第15話
「よくも邪魔してくれたものだが……終わりだな」
ラスイルは、仰向けに倒れた薫に槍を突きつけ、その左胸に穂先を合わせる。
すでに波川と綱島は倒れている。リンも気を失っているのか、倒れたまま動かない。
リージアと薫だけがまだ動けなくはないが、リージアはすでに魔力が尽きていて、薫はもはや満身創痍だ。
「ふん。面白い偶然だな。イシュリエルを殺そうとするところに魔女が邪魔するとは」
「……?」
「なんだ、知らんのか……いや、知る必要もないな」
ラスイルの手に力が込められる。ずぶずぶ、と槍の穂先が薫の左胸に沈み始めた。
「がっ……!!」
吸血鬼たる薫は、滅多な事で死ぬ事はない。だが、吸血鬼である以上、その弱点から完全に逃れる事は出来ない。その一つが、心臓だ。
心臓を白木の杭で貫かれると、蘇る事すら出来ない。そして、今心臓に突き立てられようとしているのは、それと同じくらい、吸血鬼にとっては危険な存在――天使の槍だ。
「久我山さん!!」
リージアが立ち上がろうとした瞬間、無数の光球がリージアの体を貫いた。
「きゃあああああ!!!」
「そこで見ていろ。邪悪な吸血鬼が滅する様をな」
槍はなおもゆっくりとめり込んでいく。だが次の瞬間、ラスイルは槍と共に薫のそばから飛びのいた。
そこを、小さな影が放った強烈な蹴りが薙ぎ払う。
「お、お父さんはあたしが守る!!」
相当なダメージであったはずだが、リンが立ち上がってきた。さすがに、吸血鬼だけあって再生能力も高いのだろう。
だが。
「ふん。人間に近いゆえ、見逃してやろうと思ったが……」
ずん、という音がして、リンの身体がくの字に折れる。槍の石突が、彼女のみぞおちにめり込んでいた。
「あ……」
「邪魔をするのであれば、容赦はせん!!」
リンはそのままその槍にもたれかかるように
直後、ラスイルの槍が振るわれる。リンはまるで、ボールか何かのように吹き飛ばされ、そのまま屋上を飛び出した。いくら空を飛べるとはいえ、それはあくまで意識があればの話だ。今のリンはほとんど意識が飛ばされている。
「リンちゃん!!」
だが、リージアに助ける術はない。先ほどの攻撃で、ホウキも砕かれてしまっているし、すでに空を飛ぶ程度の力すら残されていない。
薫もまた満身創痍で、娘が落ちるのを見送る以外何もできなかった。
「さて、残るはあと……」
その時。ラスイルは一瞬寒気を覚えた。長く戦い続けていた彼だからこそ持つ、戦場における危機感知能力。それが今、脅威の到来を告げていた。
「なんだ今の感覚は……な!!」
突如現れたのは、光をまとった人の形をした何か。
その『光』が、輝く翼を羽ばたかせ、優雅に舞い上がる。
その腕の中に先ほど吹き飛ばされたリンが抱きかかえられているのに気付き、リージアは一瞬安堵しかけ――その姿を見て、彼女とかろうじて意識のあった薫は凍り付いていた。
その姿は、間違いなく天使のそれだったのだ。
淡く輝く体と、輝く翼。
ラスイルをも上回るその美しい翼と容姿は、圧倒的に美しいと思えるが、同時に見る者全ての心を砕く様な感覚すらあった。
それは、絶対的な美しさ故にもたらされる恐怖だ。
今現れた天使は、まさにその美しさを備えていた。
ただ、緩やかな白い衣は、女性である事が分かるふくらみがあり、全体の印象はどことなく優しい。その印象がなければ、自らが超常の存在であるリージアと薫といえども、恐怖で失神していたかもしれない。
「バカな……イシュリエル!! なぜ貴様が、そこに!!」
そしてこの場で一番動揺していたのは、他ならぬラスイルだった。
彼は、今出現した天使イシュリエルと、今もまだ十字架に磔にされている水希の間を、幾度も視線を巡らせている
「貴方は思い違いをしたの。確かに彼女は、かつての『イシュリエル』と同じ魂の色を持っていた。けれど、『私』はここにいる。
その声で、リージアと薫はぎょっとなった。その声は、確かに美典のものだったのだ。
「天城……さん?」
その天使は、わずかに視線をリージアに向けた後、腕に抱いたリンをそっと床に下ろした。そして翼を羽ばたかせ、再びゆっくりと空に舞い上がる。
「ふ……ふふふ……なるほど。私は貴様に騙されたと言うわけか。だが!!」
ばさ、と音を立ててラスイルの翼が広がる。
「貴様が目覚めようが、私には勝てぬ!!」
ラスイルは翼を羽ばたかせると、一気にイシュリエル――美典に突進した。
それに対して、美典は慌てることなく手をかざす。自分の力の使い方は、なぜかすべて頭に浮かんでくる。
光が、その掌中に集まる。そして、あと十メートルほどという距離までラスイルが来た時、美典はその光を解き放った。
濁流のような光が、ラスイルに向けて放たれる。その威力は、薫や綱島が使う力の比ではない。
だが。
ラスイルはなんとその光をまるで無視して、美典に突っ込んできて、そのまま槍を突き出してきたのである。美典は慌てて槍を出現させ、それを受ける。
「ふはははは。忘れたか? 私は天使を裁く立場にある。ゆえに、私に天使の攻撃は効きはしない!!」
凄まじい連撃が放たれる。美典はあっという間に劣勢になった。
「くっ」
美典は何とか捌ききって、慌てて距離をとる。
