人は、この中の誰かだって、言うつもりではないでしょうね」
そう言いながら、イスミさんは、犯人の大本命、船大工さんのほうに、ちらっと視線を飛ばしました。船大工さんは、気づいているのかいないのか、手酌で二杯目のウーロンハイをこしえらていました。イモちゃんは、イスミさんの視線も鼻で笑い飛ばすと、堂々答えました。
「この中に、犯人はいません。ていうか、そもそも、どこにも犯人はいないの。ね、オヤマ君」
「なに、それ」
「一連の事件は、そもそも事件でさえないの。偶然の連続……いえ、最初の勘違いを利用したりする、困った人たちの存在……イタズラのせいで、事件が大きくなったって言えば、いいかしら」
「事件でない……誰も、襲われたりしてないってこと? でも……」
「そうね。皆、部分的に、だまされるほうじゃなく、騙すほうにもまわったりしてるから。終始一貫、何も知らされてなかったのは、イスミさん、一人だけ。ということで、ここからは、イスミさん相手に謎解きをしていくっていうのが、フェアかも」
まずは、おさらいです。
「第一の事件。清水の旧工場地帯に行く途中の道で、街灯もロクについてないから、真っ暗な場所。趣味のセルフポートレートを撮っていたオヤマ君に、何者かが襲いかかった」
ショート君が、妹の説明を補足します。
「そこに海碧屋さんとイスミさんが、通りかかって助けに入った。犯人は素早く逃げおおせた。翌日、なぜかその場に居合わせなかったりばあねっとの牟田口会長が、オヤマ君を助けたという英雄譚が噂として流れてくる……犯人って、やっぱり、りばあねっと関係者?」
「ふふん。白々しい。お兄ちゃん、わざとらしい解説は、それぐらいでいいわよ。私には、全部分かってるんだから」
「イモちゃん……」
「イスミさん。海碧屋さんがヘタッて追跡をやめたあと、オヤマ君のセルフポートレート、デジカメの液晶画面で確認したのよね」
「うん。ひょっとしたら、犯人が写っているかもしれないと思ってね。でも、暗がりで黒っぽい服を着てたし、結局写真からは何もわからなかったなあ」
「写っていたのは、エッチなポーズをとったオヤマ君だけだった。一枚一枚、バッチリ決まってたでしょ」
「そうそう」
「でも、それがおかしいのよ」
「は?」
イスミさんに求められるまま、イモちゃんは解説しました。
「スカートをたくしあげてる写真とか、あった? そうよね、ミニスカートととはいえ、ちゃんと服は着てたんだから。でも、たとえば両手でスカートの裾をつまんでいたりしたら、自撮り棒片手にポーズなんて、できないわけじゃない。イスミさん、そのへん、どーだったの?」
「そう言えば……自撮り棒では、到底無理なポーズの写真も、混じってたかも。四つん這いになってお尻をカメラレンズに向けてるヤツとか。でも結局それって、オヤマ君がカメラを三脚にセットして、タイマーで撮影したってことでしょ。あるいは、リモコンか……」
イスミさんは、色々と思い出そうとしてか、宙を睨んでうなったそうです。
「でも、明らかにリモコン持ってた感じじゃ、なかったと思う」
「ふーん。でもイスミさん。さっき言ったばかりよね、写真は一枚一枚全部バッチリ決まってたって。仕損じとか、試し撮りとかは、なかったの?」
「そう言えば……なかったような気がする」
「街灯がほとんどなくって、真っ暗闇と言っていいほどだったのよ、あの現場は。工事現場で使うような、設置型の大型ライトとかあればともかく、オヤマ君はどうやって、カメラとの距離や方向を掴んで、ポーズをとったのかしら?」
「あ……懐中電灯とか?」
「懐中電灯。イスミさん、現場で見たの?」
「うーん。診なかったような気がする」
「そうよね。オヤマ君はね、用心のために、明かりという明かりを節約していたのよ。作業の大半は、夜目を慣らして、手探りで全部やってのけた。私たちみたいな、オヤマ君をよく知っている関係者ならともかく、普通の人が見たら変態もいいところだから。見つかって補導される危険を犯すわけには、いかなかった」
「でも……」
「そう。でも、それなら、真っ暗闇の中で、方向距離が分からないカメラに向かって、ポーズをつけたってことになる。仮にタイマーだったら、暗闇で時間が分からないまま、じっと時間が来るのを耐えたってことになる。セッティングは昼間より断然時間がかかるだろうし、効率悪いったら、ありゃしない。でも、時間を最大限短縮して、最高の写真を撮るための方法があるのよ、イスミさん?」
