第5話

 十二月二一日。

 今年も残すところあと十日。

 街はクリスマス一色に染まり、あちこちでクリスマスソングが流れていて、とても賑やかな雰囲気になっていた。


 そんな中でも、学校は普通にある。今年は二十二日が終業式で、すでに受験シーズンの三年生ともなると、形ばかりの授業があるだけで、午前中で終わってしまい、午後、各々塾や予備校、あるいは自宅での勉強に励むために足早に家に帰っていく。

 そうした受験のわずらわしさからは解放されている美典だったが、今日は、足早に教室を出て行こうとする一人の生徒をつかまえた。


「水希、ちょっといい?」


 普通に声をかけたつもりだったが、声をかけられた水希の方は、びく、と肩を震わせ、それから恐る恐る、という感じに振り返った。

 美典が持つ感情を『視る』力がなくとも、彼女が何かに怯えているのはすぐ分かる。


「どうしたの、今日。昨日からなんか様子おかしかったけど、今日は特にヘンよ?」

「大丈夫、なんでもないから。ちょっと受験勉強で、根を詰め過ぎてるだけ。後二ヶ月程度だもの。頑張らないとね」


 水希はウソが下手だ。自分も思い切り下手だが、水希も負けず劣らず下手である。ウソを吐くと、すぐ顔に出る。

 だがこの時、水希はウソを言ってはいない。なぜか美典はそう感じた。


 なんでもない、ということは、絶対にない。だが、少なくとも『彼女はその言い訳を自分で真実だと思っている』と感じるのだ。

 水希はそれだけ言うと、「じゃ、また明日」と言って歩き出す。

 その時、美典はあることに気がついた。


「水希、足どうしたの?」

「え?」


 水希は、わずかではあるが、両足を引きずるように歩いていたのだ。

 だが、彼女の足を視たとき、美典は目を見張った。

 彼女の足元にわずかに感じられる気配は、先日、街中で見たあの異様な雰囲気を持った少女のそれと、酷似していたのである。

 一瞬自失してしまい、それに言及しようとした時、すでに水希の姿がない。

 慌てて追いかけたが、タイミングが悪く、美典はバスで走り去る水希を見送ることしかできなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 リージア・ロットは一人、駅前の商店街を歩いていた。

 目的はクリスマス用の食材の買い込みである。

 長い黒髪と、透き通るような青い瞳、白い肌を持つ彼女は、道行く人の目をひきつけずにはいられない。実際今も、すれ違った大学生と思しき男性が、足を止めて振り返り、そして横にいた恋人と思われる女性に頬を抓られていた。


 その様を見て、リージアはくすりと笑う。

 ああいうのを見ると、ついお節介を焼きたくなるが、リージアは堪えた。


「お幸せに、ね」


 未来視の力などないが、長い経験から、あのカップルは幸せになれる、と感じた。

 リージアは、見た目は三十歳前くらいの女性だ。だが、その実年齢は、実にその二十倍以上に達する。

 正確な年齢は忘れて久しいが、ペストの大流行の頃には、すでに誕生から三百年を数えていたのは確かだ。


 彼女の正体は魔女だった。

 魔女そのものは古くからいたが、そのイメージは人それぞれで曖昧であり、確たる定義はなかった。キリスト教圏ではやや白眼視されてはいたものの、魔女というのは人々の中で色々なイメージをもたれていたのだ。


