第2話 事件勃発

 翌日。

 二日酔いはしないタイプ……と、さっぱり顔のイスミさんが、我が工場を尋ねてきました。早朝、東松島東名漁港への配達を終えたてれすこ君が、遅れて車庫に戻ってきました。

「海碧屋さん。今晩から、工場に泊まっていいですか?」

「何か、あったですか?」

「我が家のホームステイ嬢が、昨晩さっそくやらかしてくれまして」

 旅の疲れもあったのでしょう。イスミさんは、シュガーシャンクを後にした後、てれすこ君のアパートにつくなり、玄関口で嘔吐したそうです。大噴火、というのではなく、ダラダラと垂れ落ちるように吐いたようで、アパート内は全く汚れていないのに、服だけが吐しゃ物まみれになったといいます。てれすこ君の娘にして、ショート君の双子の妹、イモちゃんが、イスミさんの衣服を脱がせ、お風呂に入れることになりました。毎朝、新聞配達で「鍛えている」はずのイモちゃんも、イスミさんの巨体は持て余したようです。イモちゃんは、イスミさんに了承をとって、兄に手伝いを頼むことにしました。兄の目をタオルで目隠しさせましたが、脱がされるはずの当のイスミさんが、ショート君の目隠しをとってしまったそうです。

 イスミさん曰く「自分、中身は男だし、ガワも半分くらい男みたいなもんスから、見られても平気ッス」。そもそも入浴介助してもらうわけだし……と言うので、イスミさんが下着姿になるところまで、目隠しナシでショート君を手伝わせた、とか。ゲロまみれにタンクトップ等を抱きとめてしまい、自分のTシャツも汚してしまったショート君は、着替えがてら、父親と交代することにしました。そう「自分に見られて平気なら、父さんでも大丈夫だろ」と。

 しかし、てれすこ君が脱衣所の戸に手をかけるなり、イスミさんは大騒ぎしたというのです。

「……痴漢、ヘンタイ、覗き魔……て、さんざん罵られましたよ。海碧屋さん」

「そりゃ、災難でしたね、てれすこ君」

「反省と謝罪を要求する……とか、言われてしまいましたよ。女川滞在中、ショートをずっと貸し出してくれ、とも。それから、今後、不幸な事故が起きないように、アパートを出ていってくれるか」

「家主に対して、なんて理不尽な要求だ」

「いや。まあ。出ていってくれ……のほうは、ウチの娘が言い出したことなんですけどね」

「イモちゃんか。いつもの台詞」

「まあ。そうです。ショートを一日中借りたいっていう、イスミさんに対する、牽制の意味もあるみたいで」

「ふーむ。私なら、イスミさんのほうに出ていってくれって、言うところですけどねえ。イモちゃんは、お兄ちゃんを取られたくない、その一心てわけか」

 そう、てれすこ君の娘さんは、頭に「超」がつくブラコンなのです。

「くたびれたオヤジより、イケメン女子のほうがいいってことなんでしょう。イスミさん、女の子には、たいそうモテるらしい。ウチの娘も、なんかタカラヅカの男役スターみたいって、言ってましたから」

「やれやれ」

 プレハブ事務所では、我が工場を仕切る二大長老、木下昭子工場長と、斎昭子副工場長の両・昭子さんが、来客の相手をしています。この手の「外交」には全く関わりのないはずの、トラブルメーカー作業員、「船大工」さんも、美人を目の前にして、鼻の下を長く伸ばしていました。

 私が入っていくと、テーブルの上には何やらパンフレットが広げられています。木下工場長が「おしょすい、おしょすい」と両手を顔で覆い、斎工場長がキリっと引き締まった顔を、船大工さんに向けているのです。

「なにごとですか?」

 私がそれとなく聞くと、船大工さんが、はっちゃけ事を言い出しました。

「このお姉ちゃんに聞いたんだけど、なんでも、おぼれそうになった人の救助訓練をやるんだって?」

「まあ、実際にやるのは彼女で、そのお手伝いですけどね」

 水産資材製造という我が工場の経営を考えれば、水難事故対策訓練をするというのは、何ら不自然ではありません。けれど、イスミさんのライフセービングは、海水浴場等、浜辺でのこと。港湾を「主戦場」にする私たちとは、ちょっとニュアンスが違うわけですが。

