第5話 続き(脳内演習)

「まず、最初に演習です。

 答えがあらかじめ分かっている問題を出します。

 あなたは今、昭和20年代前半、仮想ニッポンに進駐してきたGHQの高級幹部、としてみましょう。終戦直後の焼け野原で、仮想トーキョーは、どこもかしこも治安が最大限に悪化。パトロールにいった兵士たちによると『北斗の拳』世界さながらに犯罪が蔓延してきて、若い女性と見れば、襲おうとする野郎どもも、多いとか。で、与えられた条件のもと、性犯罪を撲滅してみせなさい……という演習です。

 で。ここで条件。

(ⅰ)あなたには情報がない。

 あなたは想定米国軍人で、多少の日本語は理解できるものの、日本の地理や世情についての知識がない。性犯罪に関しては、件数・概要といった統計データ報告書こそ上がってくるものの、個々の事件の具体的な情報は上がってこない。

(ⅱ)あなたには、自分の一存で動かせるマンパワーがない。

 あなたには、情報処理等の手助けをしてくれる秘書などスタッフはいるけれど、実際に街に出てパトロールしたり、レイプ犯罪を捜査したりする、実働系のマンパワーがない。端的に言えば『警察力』を直接保持していない。

(ⅲ)あなたには自分の一存で動かせるオカネがない。

 夜中に何度も性犯罪が頻発する注意箇所の存在を偶然知ったところで、そこに街灯等を設置するなどの処置ができない。スタンガンや警棒等を購入して、夜遅くまで働く勤労婦人に貸与する、なんてこともできない。

(ⅳ)男尊女卑の風潮が、たいへん激しい。

『チャラチャラした恰好の女性は、男を誘っているのだ』『夜に繁華街に出歩く女は、襲われて当然だ』等、女性には厳しい自衛手段・自粛を要請し、他方、男性の犯す性犯罪には激甘な風潮がある。また、例えば、女性向けにスタンガン等を貸与したところで、こんなモノを女が持つべきじゃない……と男が取り上げてしまう風潮がある。

(ⅴ)あなたは自治体や地方政府に対しては、絶対的な命令権を有する。

(ⅰ)から(ⅳ)で述べたような、情報・人・カネがなく、社会規範も防犯に逆行するような条件の中で、唯一あなたが取り得る手段である。けれど、今まで性犯罪が蔓延してきたことを考えれば、警察力の強化や街灯の設置など、『情報・人・カネ』を持ち合わせれば当然可能な各種性犯罪対策を、自治体等に期待はできない。命ずることはできても、実行を伴うか怪しいところがあるのである。


 以上の条件の元、少しでもあなたが性犯罪を減少させるためにできることは……演習の冒頭でも言ったように、答えは決まっている。自治体等に命じて、体育館や各種武道場を確保しアダマンタイトのパンツを全住民に、特に女子中心に、伝授することである」

 私が言葉を切って2分、「うーん。そうかなあ。他にも答えがあるような」と、ショート君が首をひねりました。「条件が五つもあるし、他にも方法論があるような」と、てれすこ君も考えはじめました。こんなことで余計な時間を取らせるのもなんだと思い、私は種明かしをしました。

「最初に答えありき、で問題を考えたんですよ。わざわざ五つも条件をつけたのは、答えの可能性を広げるためじゃなく、逆に、アダマンタイトのパンツ以外の答えが出てこないように、可能性を虱潰しに排除していった結果なんです」

 イスミさんが冷静に質問してきます。

「で? 答えが分かっている質問をしてくることで、伝えたいメッセージって、何すか?」

「ええっと。ズバリ、メッセージの意味を披露する前に、また少し、解説を入れます。想定現実の話です」

「想定現実?」


「インターネットやコンピューターゲーム等で、特殊な眼鏡なんかを用いて、やたらリアリティのある生活空間なんかを作り出す技術を仮想現実、バーチャルリアリティなんて言いますよね。今、私が言わんとしているのは、そういう理系技術的なモノではなく、経済社会的な条件を明らかにした上で、思考実験的に考えていこう、という現実です。たとえば、男尊女卑がキツいとか、敗戦後の焼野原で物資がなく皆貧しいとかは、コンピューターグラフィックス上で再現しよう、なんていう範疇のたぐいのことではありません。

 今、ここに中学生が2人いますので、分かりやすく中学社会科教科書の登場人物を出して説明していきましょう。社会契約説の提唱者、17世紀の政治哲学者トマス・ホッブズです。彼は自分の社会契約説の解説で、今まさに私がやったような想定現実を想定しています。著書「リバイアサン」によれば、人間の自然状態は「万人の万人に対する闘争」状態です。今、私が想定『太平洋戦争後の焼野原ニッポン』で描いてみせたような、野蛮な本能むき出しがニンゲンの本質だ、という性悪説ですね。で、そんな野蛮人同朋の暴力から自分を守るために、自己の持つ自然権を国家に委ね、警察等国家権力で守ってもらおう、というのがホッブズの論旨です」

 当の中学生2人から反応はなく、代わりにイスミさんがおずおずと感想を述べてくれました。

「なんか、懐かしいっスねえ。勉強はあんまり得意じゃなかったけれど、ここのところはよく覚えてるかな。このジジイ、極端なことを言ってるなあって感じで」

「ええ。中学社会科教科書的には、このあと社会契約説の政治哲学者としてジョン・ロック、ルソーと続くんですけど、その二者と比べても明らかに異質ですね。ジョン・ロックとルソーが性善説をとって、ホッブスは性悪説で……なんて教科書には載ってますけど、実は、私がここで言っているのと同じ、答えが確定している問いを発したからじゃないかな、と密かに思っているわけです」

「というと?」

「ホッブズの時代の歴史背景を考えましょう。彼は、ちょうど清教徒革命で国を追われた、のちのチャールズ二世の家庭教師をしていたことがあります。つまり、革命を起こされちゃった王家のシンパというか、そちらサイドの人だった。で、王家擁護の思想的バックボーンになっていた王権神授説がガタガタになっていたので、これに代わる正当性保証の思想が欲しくて、でっちあげた、と」

 たぶん王権……政治主権の源になるのは人間の自然権なのだ、というところまでは、当時の政治思想の基本として認められていたんでしょう。どうしても外せない。でも、そのまんま論理展開したら、国民……あるいは国民代表が政治をしたらいい、という結論になる。で、そこからウルトラC的に、王権神授説同様の専制政治擁護の思想を導き出すための超・論理展開をした、と。

