第2話

 最寄り駅のホームに降り立ったのは、午後六時過ぎ。思ったより遅くなってしまった。

 帰りに体育館の下にある道場を覗いたのが失敗だった。


 三年生は、基本的に夏休みで部活動は引退する。文科系でも、九月にある文化祭までだ。それは美典も例外ではなかったのだが、すでに受験という関門を終えてしまった美典は、実は結構時間を持て余す身分である。

 なので、ちょっと覗きにいったのだが、そこで捕まってしまったのだ。


 美典が所属していたのは空手部である。

 昨今の健康ブームと格闘ブームで、それなりに流行ってはいるが、それでも公立高校には空手部はあまりあるものではない。この空手部は、美典が入学する一年前に同好会として発足したものである。

 美典は、父の影響で空手を子供の頃からやっていた。父の母、つまり祖母の実家が空手道場で、父も昔そこで空手をやっていたという。その延長で空手部がある、と聞いて入ったのだが、その時に部員が激増した。


 原因は他でもない、美典本人である。

 あまり自覚はないが、美典は十人中、男性ならほぼ全員、女性でも七、八人は一瞬振り返って確認するほど整った容貌の持ち主なのだ。

 その甲斐あってか、美典が三年の夏の大会では、団体で県大会の準決勝まで進むことが出来た。


 ちなみに、美典は大会には出ていない。父の言いつけで――正しくは道場の流派の方針で――大会等に出ることは許されなかったのだ。もっとも、美典自身もそういうものには興味はなかったが、部員達はそれを悔しがった。

 美典の実力は、空手部内でも抜きん出ていて、誰も相手にならないほどに強かったのである。

 準決勝は決定戦で敗れたのだが、その時敗れた男子生徒は「天城先輩のが絶対強かったですよ」と断言した。ちなみにその相手の生徒は、個人で全国三位の成績を修めている。


 そういうわけで、今も空手部の後輩からは、美典は人気はある。というか、空手部以外にも、下級生の女子を中心にファンクラブまで存在する。

 ちなみに空手部の女子部員はほぼ全員がその会員という噂だ。これを知った時はさすがに辟易した。


 ただ、その美貌と、それなりに優秀な成績、空手部で並ぶ者なき強さゆえに、どちらかというと『高嶺の花』というイメージが強いらしい。残念ながら、男子生徒とお付き合いすることはまったくなかった。

 友達は大勢いるが、本当に親しいとなると、水希くらいである。ただ、親友、と呼べる友人がいることは、とてもいいことだ、と本人は思っている。


 最寄駅は、西口と東口で、様相が大きく異なる。西口は、よく言えば古き良き、悪く言えば雑然として整備されていない昔ながらの商店街が並び、東口は九十年代にはいってから急速に整備された都市区画らしい。以前は何もなかったという。

 西口の整備計画は数十年前、それこそ美典が生まれる前からあるらしいが、遅々として進む様子はない。ただ、最近になってようやく具体的なスケジュールが引かれたようで、五年後くらいには一変してる見込みらしい。


 美典の家は西口を出て、川を渡ったその川沿いにあるマンションで、春になると家からお花見が出来る――つまりお酒を飲んでいても咎められない――という絶好の位置にある。

 四階、という適度な高さも魅力で、夏には花火も家から楽しめる。


 元は老朽化したいわゆる『団地』と呼ばれる集合住宅だったらしのだが、これをどこだったのかの企業が全部買い取り、きれいなマンションを建てた。

 それまで住んでいたマンションを売って引っ越してきたのが三年前。その頃は、まだ父は辞めるつもりはなかったということだろう。

 ただ、川を渡ってしまうと、見事に店がない。よって、いつも川を渡る前に買い物をして帰るのが日課だった。


 もうすぐクリスマスとあって、街の装飾には赤や白、緑といった色の飾り付けが目立つ。ケーキ屋の、クリスマスケーキの予約締め切りが迫ってる、と店頭で宣伝するバイトの女性の声がふと耳に止まった。

 今年は一人だからどうしようか、と思ってそちらを見たとき、ふと美典は気になるものを


「……あれ、あの人……?」


 最近、こういうことがある。

 視える、というのが一番適切な言い方だと思うのだが、人の感情とかが、ぼんやり分かる気がするのだ。それも、視覚から。なので、視える、というしかない。また、体調が悪い人なども分かることがある。

 今、笑顔でケーキ屋の宣伝をしている女性の、その心は、まさに悲しみ一色、という感じだった。いやなことでもあったんだろうか。


 かといって、何が出来るわけでもない。少しだけ心が痛んだが、その時ふと、ホームルーム前に視た水希のことを思い出した。これほど明確ではなかったが、彼女は、何か悩みを抱えているようにも視えたのだ。


「う~ん」


 彼女は、悩みがあればすぐに言うタイプである。だが、本当に深刻な場合は、それをおくびにも出さずに溜め込むタイプであることも、美典は知っていた。

 あるいは何か、深刻な悩みがあるのかもしれない。あの時は確信がなくて、先生が来たことでそれ以上追求しなかったが、気になりだすと止まらない。


「……いっか。明日聞いてみよ……!?」


 それは一瞬、本当に一瞬だけ視えた。

 これまで、一度も視たことがない雰囲気、というべきか。明らかに他の人と異なるそれは、だが一瞬で人込みの中に消えて、見えなくなってしまった。

 あまりのことで、その雰囲気の主の姿もまったく見ていない。


「今の……何?」


 だが、その彼女の問いに答える者は、もちろんここにはいなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 細い路地を、人込みを避けるように駆け抜けた少女は、背後に誰もいないことを確認して、ようやく足を止めた。


「ふぅ……危ない危ない……」

「気をつけろ。一瞬だが気付いた様子だった」


 その場にいる人影は一つ。

 十二、三歳程度のその少女は、どこにでもいる普通の女の子に見える。

 あとは、その手に抱きかかえられた、小型犬がいるだけだ。

 だが声は、男の声とその少女の、二つ。


「ごめんごめん。つい、ね。でも、『オーラを見る』能力はあるみたいね」

「そのようだ」


 その声は、その小型犬から発せられている。だが少女に、驚いた様子はない。


「どんな人なのかな?」


 好奇心に溢れた声が、犬に投げかけられる。


「分からぬ」


 それに対しては、それ以上の返答はなかった。





 ――に対する裏切りには――断罪を――死を――

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