第8話 ダメ押しに、もう一つ、事件

 次の被害者は……いえ、被害「未遂」者は、りばあねっとの陰の女王、縄文顔さんでした。

 仕事帰り、石巻鹿又のラーメン屋で、てれすこ君・船大工さんと昼食を取っているときに、りばあねっと親衛隊富永隊長より、メールがあったのです。

「今度は、普通の美人が相手だなあ」

 船大工さんが横からスマホを覗いて、頓狂な声をあげました。てれすこ君は、「不謹慎ですよ」と咎めました。いやしかし、言いたいことが、分からないでも、ありません。

 男の娘、老婆、筋肉女子……それでも同一人物における連続レイプ未遂事件です。FBIのプロファイラーも真っ青になるような「節操のなさ」が犯人の特徴だったのに……今度こそ、変化球でなく、直球な美人なのですから。

 餃子をたっぷりのラー油にひたしながら、「これで、町のレイプ未遂犯が、イカモノ喰いっていう船大工さんの予想は、外れですね。縄文顔さん、性格はドSでアレだけれど、見てくれは正当派美人なんだから」と、てれすこ君は思案しました。船大工さんは豪快に半ライスをかっこむと、「何、女なら誰でもいいヤツなのかもしれん」と茶碗に向かってしゃべりました。

「でも、オヤマ君、男の子でしょうが」

「外見は女そのものだろ」

「襲われた時には、確かノーパンミニスカで、ついているコトがはっきり分かる状況だったんでしょう?」

「何、そんなら、チンコ突っ込む穴が開いてりゃ、細けえことは気にしないっていう、タイプなのかもしれん」

 仮説なら、もう一つ立てることができます。

 犯人がメンクイだった……美人狙いだったという可能性です。

「被害者の皆さん、各々のタイプは違うくとも、美人美少女っていう呼び方がぴったりな人ばかりです。共通項と考えていいんではないでしょうか」

「リリーばあさんが、美人だあ?」

 船大工さんがピクリと眉をあげます。

「あの年にしては美人ですよ……というか、半世紀前には女川小町って言っていいほどの、美人だったじゃないですか」

「ま。そう言われりゃな」

 町外の住人が、たまたま立ち寄った時にした、通り魔的犯行という線は、これでさらに薄くなったと思われます。被害者全員の容姿を熟知しているからには、この町在住の人に違いありません……しかも、イスミさんが来てから一週間も経っていないので、この何日かのうちに、町内にいた人、ということです。

「全然、犯人、絞れてないのう」

 船大工さんがニヤニヤすれば、てれすこ君も考え込みます。

「縄文顔さん、今度こそ警察に届出たんでしょうか?」

 私たちとの交渉の窓口になっていた富永隊長が、必死になって警察の介入を押しとどめていたのは、犯人候補の一人が、りばあねっとの牟田口会長その人だったからです。今回、縄文顔さんの件で、牟田口会長のアリバイがはっきりすれば、本職に頼むのも、厭わないのではと思うのです。

「海碧屋さん、もう一つ、気になる点、ありますね。香水について、です」

 私たちが一連の性暴行未遂事件の犯人を同一人物と考えるのは、犯人が特徴ある香水をつけている……いえ、オヤマ君からの移り香がついている、という証拠があるからでした。

「縄文顔さんにも、その点、聞いてみないと。桃の香りに、猫のフェロモンを混ぜたような匂い、でしたっけ?」

 船大工さんが、珍しく最も至極な返事をくれます。

「最初の事件から随分時間が経つんだぞ、いくら着たきりスズメだって、当の昔に香水の匂いなんて消えちまってるわい」。


 私たちがダベっている間にも、富永隊長からのメールは続きます。

 短文ですが、それでもおおよその状協は分かりました。

 事件があったのは、今朝の話。

 東京在住のユーチューバーさんの依頼で、早朝の水揚げの取材協力をしていた時です。尾浦漁港で案内役をしていた縄文顔さんは、美人レポーターの写真が欲しいと言われ、漁船に乗ることになりました。

 船には何度も乗ったことのある彼女ですが、干潮で船が船着き場のずっと下に位置していたのが原因か、はたまた漁船に乗りなれていなかったせいか、船に飛び乗るとき、海に落ちてしまったのだとか。

 すぐに埠頭に引上げてもらったのはいいものの、ズブ濡れです。

 保福寺に上がっていく坂道の途中にクルマを止めて、縄文顔さんは予備のTシャツに着替えることにしました。パンツ一丁になったところ、いきなりクルマのドアが開き、暴漢が入ってきたとか。