「もっと言えば、自然権の定義そのものに自己解釈をあてることによって、結論ありきの強引な論理展開をした……いや、できた、かな」

「はい」

「イモちゃん、どーぞ」

「なんだか、アダマンタイトのパンツから、どんどん話が離れていってるような」

「じゃあ、少し戻しましょう。私が想定した『第二次世界大戦後の焼野原ニッポン』が、ホッブズの想定するような『自然状態』と同じ種類の架空社会であろう、という話です。男という男が女性を狙っている、なんていう世界は、それこそエロ漫画が絵がくような世紀末世界にしかなく、リアルな社会でそこまで極端になることはありえない。敗戦後の日本もその例に漏れず、それは確かに警察権力等が行き届かなくて、令和の今から見れば犯罪の横行する世界に見えるかもしれない。でも、まず当時の日本社会で最も犯罪の対象になったのは、食料じゃないんでしょうか。食い物を始めとした、基本的なニーズ、衣食住が圧倒的に不足していて、犯罪者の犯罪優先順序も、そーいう生存を賭けたモノが主だったんではないか。また、復員軍人が少なからずいたのは確かだとしても、長い戦争期間を経て、多数の若い男性の命が失われている状況でした。男女の性比が女性に偏っていた……特に結婚適齢期男女の性比は偏っていたわけで、数少ない婿候補に、嫁をもらってくれと頼むような世情だったはずです。いつの時代・社会でも『レイプ性交でなければ興奮できない』なんていう原理的犯罪者がいるのは確かだとしても、パートナーにあぶれたから性犯罪を犯すなんていう機会的レイプ魔は極端に少なかった時代のはず、と思うのです」

「……つまり、有りえない状況を元に、アダマンタイトのパンツなんていう護身術を考えだした?」

「違いますよ、イスミさん。最初に言ったとおり、最初に結論ありきで、状況を考えたんです」

「なんか、詐欺っぽいような」

「ぽい、じゃなくって、モロに詐欺ですよ。たとえば、私がこのアダマンタイトのパンツをNPO法人化して、政府から補助金をせしめたり、善意の第三者から寄付金を集めるような状況を考えてみてください。元になった性犯罪横行社会は、存在しない。けれど、その存在しないはずの社会状況改善のために、カネをくれ、と言っているわけですから」

「うん。モロ、詐欺」

「納得してくれてありがとう、イモちゃん。でもね、レイプ対策のあれこれを考えるときには、市井の篤志家だろうがアカデミズムの研究者だろうが、ほとんどが、このホッブズ的想定社会に頼らざるを得ない状況にあるだろう、とも思うんです。

「と、言うと?」

「被害者のプライバシー保護という観点から、私たちが実際に起きた現実から知りえるのは、だいぶ加工されたデータだろう、ということです」

 たとえば、レイプ事件の当事者……加害者・被害者・その場にいた人の体験を第一次的データとします。警察が調べ上げてまとめたものが二次データとすると、私たち一般人の手に入るのは、第三次データ以降の加工された現実だ、ということです。

「加工されたデータから一番に分かるのは、データを加工した人間の頭の悪さ、次に悪意か恣意、そしてようやく現実の事件がどんなだったのか、推理する……」

「極端だなあ」

「犯人の年齢や職業というのは、割とどんな事件でも出てきます。どこで……場所ですね……時間帯なんかについても、それなりに。けれど、どんな感じでパンツを脱がされたのか、なんてのは、市井はもちろん、アカデミズムの学者さんのほうにだって、流されないでしょう」

「性犯罪を防ぐのに、パンツの脱がしかた、うんぬんっていうの、必要ありますか? それこそ興味本位で、プライバシー侵害するような行為だと思うけれど」

「犯人がイッパツで被害者を殴り倒し、抵抗する間もなくパンツを脱がせてしまった……という状況なら、アダマンタイトのパンツは護身術として役立ってない、と思いませんか? 出会い頭に一発、では、ほとんど抵抗する時間もなく襲われてしまう、ということです。女装護身術は全くの白紙にして、一から他の方法論を考えたほうが良い。逆に、実際のインターコースに及ぶまでの女性の抵抗が大変有用で……殴る蹴るされても、かなり防御できているとしたら、我がアダマンタイトのパンツは、かなり役立つと予想できます」

「予想できます、か。歯切れの悪い言い方」

「一次二次データに基づいて、性犯罪対策を立案できるのは、事実上警察所属の研究者のみ、となるでしょう。想定現実に基づいて考案した対策……我がアダマンタイトのパンツ等の有用性を担保する何かがあるとしたら、地道な成功体験、あるいはその成功体験の集積しかない」

「分かりにくいです」

「実際に、この護身術習得者が、レイプ魔を退けたり、レイプされかかっている人を助けたり、ということがあれば、アダマンタイトのパンツが役立っているということが、実感できるでしょう、ということです。あるいは統計的事実として、かな。たとえば女川町で毎年100人ずつの女性が性犯罪被害にあっている状況があるとして、アダマンタイトのパンツが対策として普及後、犯罪数が年間10人に激減すれば、効果があったと判断していいのでは? ということです」

「ふーん。要するに、現実の事件に基づいた対策ではなくって、効果がある場合あるよ、スか?」

「答えはイエスです、イスミさん」

「実際の事件に基づいた対策ではなくとも、そういう目に見える効果がありゃ、それでいいんじゃないかなーって自分は思うっスけどねえ。被害者のプライバシーを犠牲にしたから、想定現実をベースにした対策より効果がある対策をひねり出せるかっていうと、必ずしも、そんなコトはないだろうし」

「想定現実にばかり頼ると、バリエーションが乏しくなっちゃうんですよ。そう……いわば、『鉄のパンツ』効果が働く、というか」

 アダマンタイトのパンツという、名称解説の時に述べたのは、レイプという語感に引きずられ、性犯罪特有の部分……挿入さえ防げれば大丈夫という視野狭窄に陥ってしまうのではないか、という注意でした。想定現実のほうは、今現在存在する対策を強化反復するという性質上、「一連の行為」の埒外を想像しにくいのです。

「一連の行為?」

「被害者を無力化するため、最初の一発を殴りつけるところから、膣内に射精するところまで、ですかね」

「……毎度、口を酸っぱくして言ってますけど、海碧屋さん、もっとオブラートに包んだ物言いしたほうがいいですよ」

「これは失敬、てれすこ君。では、また、演習です。

 季節は真冬、午後4時には周囲が暗くなる寒空続きの日々。浦宿駅前で女子高生が連続で襲われるという事件があり、我々海碧屋は、ご近所に工場を構えていることもあり、自警団その他のボランティア活動をすることになりました」

