第8話
十二月二十三日。クリスマス・イブの前日にして、日本では祝日という、なかなかに美味しい日である。
そして世間一般の家庭では、クリスマスパーティーの準備に奔走する日となる。
街はもはや完全にクリスマス一色に染まり、親が子供達のプレゼントの希望を聞きつつ、「じゃあサンタさんにお願いしようか」と答えているのが聞こえる。
そんな中を、美典は一人歩いていた。昨日、さすがに寝たのが相当に遅くて、起きたらもう昼近かった。いくら休みとはいえ、寝過ぎである。
すぐに水希の家に行こうとも思ったが、昼間だと彼女は寝ている可能性がある、と考えた。とりあえず電話してみたが、携帯は切られていた。固定電話は留守電になっている。
水希は勉強に集中するときは携帯を切る習慣がある。昨夜勉強を終えてすぐ寝て、まだ眠っているのかもしれない。
とりあえず昼食を摂り、英語の参考書などをカバンに詰める。水希の家に行くにしても、さすがに勉強の邪魔をするわけにもいかないが、一緒に勉強しようということなら問題はない。少なくとも、英語に限れば彼女より自信がある。
夕方くらいになってもう一度電話をかけたが、やはり留守電だ。
おかしい。
いくらなんでもこの時間なら起きているはずだ。急に心配になってきた。
急いでカバンを持って駅へ向かう。しかし、その駅の前で、美典の視線はある一点で動かなくなった。
三日前に見た女の子が、目の前に立っていたのである。
「あ……」
その少女の気配は、やはり他の人とは明らかに違う。探しても探しても見つからないので、幻覚を見たのではないかとすら思ったが、違う。
その少女は、美典が近付くよりも先に、すっと近寄ってきた。
一瞬身構えそうになるが、相手は小学生の女の子だ。さすがに警戒している自分に呆れたが、それでも警戒は解かなかった。
「あなた……」
「ねぇ、お姉ちゃん。あたしに聞きたい事、あるんだよね?」
いきなり機先を制された。美典は言葉に詰まり、かろうじて小さく頷く。
「来て。教えてあげる。あたし達のこと」
「え?」
そういうと、少女はすたすたと歩き始めた。美典は慌てて追いかける。
少女はそのまま川を渡る橋を越え、そこからすぐの低層マンションの前で立ち止まった。そして一度美典の方を振り返ると、そのままその一階にあるお店と思われる中に入っていった。
「こんなお店……あったっけ……?」
どうやらレストランのようだ。
ここから美典の家までは、五分とかからない。もう三年は今の家に住んでいるが、まったく知らなかった。
見れば、結構品の良さそうなレストランである。『たべるなあるぴーな』と書かれた、茶色にオレンジ色の文字が、一際目を引く。
一瞬迷ったが、別に準備中にもなってない。意を決して、美典はレストランへ入った。
内装はビクトリア朝というやつだろうか。高級そうな、しかし使い込まれた雰囲気のある調度品が並び、意外に居心地が良さそう、というのが第一印象だった。
テーブルは四人がけのものが全部で五つほど。あまり大きなレストランではないらしい。奥にカウンターがあり、そこにも五人ほど座れるようだ。
そのカウンターの椅子に、先ほどの少女がちょこん、と座っていた。そしてカウンターの向こう側に、四十歳ぐらいだろうか。おしゃれなスーツを着た男性が立っている。年齢から察するに、その少女の父親だろうか。
そしてその横にいる女性を見たとき、美典は「あ」と声を出した。確か、一昨日少女を探している時に話しかけてきた黒髪の女性だ。
カウンターの、少女が座っているのとは逆側には、壮年の、がっしりした体格の男性が座っている。その手前のテーブルに、女性が一人。こちらは神秘的な雰囲気を感じさせる、不思議な女性だった。
だが、美典はその直後、唖然とする。
先日会った女性以外の気配がことごとく、若干の差異こそあれ、少女と同じ異質さを感じさせたのである。
「え……これって一体……」
「ああ、すみません。もう来てましたか」
そういって階段から降りてきたのは、美典よりいくらか年上と思われる男性。だが、その彼もまた、気配の異質さは少女達と同じだった。
「あ、あなた方は一体……」
美典は思わず、半歩後ずさり、身構えた。
「大丈夫。私達は貴女に危害を加えるつもりはありませんから」
