第3話


 クリスマスまで一週間を切ったこの時期、『クリスマスセール』という大看板を掲げて、今年最後の売り上げに励む人々が街には溢れている。

 それは無論、この街も例外ではない。


 その、あちこちの店の宣伝を横で聞きつつ、ふと美味しそうな香りを漂わせるたこ焼き店に足が止まったその青年は、わずかばかり逡巡した後、降参、とばかりにその店でたこ焼きを購入し、メインストリートから川の方へと抜ける道に入った。

 駅の西口を出て、すぐ川沿いに向かい、最初の橋を渡ったところに比較的新しい、低層のマンションがあり、その一階に、一見そうと分からないようなレストランがある。


 掲げてある看板には『たべるなあるぴーな』とある。かなりふざけているようだが、ポルトガル語でレストランを意味する言葉の一つらしい。もっとも出す料理は無国籍に近いが、それ以前に普通の客はまず来ることはない――ここはそういうレストランだった。


 レストランのオーナー兼店長は久我山くがやまかおるといって、四十歳前くらいの男性だ。一見、脱サラしてレストランを始めたお父さん、という雰囲気があるが、間違いとはいえない。そう『演じて』いるのは事実だ。

 その入り口の『本日休業』の札を無視して、青年はレストランに入る。


「ただいま~」


 彼の名は綱島つなしま和也かずや。れっきとした大学生である。容貌に特徴はない。強いて言えば、『特徴がないのが特徴』というような顔立ちである。


「お帰りなさい。カズくん。あら、美味しそうな匂いじゃない」


 彼を迎えたのは、三十過ぎ、という感じの女性だった。どこか神秘的な雰囲気も感じさせる。名を石神いしがみ希佐奈きさなといい、普段は横浜駅の地下で占い師をやっている。あたる、と評判で人気がある。

 特に失せ物探しに関しては非常に評判がいいが、これは仲間内からすれば『ズルだよなぁ』といわれてしまう。


「ええ。しかしホントに寒いですね、この時期。あれ。店長は?」

「上。リンちゃんが『彼女』と接触……というか気付かれかけたんだって」

「そこまで来ているのですか」

「みたいね。私の『占い』でも、目覚めは近いって出てる。ただ……」


 そこで希佐奈は、顔を曇らせた。


「何か分からない、割り込みみたいなものがあるの。それがなんなのかが、分からない」

「割り込み?」

「ええ」

「貴女でも分からないのですか」


 その言葉に、希佐奈は「はあ」と呆れたように溜息をついた。


「何度も言わせないで。私の力は、あくまで可能性を見る力。そりゃ、確定した結果を知る力なら間違いはないわ。でも、不確定な未来に対しては、私の力はあくまでありえるであろうビジョンだけを導くのよ」

「すみません、そうでしたね」


 和也はそう言うと、たこ焼きをもって階上に上がる。


 レストラン『たべるなあるぴーな』は、一階が客席とバー、二階が厨房や倉庫という作りになっている。そして三階から最上階の五階まではワンルームから2LDKまでの部屋があるマンションだが、その全てが『たべるなあるぴーな』の従業員または常連客の住居だった。無論それは偶然ではない。


「ただいま、店長」

「あ、たこ焼きっ」


 部屋にいたのは三人。一人がオーナー店長の久我山薫だ。


「はいはい。でも僕の分も残してよ」

「うんっ」


 ニコニコしながら、たこ焼きの入ったビニル袋を受け取ったのは、十二、三歳の少女だった。

 スパッツから見える健康的な素足は、冬ではかなり寒いと思われるのだが、少女は気にした様子はない。

 赤いパーカーと、同じく赤い――ひいきの野球チームの――帽子が、少女の快活さを表しているようにも思える。


「そういえばリンちゃん、見られたって?」


 ちょうど、一つ目のたこ焼きをほおばろうとしてた手を、リンちゃん、と呼ばれた少女は止めた。


「うん。多分、だけど。一瞬私の方を見て、びっくりした感じだった。多分だけど……オーラを視る力を持ってるんだと、思う」

「そうか……」


 リン、と呼ばれているが、戸籍上の名前は『久我山くがやまりん』という。

 彼女の本性は、吸血鬼である。といっても、生来の吸血鬼であり、また、そうでないともいえる極めて特殊な存在だ。

 彼女の父、久我山薫が、吸血鬼と人間のハーフで、リンはその父と、人間の母を持つ、いわば吸血鬼のクォーターである。


 もっとも、生まれた頃は普通の人間だと両親も思っていた。その彼女の力が目覚めたのは、皮肉にも世紀末のあの戦い以後だ。おそらく、何かしら影響を受けたのだろう。


 とはいえ、普通の妖怪と異なり、普通に成長するし、そもそも本性を表す、ということも彼女にはなく――父にはある――また、ハーフである父同様、吸血鬼の弱点とされるものがほとんどない。また、吸血衝動も皆無だ。

 強いて言えば、身体能力は夜の方が高い、というだけで、これはむしろ好都合だった。夜のリンの身体能力は、並の人間のそれを大きく上回るものだが、普段はそれをまず見られないですむのである。


 そして、人間でないリンは、妖怪の間で『オーラ』と呼ばれる、一種の生命エネルギーの輝きが、人と異なるのだ。普通は、妖怪といえどそれを『視る』力はない。だが、中にはそういう能力を持つ妖怪もいる。強力になると、対象の感情や健康状態まで『視る』ことが出来るらしい。