「わざわざ女子高生って限定するところが……なんか、ヤラしいっていうか、アザといっす」

「まあ、町住人じゃないイスミさんからしたら、そうか……女川は石巻線が2時間に一回来るだけのド田舎で、完全に車社会です。高校を卒業すれば、就職するにせよ進学するにせよ、皆運転免許を取って通勤通学にJRをつかうこともなくなります。家や学校職場、ショッピングモール等、クルマから降りるのは建物敷地に入るときのみで、『暗がりの寂しい道』を歩く、なんていうシーンがそもそもないのです。

 また、中学卒業までは町内で日頃の生活は完結します。もともとは中学校4つ、小学校6つあったのが、少子化で小中統合校1つだけになった影響もあり、通学区域は大変広く、すべてスクールバスになりました。ヘンタイ性犯罪者が狙うのは最寄りのバス停から自宅までの短い距離となりますけど、集団登下校に保護者出迎え等もあり、こちらも襲うスキがない。事実上、『暗がりの寂しい道』を歩きそうなのは女子高生しかない、ということなのです」

「ふーん。で、その対策がアダマンタイトのパンツっすか?」

「いえ。たぶん、この演習問題の解は、駐車場をチェックする、でしょう」

「どーゆーこと?」

「地元の男、特に浦宿地区の住民は皆、面が割れている、ということです。ド田舎ゆえに、自治会やPTA子ども会、その他町内の催しとして住人が顔を合せる機会が多々あるだけじゃありません。そもそも皆がどこかで血がつながっていたりするので、冠婚葬祭等でも、しばしば集まるという現実があるのです。特に浦宿駅を含む行政区浦宿一区は百年二百年単位の旧家が多いので、人間関係はより濃厚です」

「ちゅうしゃじょう」

「……地元住人が犯人になる可能性は極めて低い。あるいは、逮捕前提で犯罪する、なんてことになります。つまり、演習問題通りのレイプ犯が出現するとすれば、まず町外の人間ってことになりますけど、真冬の夕方、ターゲット女性を待つ場所がないんですよ」

 駅前に針の浜屋、近くにセブンイレブンという店舗があるけれど、長居すれば、すぐに顔を覚えられてしまう……余所者は目立つ地区なのだ。じゃあ、どこで待機すればいいかと言うと、近所の駐車場でエンジンかけっぱなしで暖をとるしかない。性犯罪の最中、寒さをしのぐためにも、コトが終わったあと速やかに逃亡するためにも、クルマは必須だ。

「……元々が万石浦の交通・水産を目当てとした宿場町・漁村なので、田舎ではあるけれど、住宅地は密にある……というか、クルマが普及していなかった時代に切り開かれたムラなので、適当な駐車場がない。つまり、本当に連続性犯罪事件なんてものがあれば、数少ない駐車場を見てまわって、不審車をチェックしていくというのが有効打になるだろう、というとこなのです」

「世のヘンタイにとっては、極めて『仕事』がしにくい場所ってこと?」

「まあ、そうですね、イスミさん。この浦宿駅前ケースで私が言いたいのは、たいていの脳内シチュエーション……『北斗の拳』世界でも『都会の薄暗い路地裏』でもいいんですけど、最寄りの駐車場を見張れ、なんていう解答は出てこないんじゃないか、ということです。比較的歴史のある旧漁村だからこそ出てくる解答であって、たとえば、仙台駅周辺で連続レイプ事件があるとしたって、駅周辺の駐車場全部をくまなく監視するなんて芸当、よほどのマンパワーや監視カメラがあるとしたって、やり切れるかな? ということです」

 それにそもそも、クルマの中以外にも「待機」場所が豊富にある仙台駅前で、駐車場をいちいち監視というのは、対策として有効打ではないでしょう。

「ふーん。浦宿駅前には浦宿駅前のやり方があって、仙台駅前には仙台駅前のやり方があるって事?」

「まあ、そんな感じです、イスミさん」

「はい、質問」

「イモちゃん、どーぞ」

「駐車場の監視なら、さっきいった監視カメラの設置台数を無茶苦茶多くすることで、解決することできないの? 昭和の時代なら、カメラ一台一台がすごい値段だったから、設置が難しいし、チェックも難しいって理屈、分かるけど。でも令和の今の監視カメラって、そんな高くないだろうし、インターネットが使えてSFっぽい監視体制も可能になってるでしょ? つまり、テクノロジーの進歩があれば、いずれ、東京駅周辺でだって、できるようになるんじゃ?」

 千葉県人であるイスミさんに、イモちゃんが「そうでしょ?」と相槌を頼むと、「いずれ、の話じゃなく、現時点で、そうなりつつある」という返答。東京は、私たち田舎者が思うより、はるかにサイバーパンクっぽい世界になっているのかも、しれません。

「うーん。じゃあ、浦宿駅前の設問、第二弾といきましょう。

 私たち自警団が、駐車場をくまなく見張ったところ、残念ながら不審者は発見できませんでした。私たちは、次の手段として、女子高生一人一人に帰宅までの道のり、護衛役をつけることにしました」

「はい、しつもん」

「イモちゃん」

「その護衛役が、送り狼になる可能性」

「お父さんとか、お兄ちゃんに頼めば、いいんじゃないでしょうか。でなくとも、先ほども言ったように、浦宿の住人は、皆どこかしらで血縁関係にある人ばかりなんです。運悪く、そういう家族親族がいなかったとしたら、2人、3人と複数つけて牽制させる」

「……なんか、ありきたりだなあ」

「じゃあ、イスミさん、この策を仙台駅前ケースで、できますか? 監視カメラと違って、こっちはマンパワーだけの策です。妙齢女性の浦宿駅利用者と、仙台駅利用者は、桁違いの人数で、しかも、駅から自宅までの距離だって、各段に長いでしょう。これは、浦宿駅前ケースでしか、できない方法論ってことです」

「……仙台駅前でできないなら、浦宿駅前でも、できないんじゃ?」

「人数が段違い、と言ったでしょう。最初の説明の通り、JRを利用して帰宅する妙齢女性は、浦宿駅では高校生くらいのものです。で、この高校生の人数ですけど、女川在住の子どもたちの1学年の人数が30人くらい、性比がなぜか男に偏っていて、男女比六四くらいなので、実質1学年あたりの女子は12人、13人くらいのものなのです。高校在学中の3学年で全部合わせても40人くらい、でしょうか。さらに、町内の駅を利用する学生さんの半分は女川駅のほうを利用するでしょうから、実質、浦宿駅でガードすればいい人数は、20人くらい、となるのですよ。2時間に一本と言っても、帰宅時間に合せて二本以上の下り列車が来ますから。浦宿駅到着一回当たりのガード必要人数は、10人を下回る計算になります。これが仙台駅でなら、万の単位になるでしょう」

