第12話

 さすがに、水希の家に行った時ほどは速度は出さなかった。行き先が分かっている以上、無理に飛ばす必要もない。相手が車で、しかも今日はクリスマス・イブだ。

 ランドマークタワーはクリスマスには人気のデートスポットの一つであり、そうでなくてもあのあたり一帯では車は混む。一部では渋滞も発生するほど車の流れは悪い。だが、バイクである美典は、あまり良くないとは知りつつも車の隙間を抜けて、渋滞をほぼ無視して、ランドマークタワーにたどり着いた。

 時刻を見ると、日が変わるまであと三十分ほどというところか。


 しかしいざ着いて、果たしてどうやって屋上まで行ったものか、考えてしまった。

 ここに来るのは初めてではない。展望室も一度だけだが行った事がある。

 だが、屋上に出る方法というのは知らない。また、展望室へのエレベーターは、長蛇の列が出来ている。当然と言えば当然だ。

 しばらくうろうろするが、いい方法がない。そうしている間に時間は過ぎて、どうしようか、と困っていると、突然肩を叩かれた。


「水希!?」


 だが振り返った先にいたのは、当然だが水希ではなかった。


「リージアさん?」


 立っていたのは、昨日『たべるなあるぴーな』で会った『妖怪』達だった。リージア、久我山親娘、波川、それにもう傷を治してもらったらしく、元通り人間の姿の綱島もいる。

 アレだけの重傷も、妖怪の手にかかればあっさり治ってしまうのか、と思うとちょっと驚く。


「ここの上?」


 久我山薫が聞いてくる。美典は、確信をこめて「はい」と頷いた。


「この屋上にいます」

「じゃ、行こうか。リージア、頼む」


 薫が、まるで近所に出かけるような口調で言う。美典がどうやって、と考えるより先に、リージアが「はい」と答え、何か小さな石を取り出した。小さな呪文のような言葉と共に、それが五つに弾け、美典たちの周囲に浮く。


「え? え?」

「これで、と」


 その変化は急激だった。突然、薫の姿が変わったのだ。青白い肌、赤く輝く瞳と、長く突き出た牙。やや尖った耳。服は変わっていないが、その姿は、まさに吸血鬼だ。


「これが私の本来の姿だ。まあ、娘は姿が変わる事はないんだけどね。さあ、行くよ」


 その時になって、美典は周囲の人が、まるで自分達に注視していないことに気がついた。人が一人、これほど派手に変化したのに、である。


「日本では『人払いの結界』とか呼ばれる能力でね。限定空間に対して人の注意をまったく向けさせない力というのが、妖怪にはあるんだよ。さ、それより行こう。リン、綱島君を頼む。リージアは天城さんを」


 そういうと薫は、波川の手をとって浮き始めた。リンもまた、綱島の手を取って浮き始める。


「うそ……」


 確かに吸血鬼が空を飛ぶと言う話はある。だが、実際に翼も何もなしに空を飛ばれると、あっけに取られるしかない。


「さ、天城さんはこっち。乗って」


 いつの間に出したのか、リージアはホウキを横に倒して、それにまたがっていた。


「え、えっと……」

「早くっ」

「は、はいっ」


 美典は慌ててリージアにくっつくようにホウキにまたがる。とたん、ホウキが音もなく急上昇を開始した。


「きゃっ……!!」


 かろうじて叫び声こそあげなかったが、美典はすぐ前にいるリージアにしがみついた。バイクで以前、ツーリング仲間に後部シートに乗せてもらった事は何回かあったが、その時とは比較にならないほど怖い。地上は見る見るうちに遠ざかり、ランドマークタワーの威容が近付いていく。