モデル経験がある……というか、現役でモデルをしているイスミさんなら、すぐに気づく方法でしょ、とイモちゃんは畳みかけました。
「カメラマンを雇う。一択ね」
「そう。正解。イスミさんが見せてもらった一連の写真に仕損じがなくって、ポーズもばっちり決まっていたのは、被写体とは別に、カメラのシャッターを切っていた人が、その場にいたからだって考えると、辻褄があう。でも……でも、イスミさんが駆け付けたときには、そんな人、いなかった」
「そうね」
「実際には、いなかったわけじゃなく、逃げたんです。で、それをイスミさんたちが、レイプ未遂犯と勘違いした。いえ、オヤマ君も勘違いさせるような言動を、あえてした。ね。オヤマ君?」
オヤマ君は、反論ひとつせず、目を伏せました。まあ、イモちゃんの指摘を肯定したのと同じです。
イスミさんが、イモちゃんのただならぬ剣幕に気づいて、フォローにまわりました。
「あの時、私、まだオヤマ君を紹介してもらってたわけじゃないから。カメラマンさんも、恥ずかしかったのよね。まあ、結果、いもしない犯人捜しに奔走させられたわけだから、イモちゃんが怒る気持ちも分かるけど」
「カメラマンが逃げたのは、イスミさんに遠慮してじゃないのよ」
「え。じゃあ……」
「海碧屋さんに見つかると困る人だから。あ。いや。正確に言うと、海碧屋さんに告げ口されると、困る人、だったからよ」
「どーゆーこと?」
「エロ写真……いえ、ヘンタイ写真のカメラマンをしていたっていうのは、確かに恥ずかしいことではあるけど、今回みたいな特殊ケースなら、わざわざ隠すほどのことじゃない。イスミさんは、高々一週間ほど滞在の旅行者に過ぎないし、バレたところで面は割れてない人だから、どーでもごまかせる。海碧屋さんは、顔見知りだとしても、女装に理解のある人だから、カメラマンをやったとしても、咎めはしないし、頼まれれば、見て見ぬふりもしてくれる。でも、今回カメラマンをやってた人には、別の困った事情があった。夜、漁港の番屋を開けてもらって、海上獅子舞の太鼓の練習をするはずだったのに、サボって、夜のデートと洒落込んだ……そうよね、お兄ちゃん?」
「えっ」
ショート君は、目を伏せたまま、ぼそぼそと言い訳したそうです。
「デートだなんて……ちょっと趣味につきあっただけなのに……」
「オヤマ君はノーパンミニスカでエッチな野外露出の写真を撮ってたんでしょ。よっぽど親密な関係じゃなきゃ、こんなこと頼んだり頼まれたリしないわよ。お兄ちゃんのほうにデートっていう自覚がなくとも、オヤマ君は誘惑する気マンマンだったに決まってるでしょ」
「そんな……」
「お兄ちゃんのウワキ者。ナンパヤロー。私という妹がありながら、他の女に手を出すなんて」
「オヤマ君は、女じゃないよ」
「ちんちんついてるから女じゃないっていうのは、言い訳にならないわよ。ついてるのを承知の上で、オヤマ君とデートしたいって言ってる男子、結構いるって言うの、私、知ってるんだから」
で、ここからは、イモちゃんのお説教というか、罵倒というか、恨み節というか、推理とは全く何に関係もない、ドロドロの嫉妬怨念のオンパレードが続きました。本人曰く、「妹愛の表明」だったそうですけど、表明されたほうは、イモちゃんの恨み節……もとい愛の深さに、背筋が凍る思いだったとか。
推理を聞かせるのに、私やてれすこ君をわざわざ外した理由、よく分かった……と船大工さんは、後、報告してくれました。
「で。二つ目の事件の謎解きに移ります。
昼間、海碧屋の面々と、め・ぱんのリリーさんたちが、クルミ浜で海水浴。夜、バックを忘れたリリーさんが取りに行ったところ、第一の事件の犯人らしき男に襲われた……これについては、船大工さんに解説してもらいます」
船大工さんは手酌をやめようともせず、淡々と語りました。
「推理ってほどのもんじゃ、ないんだけどな……事件が起こった時間帯と、翌朝、足跡を確認しにいった時間帯、覚えてるか?」
「あ……いいえ」
「ワシ、船大工っていう商売柄、引退した今でも干潮満潮の時間帯をチェックする癖があんのよ。職業病みたいなもんだな。皆で海水浴にいったあの日も、もちろんチェックしとった。満潮は夜の八時、と、翌朝六時じゃった」
「潮の満ち引きって、ぴったり12時間ずつじゃ、ないんですね」