 さらに、家族親族がバッチリ利用できるという環境なので、ガードを別に雇う必要がある女の子は、わずか2、3人という単位になるのです。

「どうです? コストやマンパワーの観点からしても、浦宿駅前でできて、仙台駅前でできない性犯罪対策というのが、確かにあることに、納得してもらったでしょうか。なにも当たり前のことを手間ヒマかけて得意げに説明した、ということではありません。アダマンタイトのパンツを考案した時の想定現実と、リアルな現実との違いはあるよ……と言う事が、言いたかったのです。

 ある程度抽象的に言えば、性犯罪対策において、個別のケースを一般化することは危険を伴うだろう、集約化や統計によって、零れ落ちる事実があまりにも多いだろう、ということが、言いたかったのです」

「都会と田舎っていう場所要因が原因だとしたら、その場所の違いによるリスクを極力減らすように、環境を整えてやれば、いいだけでは? さっきの駐車場監視の話なら、カメラの大量設置によって、不可能だったはずの駅前駐車場の全部が監視できるように、なるんじゃ」

「うーん。つまり、どんなに一般化が難しそうな個別案件でも、テクノロジーの進歩などによって、一般化することが可能で、あるケースで有効な性犯罪対策は、他のケースでも有効だろう、と言いたいんですね、てれすこくん」

「要約すること、そんな感じですかね」

「テクノロジーの進歩では、どーにもならない個別的案件が多々ありますけどねえ。例えば平成七年の沖縄米兵少女暴行事件。当の沖縄だけでなく、日本中が……いや、アメリカを巻き込んで世界中で大騒ぎになりました。当時のフェミニズム運動家たちが、在日米軍を沖縄から追い出せ、なんていう主張をしていたと思います。在日米兵による沖縄での強姦事件はこれだけでないわけで、フェミニズム運動家たちの主張……『性犯罪対策』にも、理はある」

 もっとも、地政学的な沖縄の重要性を考えれば、たとえ在日米軍がいなくなったとしても、他の軍事的抑止力が沖縄駐留しそうなのは、間違いのないとろでしょう。沖縄の西と東での軍事的緊張が根本的理由としたら、日本側からすれば、中国の体制転換が、この問題の最終的解決策、なんて感じになるかもしれません。

「ま。駐車場っていう場所的な解決策だけでなく、社会経済が理由になっている治安悪化もあるわけで、どーしても、個別的にアイデアを練らねばならない場面もあるよ、というわけです」

「納得、いったような、いかないような」

「今まで、一貫してアダマンタイトのパンツの説明をしてきた経緯から、性犯罪前提となる暴力は、最も単純なパターン……要するに、殴る蹴る押し倒す、という想定でした。けれど、レイプの起点となるのは、それだけではありません。脅迫や酒を飲ませて……なんて人間関係を悪用した犯罪のほうだって、あまたのバリエーションがあります。で、こちらのほうの肉体的暴力でないほうこそ、一般化しては、有効な解決方法にたどり着かないなのだろう、と思います。何かに例えたほうが分かりやすいという人には、これは糖尿病の逆だよ、と説明することにしています。ご存じ、糖尿病というのは、血液中の過剰な糖が様々な悪さをする病気ですけど、結果として、失明したり、腎臓病になったり、足を切るハメになったり……と、様々な病状が出ます。すなわち、原因は一つなのに、病状は多種多様なのです。性犯罪は、おそらく「原因と結果」において、この逆だと思うのです。つまり、病状としては、レイプという一つの行為として現れる。でも、その要因としては単一の何か、というより、多種多様の理由が重なり合った結果、起きることだろう、と」

 だからこそ、原因の数だけ対策を考える必要がある、と。

「……ある意味、当たり前のことを言ってるだけ?」と、てれすこ君。

「多種多様って、言うけど、つきつめていけば、男の性欲が原因なんじゃないの?」と、イモちゃん。

「うーん。説明、分かりにくいようですねえ。というか『原因と結果』なんていう言葉を使った、私のほうが悪いか」

「どーゆーこと?」

「性犯罪には多種多様なバリエーションがあり、最終的にやること……インターコースは一緒でも、それまでのプロセスは一般化しきれないのが多い。だから対策も、多種多様にならざるを得ないだろう……ここまでは、いいです?」

「オーケ、です」

「これらの対策が対象にするのは、あくまでプロセスであって、原因までさかのぼる必要はない。あるいは、あえて、しない」

「また、分かりにくくなったかも」

「再びアナロジーを使おうとすれば、性犯罪対策というのは、病気タイプというより、台風タイプの対処法と思うんですよ」

「台風? イキナリだけれど、関係あるんすか?」

「たとえば、イスミさん、あなたが風邪をひいた場合を考えましょう。病気の原因はインフルエンザウイルスで、お医者さんに薬を処方してもらって、治療するというのが一般的な手続きですよね。原因の特定・分析は医学の仕事で、当然、その対策も医学の仕事の範疇として、あります。他方、台風の場合、その原因の特定分析は、気象学とか地球科学とか言った、自然科学寄りの学問の仕事なのに、対策自体は工学的な内容になるでしょう。たとえば、河川工学とか、土木工学、あるいは防災研究。それから、理系ではないですけど、地方自治体・学校などの避難訓練、等々。つまり、何か問題が発生して、その問題の研究自体が解決方法に直結する、という分野もあれば、発生原因の分析と対策が、それぞれ別物な分野もあるだろう、と言いたいのです。この比喩そのままで言えば、レイプの原因分析と、その対策は、ちょうど台風タイプで、別々の学問分野でしかるべきでは? という問題提起です。これは別段、私の発見ということではなく、関連書籍を読めば、どうやら誰でもが気づいているらしいけれど、あまりにも自明なために、明文化されてないことの一つだろうと思います」

「ふーん」

「もちろん、このアナロジーが今現在という時間を切り取った一過性のものであることは、承知の上で言っています。私自身、そんなに詳しくはないですけど、人工的な雨を降らせる実験とかあるのは知ってますし、気象学や海洋学も日進月歩しているでしょうから……でも、一般常識で言えば、令和の今現在、台風の原因研究や進路予測等の、原因・プロセスの研究は進んでいても、台風被害を軽減したり、やり過ごしたりする対策方法論のほうは、全く違う分野の学問に頼らざるを得ない現状であると思うのです。遠い将来、台風の発生や終了をコントロールして、雨が欲しい時だけ弱めのに来てもらい、強すぎる暴風雨の時には進路をずらす……それどころか、発生そのものをコントロールする技術が確立する日が来るかもしれないけれど、今はまだ近未来の話でしょう。