「未明と言ったって、犯人の顔を確かめられるくらいの明るさだったんでは? そもそも、車内で室内灯つけて着替えていたんでしょう?」

「それが……犯人はドアを開けるなり、縄文顔さんの頭に、土嚢袋をかぶせたとか。犯人自身も、玉葱袋を頭にかぶっていたので、容姿は分からなかったとか」

 土嚢袋、玉葱ネット、どちらもホーマックやイオンで簡単に買える代物で……つまり、犯人の手がかりにはなりません。

「いっそ、覆面みたいなのをかぶっていたら、用意周到に準備してきたと言えるのかもしれないけど、どこにでもある資材ってことは、裸になった縄文顔さんをたまたま見かけて、ムラムラしちゃった人かもしれないし」

 てれすこ君説=富永隊長説に一理ある感じです。

「連続レイプ魔である可能性は、やっぱり低いか」

「そうですよ、海碧屋さん。そもそも手口が今までとか違います」

「ふーん」

「でもこの案件、海碧屋さん関連だって、富永隊長が言い張ってるんです。今回の犯人、なんでも、マグカップの跡がべたべたついた古ノート片手に、襲ってきたって言い張ってるらしいんです」


 予定していた午後の仕事を全部キャンセルして、私はてれすこ君とともに、りばあねっとの事務所に向かいました。

 事務所につくなり、親衛隊の人々に囲まれ、駐車場に設けられた「お白洲」に引っ張られました。そう、それは私的裁判というより、江戸時代の「お裁き」そのものだったと思います。悪徳代官のような、でっぷり太った肉まんじゅうのような顔で、牟田口会長は中央上段に座していました。雰囲気を出すためか、この日のりばあねっとの面々は全員地味な浴衣姿です。会長その人は、どこで調達してきたのか……段ボールか何かで作ったのか、時代劇でしか見ないような肩衣まで着けています。対して私たちは、汗の浸みこんだ作業着姿でした。照りつける太陽の日差しに閉口してか、てれすこ君が首にまいていたタオルをほおっかむりすると、本当にチンケなコソ泥じみて見えるのです。

 私たちは、お盆行事で使うようなヘリにカラフルな縁取りをしたゴザに、正座させられました。周囲の人間皆に責められて、いたたまれないような状況を俗に「針のムシロ」と言ったりしますけど、焼けただれたアスファルトの上に敷いたゴザも、そんなピーキなムシロに負けず劣らず、座り心地は悪かったです。

 絶対レイプ成功マニュアルのことで、私たちが吊し上げにあうのは、裁判が始まる前から分かり切っていたことです。しかしそれでも、大岡越前とまではいかなくとも、もっとまともな……不良少年が体育館裏でやるような、一方的なタカリ以上のものであっって欲しかった、と思うのです。

 牟田口「裁判長」は、左右に美人学生をはべらせ、鼻の下をびろーんと伸ばしたまま、私たちの「大悪行」を罵りました。縄文顔さんは、検察役……「アダマンタイトのパンツ」ブラッシュアップの際、襲う側をやってくれた親衛隊諸君のそばに、黙って立っていました。ハンカチで頬を拭いつつ、巧みに表情を隠していたので、何を考えていたかまでは、うかがい知れません。

 おどし・なだめ・すかし。

 ヤの字がつく自由業の人たちが、道理を引っ込ませて無理を押し通す時に使われる手練手管です。りばあねっとの大幹部たちは、どこで勉強してきたのか、三文芝居でもって、私たちを説得しようとしました。

 おどし役は、りばあねっとと親衛隊の面々で、明らかに怒っている演技の人もいましたが、本気で……縄文顔さんに、密かに惚れていたのかもしれません……私たちに殴りかからんばかりの剣幕で、ノート紛失という重大ミスを糾弾してきたのです。怒り心頭の彼らをなだめたのは、他ならぬ縄文顔さんでした。パンツ一丁の姿を見られちゃったのは仕方ないけれど、他ならぬ牟田口会長が通りかかって颯爽と助けてくれたのだから、許してあげて……と可愛く言うのです。

 すかし役は、当然、牟田口会長でした。

 ヒロインのピンチに颯爽とかけつけ、パンツ脱ぎかけの悪漢の尻に蹴りを入れて、追っ払った顛末を、意気揚々と語るのです。

 せっかくだから、犯人を確保してくれればよかったのに……という、てれすこ君の愚痴には、親衛隊の面々が、一斉に反発しました。美人秘書の心のケアのためには、頼もしい「白馬の王子様」が四六時中、そばについて慰めるのが一番だ……食事の時も、お風呂の時も、もちろん夜寝る時も……と、牟田口会長は気持ち悪いニヤケ顔を、お白洲の皆に向けました。私なんぞは背筋が寒くなった口ですが、牟田口会長の両脇に侍っていた美人さんたちには、大ウケでした。黄色い声をあげ、牟田口会長と縄文顔さんの「ロマンス」を囃し立てるのです。