「春分秋分の日とか、特別な日には、そーなるがな。リリー婆さんが襲われたのが……いや、浦宿一区の集会場に駆け込んだ時間が、夜九時ごろじゃ。つまり、襲われたのは、八時半かそこいらぐらいで、満潮を過ぎて一時間くらいしてからじゃ。仮に事件が起こって、翌朝チェックにいったとして、朝五時くらいまでは、足跡が残っとるはずじゃ……襲われた時間、本当に足跡がついてたとしたら、の話」
ここで、船大工さんは、クルミ浜に施された細工の話を、みんなに思い出させました。
そう、アサリの潮干狩り用資材置場で、潮干狩り漁のノウハウを用いて、満潮の30分だけ、海水が入り込むようになっている、という特殊性について、です。
満潮の一時間後に足跡がついていれば、満潮の一時間前にも残っているだろう、という理屈が、みんなに伝わりました。
「朝の五時っていや、漁港で稼ぐ連中は、皆もう出勤しとる」
ウチの隣のインドネシア人グループが、いい例です。
「誰か出勤前に足跡の確認にいったんなら、当然、足跡が残ってたって、おかしくはないって話じゃ。けど、実際にはなかったんじゃろ」
「あ」
「ま。最初っから怪しい話なんだが。リリー婆さん本人の証言が決定打と言ってよかろう。襲われた時に、犯人から独特のエロい香水の匂いがした、と。で、これをつけてるのは女川広しと言えど、オヤマちゃんだけっちゅー話じゃな。けれど、イモちゃんの推理で、最初の事件は茶番と分かっとる。香水の残り香が移ったレイプ魔とかは、最初からおらん」
「じゃあ、第二の事件は……」
「リリー婆さんの狂言じゃ」
動機も分かるような気がする……と船大工さんは続けます。
「本人の色気というかカリスマというか、男をたぶらかす能力の衰え、自覚したからじゃろ」
アチャラカ・ケンさんはじめ、最側近の爺さんたちは、未だ、リリーさんの魅力に憑りつかれたまま。けれど、組織の末端にまで、色気の効果は及ばなくなってきたようだ……と船大工さんは続けます。
「塚田のジジイのところにいってた、パチンコ借金ジジイがいい例じゃ。ま。魅力でどーのーこのじゃなくって、競争に負けたから……アチャラカ・ケンだの波止場のテリーだの、強力ライバルに太刀打ちできんと諦めたから、不良会員になったのかもしれんが」
イスミさんは、感慨深く、つぶやきました。
「いつになっても、女であることをやめられない……」
「大いに結構だと、オレは思うがな。こういう世の中だから、まだ20代なのに、女を捨ててる女ってのも、少なからずおるだろ。人それぞれじゃ。かく言う俺だって、棺桶に入るまで現役のつもりだしな。チンポに添木をあててでも……てヤツじゃ」
「下品っ」
イモちゃんに𠮟咤されても、船大工さんは平気の平左です。
「褒め言葉じゃ。リリー婆さんも同じ反応すると思うぞ」
延々と続きそうな「老いらくの色気話」に辟易したのか、ショート君が次の話を……と促しました。
「第三の事件も、これが連続レイプ未遂事件じゃないと分かると、『犯人』がハッキリする。そうですよね」
船大工さんが淡々と返答します。
「そうじゃ。そもそも、これを連続レイプ未遂事件とみなすのは……犯人が同一人物だとみなすのは、例の香水の残り香があったから、これ一点だ。しかし香水の残り香なんて、そう何日も残るもんかね。ケツ丸出しでゴミ捨て場に上半身突っ込んでた酔っ払いを見かねて、オヤマちゃん本人がズボンとパンツを上げてやろうとしてたって、話だろう」
「つまり……」
イスミさんは顔を赤くして、続きを促しました。
「何度も、言わせんな。姉ちゃん、アンタは最初っからケツ丸出しだったって、話だ」
船大工さんの推理はおおかたあっていましたが、最後の最後だけは間違っていました。イスミさんの尻を確認してくれたのは、ショート君のほうだったのです。
「また、香水の匂いが移るまで、抱き合ってたってこと? 悔しーっ」
ショート君は、何やかや言い訳しようとしましたが、イモちゃんがことごとく発言を遮って、お説教を続けました。椅子にきちんと腰掛けて頭を下げていたショート君は、いつの間にか、床に土下座していたそうです。
第四の事件、尾浦で縄文顔さんがレイプ未遂にあった件は、今さら説明するまでもないでしょう。これもまた狂言……それも絶対レイプ成功マニュアルを狙って仕組まれた、悪質な狂言なのです。
「女の子たち自身が損をするってこと、もっと広めなきゃ」
イモちゃんが話を締めくくった時には、船大工さんがボトルを丸々一本開けて、床で寝ごけていました。
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