 ところが十五世紀ごろになって、教会の異端審問において、魔女は悪魔と交わり契約した者で、それにより特別な力を与えられて人や作物、家畜に害をなす、と云われてしまう。

 以後ごく最近まで、『魔女』は迫害の対象となっている。

 いわゆる『魔女狩り』だ。

 特に十五世紀から十七世紀にかけて、無実の罪で殺された『魔女』は多い。


 実は今でも『魔女』は西欧では忌み嫌われている。

 魔女は大半が女性とされているが、これは契約する悪魔が大抵男性格であることが理由だろう。男性の『魔女ウィッチ』がいなかったわけではない。


 ただ、実際に魔女狩りで殺された魔女は、ほとんどいない。皆無といってもいい。だが、その魔女を信じる人々の想いによって、多くの本当の『魔女』が誕生している。


 なお、リージアは、人々の『魔女』のイメージが固まる前に誕生した魔女である。もっとも、その力に大きな違いはない。

 ホウキに乗って空を飛び、特殊な薬を精製したり、不可視の力で物を持ち上げたりは出来る。

 また、わずかに人の運気を上向かせたり、逆に吉凶を視て、それを変化させる力もある。

 元々魔女というのは、古代の呪い師のイメージから来ているのだ。


 また、魔女というのは悪魔と契約したため、常に若く魅惑的な女性である、というイメージから、リージアもそれに縛られている。彼女に、本来の姿というものはない。今街を歩いている、この姿がそのまま本来の姿である。


 現在彼女は、『宿場町』のメンバーの一人で、また、レストラン『たべるなあるぴーな』の料理長でもある。レストランの食材はもちろん業者から購入しているのだが、時々足りなくなるものを、こうやって買いに来ているのだ。特にこの時期は、普段は売られていないような調味料などが売られている事もある。

 そうでなくても、なんとなくこういう祭りめいた雰囲気が、リージアは好きだった。

 なれた街であるのだが、それでもキョロキョロと見回してしまう。その時、ふと視界の端に知った影がよぎった。


「あら、リンちゃん?」


 リンちゃん、と呼ばれた久我山鈴は、リージアに気付いて手を振りながらこっちに走ってきた。


「お買い物?」

「うん、ちょっと。リージアさんは?」

「私もよ。もうすぐクリスマスだしね」

「うんっ、楽しみ♪」


 キリスト教の祝祭であるクリスマスを祝う吸血鬼。これほど奇妙なものもあまりないな、などと思ってしまう。

 その時、リージアは人込みの向こうに、もう一つ、知っている人物を見出した。


「あら、天城さんのお嬢さん……」


 その言葉に、鈴がヤバイ、と体を硬直させた。

 昨日の反応から考えても、鈴はおそらく見られたらすぐに、明らかに人と違う気を持っている事を気付かれるだろう。


「ここは帰りなさい、ね?」


 しかも彼女は、何かを探すようにキョロキョロとしている。それも、相当に何かに追い立てられるかのような感じがある。


「うん、じゃあ、またあとで」


 リンはそういうと、人込みに隠れるようにして消えていった。こういう時は、人込みに完全に埋没できる背は武器になる。

 リージアは一息つくと、美典の方へ歩き始めた。

 何をしているのかが、気になったのだ。


「あの……」


 それまでリージアに気付いていなかったらしい。いきなり声をかけられて、美典は驚いて目を見開いた。


「あ……えと……」

「すみません、突然。なにかをお探しのようでしたから……何か落とされましたか?」

 そんな事ではないのは分かっている。彼女は、明らかに人込みに目を配っていた。おそらく、誰かを探しているのだろう。


「えと、人を探しているんです。小さな女の子で、ショートカットの、十二歳くらいの子で、赤い帽子を……ああ、今日かぶってるとは限らないか……。えと、とにかく元気そうな女の子なんですけど」


 直感的に、リージアは美典が探しているのがリンである事を察した。

 昨日視た、明らかにこれまでとは異なるオーラが気になった、というだけではなさそうだ。それならば、昨日もっと必死に探しているだろう。


 本来であれば、リージアも普通の人間とはオーラが異なる。だが、リージアは長い人間社会での生活の中で、オーラを人間のそれとまったく同じにする事が出来るようになっているので、オーラを視る事が出来ると思われる美典にも、気付かれる事はない。


「その子がどうかなさったんですか?」


 そもそも、突然話しかけてきた相手に何をやっているかを話す時点で、彼女の焦燥ぶりが察せる。


「いえ、ちょっと……すみません、急ぎますので、これでっ」


 美典は挨拶もそこそこに、また駆け出していった。

 一体何が、というのは非常に気になったが、かといって理由が分からない以上、リンの事を教えるわけにもいかない。かなり気になりはしたが、リージアが決めかねているうちに、美典の姿は人込みの中に消えていた。

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