「分かってる、分かってる」

「ほほう」

「そんでだ。てれすこ君のお客さんなら、ワシらも、一肌脱ぐことにすっかな、と」

「まあ、そうですね」

「んで。工場長と副工場長に、頼んでたんだあ。2人ともビキニになって、どこぞの浜に集合だなあって」

「一肌脱ぐって、そっちの意味ですか……」

 なるほど、工場長の「おしょすい」=はずかしい、の意味が分かりました。工場長は(副工場長も)90歳を越える熟熟熟熟熟女、どんなに年上のお姐さん好きでも、たいていの男は遠慮したいビキニシーンになるんではないでしょうか。

「うっひっひ。ワシは、工場長たちのビキニ、大歓迎だけどな。果物も女も、腐りかけがいちばんうまい」

 船大工さんのザレ言に、てれすこ君がため息をつきます。

「そもそも腐りかけじゃなくって、すっかり……」

「てれすこ君、ストーップ」

 私が慌てて彼の口を押さえるのと同時に、「ゲスっ」と副工場長が船大工さんをとっちめました。しかしまあ、我らがヒヒ爺は全く動揺したふうがありません。

「困ったもんだ」

 私もてれすこ君同様、ため息をつきました。

 てれすこ君は、従業員たちのアホ話をいったんおいといて、イスミさんに問います。

「小学生を相手にする前に、ウチの従業員相手に教室開講の練習をするとして、90越えのおばあちゃんたちは、いりますか?」

「あ……いえ……まあ、要救助者役として、悪くはないんでしょうけど」

 船大工さんが頓狂な越えをあげます。

「なんじゃあ。残念」

 なら、ワシがやる……と船大工さんは全然残念そうでない感じでいいます。

「なにを企んでいるんです、船大工さん」

「ふっふっふ」

 美人さんとの人工呼吸を楽しみにしていると知ったのは、実際の教室が始まってからでした。


 海水浴客の邪魔にはならないようにと、私たちは「プライベートビーチ」を借りることにしました。万石浦の奥、石巻市と女川町の市町村境にある、クルミ浜近くの土地です。漁協の持ち物で、知人を通して拝借したのです。地元の人間だって知らない砂浜で、昔はアサリの潮干狩り用の資材置場でした。我が工場から、歩いてもわずか15分の場所ですが、イモちゃんが「女子には色々と持っていくモノがある」と言い張ったので、車を出すことにしました。で、現地でわざわざ着替える必要もないので、最初から水着着用で集合、ということになりました。女性陣は、みんな水着の上に1枚羽織っていましたけれど、男性はみんな、上半身裸でした。ショート君が替えのパンツを忘れて慌てていましたが、しっかりものの妹さんに、抜かりはありません。

「私がお兄ちゃんのパンツを忘れるわけ、ないでしょ」となぜかドヤ顔です。

 私は借りる際に知人に注意されたことを話しました。

 ゴミの持帰り等は常識ですが、現状維持のために、さらに細かい注意があったのです。

「帰る前には、トンボ……学校のグラウンドとかを慣らすヤツです……それで、足跡等も全部消していってくれ、だそうです」

 イスミさんが「ふーん」と声をあげました。

「砂浜でも、普通の海水浴場とは、違うんスね」

「資材を船に積込やすくするために、砂浜に段差をつけているとか、言ってました。満潮の30分だけ、砂浜に海水があがり、他の時間帯は水が上にあがって来ないようにしてるそうです」

「え。自然にできた砂浜だと思ってた」

「もともとは、そうなんでしょうね。漁協では、使い勝手がいいように、細工している、ていう話です」

 ショート君が、クーラーボックスにジュースを詰めながら、誰ともなく聞きました。

「わずか30分だけ水が上がる、なんて調整、できるもんなんでしょうか?」

「できるそうですよ。というか、万石浦のアサリ漁場は、そういう砂の段差があちこちに設けてあるとか」

 漁協組合員でやる潮干狩りは、楽しみでやる作業ではなく、高い漁獲高を目指す労働です。観光客がするような、一時間二時間といったスケールでなく、天候次第では、8時間でも10時間でも、クマデと網袋片手に海に出ているわけです。

「で。潮の干満に合せて、たとえば、2時間ごとに砂浜が現れるように、海底の砂に段差をつけたり、するそうです。……たとえば、海底がフラットになっていて、干潮時にしか海底が出てこないとかだと、干潮の前後2時間くらいしか、潮干狩りできない、ということになりますよね。人間一人が一時間に作業できる砂浜の面積なんか限られているので、その2時間足らずでは、たいした漁獲量が期待できない、となります。逆に、満潮の時間だけ海面の下になっていて、他の時間帯は海面の上にあるという砂浜を想定しましょう。そう、ちょうど、今から借りる浜みたいなところです。これだと、アサリはそのほとんどの時間……この例だと22時間かな、海水に浸からないわけで、栄養不足や乾燥で、アサリは斃死してしまう、というわけです」