 そして最後に、なだめ役の富永隊長が、私たちの味方みたいな顔をして、本当の欲求をつきつけてきました。

「起こってしまったことを、今さらどーこー言っても、仕方ない。ノートが見つからなかった以上、我々がすべきなのは、知識を悪用するヤカラへの対策ですよ、海碧屋さん」

 私に代わりてれすこ君が、答えました。

「それはアダマンタイトのパンツを町内にあまねく普及させることで、可能になる。そもそも、その性暴力マニュアル使用者への対策として、女装護身術は考案されたわけだから」。

 富永隊長は、なだめ役かつ、このお白洲では、私たちの弁護役のはずでしたが、あっと言う間に豹変したのです。

「海碧屋の女装護身術が、本当に性暴力マニュアルへの完璧に対策になってるかどうかなんて、分かりっこないじゃないか」

 まあ、正論ではあります。

「現物を見て読んで、それと女装護身術を比べてなら判断できる。でも、現物がない」

 まあ、そうです。

「海碧屋諸君の……特に悪マニュアル執筆者の海碧屋さん本人の能力を疑うわけじゃないが、我々のところには、親衛隊諸君という武道のエキスパートたちがいる。学生ボランティアも多数抱えているから、年配ばかりの海碧屋さんより、柔軟な若いアイデアで、もっと画期的な防犯の方法論を考えつくかもしれない」

「……何が言いたいんです、富永隊長?」

「ノート泥棒のレイプ未遂魔に対抗するため、我々りばあねっとにも、検討の機会を与えてくれ、と言ってるのですよ」

 てれすこ君が、首をひねりました。

「検討も何も、ノートが盗まれちまったって、最初から言ってるでしょう?」

「紙に書いた現物はなくとも、データとしては、あるでしょうが」

「ウチのパソコンの中に? ないない。ですよね、海碧屋さん」

「ええ。そもそも執筆したの、パソコンを導入するだいぶ前の話だから」

 富永隊長は、牟田口会長と目を合せると、得意げに指摘しました。

「ハードディスクに残っているデジタルデータ、とかのことを言ってるんじゃない。執筆者の脳みそに残っている知識を、吐き出してくれ、と言ってるんです」

「つまり……」

「つまり、もう一回、その性暴力の絶対成功マニュアルを執筆して欲しい。なに、記憶の底に眠っているなんやかんやを引っ張りだしてくるだけです。そんなに難しくないでしょう?」

「もういい年したジジイだし、執筆してからだいぶ時間が経つし、記憶があいまいどころか、すっぽり抜ける時もあるし、再現はまだ無理ですって」

 私の返答は、華麗にスルーされました。

 富永隊長は……いえ、牟田口会長も縄文顔さんも、しつこく「書け」と迫ってくるのです。内容の大半は「アダマンタイトのパンツ」への協力を頼んだ時に、概要として語ってしまっているし、そもそも詳細は覚えていない……と私はひたすら勘弁願いました。上から目線、圧迫面接じみた富永隊長の「書け、書いてくれっ」も怖かったですが、猫撫で声で脅してくる牟田口会長は、それ以上に恐怖の塊だったです。

「……海碧屋さん、アンタが執筆してくれなきゃ、これから第二、第三、第四の被害者が出るぞ。被害者たちは皆、レイプ魔がコーヒーマグの跡がついたノート片手に襲ってきたって、証言するだろうな」

「なんで、実際の被害者が出る前に、そんなことを言えるんですか? ノート泥棒が連続で女性を襲うっていう確証、どこから来たんです?」

「何、確証なんかなくとも、分かるヤツには分かるんだよ」

 牟田口会長は左右の女性に顔を近づけ、ぱちぱち目を閉じました。どうやらウインクのつもりらしいですが、両目を見開きする様は、眠いのをこらえているような感じです。

 私はてれすこ君に耳打ちしました。

「結局、りばあねっとの面々は、何がしたんでしょうねえ」

「絶対レイプ成功マニュアルが欲しいってことでしょう。海碧屋さんが書いてくれなきゃ、左右に侍っている女子たちを使って、狂言のレイプ事件を仕立てあげるぞ、という脅しですよ」