少女の父親と思われる男性が、口を開いた。
不思議なくらい、柔らかい、優しい印象の声だ。
「まず何から話したものか……と思うが、分かりやすいところを示した方がいいだろうね。う~んと、希佐奈さん、お願いします」
「私より波川君の方が……あ、そうか。今はまだ夜ではないわね」
希佐奈と呼ばれた、手前のテーブルに座っていた女性がすっと立ち上がる。そして次の瞬間、その姿が消えた。代わりにそこには、人の頭ほどの大きな水晶球がある――いや、浮いている。
「……え?」
何が起こったのか、理解出来なかった。人が消え、水晶球が現れ、しかもそれが浮いている。
「これが私の本来の姿。水晶占いというものに対する人々の想いが生んだ、全てを見通す水晶。それが私」
その『声』は、その水晶球から響いてきた。どこに口があるのか、まったく分からない。
服もどこへ行ったのか、なくなってしまっている。
「い、一体……」
「一般に『妖怪』と呼ばれる存在。その単語くらいは貴女も知ってるわね?」
こく、と美典は頷いた。もはや頭の中は真っ白で、入ってきた単語の意味だけかろうじて解釈できているだけだ。
「妖怪というのは、実際に存在する……正しくは、存在する、と信じられた私達が、存在するようになった――。例えば有名な妖怪では、河童。水辺に棲み、きゅうりを好み、頭の皿が枯れると死ぬ――そう信じる人によって、河童は生まれるの。その通りの存在として。そうやって、色々な存在を信じる人によって、妖怪は生まれていく――」
「ま、待ってください!!」
美典は、半ば以上混乱した頭で、それでも無理矢理頭の中を整理した。
「じゃあ、あなた方みたいなその……妖怪が、たくさんいるって言うの!?」
「その通りだ」
答えたのは、カウンターに立っている男性だった。
「彼女は、水晶占いの水晶が、全てを映し出すのではないか、という人々の想いから生まれたんだ。そして、君には見えるのだろう? 私達のオーラが、人とは異なるのが」
「オーラ?」
「気、と言ってもいい。私にはそれは見えないのでどういう風に視えるのか、よく分からないんだけどね」
美典は頭が完全に混乱していた。
妖怪が存在し、しかもそれは多数存在するという。そして今、目の前にいる人達がことごとく――。
「じゃ、じゃあ……そちらの女性以外、ここにいる人は皆……?」
「私も妖怪よ。ただ私は、オーラを、人と同じように見せる能力があるの。だから、貴女の力でも見分けることは出来ないだけ」
「ウソ……じゃあ、皆さん全員……?」
「ああ。私は……ちょっと特殊だが、吸血鬼だ。娘もね」
「え?」
「私はちょっと特殊でね。半分だけ妖怪なんだよ。私の父は吸血鬼だが、母は人間だ。このように、妖怪と人間の間に子供が生まれることもある。そして、私の娘は私と人間の女性の間に生まれたのだが、やはり吸血鬼だ。もっとも、見た目はもう人間となんら変わらないがね」
美典は呆然と、他の人に視線を移した。
「私は人と姿は変わらないけど、魔女なの。これでも、八百年くらいは生きてるわ。妖怪は基本、不老不死なのよ」
「私は人狼だ。狼男、と言った方が分かりやすいかな。マスターのお父上に仕えていた」
「僕は……あまりメジャーじゃないんだけどね。イルカの妖怪なんだ」
「イルカ?」
こくり、と遅れて降りてきた青年は頷く。
「三十年くらい前かな。イルカが知能を発達させて、いつか陸に上がって人間に復讐する、って話が広まったことがあるんだ。それによって生まれたのが、僕だ」
そいえば、昔古い本でそんなのを見たことがある気がする。そんな想いからも妖怪は生まれるということか。
「けど……なんでそんな話を、私に……?」
妖怪がいるらしい、ということは、まだ納得できていないが、現実として目の前でふよふよ浮いている水晶球をみれば、少なくとも否定することは出来ない。
だが、なぜそれをわざわざ自分に教えるのか。
「一つは、君が娘を必死に捜していたからね。本当はもう少ししてから、天城さん――君のお父さんから伝えてもらおうと思ったのだが」
「ふぇ!? 父さん!?」
予想もしない名前に、美典は思わず素っ頓狂な声をあげた。
