第10話

 翌日。

 クリスマス・イブである。


 世間では恋人と甘い一時を過ごそうという人達がいるだろうが、灰色の受験生活を送るはずだった美典には、恋人などいない。それを別に寂しいとは思わないが。


 水希は今も勉強しているのだろうか。彼女の両親の仕事はパン屋だが、ケーキも扱っている店なので、今日はクリスマスケーキの売込みで、朝から仕事だろう。むしろ一年で一番の書き入れ時だ。なのでおそらく、家にいるのだろう。弟がいるが、彼が家にいるかはわからない。


 篠崎家はクリスマス・イブは両親が仕事でいないので、たいていは家にいないことが多いのだ。

 去年だと、水希は天城家のクリスマスパーティに参加していてそのまま泊まり込み、弟も別の友人宅で同じように過ごしていたはずだ。

 今年は水希は受験があるので当然そういうのに参加していないだろうが、弟は出かけている可能性は低くない。

 

 水希のことは気にはなるが、現状、自分に何が出来るというのかと考えると、何もできないという結論になってしまう。

 無力感というほどではないが、彼女の助けになれない自分に憤りを感じているのは事実だ。


「考えても仕方ない……よねぇ」


 何もする気がしなくて、そのままソファに横になっている。つけっぱなしのテレビでは、クリスマスに染まる街並みを映していた。

 途中はさまれた天気予報によると、今日の気温はこの冬一番の寒さになるらしい。この地域でも雪が降る可能性があるという。


 十八歳のクリスマス・イブとしては果てしなく色気はないが、家族もいないのにクリスマスで騒いでも仕方ないので、別にいいか、と思っている。

 本来なら学校が終わり次第両親のいる田舎に行くべきだったのだろうが、なんとなく今年も少しくらいは水希と過ごすのかと思っていて、新幹線のチケットは年末近い時期の予約をしてしまっていたのだ。なのであと五日ほどはこちらにいるしかない。


「妖怪……」


 昨日のことは、美典の中でまだ全て納得できているわけではない。

 妖怪がいるという事実は、もう納得できている。さすがに目の前で見せられれば、認めざるを得ない。

 機械に映ることのない、人ならざる者達。

 彼らは、人間の『想い』で生まれたのだという。これについては、生まれる瞬間を見てないことにはなんともいえないが、美典は自分の目より科学を信じる科学信奉者ではない。彼らがそこにいる以上、彼らの存在は事実として存在するのだ。そこに疑念をさしはさむ余地はない。


 ただ、自分がその妖怪の一人だ、というのはまったく納得できない。


 生まれてから十八年余り、自分が人間ではないと思ったことはない。

 確かに、身体的には恵まれている方だろう。これといった病気をしてきたことはないし、運動神経は、かなり優れている方だ。ただこれは、幼い頃から空手をやっていて、体を動かすことに慣れているというのが大きい。

 確かに、空手の組手で、部員相手に多対一ということをやったことがあるが、それでもすべてを捌ききるほどの実力があり、部員からは人間離れしてるとは言われたが、あり得ないというほどではないと思う。完全な死角からの攻撃すら捌けてしまうのは事実だが。


 また、合唱部に誘われることはもちろん、街角でも声をかけられるほどに声が美しいらしい。とはいえこれらは、普通に存在しうる。

 容姿にしても同じだ。恵まれてるというのは分かっているが、人間離れしてるというほどではない。


 ただ、一番大きいのは『オーラを視る』という力だ。

 この力は、妖怪では誰でも持っているというわけではないが、珍しいというほどではないらしい。だが、人間がその能力を持っているとなると、かなり稀だという。

 自分が後者のケースであると考えるほどに、美典は楽観的ではない。


 機械に映るではないか、と一応反論はしたが、生まれ変わりやハーフの場合は、完全に覚醒するまでは、普通の人間とほとんど変わらないという。ただ、目覚める前に、主に感覚系の能力が使えるようになることがあるらしい。


 さらに決定的だったのは『夢』だった。

 ここ数日、ますます鮮明になってきた、空を飛び、そして撃たれるという『夢』。

 彼らによれば、それは『前世の記憶』の可能性が高い、ということだった。

 基本的に『生まれ変わり』は元の妖怪の記憶などは受け継がないものらしいが、まったくないというわけでもない。ごく稀に、まるで転生したように記憶が残っていることもあるという。


 だとすると、美典の中に眠る力は、光の翼を持つ妖怪ということになる。

 たださすがにその夢の内容、というよりは美典の力については、全員が首を傾げた。


 翼を持つ妖怪というのは日本にも多い。生まれ変わりということは、少なくとも数十年から、長いと数百年も昔のケースがあるし、天城家の記録が正しいとするならば、美典の前世は七百年前の存在ということになる。その時代の妖怪となると、かなり種類は制限されるが、そんな中に光る翼を持つ日本の妖怪など、ほとんどいないらしい。