「なんと卑劣な……てか、りばあねっとらしいっちゃ、らしい」

「何、のんびりしたことを言ってるんですか。無実の罪をでっちあげられて、弾劾されちゃうんですよ」

「じゃあ、牟田口会長の言いなりになって、マニュアル思い出しながら執筆すればいい?」

「それはもっとダメです。悪用するに決まってるじゃないですか、彼らのことなんだから」

 そして、てれすこ君は、私たちとりばあねっととの最初の関わりを思い出させてくれました。居酒屋で、当時りばあねっと学生会員だった弥生顔さんが牟田口会長にセクハラされて、夜のお相手をさせられそうになっている所を、たまたま海碧屋に遊びに来ていた深谷わらびさんが、助けに入った話です。

「……絶対成功マニュアルを読んで、今度こそ、言いなりにならない女子会員の皆さんをあれやこれして、モノにする気まんまんなんですよ」

「まずいじゃないか、てれすこ君」

「まずいですよ、海碧屋さん」

「でも、そういう形で片棒を担がないと、私たちにも火の粉がふりかかってくるって算段なんですよね」

 進退窮まった私たちが、なおも内緒話を続けようとしていると、上から声がかかりました。

「結論、出たかね?」

 私は答えました。

「記憶が残っているかどうか怪しいので、思い出す時間を、しばしいただきたい。絶対成功マニュアルは盗まれても、その一つ前のバージョン、一般的な意味での性暴力研究ノートは残っている可能性があるので、書類倉庫を探してみます」

「それでいいわ」

 縄文顔さんの冷ややかな声で駄目だしがありました。

「でも、昔の書類を探すっていうのを口実に、時間稼ぎをしようって言ったって、無駄よ。三日。三日のうちに、その書類を見つけなさい。それが第一関門よ。三日のうちに前バージョンとやらを持って来なかったら、あなたたちの悪のノートのせいで、私が襲われたって町中に言いふらすからね。ノウハウをガッツリ勉強したレイプ魔が、町中を徘徊してるって、言いふらす」


 結局、このお白洲での約束は、果たされませんでした。

 私が前バージョンのマニュアルを発見するまでもなく、次の日から、マル秘ノートの噂が町中に流れたのです。ノート紛失、盗難届けのためにパトカーを呼んだ話が、なぜか噂では、連続レイプ未遂犯幇助の容疑で、家宅捜索された話にすり替えられていました。

 ヒマを持て余したご隠居さんたちの間の根も葉もない噂という段階なら、まだマシだったのですが、次の日には、取引先の業者さんや会社から、心配の……いえ、様子見の電話が入ってきました。

「不名誉な噂を流されて大変ですなあ」というお見舞いの挨拶から始まり、お天気や景気などの四方山話になり、最後には「本当のところ、どーなんです? 本当にマニュアルとやらが存在して、悪用されたりしたんですか?」という、腹の探りあいに終始する、一連の問い合わせです。

 私のほうとしては、もちろん、「潔白です。誤解です」と言い張るしかない案件なのですが……。


「実害、出たよ」

 りばあねっとに乗り込んで、噂を流すのをやめろ……と抗議しようとした矢先でした。

 商売相手の疑心暗鬼への釈明で忙しいてれすこ君ではなく、普段無口でクソ真面目なヤマハさんが、情報を持ってきてくれたのです。

「隣の寮に入っているインドネシア人の兄ちゃんが、槍玉になったみたいだ」

 町道一本挟んで、私たちの工場のすぐ横には、町内水産会社の社員寮があります。半世紀以上前建った普通の民家を改造した平屋で、今は日本人でなく、海外からの技能実習生という社員さんたちが、住んでいるのです。お隣さんになってから、かなりの時間が経っているはずですけど、外国人で言葉が通じないせいもあり、ご近所つき合いみたいなのは、皆無でした。水産加工という会社の特性から、朝五時過ぎには会社の送迎車が来て、午後二時には帰宅するという生活サイクルで、私たち海碧屋の従業員とは時間が全然合わない、というのも、交流がない理由の一端だったと思います。

 ところが、私の工場を挟んで、ちょうど社員寮とは反対側、津波後に引っ越してきた塚田さんというおじいさんと、このインドネシア人若者たちが、よくトラブルを起こしていました。塚田さんは、頑固じいさんというか、誰かと喧嘩してなきゃ三度の飯がうまくない……といったタイプのトラブルメーカーかつクレーマーでした。社員寮に、今のインドネシア人グループが入る前、中国人グループが住んでいて、ゴミの出し方で塚田さんが注意した、というのがコトの発端です。彼らを雇っている水産会社のお偉いさんが来て、塚田さんに謝罪をするとともに、「生活に慣れるまで大目に見てやってくれ……」と、頭を下げていったといいます。塚田さんは、その場では謝罪を受け入れ菓子折りも受取ったらしいのですが、次の日から全く悪びれずに、ゴミ置き場の監視を再開したということです。中国人グループが去り、インドネシア人従業員が入寮しても、塚田さんの態度は変わらず、監視とクレームは続きました。日本に来てそうそう、自分には関係ない前任者のことで説教され、歓迎どころかイチャモンの嵐に晒されたインドネシア人グループの人たちは、さぞ面食らったことでしょう。