「幸い、すぐ離れたから、不審に思っても今の彼女には、そもそもその力に対する確信もないだろうからな。問題はないと思う」


 話したのは、三人目の、がっしりとした体格の男だ。

 ジーンズに厚手のTシャツ、ジャケットという出で立ちで、若く見えるが記録上は三十五歳、とある。もっともこの年齢にはまったく意味がない。


 彼の本来の年齢は、彼自身正確には覚えていない。二百はまだだったはず、というのが、先日リンに年齢を尋ねられた時の回答だった。

 波川霧雄という名前を持つこの男の正体は、人狼である。かつて、久我山薫の父、すなわち真性の吸血鬼に仕えていたが、その主は今はもういない。生きるのに飽きて今は眠り続けている。その時、波川も自由の身になったのだが、そのまま息子の薫についてきてしまったというわけだ。


 彫りが深くやや日本人離れした容姿ではあるが、黒髪黒瞳であるため、一応日本人として通らなくもない。

 また彼は、狼や犬に変身することが出来る。先ほど、天城美典が視て驚いた少女と一緒にいた子犬は、彼である。


「しかし天城さんも厄介なことを押し付けていかれる。まったく……」


 世紀末の戦い以後、妖怪の存在が静かにではあるが、人に知られるようになってきた。それは同時に、妖怪と人間の間にいざこざが起きる頻度が上昇する事も意味する。

 先の警察署長である天城達樹は、世紀末よりも以前から、妖怪の存在を知り、互いに情報を交換していた、いわば人間の協力者の一人だ。

 彼が、昇進もせず、そして後年は警察組織に嫌気がさしていたにも関わらず、警察署の署長などに留まっていたのも、そのためである。


 幸い、彼の部下の一人が、『彼ら』の協力者として今も残ってくれている。というより、彼に押し付けて念願の退職を果たしたというところだろう。


 彼ら――すなわち妖怪ネットワーク。この地域周辺の妖怪たちが属するネットワーク『宿場町』の拠点。それがこの『たべるなあるぴーな』なのである。


 その天城達樹が残したもう一つの土産が、娘の美典だった。


 美典が妖怪かもしれない。

 最初に相談を持ちかけられたのは、一年ほど前だ。

 美典の、並外れて鋭い感覚と、人の感情をも察する能力。いわば、オーラを視る能力。それは、人間であれば超能力といった極めて稀な能力の持ち主となるが、妖怪であればさして珍しい能力ではない。

 だが彼女は、間違いなく人間の両親から生まれた存在だ。


 ただしどこにでも例外はある。

 鶴の恩返し等に代表される、人と動物(正しくは動物妖怪)のふれあい。それらは悲恋で終わっているが、無事結ばれた礼が数多ある事は、想像に難くない。

 そしてその能力が、数世代を経て突然目覚める事がある。

 生まれ変わり。

 極めて稀なこのケースは、そう呼ばれる。


 そして、天城家の記録によると、天応二年(一三二〇年)、当時美濃の国司に仕えていた天城家に、翼を持つ娘が降り立った、という記述があるらしい。

 いかんせん七百年近くも昔の記録で、正確性にはほとほと乏しいが、妖怪の歴史というのは古い。そして、翼を持つ妖怪など、非常にたくさんの種類がある。

 そのうちの一人が、人間と結ばれていたとしても、ありえないと断じる事は出来ない。


 特に、彼女の能力はここ数年で強くなり始めているという。

 そして同時に、希佐奈がある可能性を占いから導いた。

 人の中から、新たなる存在が目覚める、というのである。

 そしてそれは、天城美典個人を占っても、同じ結果になった。


 達樹が引っ越す前、美典に確認したところ、そういうものが『視える』ようになったのは、中学生になった頃だという。

 時間的には、あの世紀末の戦いの時期に一致する。

 あの戦いの影響は、それこそ世界中に広がっている。リンも影響を受けた一人だ。そして、生まれ変わりとして眠っていた力が影響を受けたという可能性は十分にある。


 無論彼女にとっては、そんな力など目覚めずに一生を終える方がいいかもしれない。

 だが、もし何かの拍子で目覚めてしまったら。彼女が混乱するのは想像に難くない。その時のためにフォローする。


「新しい仲間が誕生する時よりは楽だしね」


 今も、人間の『想い』によって、妖怪は生まれ続けている。

 妖怪は、人間の『こういう存在がいるのではないか』という『想い』や『想像』から生まれる。

 そして、生まれた妖怪は、最初、人間の『そうあるべき』という行動を繰り返す。吸血鬼であれば、人を襲い、処女の血を好む。そして、そしてその弱点もまた、人間が想うとおりになる。十字架に弱く、光に弱い。流れる水の中では身動きをとれない――吸血鬼のそういうイメージに、そのまま縛られてしまうのだ。


 だが、一度誕生した妖怪もまた、命ではある。そして命は成長するものだ。

 ゆえに、妖怪は、やがて自我を獲得する。そしてその時になって、世界を認識する。

 無論中には、その生まれた時の本能のままの妖怪もいる。だが、そういった妖怪は大概人に迷惑をかける――あるいは害する存在であることが大きい。彼らを説得し、世界の理を教えて、そしていたずらに人間を害さないようにする。

 それが出来ない場合は、その妖怪を滅する。それが、現代を生きる妖怪たちの自己防衛手段にもなっている。


 ただ今回の天城美典の場合は、目覚めたとしても元が人間である。生まれ変わりのケースはそれほど多くないので分からないが、生まれ変わると同時にその妖怪の本性に支配されるケースはほとんどない。

 むしろ懸念は、変わってしまった自分を受け入れられずに、自傷してしまうケースだ。


 ただ、ないわけではない――古い悪魔などには意図的に生まれ変わりをさせるといわれる個体もいる――ので、それも気をつけなければならない。


「ま、大事にならないと思うけどね」


 希佐奈はそういって、紅茶のカップを口元に運んだ。

 だが後に、彼女はこの自分の言葉は、これまでで最大の『はずれ占い』であった事を、思い知らされる事になる。

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