第9話
電話のコール音が響く。二十回ほどコールしたところで、美典は諦めて発信を切った。
もう五回目だ。携帯は何度かけても、電源が切られているか、電波が届かないと言われ、留守電サービスに繋がってしまう。
「水希……」
久我山達の話では、体の一部だけ妖怪になる、という例は聞いたことがないという。どこに問い合わせたかは分からないが、そういう例がないか、と仲間に聞いてくれたらしい――要するにここ以外にも妖怪はいるということだ――が、やはり聞いたことはないという。
彼らの話のうち、少なくとも妖怪の存在は、もう美典は疑っていなかった。
携帯を取り出した時に、そのカメラで写してみるといい、と言われてモニターを覗き込んで仰天した。彼ら全員が、モニターに映っていなかったのである。
物理法則の外にいる彼らは、機械には映らないらしい。
もはや彼らの存在については、それで納得するしかない。
となると、やはり機械に映る――怖くなって自分で確かめた――自分は妖怪ではないに違いない。そう信じることにして、とりあえず精神の安定を図った。
とにかく今、気になるのは水希のことだった。
妖怪のオーラを手足にまとわりつかせている、というのは一体どういうことなのか。
それは彼らもわからないらしい。ただとにかく彼女と連絡を取ろうとするが、いまだに電話は繋がらない。
「出ないか」
「はい……もう、行ってみます、直接」
水希の家には何度も遊びに行ったことがある。隣の駅から歩いて十五分ほどの、バブル末期に造成された住宅地にある一戸建てだ。
元々行く予定だった美典は、荷物を持つとレストランを飛び出した。
薫達が止めるよりも早く、美典はそのまま駅へと走っていく。
「どうする?」
「彼女の話は気になる。波川、悪いが彼女と一緒に行ってくれ。もうすぐ日が暮れるしな」
薫の言葉に波川は頷くと、レストランを出て行く。その後に、リンが続いた。
「あたしも行ってくるねっ」
「お、おい……」
薫が止めるよりも先に、リンも出て行った。
二人は駅に向かって走り出す。
駅までは走れば三分とかからない。急いで改札をくぐり、ホームに出たところで、ちょうど電車が入ってきた。そしてそれに飛び込む美典を見て、二人とも慌てて電車に飛び込んだ。それから、車内を移動して美典の下にたどり着く。
「あ……えと、リンちゃんと……」
「波川だ」
「あ、すみません。でも、あの……」
「この件には妖怪が関わっている可能性がある。そして、君は少なくともまだ目覚めてはいない。それに、仮に目覚めたとて、戦闘に長けた妖怪であるとは限らない」
「その点、あたし達は、特に夜は強いんだよ」
そういえば、確か人狼と吸血鬼――クォーターだが――といっていた。どちらも確かに、夜の妖怪だ。そもそも、妖怪といえば基本的には夜の住人だろう。
美典がそんなことを考えているうちに、駅に着いた。
「その水希さんって、お姉ちゃんのお友達?」
「ええ。高校からの友達だけどね。一番仲のいい友達よ」
彼女だけしか友達がいなかったわけではない。クラスはずっと一緒だったが、部活は違った。最寄り駅も違うので、別に一緒に登下校していたわけではない。
でもいつしか、二人は会うことが増えていた。元々美典は、友人といえるのは多かったが、その容貌や空手部の主将という立場などから、友人というより憧れの存在として認識されていることが多く、休みでも会おうという友人はほとんどいなかった。
一方の水希は、そういうある種のとっつきにくさはなく、親しい友人の数、という点では美典の比ではない。
ただ、美典も水希も、不思議なほど気があった。一緒にいるのが当たり前と思えるほどに。
そうこうしているうちに、水希の家が見えてきた。
だが――。
「誰も――いない?」
明かりがついていない。
美典ははっとなって、駆け出した。二人も慌てて続く。
だが、家の前に来ても人の気配はない。インターホンを押すが、当然反応はない。
「水希!!」
「なに?」
予想もしてなかった返事に、美典はぎょっとして振り返った。
そこには、水希がいる。
「水、希……?」
「美典、どうしたの? ……あ、ごめん。携帯、電源切っちゃってたの。ああ、やっぱり、何度も? ごめんね」
水希は携帯の電源を入れると、留守電サービスで件数を確認して謝る。
「う、うん。あの、大丈夫?」
「なにが?」
いつもの水希だ。
だが。
集中してオーラを見てみる。すると、なんと両手ともに、『妖怪』のオーラを感じられた。
しかし、彼女の様子は、むしろ昨日より安定しているくらいだ。
「ミズキ、カノジョハ?」
その声は、ミズキの後ろからだった。その時になって、美典は水希の後ろに男が立っていることに気がついた。金髪の、はっとするような美形である。
年齢は、二十半ばというところか。
「ああ、ごめんなさい、ディオネルさん。えと、この人、ディオネルっていって、お父さんの友人。ディオネルさん、こっちは私の友達の美典」
「ディオネル・クーズです。ヨロシク、ミノリさん」
ディオネル、と紹介された男は、人懐っこい笑みをして、右手を差し出してきた。
握手で挨拶する習慣は、美典には馴染みがある。だがこの時、美典は本能的に彼に触れたくないと思ってしまった。
「天城美典です。よろしく」
そういって、会釈する。空振りした手を、ディオネルは少し困ったように見てから、引っ込めた。
「ディオネルさん、イタリア人なんだけど、塾講師をしてて、英語が得意なの。私、英語が少し弱いでしょう? だから教えてもらってたの。で、暗くなっちゃったから、送ってくれたの」
「そ、そうだったのね……」
ということは近くに住んでいるということか。
納得できる説明ではある。にも関わらず、美典はある種の気持ち悪さを感じた。ざらり、とでも表現できるような、不快感にも似た気味悪さ。
だが、初対面の人にそんな失礼なことを言うわけにもいかない。
「美典こそ、後ろの人は? 恋人……ってわけじゃなさそうだけど」
十二歳の女の子と三十過ぎの男性では、さすがに恋人に見えるはずはないだろう。
「あ……うん。その、近所の……そう、近所の人なの。さっきね、偶然、会ったの」
ある意味ウソではない……が、その様子は波川やリンが見ても『とってつけたような言い訳』と分かるほどにしどろもどろだった。
だが、水希は気にした様子もなく「そうなんだ」と納得している。
「じゃ、ありがとう、ディオネルさん。美典、せっかく来てもらって悪いんだけど、私、これから勉強するから……」
「あ……」
じゃあ私が英語を、と思ったが、彼女の言うとおりならば、英語は今日はみっちりやったことだろう。それに、ディオネルより上手く教えられる自信はない。
「う、うん。ごめん。連絡取れなくて、心配だったから……」
両手足の妖怪の気配は気になる。だが、まだ『妖怪』という存在を受け入れ切れてない美典は、そう強く出ることが出来なかった。
「うん、心配させちゃってごめんね。また今度ね……まあ、受験勉強ばっかりだけどね、私」
そういって笑った水希の笑顔は、確かに美典の記憶している笑顔だった。
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