第7話 普及活動とクレーマー

 てんやわんやありましたけど、こうして一応「アダマンタイトのパンツ」は護身術として完成したわけです。

 次に必要なのは普及……できれば、被害のメインターゲットになりそうな女子中高生たちに、技を伝授することです。

 ライフセービング教室の開催で、イスミさんが町の若い女子たちから、もてはやされていたことは、以前紹介したと思います。女子高生参加者については、仲良くなった人たちが何人かいるから声をかけてみる……と、彼女から申し出がありました。女子中学生については、ショート君、オヤマ君がクラスメイトや、上級生下級生を誘ってみるとのこと。この手の勧誘で、一番ツテがありそうなイモちゃんは、「面倒くさいから」というなんともシンプルな理由で、誰も連れてこなかったのです。

 イスミさんが連れてきた女子高生たちは、皆が皆、運動音痴でした。夏休みと言えど、バリバリ本気度の高い体育会系部活の人たちは、学校に練習に行っているのが常で、イスミさんが連れてきたのは比較的ヒマな学生さんたち……それも文化系タイプばかりだったのです。彼女たちはタカラヅカのファンのように、イケメン女子であるイスミさんに憧れていて、我が護身術の内容もよく知らずに参加してきた人ばかりでした。一通り技を伝授して、実践……襲ってくる男を撃退するための模擬戦の段になると、「ムッサイおっさんやゴリラみたいなニイチャンに襲われるくらいなら、イスミさんにお願いしたい」と言ってきたのです。りばあねっと親衛隊連中は、神経を逆撫でされて、ひきつり笑いを浮かべていました。渋々イスミさんが相手をすると、今度はきゃーきゃー騒いで、抵抗らしい抵抗をしてくれないのです。てれすこ君が堪忍袋の緒を切らして、「レイプ魔」の交代を命じました。

 金髪君やリーゼント君が、てれすこ君に言われるまま、コワモテ全開で迫ると、女子高生たちはパニックを起こして逃げまどいました。ここは伝授したばかりの護身術を使って撃退して欲しかったところです。けれど悲しいかな、運動音痴の本領を発揮して、彼女たちは、ゴロゴロ畳の上に転がったり、壁に貼りついたり、はたまたなぜかショート君に抱き着いたりして、全く練習にならなかったのです。イスミさんに促され退場した小太りちゃんに心配して声をかけると、「漏らしたの。そっとしておいてあげて」という返事が、小声でかえってきたものです。

 どさくさに紛れてショート君に抱き着いた年下好きは一人でなく、イモちゃんが鬼の形相で不届き者を引きはがしていました。

「やる気がないのを、いくら鍛えようとしたって無駄よ」

 イモちゃんは、アメリカ人がやるような大袈裟なジェスチャーで「呆れた」気持ちを表明しましたけど、ショート君たちが連れてきた女子中学生ちゃんたちも、たいがいでした。

 どーもショート君やオヤマ君のファンの子だったらしく、護身術の練習そっちのけで、彼らとの会話に夢中になっていたのです。これも当然、イモちゃんが撃退しようとしましたが、相手は勝手知ったる同級生たちとあって、なかなかひっぺがせなかったようです。中には「そろそろブラコン直したほうがいいよ、イモちゃん」「お兄ちゃんを一人じめするなっ」等、反論してくる人たちもいて、手を焼いたようです。さらに、徹底的に面倒くさかったのは、女子中学生ちゃんたちに同伴してきた保護者の存在でした。参加者のおばさん、おばあさんという人たちが、一人ずつ(なぜか母親参観はなかったようです)来ていて、「子どもたちに、こんないかがわしいコトを教えるなんて」「性教育って言ったって、中学生にははやすぎる」等々、マシンガンのような勢いで、クレームを入れてきたのです。私たちは当然、言い訳を……いえ、護身術の主旨を説明しようとしましたよ。でも、保護者のお二人は完全な「バーサーカー」モードに入っていて、聞く耳をもたない……叱るのが目的で叱っているような感じになっていました。武道場の片隅に、私、てれすこ君、富永隊長が正座させられ、頭蓋骨の中まで響くような説教を食らったのです。

 足の痺れのせいで正座から立ち上がれず、無様に転ぶ私たちの次は、当の女子中学生ちゃんたちの番でした。保護者さんたちの論理によれば、彼女たちは私たち大人の「大人げない」不品行の被害者ということになるんでしょうけど、それでもオバサン・オバアサンは説教が必要、と考えたようです。ぶっ続け1時間半の説教がようやく終り、オバサンたちが、私たちの用意したポカリスエット(当然、練習生の皆さん用に準備したもの)を飲んでいるうちに、りばあねっと親衛隊の面々は、忍者のようにドロンと消え失せていたのです。