 で、性犯罪対策に戻れば、その原因……女性を襲いたくなる衝動や、そのタガが外れる原因分析と、防犯の方法論が直結する日が、いつかはやってくるかもしれない。しかし現在は、台風のコントロールと同じくらい難しい。よって、警察やボランティア自警団の活動とは、遠い将来はともかく、今は分けて考えるべきだろう、と」

 ここいらへんの疑問は、実は40年くらい前にさかのぼる。

「うひゃー。昭和の話だ」

「私が学生時代の回想です。女性学やフェミニズムなんかが社会的なブームになった時期があったんですよ。アカデミズムやジャーナリズムで女性学者さんたちの地位向上があったり、各種書籍が陸続出版されたり、そうそう、行政もオカネを投じてくれた時代でもありました。女性学関係の専門図書館みたいのも、雨後の筍のように……いや、そこまでではないけれど、ぽつぽつと開館するようになりました。で、その蒐集された図書資料の分類のありかたが、ある意味当然なんだとは思うんですけど、性犯罪は『性犯罪』という、ただ一つのカテゴリにまとめられている。私からすれば、当然、犯罪原因究明と対策は、確かに密接に関連はするけれど、別々の学問研究の分野だろう、と思うわけです。学問研究に『生産性』という言葉が適切かどうかは分からないですけど、研究者が一つの分野を深く掘っていく……そのためには、枝葉をいい意味で切り捨てていく、そういう集中のためには、分類項目の在り方を一考したほうがいいんじゃないかな、と若かりし頃の私は、考えた、というわけです」

 平成に入って以降、全くその手の図書館には行かなくなったことは、ここで白状しておかねばなるまい。

「適当な言葉が思い浮かばないんで、性犯罪原因究明と、性犯罪対策っていう、似通った用語を使ってしまいますけど、気象学と土木工学くらい、言葉のイメージが離れた命名にしたほうが、いいだろう、とも思います」

「はい」

「てれすこ君、どーぞ」

「大分類では、性犯罪一択でも、下位分類では、それなりに細かくなってるんでは? たとえば原因究明のほうでは、犯罪心理学とか、対策のほうでは、警察活動研究、とか」

「原因究明のほうは、心理学の範疇を超えたもろもろ……主に社会学分野にもまたがる学際的な取扱いがいると思いますよ。犯罪心理学なら、さらに下の分類です。そうですね。大分類に性犯罪、中分類に性犯罪原因究明、そして、その下位分類に犯罪心理学、と言った具合に」

「原因究明と対策と、二つの分野にまたがっている著作も、あるかもしれない」

「そういう場合、総論とか入門編とか学際分野とか、名づけるのがいいかもしれません」

「その他っていう言い方もある。あるいは、雑分類?」

「そーゆーのも、ありますね」

「性犯罪の下位分類……ていうか、さっきの説明なら中分類か、二つじゃないじゃない。少なくとも、三つになってしまうんでは?」

「あ。これは、時系列に沿った一連のアクションが二種類に分類できるっていう意味で二つで、イスミさんの言う通り、周辺分野学際分野等、プロセスに関しないのを入れれば三つ、あるいはそれ以上になるでしょう」

「時系列?」

「事前、コトの真っ最中、事後っていうふうに、便宜上、時間軸にそってレイプを三つのプロセスに分けます。事前……性犯罪が起きる前に私たちができるのは、潜在犯が犯罪行為に手を染める心情きっかけ等を分析究明することです。今までのお話で言えば、犯罪心理学その他です。コトの真っ最中、これは護身術や防犯グッズ等、対策として、私たちが今まで検討してきたコトですね。そして事後なんですが、これは事前の対策と表裏一体の関係ではないか、と思うのです。

 事前-コトの真っ最中-事後に今の言い方をあてはめれば、A´-B-Aという具合に……Aが原因究明系、Bが対策系の学問分野というわけです」

「事前……が犯罪心理学なんかの原因究明系っていうのは分かるけど、事後も原因究明系っていうのは?」

「女性学者やフェミニズム論者にも、過激で極端な主張をする人がいますよね。たとえば全ての男は潜在的なレイプ魔である、とか言う。男性への嫌悪感むき出しというだけでなく、地道な研究をないがしろにするという意味でも、よろしくないと思うのです。原因究明系・対策系にABという符丁を当てはめた時に、事前のほうにA´、事後のほうにAを割り当てたのに、気づいてもらえたでしょうか? 事前のほう……現実に犯罪が起きる前に潜在犯の心理を探るというのは、アトランダムに男性をピックアップして調査した結果ではありません。実際に性犯罪を犯した人を調査して、事前にどんな心理だったかを考える……つまり、事後研究から事前状態を引っ張り出してくるという意味で、両者は表裏一体、というか、はじめに事後研究ありき、だと思うのです」

 全ての男性が潜在的レイプ魔、という主語の大きい主張を研究ベースに乗せるとしたら、さっき言ったようにアトランダムに男性サンプルを抽出するのか、それとも男性全部を調査対象にするのか、どちらにしても、事後研究の必要はなくなります。

「事後のほうは、単に心理研究だけじゃなく、もっと様々な分野にも及んでいます。被害者に対する身体や心のケア、裁判等加害者への罰、その他色々です。時系列から外れそうな部分はいったんおいておいて、レイプ対策、あるいはそのフィードバックというところに絞ると、ポイントは二つかな、と思います。すなわち、被害者の『泣き寝入り』と加害者の『開き直り』です。性犯罪をしても被害者自身が告発することがなく、罰が課せられないだろうという予想は、加害者を増長させ良心を曇らせるだけでなく、野放しのままレイプ魔をちまたに徘徊させることによって、次の被害者、その次の被害者……と、被害を拡大させることにもつながる、重大案件なのです」

「なんか、一般論ね」

「じゃあ、一般的じゃない持論を、ここでいっちょう。レイプ被害者が加害者から負う傷を、身体の傷、心の傷、そして第三の傷……世間一般での体裁だとか……と分類したとき、おそらく、前近代的社会では『心の傷』というのが存在しなかった。あるいは、存在したとして、適当な言葉があてがわれることがなかった」

「なにそれ。むしろ逆でしょう? レイプの後始末の話で言えば、加害者を告発するために、被害者が裁判等で事実を明らかにするのは、セカンドレイプって言って、再び被害者の心の傷をえぐる行為であって、追体験はとてもつらいんだよ……というのが、常識っていうか、普通の説明じゃないの?」