「なーるほど」

「水産関係の中でも、貝類養殖はマイナーな部類ですからね。素人の知りえないノウハウは、まだまだ色々あるみたいですよ」

 てれすこ君一家、船大工さん、従業員の一人「ヤマハ」さん、そしてもちろん私とイスミさんとで行くと、先客がいました。

 元パチンコサークル……いえ、今でもパチンカスの集まり、「め・ぱん連絡協議会」の面々です。リリーさんという美人なお婆さんを「姫」と奉る地元の爺さんたちグループで、何かとウチの会社を目の敵にしてきます。

 南国リゾートよろしく、オレンジと青の派手な傘の下で、リリーさんはくつろいでいました。木製のデッキチェアに寝そべり、サイドテーブルには緑が鮮やかなソーダフロート。ピンクのビキニを着た紅一点を、「波止場のテリー」さん「アチャラカ・ケン」さんという二大巨頭が、左右からでっかいヤシの葉団扇であおいでいたのです。

 開口一番、てれすこ君が咎めます。

「立入禁止ですよ、リリーさん。ここは漁協の用地です」

「固いことは言いっこナシよ。あたしたちも、あんたたちに協力しようと思って、来たんじゃない」

「協力?」

「女川でライフセービング、するとかなんかとか」

 どうやら、それは口実でした。リリーさんとしては、自分のビキニ姿を取巻きたちに見せびらかしたかっただけのようです。取巻きたちも、ウチの船大工さんたちと同じような企みで、ノッてきたようです。そう、リリー姫に対して、あわよくば人工呼吸を……ということです。

「どいつもこいつも」

 てれすこ君はイスミさんに謝りました。

「いいですよ。でもこれじゃあ、ライフセービング下準備のリサーチになりませんから。単に今日はは、海水浴を楽しむだけにしましょうか」

 女川在住で、「め・ぱん」連中や、ウチの船大工さんに囲まれていると、感覚が麻痺してくることがあります。イスミさんは、私たち……私と、てれすこ君に、さりげなく質問してきたのです。

「年齢に関係なく、男はいつまで経っても男で、女はいつまで経っても女でいられるもんなんでしょうか? それとも、これは女川特有の現象、なんでしょうか?」

 私は、質問の意図が分からない……と、イスミさんに問い返しました。

「船大工さんとか、リリーさんたちのことですよ」

 プレハブ事務所で、船大工さんたちが、90超えのお婆ちゃんたちのビキニ姿を所望するのを見て「ヘンタイジジイか……」とイスミさんは、呆れたそうです。しかし、先ほどリリーさんが取巻きたちにセクシーな自分を見せびらかして悦に入っているのを見て、別な感想を持ったとか。つまり、70歳になろうが90歳になろうが、人は性欲が減ることがないのだ、と。

 てれすこ君は、憮然として説明しました。

「この人たちが、特殊なだけですっ」

 ちなみに、海水浴自体は、砂浜に上がった後が大変でした。漁業用途に適した海だけあって、水がやたら濃い……粘土みたいな不純物が多かったのです。

水着の中もじゃりじゃりする……とショートくんは海パンの中にタオルを突っ込んで拭きました。

「そーゆー時は、こーすんだよ、ショート」

 船大工さんは、六尺の赤フンをパッパとると、腰をぐるぐる回して……自慢の巨根をぐるぐる回転させて、周囲に泥を跳ね飛ばしたのでした。


 さんざんな昼間でしたが、夜はもっともっとさんざんでした。

 青パト巡回の話を冒頭でしたのを、覚えているでしょうか?