「確かに、天使としての力は貴様の方が上だ。だが、私には天使の力は通用しない。天使が私を倒すには接近戦しかないが、私は接近戦では貴様を凌駕する!!」
再び突進してくるラスイル。美典はそれを最小限の動きで回避し、回り込んで背後を突こうとしたが、それもラスイルには見抜かれた。
突き込んだ槍の穂先とラスイルの槍の石突が激突し、衝撃で弾かれる。空中戦、というより足が踏ん張ることが出来ない状況での戦いなど、美典はもちろん初めてだ。そのため、その弾かれた衝撃を上手く逸らすことが出来ず、バランスを崩してしまう。
「終わりだ」
一瞬体勢が崩れたところで、美典は自分が光に囲まれている事が分かった。いや、それは光ではない。莫大な数の光球だ。
「死ね」
光の壁が迫ってくる。逃げ場は全くなく、美典はその衝撃を堪えようと歯を食いしばることしかできない。
だが。
次の瞬間、美典のいる場所で起きるはずの爆発は、別の場所で生じていた。
「ぐおおおおおおおお!?」
爆心地にいるのは、ラスイル。
先ほどの光が、全て跳ね返されてラスイルを襲ったのだ。
さすがに自分の攻撃は無傷とはいかないらしい。白い肌からはいくらか血が流れ、白い翼は無残にも焦げ付いている。
「バカな……貴様……何をした!!」
「知らないわよ!!」
そういいながら、美典は何が起きたのかを理解し、また、自分が勝てる事を確信した。
今、美典はラスイルの攻撃を、すべて弾き返した。だが、この力をラスイルは知らなかったらしい。
おそらく、かつてのイシュリエルと美典では、力が変化しているのだろう。
そしてラスイルが知らないであろう、美典の頭に浮かんだもう一つの力の使い方が、ラスイルに勝てる事を確信させた。
「おのれ!! こうなったら槍で突き殺してくれる!!」
ラスイルが槍を構え突っ込んでくる。
それに対して、美典はいきなり槍を投げつけた。
「なっ!!」
まさかそう来るとは思わなかったのだろう。ラスイルは急停止して、かろうじて槍を弾いた。だが無理な挙動に、ラスイルの体勢がわずかに崩れる。その隙で、美典には十分だった。
完全に懐に飛び込む。ラスイルは慌てて槍を振りかざそうとするが、その距離は槍ではなく素手の間合い。美典の得意分野だ。
美典はラスイルが槍を持つその腕の肘を掌底で痛打し、跳ね上げた。いかに超常の存在とはいえ、人型である以上、骨格や筋肉まで構造が違うわけではない。
腕を槍ごと跳ね上げられたラスイルは、無防備な姿を美典の前に晒す。
そこに、美典は手刀を横薙ぎに繰り出した。
体勢的に不可避なそれを、しかしラスイルは問題にはならないと判断する。
人間より遥かに強い力を持つ天使だが、それとて素手での攻撃力はたかが知れている。強力な神力によって護られた天使の防護は、武器や強力な力でなければほとんど貫けない。
接触状態では、ラスイルの持つ対天使の絶対防御は機能しないが、素手の一撃など多少の衝撃はあれど、致命的な一撃になるはずはない――はずだった。
光が溢れた。
そして次の瞬間、ラスイルは自分の視界が急速に下に向かうのを認識した。
イシュリエルの顔が、離れていく。
大きなダメージを受けて浮力を失ったのだと気付き、翼を羽ばたかせようとする。
だが、まったく力が入らない。
そしてすぐ下で、べちゃ、という音がした。
そちらに視線を向けると、そこには、奇妙に折れ曲がった二本の白い棒が転がっている。
それが自分の下半身だと気付くより先に、口から血が溢れた。
「なっ……」
その時になって、ラスイルは自分が上半身と下半身で、二つに斬り裂かれたことに気が付いた。
振りぬかれたイシュリエルの手が、淡い光に包まれている。そしてその光から、恐ろしいほど強い力を感じ取れた。
あろうことか、イシュリエルは自分の手にその力を宿して爆発させて、ラスイルを文字通り真っ二つにしたのである。
「残念、だったわね」
その言葉を、ラスイルが聞けたかは分からない。
彼の肉体は、文字通り光となって消えていく。
それが、天使ラスイルの最期だった。
「す……すごい……」
薫が呆然と呟いた。
あの強力な天使を、文字通り一撃。しかも素手で。
かつての決戦で多くの天使と戦った薫やリージアでも、ラスイルほどの天使にはほとんど遭遇していない。まして、ラスイルは対天使戦の能力を持っている。その天使を一撃で屠る天使がいるとは。
強風が吹きつける中、美典――イシュリエルはその風にほとんど影響を受けていないかのように、ゆっくりと翼を広げてランドマークタワーの屋上の中心に降りた。
そして、ラスイルの力が消えたからか、水希を磔にしている十字架が光を失い消えて――倒れる水希を美典が抱き支える。
その時、鐘が鳴り響いた。午前〇時を告げる鐘。ランドマークタワーの屋上に取り付けられたスピーカーから響くその音と同時に、ちらほら、と白い雪が舞い降り始めた。
「う……ん……」
鐘の音で気付いたリンは、翼を閉じて立っている天使を見て、自分達を救ってくれる天使が降臨したと思ったと、後に話している。
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