16・本当にあったこと
1
美術室を出て築垣が向かったのは、音楽室前の階段だった。
一時間目が始まる前、俺が転落した階段を、下から見上げている。
ここへ来たということは、築垣はすべてを見通しているのだろう。
水沢先輩の奥に
築垣にそう言われたときに覚悟は決めていたが、いよいよその覚悟が試されるときがきたようだ。
「なんでここへ来たんだよ」
真剣な
詩織の態度も変わり果てていた。築垣と
そんな詩織の背中に、隣に並んでいる忍川が手を当てていた。
「今朝、ここで何があったのかはご存知ですね」
築垣は一同を見渡す。
「水沢先輩が階段から突き落とされました。犯人とされたのは、林田先輩です」
それがなんだよ、と林田は
「一度は犯人とされた林田先輩ですが、その冤罪は晴れました。そのとき、美術室にいたことが証明されたからです。しかしその証明によって、絵画八つ裂き事件の犯人となってしまったわけです。が――」
築垣は人差し指を立てる。
「その絵画八つ裂き事件の犯人もまた、林田先輩ではなかったことが判明しました。それによってふたたび、林田先輩は突き落とし事件の犯人である可能性が出てきてしまいました」
待てよ、と林田が止めた。
「本当に俺は水沢を突き落としたりなんかしてねえんだよ」
本当だよ信じてくれよ、と林田は訴える。
築垣は人差し指を立てた手を降ろして、分かっていますよと冷静に答えた
「しかし水沢先輩がここから落ちたとき、林田先輩もまた、ここにいたことは間違いないのではないでしょうか。事実、大貫先輩はここから美術室へ向かって走る林田先輩を目撃しているわけですし」
「ちょっと待て」
俺は止めた。
「大貫の証言は築垣、自信が否定したじゃないか」
大貫が林田を目撃したとき、林田の他にも大勢の人がいた。さらに、普段は眼鏡をかけている大貫がその時ばかりは眼鏡をかけていなかったことを指摘して、築垣は大貫の証言に信憑性がないことを指摘したのだ。
そう言うと築垣は、
「あの時はあくまで突き落とし事件に関する冤罪を晴らしてほしいという依頼でした。だから不利になる証言を否定しなければいけなかったんです」
と答えた。
「はあ?」
築垣は言い訳のつもりなのか、さらにしゃあしゃあと言った。
「でも今は、大貫先輩の証言を信じたほうが便利なので採用しています」
「結構
ぼそりと、林田が言った。真面目
「続けます」
築垣は力づくで話を続行した。
「水沢先輩と林田先輩は、おそらく一緒に、この階段の上にいたのでしょう。しかしさっきも言った通り、林田先輩は水沢先輩を突き落としたわけではありません。が――」
突き落としたと思い込んでしまったのではないですか、と築垣は林田に向き合った。
「思い込んだ?」
林田は眉を歪めて怪訝そうな表情をつくる。
「ええ、そうです。自分が突き落としたと思い込んでしまった林田先輩は焦ったはずです。しかしそこに、思わぬ助けが来ました」
詩織先輩です、と築垣は体の向きを変える。
「詩織先輩もその現場を見たのでしょう。そして林田先輩と同じく、犯人は林田先輩だと思い込んでしまった。が、それは詩織先輩にとって好都合でした。なぜなら、そのときの詩織先輩は、絵画八つ裂き事件の罪を着せるための犠牲者を探していたからです。詩織先輩としては、犠牲者が誰であろうと構わなかった。でも、朝の忙しい時間帯です。相手にしてくれる人は少なかったのでしょう。しかし林田先輩は違った。おそらく詩織先輩は、林田先輩から想いを寄せられていることを知っていた。そのうえで林田先輩を美術室に誘ったのです。どんな言葉を使ったかは知りませんが少なくともこう言ったはずです」
アリバイをつくってあげるから美術室に来て――。
「林田先輩としては二重に嬉しかったはずです。思いを寄せていた相手から誘いを受けて、しかも自分が起こしてしまったと思い込んでいる事件をなかったことにできるのですから」
「やっぱり貴様」
林田の顔が、ふたたび赤く染まる。目が釣り上がる。その目で詩織を射る。が――。
「しかし林田先輩もまた、詩織先輩の誘いを利用したのです」
築垣のその言葉で、林田の視線の向きが変わった。詩織から築垣へ。
「どういうことだ」
林田は築垣に詰め寄る。築垣は一歩も後退せずに答えた。
「さっきも言ったとおりです。林田先輩は水沢先輩を突き落としたわけじゃない。でも、突き落としたと思い込んでしまっていた。だから詩織先輩の誘いに乗った。では――」
なぜ思い込んでしまったのでしょうか、と築垣は問いかける。
「なぜって――」
今にも築垣に殴りかからんばかりだった林田の勢いが、削がれた。築垣に対して体を横に向ける。
これは完全に僕の推測ですが、と築垣は語る。
「実際には突き落としていないものの、突き落とすつもりはあったのではないですか」
「なんでそんなことを」
「理由はおそらくサッカー部のレギュラーの交代でしょう。今まではずっとレギュラーだったのに、今回ははじめて水沢先輩にその座を奪われてしまったという話は聞いています」
「そうなのか」
俺は思わず声をあげていた。もどかしく松葉杖に頼りながらも、なんとか三歩ほどで林田の脇に近づくことができた。
「おまえ、俺に恨みはないって言ってたじゃないか」
「すまん」
林田は顔を背ける。
「恨んでたんだな」
俺は溜息と共にそう呟いた。図書室へ続く螺旋階段の下で、あれほど俺を祝ってくれていたというのに、
「
思わずそう
――上っ面ばっかりよく見せやがって。
期待していたわけでもないのに、なぜか落胆した。何に期待していたのかも、実はわからないのだけど。
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