 夜の女川を車でぐるっと回って、町の違った一面を堪能する……というお話です。まあ、経路は一緒、ふつうの車で、ただドライブ観光するだけ、なのですが。ダラダラと時間を潰しながら走っても、わずか1時間足らずのツアーと聞いて「是非聞きたい」とイスミさんにせがまれてしまいました。私と2人っきりの夜のドライブもどーかと思い、てれすこ君を誘いました。てれすこ君は「息子の太鼓練習の手助けがあるもんで、今日ばかりは勘弁」と泣きを入れてきたのです。「自分は青パト巡回の隊員だったことはないので、そもそも案内そのものができませんよ」とも言われてしまいました。

 それでイスミさんと2人っきりで、夜のドライブに出たのですが、皆さんが予想していたのとは違った意味で、困った事態になったのです。大原地区……巨大団地や町立体育館が立ち並ぶ住宅地から、清水地区……旧工場地帯へと降りていく寂しい道すがら、セーラー服姿の女の子が、黒服の男に襲われている所を目撃したのでした。

 車を路肩に停めると、私がドアを開ける前に、イスミさんが飛び出していました。草むらに倒れていた「女の子」はスカートがすっかりめくりあがり、ナマの真っ白なお尻が暗闇に浮かんでいるようです。イスミさんは脇目もふらず、セーラー服の女の子を助け起こしました。私は犯人を追いかけました。が、全く追いつけず、ぶざまに転びさえしました。追跡をやめて、道路の上に座り込むと、アスファルトのひんやりした感触で、少し回復しました。年はとりたくないモンだ……イスミさんが来てから、何回目かの愚痴をつぶやきます。肩を息をしながら戻ると、被害者の女の子が、イスミさんに必死の形相で話しています。

「……海碧屋さん。この子、110番しないでくれって、言うんです。どうしましょう?」

 被害者が、性犯罪にあったことを隠そうとする心情、自分も女だから、分からないでもないけど……とイスミさんは困惑しています。

「この子、女の子じゃないですよ、イスミさん」

「え。知合いですか?」

「ええ。ショート君の親友の男子中学生、オヤマ君です。れっきとした女装男子。男の娘ってヤツですよ」

 私はスマホのライト機能を使って、オヤマ君に自分の正体を明かしました。

「こんばんわ」と挨拶すると、震える声で「こんばんわ」と返事があったのです。

「警察への通報、ストップさせたのは、なぜです? オヤマ君の女装趣味なら、今さら隠さなくともいいコトでしょう? 同級生の親友さんたちだけでなく、町の住民もたいがい知ってることなのに」

 イスミさんは「信じられない……」とオヤマ君をまじまじ、見つめました。

「この子、有名な女装子ちゃんってことですか」

「まあ……オヤマ君、パンツをはぎとられて恥ずかしい気持ちは分からないでもないけど、犯人をとっちめないと、第二、第三の被害者が出てしまうんですよ」

「あ。いいえ。最初から、パンツ、はいてないんです」

「は?」

 ノーパンミニスカ姿で、露出プレイをしていた……とオヤマ君は顔を赤らめて白状しました。どうやら、警察に通報して欲しくないのは、自分自身の犯罪を知られたくない、という理由らしい。

「あきれた」

 イスミさんは、彼の話を聞いて、介抱するのをやめてしまいました。

 オヤマ君がヘンタイプレイをしていたところで、変質者が徘徊しているという事実は変わらないのですが。私はオヤマ君に、犯人のことで覚えていることはないか、尋ねました。

「そーですねえ。身体はあんまり大きくなかったと思います。スカートをまくりあげて、写真撮影しようかなってボーズしたところに、後ろから抱き着かれて……転んでしまいました。犯人に顔を見られたくない思って、そのまま草むらに倒れ込みました。地面に顔をつけて、四つん這いになってガートしたんです」

「頭かくして尻隠さず、だねえ。で、他に犯人の特徴は? ものすごいジジイだったり、君が男って分かってむしろ喜んだり、はたまたズボンの下が赤いフンドシだったり?」

「海碧屋さん、やけに具体的な犯人像を上げてきますね。そうそう、身体から潮の匂いがしたと思います」

「そんなの。女川の住人なら、皆、そうでしょう」

「原発勤めじゃなさそうだって、いう意味ですよ。犯人像、結構絞れませんか?」

「うーん。服は黒づくめだったんですよね」

「正直、よく見てません。襲われた時から、海碧屋さんたちがかけつけるまで、犯人に背中を押しつけていたもんだから。この通り、街灯があるわけじゃない、白っぽくなかったっていうことが、言いたかっただけです」

 オヤマ君の秘密の写真撮影に犯人が映り込んでないか、一応確認されてもらったけど、股間をビンビンにして、恍惚顔の美少年が、ポーズをとっている構図しか、なかったのです。


 もちろんこれは、私とオヤマ君、そしてイスミさんだけの秘密のはずだった。けれどなぜか次の日の昼には、関係者……オヤマ君の人となりを知ってる全ての人に知れ渡っていたのです。