 水産会社から内々に、円満な近所つきあいができるように、協力願いたい……という話がありましたが、塚田さんがご近所に引っ越してきて高々10年にしかなりません。しかも本人はクレームをつけるのを生きがいにしているような年寄りです。

 私たちは間に入って取りなしはしましたが、案の定、塚田さんの態度は変わりませんでした。

 コロンブスの卵的な解決方法ではありますけど、クレームの余地がないくらい、完璧なゴミ分別や梱包をして、曜日を守ったゴミ出しをするしかないのでは……と私たちはアドバイスしたものです。

 ご近所さん一同が、カラスもそっぽを向くような完璧なゴミ出しになれば、町内美化を目的とした監視は 普通終了です。そう、普通の世話役なら喜ぶべきところですけど、塚田さんはそうではありませんでした。クレームをつけることそのものに最上の喜びを感じるこの老人にとって、クレームの余地がないような完璧な「仕事」ぷりは悪であり、可愛げがない、というのです。

「……それで? ヤマハさん」

「塚田のジジイ、ゴミ置場のゴミ袋、全部開けて回ったあげく、中身についてイチイチ注意して回ったって話だ。ウチにも来た。ウチはお茶の出し殻の水分がじゅうぶん抜け切ってない、とか、軍手は事業用一般廃棄物で捨てろ、だのと言われたらしい」

 たまたま、使い古しのパンツを捨てていたオバサンがいて、塚田さんはデリカシーの欠片もない注意を連発しました。曰く「まだはけるパンツだから、ツギをあてろ」「デブったから、腰のゴムが伸びたのか」「いい年して女子大生がはくような若作りパンツをはくもんじゃない」等々、言いたい放題だったとか。

 パンツ主婦のほうは、当然烈火のごとく怒り「プライバシーの侵害で、訴えてやるっ」と息巻いていたといいます。

「……なかなか本題に入りませんね」

「当然だけど、塚田のジジイは社員寮のゴミ袋も全部開けた。そしたら、タマネギ袋だの土嚢袋、血まみれのパンツにビリビリに破かれたワンピース、さらにコーヒーマグの跡がついた古ノートが出できたそうだ」

「……縄文顔さんが襲撃にあったとき、犯人が用意していたようなアイテムってわけですか」

「血まみれのパンツからして、縄文顔さん以外の余罪もあるんだろ、とか何とか追求してたとか。スゴイ剣幕だったから、そのまんま警察に駆け込むのかなと思い気や、外国人がらみの犯罪ではあるし、血まみれの衣類を見て怖くなったこともあるしで、ウチに怒鳴りこんできたって寸法だ」

「ちょっと、それ、変じゃありません? 当のインドネシア人を雇っている水産会社に事情を聞きにいくっていうなら、分かりますけど」

「塚田のジジイにとっちゃ、報復がありそうなクレーム先は、うまくないってことかもな。あいにく、てれすこが仕事で留守だった。責任者と言えば、もうすぐ100歳っていうバアさんが2人だろ。クレームを入れやすいと思ったのかもな。ま。例のコーヒー跡のついた古ノートの件もあったし」

 工場長・副工場長が塚田さんに怒鳴られ、ネチネチ嫌味まで言われて困っているところに、ヤマハさんは颯爽とかけつけました。相手がなだめてもムダなタイプと分かっていたヤマハさんは、塚田さんの罵声を小半時我慢して浴びたあと、件のゴミ袋を見せてもらったそうです。ゴミ袋の中には、塚田さんが言った通りの代物が入っていました。そのうちに、ご近所さんが呼んでくれたのか、水産会社のお偉いさんが、インドネシア人グループの代表だという若者を、連れてきてくれました。

 お偉いさんの通訳で話を聞くと、拍子抜けするくらい、怪しい点がないことが判明しました。タマネギ袋は、「正式な用途」通り、タマネギが入っていたといいます。土嚢袋は、廃材を捨てるためのものでした。

