「はあ? 二時間目の後の休み時間に、林田は話してたでしょ。尾花さんと瀧本さんの会話のすべてを」

 私は覚えてるよと言って、詩織はその内容を復唱した。

「はじめに――たぶん瀧本さんの方だったと思うけど――忍川にプレゼントを用意してきたと言って、もう一人――尾花さんだっけ――が、だったら渡せばいいって言ったんだよ。その後でプレゼントの内容が犬の彫刻だって話があって、それからさらに、それは趣味の押しつけになるとか、それでもほかに用意しているものはないとか――そういう話になって四分五十六秒が過ぎたんだよ」

 俺もそう記憶していた。

 そうなのでしょうと築垣も同調する。

「もちろん聞いた話だし、話していた本人たちだって、議事録を取ってるわけでもないでしょうから一言一句にいたるまで正確な会話を再現できているとは思えません。だからおおむね正しいと言えるくらいのものでしょう。ですが」

 築垣はやや声を張った。

「林田先輩の証言した会話の内容には、重大な欠落があります」

「欠落?」

「そう。それは会話のはじめの部分です。正確に覚えていないことは仕方がないとして――」

 裸出歯鼠はだかでばねずみという単語は忘れないでしょう、と築垣は言った。

「ハダカデ――あ」

 詩織が片手で口を覆って、すぐに降ろした。悔しげに片目を薄める。

 気づいたようですねと築垣は言った。ゆったりと詩織に向けて歩みながら、築垣は語る。

「プレゼントの話の内容については、実際に瀧本さんと尾花さんに証言してもらいました。そのとき尾花さんはこう言っていました。――と」

 詩織は拳を握りしめている。指先が色を失っているところから、相当きつく握りしめていることがわかる。

「いくら正確に覚えていないからと言っても、裸出歯鼠は忘れないでしょう。ですが林田先輩に証言を求めたときは、その言葉は言いませんでした。これは聞いていなかったからではないでしょうか」

 築垣は詩織の近くで足を止めた。

「それでも本当に忘れていたのかもしれない」

 抗弁した詩織の声は、とても弱々しいものだった。そうですねと築垣は一応の同意を見せた。

「どんなに印象的な言葉でも、必ず覚えてるとは限らないし、証言を求められたときに咄嗟には出てこないこともあるでしょう。ですから僕も、林田先輩が話のすべてを聞いていなかった決定的な証拠として扱う気はありません。ですが、聞いていなかった可能性は高くなります」

 なのでえずはその前提で話を進めます、と築垣は続ける。

「もし聞いていないのであれば、それはなぜか。尾花さんと瀧本さんが、休み時間が始まる前からその話をしていたからではないでしょうか」

「朝の会の最中にもってこと?」

「そうです。席が近ければ小声で話すことはできるし、それが無理でも紙に書いてやり取りすることはできるので、不可能ではありません」

「それはそうだけど、二人は誰にもその話を聞かれたくなかったって言ってたよね。それを知っていたからこそ、林田が美術室にいたことの証明になったわけだし」

「ええ。ですから聞かれたくない範囲について、尾花さんたちと僕たちの間でずれがあったと考えるべきなのでしょう。僕たちはその話のを聞かれたくないのだと思い込んでいた。一方尾花さんと瀧本さんは、プレゼントを持ってきていて、その内容が犬の彫刻だ、という範囲だけを聞かれくないと思っていた。実際、裸出歯鼠と迷った、と聞いただけでは、第三者には何のこと変わりませんからね」

 そうなのだろう。当の尾花も、いきなりそう言われて吃驚びっくりしたと言っていたのだし。

「朝の会の最中から話を続けて、聞かれたくないくだりの部分だけを廊下で話した――そう考えれば、林田先輩が話のすべてを聞いていなかったことにもうなずけます」

「推測に過ぎない」

 忍川が横槍を入れた。築垣が首をひねって忍川を見る。

「それはわかっています。ですが今はその推測を聴いてください」

 ぴしゃりと跳ね除けるように、築垣はそう言った。忍川は息を呑むようにして黙った。

 築垣は捻った首に合わせるように体の向きを変えて言葉を継ぐ。

「推測どおりだとすると、美術室で話を聞いていた時間は四分五十六秒よりももっと短かったということになります。そうすると、さっきの詩織先輩の疑問も晴れてきます」

「疑問?」

「そうです。尾花さんたちの話をすべて聞いていたなら――つまり四分五十六秒も美術室にいたなら――聞いていた誰かだれかが橋本さんと鉢合わせてしまう、というものです」

ああ、と詩織は息を漏らした。

「五分あれば、橋本さんは美術室に入って誰にも会わずにペンキを塗り終えて出ていくことができるのです。そしてその五分は、四分五十六秒という時間が縮まれば生まれるのです」

 よくわかんねんだけどさあ、と林田が間延びした声を出した。

「そのさっきから言ってるって誰のことなんだ」

 これから話そうと思っていたところですよ、と築垣はやや口許を緩める。それから、

「そのの正体こそ――」

 ゆるゆると腕をあげ、人差し指を正面にいた人物に向け、

「忍川先輩です」

 と言った。

「何を言うかと思えば」

 忍川は鼻であざけった。が、その頬のあたりがっていた。

 築垣は言葉を重ねた。

「忍川先輩が魔の夜を切り裂くところを目撃した詩織先輩は、咄嗟に作戦を考えて、それを忍川先輩にも伝えたのです。忍川先輩はほぼ即決でそれに応じた筈です。考えている余裕などありませんからね」

 そして、と築垣はさらに畳み掛ける。

「詩織先輩は作戦の犠牲者――林田先輩を探すために美術室を出ました。その間に、忍川先輩は魔の夜のつくったのです。創りながら――聞いたのでしょう」

 犬の彫刻の話を、と築垣は言った。

「ダミーはそう手間を掛けることなく完成したはずです。完成したダミーを忍川先輩は、本物の魔の夜が掛かっていた場所に掛けておいた。そして美術室を出て、『どん詰まり』に隠れたのです」

 林田先輩を目撃するために、と築垣は声を低めた。

「ここで、美術室が無人になります。この瞬間に、橋本さんが美術室を訪れたのでしょう」

 それを知ることができなかったことが詩織先輩と忍川先輩の不幸なところです、と築垣はあわれむように目を伏せた。

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