「令和の今現在のことを言ってるんじゃなく、昭和よりずっと前の……それこそ、女性学やフェミニズムなんてものが存在しなかった時代に関しての、推理ですよ、イスミさん。多分、こんな感じだったんじゃ……という私の個人的意見であって、万人に認められた論証付きの学説とかではありません。これを思いついたのは、レイプの後始末としての結婚、なんていう特異な慣習を知ったからです。ええっと……解説を平易にするために、またまた、たとえ話に頼ります。

 あなたは今、ペットショップの店員で、七色の羽をもって素敵な声で歌うカナリアを売らんとしているところです。モノの道理が分かる客ばかりならいいんですけど、時には迷惑客が来て、売り物のカナリアを傷つけてしまったり、します。

 第一の迷惑客は、羽泥棒です。

 七色の羽が欲しくなった迷惑客は、店員のあなたに見つからないように、こっそりと羽をむしり取ろうとして、カナリアの羽を引っこ抜き、飛べなくしてしまいました。これではもう、このカナリアは売り物にならないから、正規の値段で引き取れ……と、あなたは、羽泥棒に詰め寄ります。警察や裁判所も、あなたの主張が全面的に正しいから、言われた通りに引き取りなさい、でないとペナルティを課しますよ、と命令します。

 第二の迷惑客は、確信犯です。

 あなたのカナリアは店頭に並べられているものの、あなたはすぐにそのカナリアを売るつもりはありません。買い手が気に食わなかったり、高い値段をつけてくれそうな優良客と交渉中だからです。しかし確信犯は、どーしてもそのカナリアが欲しかった。確信犯は強硬手段に出て、そのカナリアの羽をちょん切ってしまいます。あなたが彼の不法行為をなじると、彼は開き直るのです。これで、このカナリアは売り物にならなくなった。今まで交渉のテーブルについていた優良客だって、皆逃げていくに違いない。けれど自分はいい値でこのカナリアを買ってやるぞ、どーだ? と。

 第三の迷惑客は、そもそも客ですらありません。

 彼も第一、第二の迷惑客のように、羽を傷つけてしまいますが、その不法行為に謝罪さえしないのです。鳥が暑そうだったから、涼しくするために羽をむしってやったんだ、感謝しろ、と」

「で。この話のオチは?」

「前近代のカナリアは、羽をむしられようがちょん切られようが、ペットショップの店員と顧客のいうがままに、加害者に引き取られていきました。でも今のカナリアは自分の意思をはっきりと述べるのです。羽をむしりとられて、とても痛かった。こんな乱暴な人に引き取られていくのはイヤだから、ハッキリと犯罪者扱いしろ、と」

「カナリア、イコール、レイプ被害者ってこと?」

「まあ、そういうことです。

 で、迷惑客に買われる、イコール、無理やり結婚させられる、と読み替えてください」

「女の子をペットショップにいるペット呼ばわりするのは……」

「前近代、と言えば、家父長制が家族制度してスタンダードだった時代です。たとえ話の中のカナリアの扱いほど極端でなくとも、女性がトレード可能な財産とみなされていたのだ、と考えると説明しやすいことが、あまりにも多いのですよ。

 先ほどの例で言えば、第一の迷惑客は、レイプの加害者がレイプ被害者と結婚すれば、レイプ犯罪はなかったことになるよ……という結婚形態のことですね。インドを始めとした南アジアの話だったか、イスラム法だったかは忘れましたけど、ニュースになるたび、当該地域の女性運動家のみならず、欧米の人権活動家からも、非難ごうごうだった慣習ですね。

 家父長制に対する非難として、よく、女性の人権が制限されていた、とか、ないものと扱われていた、と言ったりしますけど、実は人権だけではなく、内面……感情とその表明も、制限され無きものにされていた、と言えましょうか。

 さて、たとえ話から、そろそろ本題に戻りましょうか。

 第一の迷惑客、どんな名前がついているのか知らないので、ここで仮に免罪婚、とでも名づけておきましょうか。確たる名前のない第一のケースと違って、第二の場合には確かな名前がついています。略奪婚です。日本でも、オットイヨメジョ、なんて固有名詞がついていたりして、ポピュラーという言い方はヘンですけど、婚姻の一種として広く認知されています。

 キズものにしたから押しつけられる免罪婚、キズものにしたからよこせ、という略奪婚は、めとろうとする者……男性の意思のありかたに若干相違があるだけ、いわばコインの裏表のような関係にあるといえるでしょう。他方、第三の迷惑客のケースは、典型的なレイプ犯の思考様式をカナリアのたとえにあてはめてみました。犯罪心理学なら認知の歪みとでも言うべき考え方で、要するに『犯されたほうも気持ちよかっただろう』というものです。わざわざ並列的な並べたのは、女権論者からは同様の非難対象となる、これら性犯罪の後始末「開き直り」にも、何種類かバージョンがあるよ、ということを言いたかったためです。

 免罪婚、略奪婚には『女性の内面』『被害者の心情』なんてものを考慮に入れてはいませんけど、第三のパターンは『レイプされて喜んでいた』という曲解にしても、女性の内面の存在を認めているという点で、より近現代的だと言えましょう。

 さてここで、カナリアのたとえ話をする前のセンセーショナルな仮定、前近代のレイプ犯罪には、『被害者の心の傷』は考慮に入れられていない、あるいは『心の傷』そのものが存在しなかったかもしれない、という推論の説明をしましょう。

 近代前近代を問わず、世の中には刑法やそれに類する犯罪処罰の掟があって、レイプ犯は処罰されるんだろう……という事実を、まず確認しておきましょう。それはでも『身体の傷』『社会的な立場等への傷』をつけたことの罰則かもしれず、民法やそれに類する法律での損害賠償でなら請求理由に明文化されるかもしれませんけど、刑法民法未分化の時代にまでさかのぼるとなると、それもままならない。ではポイントはどこかというと、刑法的処罰をまぬがれうる例外的規定……免罪婚略奪婚という、被害者、あるいは被害者一家への賠償救済策に『心の傷』という項目が全く入っていないようだ、という一点です。

 ここで傍証というか、最近のトレンドからの類推もつけ加えておきましょう。ずばり、セクハラについてです。セクシャルハラスメントという言葉自体から分かるように、これは英語のを未翻訳のまま日本に持ち込んだ概念、というか専門用語です。もちろん、言葉が持ち込まれる前にだって、セクハラに当たる行為……お尻を触ったり、女性の前で猥談してみたり……は、あったのでしょう。けれど、この行為は日本語として言語化されることはありませんでした。セクハラ被害者女性の『不快』を抑え込む、各種の加害者『開き直り』があったのはもちろんですが、長期に渡る抑圧……『不快』と感じてはいけない、という場の雰囲気等によって、女性自身が一種の『不感症』状態になっていたのでは? と思われるのです」