 ただ、古い妖怪で、光の翼を持つ妖怪というものについて、全員が思いつく存在があったようだが、それについては詳しくは教えてくれなかった。

 いずれにしても、彼らの中では、美典が何かしらの妖怪であるというのは、彼らによればほぼ確実らしい。


「私は一体……何?」


 無駄に広いマンションの中で、答える者はいない。

 ふと時計を見ると、いつの間にか午後十時を回っていた。外はもう真っ暗だ。

 お昼に適当に食事した以降、ずっとぼんやりと考え込んでいて、漫然とテレビを見ていただけだったので、時間が経っているのに気付かなかった。

 何かする気力がないだけともいうが。


 ここ数年、クリスマスケーキは水希の家のパン屋で買っている。

 ただ、今年は自分一人だからどうしようか迷っていたのだが、やはり買うことにした。それに、もしかしたら両親なら水希の何かの悩みなどを知ってるかもしれない、という思いもあった。

 自分が悩んでいるのに他人の事を心配している場合ではないだろう、と他人なら言うだろうが、そうしてしまうのが美典である。


 それに、一人でもそれなりにクリスマス気分はやはり満喫したい、という気持ちにもなってきた。

 現状、答えが出ない問題に悩み続けていても、時間の無駄だ。


 せっかくのクリスマスである。

 ケーキとチキンかローストビーフ、それに適当な料理をすれば、それなりになるし、明日の夜くらいまでの分を一気に作ってしまおう。

 それで夜更かしするのも、一年に一回くらいは許されるだろう。

 せっかく受験が終わったのに、気分が沈みっぱなしのクリスマスというのは、やはり悲しい。


 そう決めると、とりあえずはまずケーキを買ってくることにした。その帰りに、スーパーで買い物をすることにする。普段ならともかく、今日はどこも食品店は遅くまで開いているだろう。


 とりあえず手早くお米を軽く研いで炊飯器をセットすると、厚手のコートを取り出した。

 水希の両親が経営するパン屋『シノ・ベーカリー』は駅と駅の中間くらいにあって、電車で行くにはやや不便な場所だ。

 普通ならバスを使うのだが、美典は中型オートバイの免許を持っている。以前はスクーターだったのだが、去年、無理を言って中型免許を取らせてもらい、また、バイクも買ってもらったのだ。

 本当はちゃんとスーツを着たほうがいいのだが、まだ奥にしまったままで出すのが面倒なので、美典はコートだけ羽織った。この程度の距離ならば問題はない。


 バイクでの移動は、思ったほどは寒くなかった。十五分ほどで、『シノ・ベーカリー』の看板が見えてきた。時刻はもう二十三時を過ぎようとしている。この時間でもまだ数人の行列が出来ているところ見ると、かなり盛況のようだ。

 この時間までやってるのは知っていたし、普通の店が閉まるようなこんな時間でもまだケーキを売ってくれる店として知られてると聞いたことはあるが、まだお客さんがいるのは少し驚いた。ぎりぎりまで買いに来る人はいるものらしい。

 美典はバイクを止めると、その列の最後尾に並んだ。程なく、列の最前列に移動する。


「えと、一番小さい……ショートケーキのクリスマスケーキ下さい」

「はいありがと……ああ、美典ちゃんじゃない。どうしたの、こんな時間に」


 会計をしていたのは水希の母だ。無論、何度も遊びに行っているので、覚えてくれている。


「はい、ご無沙汰してます、おばさま」

「水希が世話になってるね。あれ? 水希がケーキもって行ってないかい? 今日は友達の家に行くって言っていたから、家に一つ置いておいたんだけど」

「え?」

「あら? 美典ちゃんのところに行ってるんじゃないの?」

「いえ、来ていませんよ?」


 おばさんは、おかしいわねえ、と言いながら首を傾げる。


「さっき携帯にメールがあって、友達の家で勉強してくるって。遅くなっても心配しないでって」

「いえ、私の家じゃないですよ。ディオネルさんの家じゃないですか?」


 昨日も英語を教わっていたようだし、あるいは水希は、彼のことが気になっているかもしれない。確かに彼は、外見はかなり良かったと思う。

 だが、その後のおばさんの反応は、美典のまったく予想しないものだった。


「ディオ……誰だい、その人?」

「え? あの、近所に住んでいるっていう、ディオネル・クーズさんって……」

「クーズさんとこ、そんな人いないよ?」


 美典の中を、何か冷たいものが吹き抜ける。

 唐突に、昨日ディオネルに会ったときの、なんともいえない不快感にも似た感覚が思い出される。何か分からない悪寒が、全身を包んだ。そしてそれが、急速に一つの像を結ぶ。


「すみません、ケーキ、後で買いに来ますっ!!」


 言葉と同時に、美典は身を翻してバイクに飛び乗っていた。そのまま、ほとんど一動作でエンジンをかけると、一気に回転を上げる。


「あ、美典ちゃん!!」


 背後におばさんの声が聞こえたが、美典はそのままバイクを発進させた。



 夜の暗い道は、まるで今の美典の不安を暗示しているかのようだった。

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