 もちろん、尾鰭のついた噂です。

 セーラー服姿だったオヤマ君は、なぜか全裸で露出プレイをしたことになっていました。

 私はそんなオヤマ君を覗きにきたヒヒ爺で、偶然通りかかった「丸の内りばあねっと」の牟田口会長が、颯爽とオヤマ君を助けにいったけれど、私の足手まとい……妨害によって、犯人を捕まえそこなった、という噂です。

 自分の名前……いたいけな美少年を助けに入った、という武勇伝ところか、存在そのものを無視される形になったイスミさんは、たいそう不機嫌になりました。もちろん、ヒヒ爺扱いの私が不機嫌だったのは、言うまでもありません。


「噂を流しているのは、あの新参者さね」

 オヤマ君救出の翌日昼、私の工場プレハブ事務所に来客がありました。「め・ぱん」の女王様リリーさんと、渉外幹部の「アチャラカ・ケン」さんです。リリーさんは、一杯目の麦茶を早々飲み干すと、昨夜の顛末の噂……そう、その場にいなかったはずの牟田口会長活躍話を、聞かせてくれたのです。

「誰が情報を漏らしたんでしょう? あの場にいたのは三人きりのはずだったのに」

 私はもちろん誰にも語ってませんし、女川に来たばかりのイスミさんに、この手の武勇伝を語るべき相手なんて、いません。と、なると、最後にはオヤマ君ということになりますが、露出プレイをしていたことがバレるのをおそれて、強姦魔の追跡をやめさせてくれ……といった少年が、コトの顛末を漏らすとも思えません。

 アチャラカ・ケンさんが表情一つ変えず、私の推理の穴を指摘してきました。

「もう一人、いるじゃないですか。オヤマ君を襲った犯人自身ですよ」

「えっ」

「その場には、三人でなく、四人いた。三人ともしゃべってないとしたら、最後、盲点の一人が語った……としか考えられないでしょうに」

 言われてみれば、その通りですけど、犯人自身が、いったい何のために、こんな作り話を広めているのでしょう。

「うーん。捜査の攪乱のため、とか?」

 オヤマ君……被害者自身に頼まれて、犯人捜しをストップしたことは、もちろん犯人自身に知られていないはずですから、アチャラカ・ケンさんの推理も、ありそうと言えば、ありそうな話ですが……。

「その犯人って、りばあねっと関係者なのかな?」

 てれすこ君が、リリーさんたちにせっつかれて、水ようかんを供しながら、首をひねりました。私の評判を下げ、逆に、りばあねっとの牟田口会長の株を上げるような「でっちあげ」なのですから、ふつうに推理すれば、かのボランティア団体関係者かな……と思うのは当然です。

「それが、ちょっと違うっぽくて」

「と、いうと?」

 アチャラカ・ケンさんが目配せすると、リリーさんが衝撃の告白をしたのです。

「実はねえ……中学生を襲った犯人、その一時間後に、アタシの元にも、来たんだよ」

「え」

 昼間、クルミ浜で海水浴を楽しんだ「め・ぱん」一行ですが、夕方には現地解散になったそうです。メンバーは皆、町の住人で、物心ついたときから海水浴をしてきたような爺さんたちばかりですが、さすがに疲れたが出たのか、日傘や寝椅子を片づける頃には、皆、ヘトヘトだったとか。

 取巻きたちへの配慮を忘れない、よき女王様・リリーさんは、ですから、夜に出かける用事ができても、アチャラカ・ケンさんたちに「車を出せ」等、命令することはなかったとか。

「……夜、出かけたんですか?」

「クルミ浜に、信玄袋を忘れちまってね。取りにいったんだよ」

「なくしものの場所、ちゃんと覚えてるの、すごいですね」

 私なんか、いったんモノをなくしたら、どこでなくしたか、皆目見当がつかないところです。リリーさんは、気まずそうに返事しました。

「ほら。あそこ。トイレが全然なかったろ。用を足しに、岩陰に隠れたところに、置いてきちまったのさ」

「はあ」

 暗がりの中、目当てのものを確保すると、リリーさんは後ろから抱き着かれた、と言います。

「よく、逃げられましたね」

「スクーターのエンジンをかけたまんま、道路に停めてたからね。ほら、ライトで照らすためさ。信玄袋を振り回して、犯人がびっくりしたところで、命からがら、逃げてきたって寸法さ」