 この説明には、工場長90過ぎから、14歳中学生のイモちゃんまで、満遍なく女性陣からの抗議がありました。

「でもですよ? 昭和の昔には、ハラスメントに対して抗議の声を上げる女性に向かって、『男にスキを見せる女のほうが悪い』とか『男を誘うような服装や素振りをしているほうが悪い』とか『社会人をやっている女性なら、そういうのを大人の対応でかわすスベがあるはず』とか『スキンシップは男のほうから愛情表現で、悪意にとるほうが悪い』とか、セクハラの発生そのものを女性起因のもととしてすり替えたり、因果応報を言いくるめたり、対応できない女性のほうを未熟と言いくるめたりするロジックが横行していたわけです。これら伝統的かつ広範で強力な『開き直り』に対して、対抗馬ロジック……セクシャルハラスメントという概念がなかった時代、うまく言いくるめられ、セクハラ被害の原因を自分自身と勘違いしてしまった女性だって、少なからずいたはず、と思います。彼女たちは、自己の至らなさを反省する良心的な内面の持ち主で、それはある意味美徳ではあるだろうけれど、悪意のセクハラ魔の餌食になりやすい……被害者意識を持ちにくい人たちでもあろう、と考えます」

 副工場長が、私の言い分にも一理ある……と賛成してくれました。

「ま。あたしゃ、尻を触られたら、相手ヤローのケツを蹴り上げたクチだけどね」

 若いころは、よく男と間違えられたという彼女にちょっかい出すような男なんぞいたためしがない……と言いかけて、私は口をつぐみました。

「さもありなん」

 ありがたいことに、てれすこ君のフォローです。

「海碧屋さん、続きを」

「……レイプにも、程度の差こそあれ、同じような論理が働いていたのでは? というのが私の類推です。年端のいかない子どもが大人に性的ないたずらをされても、それがいたずらだと気がつかなかったりするように、『心のキズ』という概念が発明普及する前には、それが『痛み』であり『不快』だと自覚はできても、傷ついたのだ、ということに気づけない。やられた自分が悪いのだ……等々、自責の念が大きくて、自分自身の心配に至らない。そんなこんなで、自覚されない内心のトラウマは、世間一般の常識としても、性犯罪処罰の場においても、存在しないものとして取扱われただろう、というのが私の結論です」

「長々、屁理屈、ありがとうございます。でも結局、その心のキズ論、何が言いたいんです?」

「3つ、ポイントがありますよ、てれすこ君。一つ目、誰が考えたにせよ、この『心のキズ』というのは、偉大な発明発見だったということ。全くの皮肉とかナシに、レイプ犯罪全容解明と対策に、画期的に貢献するものだと思います。二つ目、しかし現状、令和の今、この画期的な発明発見は、レイプ撲滅に実際の数的減少につながるような形で利用されているとは言い難い。三つ目、けれど幸い、私たちは二つ目の論点を覆すような利用法を知っている」

「またちょっと分かりにくくなったかも」

「一番簡単に言うと、被害者女性の心のキズ論は、被害女性の『泣き寝入り』の説明・原因としては有効だろうけれど、加害者の『開き直り』に対する攻撃・牽制として、何らの力を持ってはいないだろう、ということです」

 被害者女性が心の傷を負った……かわいそうと思わないの……反省しなさい……なんていう論理は、要するに加害者の良心に訴えるやり方、自分が悪いことをしたという自覚を促すやり方だと思うんですけど、『開き直り』論理を見てきた限り、全く通用しないだろう、と考えます。前近代的メンタリティの持ち主、レイプ被害者女性の内心を一顧だにしないタイプは「何、それおいしいの?」みたいな反応でしょうし、認知の歪みタイプには「建前はそうなんだろうけど、本音では実は歓迎してるんでしょ」という、まさに歪んだ解釈で曲解してしまう可能性大、なのです。

「認知の歪みに対する、注釈をしておきましょう。ちょっと前にも説明したように、レイプ犯における認知の歪みとは、『レイプされたほうも気持ち良かったはずだ』という犯人側の一方的思い込みのことなんですけど、この被害者も気持ち良かったはず……という解釈に対して、『いや、気持ちよくなんかないよ、逆に気持ち悪かったよ』という『心のキズ』論が、なぜ通用しないのか。それは、認知の歪み論理が、『レイプ被害者快楽論』ではなくって、『建前はレイプ被害者が苦痛と言っている。けれど、本音ではレイプ被害者も快楽を感じている』という三段階になっているからです。すなわち、『本音=レイプ被害者快楽論』という一段階論ではなく『建前・否定・本音』という三段階論、ということです。何が違うのかというと、認知の歪み論理に既に『建前』として常識的な部分が取り込まれてしまっているので、常識……レイプはいけません、被害者は心の傷を負います……という当たり前の説教が素通りされてしまう。蛙のツラに小便状態になってしまうのです。既に認知の歪み論理に取り入れられてしまっている常識は攻撃材料にならない。折込済なのですから、何ら力を持たない。なら、どこを攻撃したらいいのかというと、『建前・否定・本音』という三段階の『否定』の部分、論理を飛躍させ逆転させる部分です。建前が本音でもあることを認知の歪み論者に認めさせるには、『建前・肯定肯定肯定肯定……』的な論理を『建前・否定・本音』に負けないように、広範に流布させる必要があります。

 で、ここで『アダマンタイトのパンツ』です。

 護身術設計の所で述べたように、この護身術は女性が男性と同等か、それ以上の戦闘力を身に着けるための武術を目指しています。また、金的蹴りを大いに推奨する護身術でもあります。この護身術自体がもつメッセージは、すなわち、『襲ってきた男がいるなら、力の限り抵抗するよ。金玉だって蹴り上げる』という、レイプ被害者快楽論を真っ向から否定するものなのです。他の護身術の仮想敵が一般的かつ『曖昧』なのに対して、アダマンタイトのパンツは、ハッキリとレイプ犯対峙という形に特殊化しており、そのメッセージ性に曖昧なところは、ありません。さらに言えば、令和の一般常識からすると、恥ずかしいことであろう女装までして、レイプ犯退治に協力する男性だっているよ、というメッセージでもあるのです。これをもって、認知の歪みが男性一般に共通する論理と違うのだ……と潜在犯に知らしめてもいるのです」