「ああ。君のお父上、天城達樹氏は、私達と繋がりがあった。残念ながら、人間に対して好意的な妖怪ばかりというわけではない。中には人間を害することを目的とする妖怪もいる。そういう存在に対しては、出来るだけ我々で対処する。だが、人間の協力者もまた、欠かせない。特に警察関係者はね。君のお父上は、妖怪の存在を知り、私達に協力してくれていた警察官だったんだ」
あの、のんびりした父が、実はそんな秘密を抱えていたなんて。
「そして――これが君に我々のことを教えた最大の理由。君は、おそらく我々の仲間だ」
「は?」
「いきなりこんな話を受け入れられないのは、分かる。だがこれは、君のお父上からも頼まれていた話でね。君が、妖怪ではないか、と」
「はぁ?」
何を言い出すのだろう、と美典は酷く混乱した。
「じゃあ、お父さんかお母さんが、あるいはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんが妖怪だったって、言うんですか?」
先ほどの話の通りなら、親や祖父母などが妖怪だったら、妖怪になる可能性があるらしいし。
「いや。君の両親も、いや、確認出来る範囲の君の親族に、妖怪はいないと思われる。だが、極めて稀なケースだが、遥か先祖に妖怪がいた場合に、その力が継承されることがある」
「そんな、私はただの人間です!! そんな力……」
美典はそこで言葉に詰まった。
普通の人間にはないと思われる、人の、いや、人や妖怪のオーラを見る力。
「思い当たるようだね。そう。君が持つオーラを視る力。それは、人間では非常に特殊な能力になるが、妖怪では、珍しいというほどの能力ではない」
「そんな……」
「ただ、君がどのような存在なのかは、私にも分からない。天城氏に聞いた限りでは、およそ七百年ほど前、天城家に翼を持つ娘が降り立った、という記述が、古い書物にあるらしい」
翼、といわれて、美典ははっとなった。
このところ、毎夜見るようになった、自分が光の翼を持ち、空を飛ぶ夢。
「思い当たることがあるようだね」
美典は答えない。
ここで肯定してしまっては、これまで自分が存在してきた世界全てが否定されてしまう。そんな気がしたのだ。
「あまり深刻に考えない方がいい。どうあっても天城さんが天城さんであることは変わらない。ただ、ここ数日娘をひたすら捜索しているようだったし、希佐奈さん……ああ、その水晶球の人だけど、彼女の占いでも、君の目覚めが近い、と出ていた。だからまあ、いずれにしても近々君に話すつもりだったんだ」
その言葉のおかげではないが、美典は大きく深呼吸して、頭を落ち着かせた。
彼らが妖怪である、というのはどうやら本当らしい。
そして、父は彼らのことを知っていたという。
ここまではいい。
ただ、自分が妖怪である、というのはどうも納得できるものではない。
確かに、自分の『オーラを視る』という能力は普通の人間では説明できないものかもしれない。
だが、特別な能力を持っている人間かもしれないし、それに自分自身、妖怪であるという自覚なんてない。
そこまで考えてから、美典はふとあることに思い至った。
あの異質なオーラは、妖怪のものだという。そして、水希の足や手に感じたオーラは、それと同じものだ。水希自身は間違いなく他の人と――つまり人間と同じだったにもかかわらず。
「あの……聞きたいことがあるんですが……その……」
「ああ失礼。私は
「あたしは
「僕は
「
「私はリージア・ロットよ」
「私は……っと、そろそろ人の姿になるわね」
とたん、水晶球の姿が歪み、次の瞬間には先ほどまで座っていた女性がそこに出現していた。服も元通りになっている。
「私は
「あ……どうも……あ、私は天城美典です」
混乱しながらも、美典は頭を下げ、会釈した。こういう礼儀作法は、子供の頃から徹底的に躾けられてきたので、もはや反復動作に近い。
「他にも何人かいるんだけどね、今はこれだけだ」
「……えと、久我山さん達が妖怪なのは分かりました。私が妖怪っていうのは、納得できませんが……それはいいんです。ただ、教えてください。人間が、一部分だけ妖怪になるなんてこと、ありますか?」
その言葉に、久我山達は顔を見合わせた。
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