「はあ。それで、そのクルミ浜の犯人が、オヤマ君を襲ったのと同一人物だっていう根拠は、何です?」

「香水さ。アンタらジジイは、そういうのに無頓着だろうけど、私には分かる。同居こそしてないけど、孫の一人なんだからね。あの子を子どもの頃いじりまわして、女の恰好する趣味を植えつけた、ウチの姪が買い与えてるのさ。モロッコだかどこだか、ヨーロッパのほうの舶来もので、同じモノをつけるのは、女川はおろか日本中探したって、ほとんどいないって話さね。桃の香りに、ネコのフェロモンを混ぜたような、独特の香りだし、すぐに区別はついたよ。アタシゃ、だから、後ろから抱きつかれたとき、最初はウチの孫かと思ったんだよ。でも、背丈こそ低いけど、やけに力強くって、違う人間だって分かった。こっちから話しかけりゃ、私の声だってすぐに分かったはずなのに、ウンともスンとも返事はなかった。こりゃあ、ヤバいと本能で分かったよ。それで、びっくりして追っ払ったって、ことだね」

 命からがら逃げてきたリリーさんが、最初に助けを求めたのは、浦宿一区の集会場でした。そう、クルミ浜から一直線に町に戻ると、煌々と明かりがついていたのです。浦宿一区集会場は、ちょうど去年、浦宿踏切近くに移転してきたところで、中には十数人の男衆が、太鼓の練習をしていました。

「海上獅子舞に出る連中さ、ね。どこの船だったか知らんけど。あの時ほど、ありがたいと思ったことはないよ」

 リリーさんは、コト訳を話しました。

 いえ、既に逃げおおせているので、犯人追跡を頼んだのです。けれど、集会場にいた誰もが、動いてはくれませんでした。そもそも犯行現場になった砂浜自体が、地元の人間すらほとんど知らない……知っていても、立入がはばかられる漁協の地所であることが分かると、動いてはくれませんでした。

 てれすこ君がため息をついて、言います。

「日頃の行いが悪いから」

「黙らっしゃい」

「オオカミ少年、状態だったって、ことですか」

 よしんば、リリーさんが襲われそうになったことが本当だったとしても、犯人にはリリーさんの身内……「め・ぱん」の誰かのしわざじゃないか、と疑われたらしい。

「それだけじゃない」

 アチャラカ・ケンさんが忌々しげに言います。

……いくらリリーさんが「美人」だとしても、70越えのお婆ちゃんを襲おうとする奇特な男がそうそういるわけじゃなく、該当者……犯人の目ぼしは、限られるんじゃないか……暗に、め・ぱんの取巻き連中じゃないか……というのが、その場にいた面々の意見だったと言うのです。

 仮に、その場にいた人間で夜半、犯人探しをしたとして、実際に「め・ぱん」メンバーの犯行と知れたら、ナアナアな処理で終わるかもしれない。そういう茶番につきあう気はない……というのが、一堂の意見だったと言います。

 てれすこ君は、息子が今回、海上獅子舞の担い手になっていることもあって、彼らをかばいました。

「疲れていたせいも、あるんでしょう。仕事が終わってからの、太鼓の練習ですしね。水産関係者は、さらに朝早いでしょうし」

 リリーさんは、てれすこ君が出した水ようかんを大口開けて平らげると、バンバン、とテーブルを叩きました。

「そういう態度が気に食わん。アタシゃ、悔しくて、悔しくて」

「はあ」

「なんだい、てれすこ。その投げやりな態度は」

「なんだ、じゃないですよ。ちゃんと、話につきあってるじゃないですか」

 翌朝、アチャラカ・ケンさんを連れて、リリーさんは現場に戻りましたが、潮がいったん干満を経たあとで、足跡から何から、証拠は一切消え去っていた、そうです。

 女王様への酷い仕打ちに、静かに怒っていたアチャラカ・ケンさんが、前夜、浦宿一区集会場を借りていた海上獅子舞グループの面々に抗議に行くと、彼らの話題は、リリーさんではなく、オヤマ君ので持ち切りだった、というわけです。