 オバサン・お婆さんは2人でコソコソ話し合っていましたが、やがて、牟田口会長その人にお説教してくるとかで、帰ってしまいました。

 中学生の引率できたはずなのに、当の中学生を差し置いて帰ってしまうのも、なんだかなあと思いましたけど、改めて指摘すれば、「倍返し」の説教がきそうなので、黙っていました。

 ところで。

 私たちの目的は「アダマンタイトのパンツ」の完成と普及によって、町の治安を良くする……未だ逮捕されていない連続レイプ未遂犯を食い止める、というのが目的でした。では、完成と普及の目的は? 

 そう、港まつりの成功です。

 港まつりにおける行事や出し物に直接関与はない我が海碧屋ですけれど、商売つき合いや地縁血縁関係で、従業員は皆、何かしらの助っ人に駆り出されていました。それでも例年なら事務所に留守番の一人もおいておくところでしょうけど、イスミさんのライフセービング教室のお手伝いや、「アダマンタイトのパンツ」教室主催などのために、その留守番さえ確保できない状況だったのです。携帯電話という便利な道具の存在で、出先にいようが自宅にいようが取引を完結できてしまうのも、いけなかったのでしょう。

 事務所に空き巣が入ったのです。

 たいして価値のあるものは置いてないから……と油断していたせいもあったのでしょう。我が事務所に現金のたぐいは一切置いてありませんでした。今はやりのクレジットカードによるキャッシュレスなんていうハイカラな会計のためでなく、大福帳に売掛買掛を記しておいて、盆正月前に掛取りにいく、という昔ながらの決算スタイルの賜物です。

 最初は泥棒が来たかどうかさえ、分かりませんでした。玄関に入ってすぐのところにはカボチャが、中央の接待用テーブルの上にはコンビニ袋いっぱいのナスが置かれていて、ご近所の誰かが、おすそ分けに来たのは確かで……つまり、人の出入りの痕跡には気づいていたのです。魚市場でナメタカレイが上がっていたから、謝礼に持っていくか……とか、私はあいかわらずのんびりしてました。


 てれすこ君やイスミさんが体育館での練習を終え、夕方近くになって事務所に戻ってきてから、私は盗難に気づいたのです。「アダマンタイトのパンツ」は、あくまでも港まつりの無事実行のための考案だけれど、港まつり後にも、普及活動を続けるのか……と問われ、続けるつもりなら町役場に体育館使用申請の追加を……と言われ、書類整理していたときでした。

「ない」

 私は表紙部分に丸い跡がいっぱいついた古いコクヨノートを、どこかで見なかったか、てれすこく君に尋ねました。工場長以下、副工場長に船大工さんにヤマハさんなど、事務所にて書類仕事に用がありそうな人は、少なからずいます。けれど、いずれもが80歳代90歳代で、記憶力という点では、あまりあてにならない……いえ、あてにしてはならない人たちなのでした。

「丸い跡って、ハンコか何かですか、海碧屋さん?」

 一緒に事務机周りを整理しながら、てれすこ君はノートの特徴を尋ねてきます。

「それが、珈琲カップの底の跡なんですよ」

 今みたいに従業員が充分にいなかった時期、平行して何種類もの事務作業をせねばならなかった時がありました。過去の癖で、私はあらゆるノートの表紙をマグカップ置場として使ってきました。探しているノートは、とりわけ深夜作業時にマルチタスクしていた時に用いていたので、強めにいれたコーヒーの跡が、くっきりとついている代物なのです。

「はい。はい。古いノートですね」

 私が頼んでいたわけではないのですが、イスミさんとイモちゃんが、コンビニ袋に入ったアイス持参で、事務所に来ました。冷蔵庫のストックのつもりで買ってきたのに、あっという間になくなっちゃうわ……とイモちゃんはブツクサ言いながら、おすそ分けしてくれました。イスミさんのチョイスか、アイスはグレープフルーツ味のガリガリ君だのブラックチョコバーだの、若者向きのハイカラなのが多かったです。東北地方なのに、こんなに日差しがきついとは……と、イスミさんは海水浴で使うラッシュガードを着こんでいました。水泳等やる人特有だと思うのですが、イスミさんも幅広な肩をしていて……というか、ラッシュガードのお陰で、それが強調されて……それこそ、オッサンみたいな後ろ姿でした。