「はい」

「イモちゃん、どーぞ」

「そんな面倒くさいことをしなくとも、最初っから、敵の味方を撲滅していけばいいんです。レイプされて気持ちいい……なんていうエロ漫画は全部発禁処分。作者は全員、縛り首。ちんこも、ちょん切る」

「焚書坑儒、ですか。それこそエロ著作が自然発生した太古から、ありそうな対策ですね。私の若いころにも、悪書追放運動なんていう形でPTAなんかが熱心に取り締まっていました。でも、結果として撲滅に至ってはいません。今現在、その手のが無くなっていないのと同時に、将来も無くなることはないだろう、と思います。それに『認知の歪み』犯は、そういうエロ関連メディアから学ぶというだけでなんく、いわば自然発生的に、そういう論理に至る、心境に至る、という場合もあるでしょう。どうやっても完全に撲滅できそうにない……しかし妄想を妄想のままとどめて置けそうな方法論があれば、そちらのほうを実行すればよい。すなわち、アダマンタイトのパンツのメッセージ性です」

「認知の歪み、に対する対策は、強引な感じはするけれど、アダマンタイトのパンツ普及でどーにかなる。じゃあ、前近代的メンタリティのほうは……中東インドならともかく、少なくとも日本では下火になったらから大丈夫? てこと?」

「たぶん下火になんかなってませんよ、イスミさん。オットイヨメジョ事件が起きて、鹿児島で裁判があったのが1959年。この裁判の証言で、奇しくも加害者男性の母親が、自分の結婚の時も略奪婚で、息子の伴侶もこの慣習で決めるのは当然だ……と述べていたと思います。また、裁判では地域青年団からもかなり擁護の声が上がっていました。この裁判があった昭和34年に10歳くらいだった子どもがいたとして、地域住民に慣習を叩き込まれて、オットイヨメジョ擁護派になっていたとして、なんら不思議ではありません。令和の今なら70代半ば、孫やひ孫の結婚観に少なからず影響している可能性はあります」

「老害ね」

「千葉県のような都会なら、年寄りの妄言と切って捨てるのも可能でしょうけど、田舎ではまだ力を持っていることもあります。そもそも若者がいないからこそ、昔の倫理観がそのまま保存されている、と言えます」

 ちなみに、我が女川町だって、人口の2割が80歳以上という、超高齢自治体である。

「……対処方法は?」

「一番効果的なのは、結婚適齢期の女性陣が、みんな、普通に町や村から出で都会に向かう、というモノでしょう。あるいは、そもそも結婚しない」

 後ろ向きな対処方法ではあるけれど、存外、年頃のお嬢さんたちが、意識的無意識的に前近代的な結婚観……オットイヨメジョだけでなく、あれやこれや……を避けるために、既に実行している方法なのかもしれません。

「田舎からは、年頃の女性がいなくなり、東京の女性が結婚しない、からくり?」

「東京の事情は知らないので、何とも返事しようがありません。アダマンタイトのパンツは万能護身術というわけではなくて、できることとできないことがあります。前近代的思考にだって急所はある……キンタマはついていると思いますけど、アダマンタイトのパンツの金的蹴りで届かない股間だってあるよ、と言っておきましょう」

 肩の凝る話はこれぐらいにしておいて、具体的な方法論の検討に移ることにしました。

「実は武道場の確保、なんとかなるかなと思います。津波前、町内では剣道、躰道がさかんで、少年少女向け教室用途で、体育館の貸出等もありました。インターハイや国体が宮城県開催の時、女川町は柔道が割り当てになったりしたので、武道用の畳のストックなんかもあったと思います。高さ制限のための天井は、とりあえずブルーシートと物干し台を利用して、実験的に作ってみましょう」

「道着は、どーするんすか? 特に男子選手にはかせるスカートとか?」

 イスミさんの疑問にショート君とイモちゃんが顔を見合わせました。ちょっと前までやっていた「おとうさんスカート」の話をします。

「……トイレを汚さないように、オッサンたちの躾に使った、男性用スカートねえ」

「我々で裁縫したわけじゃなくって、インターネットを使って、こういうのが得意そうなアパレルメーカーに依頼しました。スカートだけでなく、絶妙な加減で力を入れたとき破れるブラウス、キックのルール違反の時使う文字入りパンツ等、他にも特殊な試合ユニホームが必要です。ネットには何でもある……という有名なキャッチフレーズが本物かどうか、詳細な注文票を作って、あちらこちらにメール依頼するつもりではいます」

「準備は万端……というか、アテがあるわけね」

「いや、それが……肝心な技の体系が未完なだけじゃなく、それを教えるインストラクターが、さっぱりです」

 ネットの商品のように、ボタンをポチッと推せば配達してもらえる、という性質のものではありません。実際に現地に来てもらって、練習の相手をしてもらう必要があるのです。

「……ここは漁師さんの町でもあるんだから、腕っぷし強いオッサンは、結構いるんじゃ?」

「ケンカに強いことと、武道の心得があることは、全く別ですよ、イスミさん。水泳の名人が、溺れる人を力業で何人助けられようとも、ライフセーバーの技術のあるナシとは、別問題っていうのと、一緒です」

「なるほど」

「それに、港まつりの開催準備で、この手のボランティアをしてくれそうな人たちも、皆多忙だ」

「ふーん」

「じゃあ、東京とか、町の外から引っ張ってくれればいいかというと、それもちょっと難しいです。新しい護身術を立ち上げるために、技の体系を考えて欲しい……という申し出には、興味を示してくれる武道家さんたちも、少なからずいると思うんですが、女装して、キンタマを蹴り上げる練習台にもなってね、とつけ加えた時点で、二の足を踏む人が大半だと思うのですよ。じゃあ、とりあえず女性インストラクターだけでスタートしようとすれば、襲われた時の対処法、男女間の戦闘力の差を縮めるという、この護身術の一番の目玉を確立できないかもしれないわけで」

「八方ふさがり、すか」

 てれすこ君が、難しい顔で、「候補がいなくもないですけど、毒饅頭、食らう気、ありますか?」と腕組みしました。

「どーゆーことです?」

「町内在住で、港まつりにも関係なくって、女装にも抵抗がなさそうな武道集団、心あたり、ありますよ」

「そんなご都合主義、本当に?」

「りばあねっと。牟田口会長の親衛隊の面々です」

 犬猿の仲、とまではいかなくとも、犬猫くらいは仲の悪いボランティア集団「りばあねっと」です。

「親衛隊隊長の富永君なら、喜んでやってくれそうだけど」

 父親の言に、ショート君は首をひねりました。

「喜んで、スカートはくかなあ、あの人」

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