「犯人がどんなヤツか、プロファイリングしてみましょう。ヤツは、一般的な若い女性のみならず、男の娘や70歳のお婆ちゃんにも欲情する、やたらターゲットの広い男である。夜半、オヤマ君を襲って、海碧屋さんに追尾された。顔こそ見られなかったけれど、後ろ姿の恰好で、自分が犯人とバレるかもしれない、と心配した。それで、推理を誤らせるために、海碧屋さんが一番嫌う男……その男のグループの噂を流すことにした。けれど、犯人像の部分だけをあからさまに挿げ替えただけでは、うまくごまかせないかもしれない。海碧屋さんが見た犯人像と、姿形が全く似てない犯人像を出すと、逆に作為が疑われるハメになるかもしれない。それで、ヤツは全く違った形での噂を流すことにした。そう、自分の身代わりになる男が大活躍する、というデタラメ・ストーリーだ。当事者の海碧屋さんたちにとっては、全く荒唐無稽な話だけれど、逆に、その場に居合わせなかった人物が活躍しているということで、疑いの目をそっちに向けることができる」

「ふーむ」

「ディテールを詳細に考えて、最後の最後でボロを出してしまうなら、最初っからデタラメを並べたほうが、苦労が少なくて済む。名探偵たちが、勝手に色々推理してくれるから」

 私は、アチャラカ・ケンさんの独演を遮って、言いました。

「思い当たる犯人像、なくはないですけど……というか私も最初っから目ぼしをつけていた人はいますけど、そんな緻密な作戦を立てるような頭脳は持ってないと思います」

 私がてれすこ君に視線を向けると、彼も黙ってうなずきました。アチャラカ・ケンさんは、私たちのやり取りを見て、少し意地悪な笑みを浮かべます。

「ほほう。僕は、具体的に、誰が怪しいとか、一言も言ってないですけどね。お二人の以心伝心は、どうやら誰が我が姫を襲ったのか、分かったようですが」

「くっ」

 下唇をキッと噛んで、てれすこ君が反論します。

「ウチの従業員を、僕は信じますよ」

 アチャラカ・ケンさんが、そんなてれすこく君に重ねて反論しました。

「じゃあ、オヤマ君襲撃事件から離れて、我が姫の事件を考えましょうや。海碧屋さん、あの砂浜、地元住民もほとんど知らないような場所で、しかも漁協の地所になってるんでしたっけね」

「そうです」

 正確には、女川町内の土地でなく、石巻市の区分であり、管轄しているのも、石巻湾組合という先方の漁協です。地元住民も詳しくないというのは、この行政区分と管轄漁協の関係もあるのでしょう。

「夜も真っ暗になってから、土地勘のない砂浜に行く女川町民がいますかね? 町の住民なら、真夜中に見知らぬ浜辺に近づく危険性、知り過ぎるほど知っている」

「うむむ」

「クルミ浜のことを熟知している数少ない人間の中に、犯人がいるってことです。海碧屋さんだって認めざるを得ないでしょう」

 どう反論するか、腕組みをしてうんうんうなっていると、我が木下工場長が、助け船を出してくれたのです。

「あのう……皆さんが話題にしている犯人さんって、ひょっとして、ウチの船大工さんでしょうか」

 アチャラカ・ケンさんが勢い込んでいいます。

「他に誰がいるんです?」

 木下工場長は、隣の斉副工場長と顔を見合わせて、言いました。

「それなら、アリバイがあると思うんですが」

「は?」

「それなら、アリバイがあるって、言ったんです」

 木下工場長の話によると、その夜、船大工さんは延々と木下工場長の元へ、イタズラ電話をかけてきていたらしいのです。

「えー。具体的にどんな?」

「誰もいないところを見計らって、またクルミ浜に行こうぜって、誘われましたよ。赤フンとお揃いのシメコミを用意しておくから、今度はオチチ丸出しでどーだ……とか」

 おしょすい、おしょすい……と木下工場長、顔を両手で覆いました。アチャラカ・ケンさんはニベもなく、工場長を咎めます。

「ふん。部下をかばっての狂言の可能性大だ。第一、それが本当だとしても、オヤマ君と姫が襲われた二時間半余りの間、ずっとイタ電してきたわけでもあるまいし」

 斉副工場長が、アチャラカ・ケンさんを見据えて、言いました。

「あら。それについては、私が保証できるわよ」

 船大工さんの度重なるセクハラ攻撃にあった木下工場長が、夜半ながら、彼女を自宅に呼び寄せ、ヒヒ爺の撃退に協力してもらった、というのです。

「何回電話を切ってもしつこくかけ直してきて、ワイ談だのなんだの聞かせるんです。本当に恥も外聞もない」

 電話が途切れたのは、日付が変わる少し前、と斉副工場長は証言しました。実際に、木下工場長にスマホを見せてもらって、着信履歴から、嘘ではないとウラがとれました。通話内容を録音しておいてもらえれば、なお良かったんでしょうけど、「そういう複雑な操作はできない」と木下工場長は言いました。まあ、90越えのお婆ちゃんですしね。状況証拠からクロだと思っていた従業員が、どーやらシロみたいだと気づいて、私はなんだか安心してしまいました。けれど、このアリバイ工作だって、本当かどうか疑わしい……とアチャラカ・ケンさんは反論してきました。