「イスミさんが、女子にモテる要素、また一つ見つけちゃいましたよ」

 私がしみじみ言うと、イスミさんは賞賛(?)を歯牙にもかけず、問うたのです。

「探しものは、何のノートなんですか?」

「それが……アダマンタイトのパンツ関連でしてね」

「ショート君だけでなく、父親にも女装させるっていう、研究?」

「いえいえ。そもそも、わざわざ特別なエクスキューズを用意しなくとも、彼はスカートをはいてくれる人ですし」

「ちょっ。海碧屋さん」

「実は……絶対レイプを成功させる方法論、虎の巻……というのを、紛失したんですよ」

「虎の巻?」

「はい。襲われる側の女子がどんな完璧な対策をしても……スタンガンから鉄のパンツ、柔道剣道少林寺拳法……と護身術を身に着けても、突破してパンツまでたどりつくっていう、悪のマニュアルです」

 中身を細々と説明するまでもなく、てれすこ君は、その重大性に気づいたようです。怒ったような困ったような表情を私に向けてきたのです。

「そもそも、なんでそんなノートを作る気になったんですか?」

「だから、アダマンタイトのパンツを完璧にするための、装置の一つですよ」

 解毒剤を作るためには、毒の研究そのものが不可欠です。そして、「解毒剤」という呼び名が正式名称である解毒剤は存在しません。サリンだのVXガスだのマムシ毒だの砒素だの、具体的な名前で具体的な被害をもたらす各種の毒があり、その毒が人体等を害する化学的プロセスを解明した上で、対サリン解毒剤、対VXガス解毒剤、対マムシ毒解毒剤、対砒素解毒剤……が作られるのだ、と言えましょう。

 性暴力についても、同様のプロセスがあってこそ、解毒剤は作られる……つまり、抽象的かつ言葉の上にしかない「レイプ」研究をしたところで、実効性のある対策はできるわけでなく、より効果的かつ強力な対レイプ「解毒剤」を作るつもりなら、逆説的ではありますけど、絶対にレイプを成功させるための方法論を構築する必要がある……ということなのです。

「海碧屋さん。そのマニュアルが盗人によって悪用されて、被害者が出ちゃったりしたら……」

「マズイ、なんて個人の感想レベルですむ問題じゃないですね。ヘタをすれば性暴力の幇助の罪に問われてしまいます」

「女川交番に電話をかけて、すぐに捜査をしてもらいましょうよ、海碧屋さん」

「でもですよ、てれすこ君。現時点で、本当に盗難にあったかどうか、ハッキリはしていないわけです。体育館利用の申請とか、このところ書類仕事が多かったですしね、色々片づけたりした時に、他のファイルや封筒に、紛れてしまった可能性は、あります」

「でも……」

「そもそも、絶対レイプ成功マニュアルが、この事務所にあることを知っている人自体が、私本人を除いては、いないはずなんですよ。というか、虎の巻が存在しているということ自体、知っている人なんて、いないはずなんです。だからこそ、誰もがアクセスできる事務所の机の中に、無造作に放り込んでおいたわけです。存在しないモノを盗みに来る泥棒っていうのは、すごいシュールだと思いませんか?」

「……机の中を漁っていて、偶然見つけたのかも……」

「現金や通帳以外に興味を示す泥棒がいたとして、書類の中から何か金目の物を見つけようとしたとしても、コーヒーマグの跡がべたべた残っている、小汚い古ノートに目をつける人は、いないんでは?」

「うーん」

 言葉に詰まったてれすこ君の代わり、イスミさんが質問してきます。

「絶対レイプ成功虎の巻って言ってましたけど、本当に、被害者側がどんな抵抗をしても、絶対に阻止できないんですか?」

 私の答えを待たずに、イモちゃんも質問をしてきました。

「アダマンタイトのパンツと戦ったら、どっちが強いんだろ」

「イモちゃんが言いたいのは、アダマンタイトのパンツをマスターした人に、絶対レイプ成功虎の巻のノウハウを勉強した人が襲い掛かったら、どうなるかっていう質問ですか?」

「そう」

 アダマンタイトのパンツが性暴力絶対阻止、を標榜している以上、これは古代中国の故事成語みたいな話になってしまいます。つまり、絶対に壊れない盾と、どんな盾も貫く矛を売っていた武器商人が、その「矛盾」を指摘されたという話。

