第13話

 その瞬間、ディオネルが光に包まれ、全く姿が見えなくなった。

 ただその光は本当に一瞬のことで、すぐディオネルの姿がはっきり見えてくる。だがそのシルエットは、前と大きく違っていた。

 淡く輝く身体、白い、ゆったりとした服。中性的な容貌。だが、何よりも特徴的だったのは、その背にある、淡く輝く白い巨大な翼だった。


「……天使……?」


 美典は思わず呟いてた。

 そう、あれは天使だ。考えてみたら、妖怪の生まれる理由が人の想いであるのならば、天使だって生まれていてもおかしくはない。

 だが、美典以外の者の受けた衝撃は、美典の比ではなかった。


「て、天使……!!」


 リン以外の四人は、世紀末に行われた『黙示録大戦』を知っている。

 かつて、西ローマ帝国が滅んだ時代に世界に終焉をもたらそうとして、当時の妖怪たちに封じられた神と天使。

 そしてその封印が解けて、世紀末に対する人々の『想い』によってより強大化し、『ヨハネの黙示録』の通りに行おうとした、人類のほぼすべての抹殺計画。その計画は、世界中の妖怪達と一部の人間達の協力で防ぐ事が出来た。


 そしてさらに、『ヨハネの黙示録』の『神』の意味そのものも失われ『神』は消滅、世界の滅びは回避されている。ほんの数年前の出来事だ。

 とはいえ、あの戦い、および関連して発生した災害の影響は大きく、治安の悪化などによる影響が、この日本でも起きている。

 そして、『神』は確かに消えたが、天使は全て倒せたわけではない。その生き残りがいたとしても不思議はなく、生きていたとすれば、確実にそれは敵対関係しかないのだ。

 あの黙示録の天使達は、確実に『人類と妖怪の敵』なのである。


「ふん。我が姿に覚えがある者もいるようだが……我は『黙示録』の天使どもとは袂を分かった存在よ……いや、貴様らにはどうでもいいことだな」


 正体を現したディオネルは、その翼をゆっくりと羽ばたかせ、宙に浮かぶ。


「我が名はラスイル。教皇庁の守護天使が一人、大天使ラグエルの麾下にあって、天使を裁く役割をあたえられし者。その役割に従い、我らを裏切ったイシュリエルを討つ。そして邪魔をするのであれば……貴様らも、討つ」


 ラスイルから力が溢れる。

 薫、波川、リージアの三人は、アメリカで行われた世紀末の戦いにも参加していて、天使とも少なからずやりあっている。だが、その時戦ったどの天使よりも、ラスイルと名乗った天使の力は上に思えた。

 いくつか、今の言葉で聞き逃せない内容があった気がするが、今それを吟味する時間はない。少なくとも現状、篠崎水希を害そうとしているのが、あのラスイルという天使であることは確実で、それを看過することは、≪宿場町≫としては絶対にできないことだ。


「だからといって、その子を見捨てる事は出来ないよ!!」


 リンが再び跳躍し、ディオネル――ラスイルに殴りかかる。だが今度は、ラスイルは軽々とそれを避けると、ゆっくりと手をかざした。とたん、リンの周囲に十余りの拳大の光が浮き上がる。


「え……?」

「消えろ、不浄なるものよ」

「リン!!」


 光は一気に加速し、その全てが中心にいるリンに襲い掛かった。そこに薫がかろうじて割り込む。直後、凄まじい衝撃と爆発が生じた。


「マスター!!」


 波川が先ほど以上の速度でラスイルに襲い掛かった。

 同時に、綱島が手にある光線銃から光を放つ。

 だがラスイルはそれをこともなげに避けると、屋上を走る波川に一気に接近し、凄まじい速度で槍を突き出した。避け切れなかった波川のわき腹を、槍が突き通す。


「ぐっ!!」

「失せろ、獣風情が」


 同時に、先ほどと同じ光が、半分は波川を、半分が綱島を襲う。

 両方の爆風が晴れた時、リンと薫、波川、綱島はいずれもボロボロの状態で倒れていた。特に綱島は傷が完全に回復していたわけではないらしい。腹部の傷が再び開いたようで、そこから血が吹き出していた。

 そしてラスイルは、何事もなかったかのように、再び十字架の横に降り立つ。


「無駄だ。お前達の力では私に抗う事などできぬ。私の役目はイシュリエルの抹殺。お前達を殺すことは本意では……ぬ?!」

「水希がなんであろうが、そんな事させない!!」


 ラスイルの言葉が途切れたのは、美典が攻撃をかけたからだ。

 ただの人間である美典が、まさか自分に攻撃をかけてくると思っていなかったラスイルは、美典に対する注意を完全に怠っていたのである。

 それでも、美典の連続攻撃を、ラスイルは造作なく避けた。


「人間を殺すことは禁じられてはいるが……裁きを妨げるのであれば、容赦はせんぞ!!」

「いけない!! 天城さん!!」


 リージアが叫んだが、遅い。神速の槍が、美典の胸に向けて突き出される。だがその瞬間、美典はなんとその柄に手を合わせてわずかに逸らし、逆にラスイルの懐に飛び込んでいた。


「なっ!?」


 そして美典は呼吸を一瞬で整える。

 寸打、寸勁と呼ばれる打撃。

 父に教わった中で、最も威力のある攻撃。外部より内臓に直接ダメージを与える、強力な打撃だ。父からは、絶対に一般人相手には使ってはならない、とも厳命されていた技である。

 だが、今そんな事を言っていられないし、第一相手は一般人どころか人間ですらない。遠慮する理由はなかった。


 踏みしめた床から、突き込む拳の先端へ。すべての力が一点に集約する。


「はあ!!」


 ドン、という確かな手応えが伝わってきた。

 少なくとも人間ならば、悶絶して確実に動くことが出来なくなるはず――。


 だが。


「ほう……人間にしては強力な打撃だ。だが……人の身で、天使に手をかけるとは……許されんぞ!!」


 人間なら内臓に深刻なダメージを与えうるほどの一撃でも、天使であるラスイルにはまるで通じていなかった。

 これはつまり、今の美典ではこのラスイルに対して何もできないということを意味する。

 そして、その美典の一撃は、ラスイルの逆鱗に触れただけだったらしい。


 槍がうなる。それを美典は、かろうじてかわした。だがその直後、槍の石突が二段目の攻撃として繰り出されていたのを避ける事は出来なかった。

 とっさに手をかざし、その石突を掌で受け止める。その、掌が砕けるかと言う衝撃に、反射的に後ろに飛んで衝撃を和らげようとするが、その後に襲ってきた衝撃は、先ほど以上の勢いで、美典を吹き飛ばした。


「きゃっ……!!」


 美典の体は、空中を軽く三十メートル余りも吹き飛ばされた。

 だが、ランドマークタワー屋上の中心から三十メートルも飛び出せば、そこに屋上の床はない。遥か下に、地面があるだけだ。


「いかん!! リージア!!」


 薫の声に、リージアがホウキにまたがって飛び出そうとした次の瞬間、リージアもまた、光の球に囲まれた。


「我が裁きを邪魔する事は許さん」


 その間に、美典は誰も届かないほどに落下していた。

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