 中国人グループが寄宿していた時分のものか、その前からか、社員寮の洗濯物干場には犬小屋が鎮座していて、雨の降った翌日にはたいそう悪臭を放っていたと言います。せっかくの洗い立てに臭いは移るし、歩くのに邪魔だし、そもそも犬そのものがいないのだから、無用の長物です。解体していいか……と彼らは許可を求め、その結果として、土嚢袋を使ったのだとか。

 血染めのパンツはもっと簡単な話で、日本語がよく読めなくて生理用品の使い方を間違ってしまった女性メンバーが、パンツをダメにしてしまったというコトらしい。ワンピースも、悪漢に破られたとかではなく、持ち主の女性その人が、ウエストまわりに贅肉がついてしまったのにもかかわらず、若い頃には着れたのだから大丈夫とばかりに、無理やりジッパーを上げたのが原因なのでした。

 けれど残念ながら、一番肝心なノートの真贋だけは、分かりませんでした。

 彼らによると、そのノートは大先輩の出稼ぎグループが、日本語を……というか女川弁を勉強するために使っていたノートだというのです。もちろん、インドネシア語・日本語両対応です。先ほど、インドネシア人グループの前には、中国人グループが入居していた話をしましたが、さらにさかのぼると、ベトナム人グループが寄宿し、さらにその一代前は、インドネシア人グループだったというのです。

 先輩グループから、今のグループに託された時点で、ノートは既に判読がかなり難しい感じになっていた、と言います。せっかくもらったはいいものの、入浴中にノートで勉強を試みた横着者がいて、いつの間にか、文字もイラストも、インクがすっかり溶けだしてしまっていたのでした。

「で。何が書いてあるか分からなくなってしまったから、捨てた、と」

 事が事だけに、水産会社のお偉いさんは目を皿のようにして古ノートをめくっていましたが、無駄でした。運悪く魚のアラまみれになっていて、臓物だの血合いだののせいで、悪臭もたいがいだったのです。

「海碧屋さん。執筆者として、どーですか? この古ノート、本物ですか?」

 私は即座に違うと答えました。

「ははあ。このノートは表紙が緑色だけれど、本物は茶色とか、決定的な証拠があるんですね?」

「いえ。そんなんじゃないんですけど。とにかく、絶対違います」

 私と水産会社のお偉いさんの問答を聞いていた塚田さんが、インドネシア人に対する糾弾をやめて、振り向きました。

「なんだ、海碧屋。インドネシア人たちから、どんな賄賂貰ったんだよ」

 塚田さんは、古ノートが本物で、ということはインドネシア人の若者たちが縄文顔さんレイプ未遂犯だと、信じて疑わないようでした。私は、彼らをかばったりしていない、と再三繰り返しました。

「ふん。何とでも言える。お前ら、共犯なんだな? そうなんだな? そっかあ、常々、りばあねっととは喧嘩してきたお前らだもんな、一矢報いたい気持ち、よーく分かるぜ。あの秘書女を襲った時の写真とか、ないのか? オレにも眼福をつけてくれるっていうなら、黙ってやっててもいいぜ」

 ヤマハさんが、インドネシア人若者をかばうように正面に立ち、喝破しました。

「ゲスがっ」

「なんだよう。お前らの所の船大工なら、喜んで写真を分けてくれる場面だぜ」

「再三言うが、ワシらはそんな犯罪には加担しとらん。古ノートは、そもそも性犯罪撲滅のためにあえて書かれたもので、ウチの社員で、エロ写真欲しさに協力するヤカラなんて、おらんっ」

「ほほう。船大工もか?」

「船大工もだ……たぶん」

 ヤマハさん、そこはウソでもキッパリと言い切って欲しかったです。

 水産会社のお偉いさんは、お偉いさんらしく、キッパリと塚田さんに言い渡しました。

「塚田さん。あなたの町内美化に賭ける情熱を否定はしませんけど、ウチの従業員を理由なく犯罪者扱いするの、もうやめてもらいましょう。ゴミ袋の中のモノは全部用途の説明がつくし、古ノートは海碧屋さんその人が否定しました。これ以上、イチャモンをつけてきたり、根も葉もない噂を流すなら、出るところに出てもらいますよ」