「あ。それなら、大丈夫ですよ。虎の巻のほうは、バージョン2でしたから」

「バージョン?」

 バージョン1、は一般的な性暴力のありかたをまとめたノートでした。そのまとめノート内の性暴力に対抗するために、「レイプバスター」という護身術を考案しました。で、そのレイプバスターに対抗するために、バージョン2、絶対成功虎の巻を構築したということです。当然ながら、このバージョン2に対抗するために、「アダマンタイトのパンツ」という護身術を考案するに至った……という流れなのです。

「……さらにバージョンアップして、バージョン3ができていたら、ヤバかったところですけど、なんせまだ、アダマンタイトのパンツに対する対抗系、考案するところまではいってなかったです」

「まるで、軍拡競争だ」

 呆れるてれすこ君に、私は、そのまま言葉を返しました。

「まるで、じゃなく、軍拡競争そのものですよ。これを勝ち抜くためには、たえず新しいアイデアを出し続ける……つまり、軍拡し続ける必要があります。そしてできることならば、そのアイデアが敵陣営に漏れないようにする。また、絶対成功虎の巻みたいな、想定マニュアル……仮想敵の行動推論があるなら、この推論自体、他に漏れないようにするのも、重要なのです」

「まるで、情報戦だ」

「まるで、じゃなく、情報戦そのものなんですよ、てれすこ君」

 イモちゃん、イスミさんも交え、4人でもう一度事務所を家探ししました。けれど、結局、古ノートは見つかりませんでした。業を煮やしたてれすこ君が、女川交番と連絡をとりました。交番はちょうど、おまわりさん不在の時間だったらしく、自動音声で石巻警察署のほうにつながり、待つこと30分、パトカーがやってきたのです。

 てれすこ君は、おまわりさんに、ノートの中身のことを話しました。が、「絶対成功」というネーミングセンスが悪かったのか、そもそも性暴力するためのマニュアルなんてのが荒唐無稽に聞こえたのか、ノートの情報の価値について、半信半疑……いえ、一信九疑くらいの眉唾モノと思ったようです。

 結果「オッサン……いや、いい年したジジイの妄想を書き綴った、小汚いノート一冊」の盗難ということで、被害届は受理されたのです。たかがノート一冊のために警察の手をわずらわせて……という、おまわりさんの冷たい目線と慇懃無礼な口調が、心に痛かったです。

 そうそう、彼らは防犯に関する貴重なアドバイスも、していきました。

「留守番の人が不在の時には、ドアに鍵をかけましょう」。

 でも、営業時間中の事務所には、各種業者さんから、三軒隣の飼い猫タマまで、ありとあらゆる人が出入りしています。鍵なんかかけていては商売になりませんし、そもそも隣近所の民家で、家人不在と言って、玄関に鍵をかけているところなんて、皆無なのです。

 留守中にキュウリだのナスだのを持ってきてくれる近所のおばあちゃんたちに「なんかヤマしいことでもあるの」となじられてしまいますよ……最近は物騒だから、玄関脇に野菜を置いておいたら、盗まれるわよ……とかなんとか。

 若いほうのおまわりさんが苦笑しました。

「うーん。そういう考え方もありますかね……」

 年配のほうのおまわりさんが「マジメに受取るな、本末転倒のホラ話なんだから」と小声で相棒にささやいていました。工場長が棒アイスを冷蔵庫からとってきて、彼らに差し出しました。勤務中だからと遠慮する2人に「虫歯で歯に染みるの?」と工場長は世のおばあちゃんらしい心配をするのでした。


 事務所にパトカーが来て、一時間半も滞在していったことは、隣近所で大々ニュースになりました。私やてれすこ君といった、田舎暮らしのエキスパートなら、野次馬の好奇心を満たしながら、余計なことはしゃべらない話術を身につけています。けれど、イスミさんやイモちゃんは、根掘り葉掘りされる質問を受け流すスベを知らず、バカ正直に全部語ってしまったらしいのです。

 絶対成功レイプ虎の巻の話も、当然、知れ渡りはしましたが、誰も本当だと信じてはくれません。「船大工さんのするような、壮大なホラ話」「てれすこ君が女装するための、新しい言い訳」と、逆に呆れられてしまいました。

 やっぱり真に受ける人はおらんか……。

 騒ぎか大きくならないことに、私は寂しくはありましたが、ひとまず胸をなでおろしたのです。

 けれどこのパトカー来訪の翌日、第四のレイプ未遂事件が起こり、海碧屋という会社の存亡を賭け、私たちは古ノート探しに奔走することに、なったのです。

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