 やがて、ランドマークタワーよりも高く上がっていた。

 それは初めて見る光景だった。

 足元には何もなく、横浜の夜景が広がっている。右手は明りがまったくないが、これは海だからだ。

 残りの方角は、明りが遥か彼方まで、地上の星のように連なっていた。


「すごい……」


 その光景は、美典をして一瞬、自分がここに何しに来ていたかを忘れさせていた。


「あそこ!!」


 だがすぐ、リンの声でそれを思い出す。見ると、ランドマークタワーの、本来立ち入り禁止のはずの屋上に、一際明るい光がある。

 そして目を凝らしてよく見ると、その光の近くに人影が二つ見えた。


「いくぞ!!」


 薫の声で、六人は一気に屋上に近寄った。

 屋上には、各テレビ局のアンテナとヘリポートがあるが、そのへリポートの中心に、その光はある。無論そんなところに、通常光を発する装置などはない。

 六人はヘリポートの脇に降り立った。予想通り、そこにいるのはディオネルと、水希だった。

 だが。


「水希!!」


 光を発していたのは、水希だった。正しくは、水希の後ろにあるものだ。

 水希は今、さながら磔にされたキリストと同じように、十字架にかけられていたのだ。その十字架が光っていたのである。

 そして彼女の両手、そして両足は、光の楔に貫かれて十字架に縫い付けられていた。

 意識はないのか、水希は目を閉じたままである。


「ほう……この国の妖怪どもか。だが……邪魔はさせん」


 ディオネルは、現れた六人にも、動じた様子はない。


「その子をどうするつもりです」

「吸血鬼風情が、この私に問うか。まあ良かろう。教えてやる」


 ディオネルは水希の横に立つと、すっと手をかざす。すると突然、そこに光る槍が出現した。長さは二メートルほどか。美しい装飾を持つ光るそれは、穂先と逆の石突も直径は十センチほどはありそうで、こちらも打撃武器として使えそうな槍だった。


「この娘は七百年前に、しゅに逆らった裏切り者なのだ。ゆえに私が遣わされた……だが、狡猾なこやつは人の中に逃げた。以後七百年間……ようやくこやつが転生している事が分かったのだ。ゆえに裁きを下す。それが、私の役割なのだ」


 昨日とは違い、流暢な日本語だ。昨日は、演技していたということだろう。


「だが、なぜその子だと分かる!!」

「魂の色だ」

「魂の……色?」

「そうだ。この娘の魂の色は、七百年前に裏切ったあやつと同じものだ。魂の色は人によって異なる。そして、あやつと同じ魂の色を持つこの娘は、間違いなくあやつの生まれ変わりなのだ」

「な……」


 薫はそういいつつ、あまりにも奇妙な符号に、混乱していた。

 七百年前に逃げたという裏切り者。七百年前に天城家に降り立ったという翼を持つ妖怪。

 この一致は何を意味するのか。

 そして今、ディオネルが『しゅ』と呼んだそれは、もしかして――。


「どっちにしても……女の子をそんな風にするなんて、許せないよっ!!」

「リン!!」


 リンが、一気にディオネルとの間を詰めた。そのスピードは、オリンピックの短距離選手が裸足で逃げ出すほどで、あっという間に至近距離に入っている。


「ぬっ!?」


 外見が普通の人間となんら変わらないリンのそのスピードは、予想外だったのだろう。ディオネルは完全に対応が遅れた。そこに、リンの蹴りが放たれる。

 ディオネルはかろうじてその蹴りを腕でガードしたが、衝撃までは殺せなかったらしい。軽く五メートルあまりも吹き飛ばされた。

 さらにそこに、波川が突撃する。彼は、走り出した次の瞬間その姿が変わり、たくましい体躯の人狼になっていた。そして、その鋭い爪が、ディオネルを襲う。


「うおっ!!」


 リンに吹き飛ばされ、体勢の整っていなかったディオネルは、かろうじてそれを槍の柄で受けた。だが、その衝撃でさらに吹き飛ばされる。


「天城さん、今のうちに!!」


 人間の限界を完全に超えたその戦いに自失しかけていた美典は、薫の言葉ではっとなった。

 そしてすぐに屋上へ飛び降りると、水希のいるところへと走り出す。

 光の十字架は、床に突き刺さっているわけでもなく、すれすれの位置に浮いていた。何で出来ているのかもさっぱり分からない。


「水希!! 水希!!」


 だが水希の返事はない。

 ただ、時々苦痛に顔を歪めている。

 光が貫いている手や足からは血が出ていたりする事はないが、痛みまで感じていないかは、分からない。


「こんなものっ」


 美典は光の楔を引き抜こうと手をかけた。だがその瞬間、感電したかのような凄まじい衝撃が全身を駆け巡る。


「きゃあああああ!!」


 全身の力が抜けて、がくり、と膝を折って倒れこんでしまう。


「天城さん!?」


 綱島が慌てて近付いてきた。だが、その間にディオネルが割り込む。


「人間!! 汚らわしい手で、触れるな!!」


 槍が横薙ぎに美典に迫る。美典は反射的にそれを受け流そうとした。


「あぐっ」


 かろうじてダメージを受ける事はしないですんだが、その衝撃は凄まじく、美典は凄まじい勢いで吹き飛ばされた。

 なんとか受け身を取ったが、ヘリポートの境目のガードに背中をぶつけて、一瞬息が止まってしまう。


「天城さん!!」

「おのれ!!」


 薫が顔に手をかざすと、目から光が放たれた。だがディオネルは、それを転がりつつ避ける。


「どうあっても私の邪魔をするか……ならば、まずお前達から神罰を与えてやろう!!」

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