 弁護士も立てるし、仙台法務局に救済も頼みます。

 相手の本気度が分かってか、とうとう塚田さんは去っていきました。

「覚えてろよ」という捨て台詞を無視して、水産会社のお偉いさんは私たちに頭を下げ、古ノート探しに協力すると申し出てくれたのです。


 町内会からの正式通達で、ゴミ捨て場のゴミを漁るのを禁止された塚田さんは、今度は直接、社員寮の監視に出向きました。

 裏口勝手口のあたりをウロウロ、洗濯物干場の陰でコソコソ、住人としてはさぞ気味が悪かったことでしょう。間が悪かったのか、それとも確信犯か、女子メンバー入浴中のお風呂を覗いてしまい、とうとう警察を呼ばれたりも、しました。温厚なインドネシア人若者たちも、さすがに顔を真っ赤にして怒っていましたが、当の塚田さん自身はケロっとした様子で、警察の事情聴取にも、何ら悪びれる様子がなかったと言います。社員寮への接見禁止を言い渡された塚田さんは、今度は隣近所への「洗脳」を開始しました。

 我が海碧屋は「インドネシア人の味方」認定されたらしく、最初から無視されました。塚田さんは、他の年寄りたち……茶飲み友達相手に「ガイジンの悪行」を、あることないこと吹き込み始めたのです。オレオレ詐欺等、怪しげな電話には最大限用心する年寄りたちも、水羊羹を引っさげて、世間話をしにくる「ご近所」さんには、警戒が緩んでしまったようです。本来ならムラ八分にされてもおかしくない塚田さんが逆に音頭をとって、インドネシア人たちをムラ八分にする、ということになったのです。

 お陰で、警察に接見禁止を言い渡されている塚田さんに代わって、ご近所の「盟友」が社員寮に探偵ごっこを始めました。寮への見張りはもちろんのこと、買物その他で外出するインドネシア人たちを尾行する人も出てくる始末です。

 社員寮からの訴えで、再び水産会社のお偉いさんが塚田さんと交渉することになりました。私はオブザーバー兼、事の発端……古ノート執筆者として、お偉いさんに同行することになりました。日時を約束して塚田さん家を訪ねると、玄関の三和土には、靴だのサンダルだのがびっしりと並んでいました。居間に通してくれたのは、日頃、ウチにキュウリののおすそ分けをしてくれるお婆さんでした。このお婆さんが塚田さんの味方になったということは、交渉の場が完全にアウエーになったということを意味します。テーブルを囲った顔に、チラホラ、ご近所でない顔見知りが混じっていました。

「あ。あなた確か、め・ぱん会員でリリーさん取巻きの……」

「アチャラカ・ケンたちには黙っててくれよ、海碧屋。バレたら追放されちまう」

 この日は、め・ぱん連絡協議会会員・旧会員の三回忌だとかで、皆で法事に行くことになっていたとか。

「かつての仲間の法事にもいかないなんて、なんて不義理な」

「アル中で、一緒に酒を飲みに行けば、他の客にからんだり、ゲロはいたり失禁したりして、女川中の居酒屋で出禁になったようなクソジジイだぞ。オレだって、たいがいなクソジジイだが、アイツだって自覚がありゃ、化けて出てきたりはせんだろ」

「塚田さんとは、どんな出会いがあって、ここにいるんです?」

「カネを借りてんだ」

 石巻駅前のパチンコ屋で、帰りの汽車賃までスッてしまい、オケラになったところで、塚田さんに借金したとか」

「JRの切符代なんて、高が知れてるでしょうに」

「何言ってんだ。パチンコ続けてぶつためのタネゼニを借りたに決まってんだろ」

 せめて負けた分だけは稼いで帰ろう……と二万円借り、わずか一時間も経たないうちに、全額スってしまったとか。

「結局その日はヤマヤでワンカップ大関2本買って、羽黒山神社で野宿した」

「冬なら凍死してましたよ」

「ふふん。今どきの若僧といっしょにすんな。若い頃は北洋サケマス漁船に乗って、何度となくオホーツクにいった漁師だぞ、ワシは」

「それを言うなら、元漁師でしょう」

 かつての立派な漁師が、なんて落ちぶれた自慢をするのでしょう。

「それで?」

 今日、塚田さん家にいるのは、借金の利子代わりで、1日つきあえば、返済を待ってくれる上に、次のタネゼニも貸してくれる約束になっているからで、何のための寄合だか、全く知らない……と、そのめ・ぱん会員のお爺さんは、言い放ちました。

「アチャラカ・ケンさんに、告げ口します」

「だから、やめてくれ、海碧屋」

「いえ。電話入れます」

 直接の電話番号が分からなかったので、てれすこ君に頼んで伝言してもらいました。先方は渓秀院でちょうど読経の最中だったとかで、迷惑そうにケンさんはてれすこ君の告げ口を聞いていたそう。でも、やがて、「感謝する」とだけ言って、電話は切れたとか。10分もしないうち、塚田さん家に詰めていため・ぱん会員のお爺さんは、退散していきました。