 てれすこ君とアチャラカ・ケンさんが、なおも言い合いしている間、私はふと、リリーさんに尋ねました。

「噂の主、りばあねっとの牟田口会長は、どんな反応でしょうね」

「ああ。昨日の今日だから、本人は捕まらなかったさ。けど、アヤツの腰ぎんちゃく、いや副官か、富永って若いのは、捕まえたよ」

 わざわざ、りばあねっと本部に乗り込むまでもなく、希望の鐘商店街のファミリーマートでコーヒーをすすっている所を、リリーさんたちが声をかけたそうです。

「初耳だ、とか言って、神妙にウチのケンの話を、聞いてたさね。2、3質問してきたけど、どうやら私らとは違った結論になったようさ。そう、アンタのところの船大工が怪しい、じゃなくって、ウチの会長が怪しいってね。まあ、日ごろ言ってること、やってることを考えりゃ、誰だって一度は疑っちまうような男だからね」

 りばあねっとは、東京から学生ボランティアを募って、この女川で働かせるのが仕事のNPOですが、牟田口会長が、その学生ボランティアさんたちに、パワハラ・セクハラをするのは、公然の秘密になっていました。我が海碧屋でも、セクハラに耐えかねて逃げ出した女性隊員を、保護したことがあるくらいです。

「それで、あの若僧は言ったさ。警察に届け出るのは、まかりならんってね。消防団とか、社協とか、他の公的組織を頼んで犯人捜しするのも禁止、てね」

「なんだか、横暴な話ですねえ」

「ああ。でも、ヤツはうまい理由……屁理屈を並べたててくれたよ。港まつりが近いんだから、騒ぎを起こすな、だとさ」

 町内に夜な夜なレイプ魔が徘徊しているなんていう噂が立てば、町のイメージダウンにつながるばかりでなく、港まつり当日の観光客が激減してしまうのは、間違いない。祭りで大いに稼いでやろうと思っている町内の飲食店・商工会加盟店は皮算用が外れてがっかりするだろう。それから、この日のために漁船の準備をしてくれる海上獅子舞のグループにも、恨みを買うこと、間違いなし……。

「ま。『リリーさんたちが納得いかないって言うなら、ウチの牟田口会長を動かして、正式に……いや、非公式ながら強制力をもって、め・ぱんに通達を出しますよ。ウチの会長は既に商工会の有力者ですからね』だとさ」

「うーん」

 リリーさんたちが、ぐうの音も出ずに反論の機会を伺っていると、富永君は、さらに畳みかけてきました。

「『身内に犯人がいる可能性、なきにしもあらずなら、藪蛇なことなんぞしないほうが、利口というモノです……』とか、なんとか」

 富永君は、捨て台詞を残すと、さっさとコンビニを出ていったそうです。

 てれすこ君は、りばあねっとと接触した話を神妙に聞いていましたが、「現実的なところ……」と切り出しました。

「現実的なところ、これだけ町内で大騒ぎになってれば、犯人が3度目の犯行に及ぶのは難しいんでは……要するに、監視の目があちこち光ってるってことだし」

 夏休み中にも関わらず、PTAが各々の家庭訪問までしたし、保護者巡回も増えた、とは、後で聞いたところです。でもまあ、てれすこ君が言った通り、町全体で警戒態勢が高まっていたのも、確かでしょう。

「……それに、犯人を捕まえようにも、手がかりと呼べるものは、皆無と言っていい」

 砂浜の足跡をせめて写真に撮ってれば……と、アチャラカ・ケンさんが暗い顔になりました。

「……事実上、できるコトは、なにもない。りばあねっとの富永君の言い草じゃないけれど、犯人を捕まえてみたら身内、なんていう藪蛇の可能性もある。ここは、各々、夜で出歩かないように用心するとか、対策だけ立てておいて、探偵ごっこはお開きにしたら、どーでしょう」

 全然すっきりしない結論ですけど、てれすこ君の提案以上のアイデアを出せませんでした。お互いに知恵のないことだなと苦笑して、この日、リリーさんたちは帰っていったのでした。

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