 我が工場や塚田さんと同じゴミ集積所を利用しているご近所さんは、塚田さんの舌先八寸に丸め込まれたタイプばかりでしたけど、見知らぬ老人たちは、め・ぱんの不良会員と似たりよったりの事情で、つきあわされた人たちばかりでした。

 水産会社のお偉いさんが、塚田さんと膝つき合わせて「今度こそ本当に訴えますよ」と談判しましたが、塚田さんはそっぽを向いたまま「ワシは悪くない」と言い張るのです。

 真夏というのに塚田さんの茶の間には炬燵が出しっぱなしになっていて、ご近所のお爺さんお婆さんたちは、暑いそぶりも見せずに、座っています。いくら本丸が難攻不落でも、取巻きたちがいなくなれば、嫌がらせらしい嫌がらせもできなくなるでしょう。

 こまめに台所に立っていたお婆さんに声をかけ、「町内会の鼻つまみ者の味方をしたって、何もいいことありませんよ」という意味のことを、オブラートに包んで言いました。お婆さんは、「実は高校生の孫娘がいてね……」と語り出しました。取り立てて美人ではないけれど、愛嬌だけは抜群の孫娘さんは、海外留学に憧れていて、外国人と見ると友達になりたがる女の子だそう。町役場で斡旋しているカナダへの短期留学も率先して行ったし、外国人英語講師とも、イの一番に仲良くなったそう。こんな孫娘さんだから、当然のごとく、ご近所のインドネシア人若者たちとも、挨拶をかわすようになったそう。孫娘の母親は社交的な娘を見守る気持ちでいるようだけれど、父親のほうは娘がどこのウマの骨ともつかない男どもと親しくするのが、気に食わないとか。特に、外国人なんて真っ平ごめん、なんだとか。

「それで、ウチの爺さんは……」

 塚田さんが意図的に悪い噂を吹き込んだせいもあるし、本人の元からの性格もあるのでしょうけど、私の性暴力ノートの件を知ってからは、警戒心……敵愾心を隠そうともしなくなったのだとか。

「目の敵にしてるっていうのは、具体的にどういう?」

「港祭り、花火の時間にこっそり物陰に隠れて、ウチの孫娘を襲うに違いないって……」

 いつの間にか塚田さんが私とお婆さんの後ろに立っていて、聞き耳を立てていました。水産会社のお偉いさんには、塚田さんがなにやら「一服盛った」そうで、トイレに行ったきりだとか。

「口を開けば法律、法律と、ワシらいたいけな老人を脅しよって。弁護士や裁判所はお偉方の味方だけをしてくれるわけじゃないっつーこと、分からせてやるからな。仙台入国管理局なら何やらで、不逞ガイジンの取締りをしてくれるって、りばあねっとの若いのに教えてもらったからな。まずは女子高生をたぶらかすインドネシア人どもの告発じゃっ」

「なに、火のないところに煙を立てようとしてるんですか」

「朝四時、夜が明け切ってないうちに起き出して、近所を徘徊しとる、怪しげなヤカラがおる。女子高生の家に目ぼしをつけて、覗きに行っとるようじゃな」

「彼らの出勤、朝五時なんだから、夜明け前に起きるのは仕方ないでしょう。そもそも町内の漁業関係者の朝はもっと早いです。塚田さん、あんたのは言いがかりだ」

「お前さんの言い分、誰が信じるかな。ワシらには、ちゃんとした証人がいるぞ。りばあねっとの美人たちと、ちゃんと話がついとるんだ。自警団を組織したら、警棒だのヘルメットだのも、ロハで貸してくれるっちゅー話じゃ。ガイジンどもが暗がりに女を連れ込む前に、ワシらがあいつを暗がりに連れ込んで、可愛がってやるわい」

「暴力、反対。人種差別、反対です」

「アイツらのほうが、先に女を襲おうとしとるんじゃ」

「やってない犯罪で、人を罪にすることはできないんですよ、塚田さん」

「限りなくクロに近い灰色でもか? アイツらは犯罪者予備軍じゃ。お前さんのろくでもないノートを使って……」

「そんなもの、どこにもありませんよ」

「は?」

「だから、そもそも、絶対レイプ成功マニュアルなんてていう代物自体、最初から存在しないって言ってるんです。『アダマンタイトのパンツ』開発普及の弊害というか、反発というか、この護身術の存在自体を『リベラル的』『イロモノ的』『単純に女性保護目的だけじゃなく、何らかの政治的意図がある』とみなして、反発してくる人や団体があることは、予想していました。性暴力絶対成功マニュアルは、そーゆー人たちをあぶりだすためのフェイク……ウソ、ひっかけ、だったんですよ」


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