勿体もったいぶらないで、早く済ませてよ」

「最短距離で話しているつもりです。もう少しお付き合いください」

 築垣は冷ややかにそう言って、また歩み始めた。全員の間を巡りながら語る。

「詩織先輩が考えた策はこうです。まずは切り裂かられた魔の夜を隠し、それから林田先輩を美術室に誘う。そして林田先輩に目をつむらせてから、その隙に隠しておいた魔の夜を破片をばら撒き、自分だけがこっそりと美術室を出る。ここで林田先輩は美術室に一人きりになります」

 破かれた絵の断片が散らかっている美術室に――と築垣は強調した。

「目を瞑っているようにと言われた林田先輩は、しばらくそれに従っていましたが、いつまでもそうしているわけにはいきません。実際に林田先輩は、独断で目を開けて美術室を出ています。そして出たところを、あらかじめ『どん詰まり』で待ち伏せしていた忍川先輩に目撃させる――そういう作戦だったのではないでしょうか」

 築垣は忍川の前を過ぎ、林田の正面を通って俺の目の前を横切り、ふたたび詩織の正面で足を止めた。

 詩織は答えない。いや、答えられないのだ。横を向いたまま片足をあげ、その爪先で退屈そうに床をとんとんと叩いている。

「でもよう、俺が美術室を出たときには破かれた絵なんて散らばってなかったぜ」

 天井を見上げつつ、林田が疑問を挟んだ。そうでしょうねと築垣はそれに応じる。

「なぜなら、詩織先輩の作戦は、思わぬ人物と失敗に邪魔されたからです。林田先輩が絵の断片を見なかったのは、作戦がうまくいかなかったからです」

 築垣は人差し指を立て、今度は詩織の正面だけを左右に行き来しながら語った。

「もっとも大きな誤算は、橋本さんの侵入でしょう」

 詩織の爪先が止まった。

「猿渡先生に椅子のペンキの塗替えを頼まれていた橋本さんは、その十分間に美術室を訪れています。そして実際にペンキを塗って去っています。美術室にいた時間は、約五分です。その間、美術室には誰もいなかったと橋本さんは言っています」

 そんなはずはないと忍川が割り込んだ。

「疑惑の十分間、前半の五分は美術室では詩織と林田は共に過ごして、後半の五分間は林田がひとりで過ごしたことになっていたんじゃないのかい。橋本さんがペンキの塗替えに来てから去るまでの無人の五分間が入る余地がないじゃないか」

「そこが――」

 築垣は忍川の方を振り向き、大股で歩み寄る。

「――さっき言ったとおり、僕が事実を繋ぎ合わせることで隠した部分です」

 心なしか、忍川の顔が強張こわばったように見えた。余裕ありげに歪んでいた口許が、引き締まっている。

「橋本さんが美術室に入ったのは、休み時間の始めでも終わりでもなく、中間の五分間のことでした。もちろん具体的に、何分から何分までというところまでは特定できません。ですが、少なくとも休み時間の開始と終了の瞬間には接して時間帯だったと考えられます。なぜなら、はじめには忍川先輩と詩織先輩が、終わりには詩織先輩と林田先輩がいたからです。もし橋本さんが美術室に来たのが、始めと終わりのどちらかの時間に接する時間帯だったのなら、誰にも会っていないですからね」

「しかしきみは、事実を繋ぎ合わせたんだろう? 始めと終わりに誰かがいた、という前提だって怪しくなるっていうものじゃないのかい?」

「そうですが、その前提は事実です。それについては追い追い説明していきます」

 追い追いねえ、と忍川は不満げに言う。

「じゃあそうだという前提で――だとすると、どうなるっていうんだい」

 忍川はふたたび口元を歪める。いや、歪めた形で固まっているのか。あくまで余裕を見せつけたいのかもしれない。

「間に空白の五分があったとすると美術室であったことが大きく異なってきます」

 まずは犬の彫刻に関わることです、と築垣は言った。

 林田はびくりと震えて固まった。隣には忍川が座っている。築垣は忍川の前から大股一歩で、林田の前へ移動した。

「林田先輩が犬の彫刻の話を聞いたのは、休み時間の後半五分とのことでした。そして二人が話していたのは――」

「四分五十六秒だ」

 俺は思わず叫んでいた。時計で計るのが癖になっていたのだと尾花が言っていたのが、妙に印象に残っている。

 築垣は一瞬だけ俺の方へ目をくれて、その通りです水沢先輩と言った。

「でも、もし休み時間の後半五分に、林田先輩がその話を聞いていたのだとすれば、橋本さんと鉢合わせているはずです。前半五分でも同じことです。では、林田先輩はいつ、この話内容を聞いたのでしょう。いや――」

 どうやってのでしょうかと築垣は言い直した。

「また、尾花さんと瀧本さんは、いつからいつまで、この話をしていたのでしょう。少なくとも――休み時間の後半以降ということはありえません」

 築垣は断言した。

「なんでそんなことが言い切れるんだい」

 忍川が切り込んだ。口許はまだ、歪んだ形のまま固まっている。

「尾花さんと瀧本さんが話していました。プレゼントを渡すべきか否かひと通り話したあと、実際に渡すことになったのだと。ところが、渡そうとしたときには、すでに忍川先輩は猿渡先生に職員室へ連行されるところだったというじゃないですか」

 瀧本さんは悲しんでいましたよと築垣は息をく。

「もう休み時間も終わりだったし、何より猿渡先生は怖いから呼び止めることもできなかったと」

 話を戻しましょうと築垣は言った。

「もし休み時間の後半以降にその話をしていたなら、残りの休み時間は多くても四秒しかないんです。尾花さんは忍川先輩を呼び止めて、それから瀧本さんをほぼ無理矢理に引っ張ってきてプレゼントを渡させようとしていました。そしてそのあとに瀧本さんは、猿渡先生に連行される忍川先輩を見たんです」

 たった四秒に収まる展開ではありませんと築垣は言った。

「だから、休み時間の後半以降ではありえないんです」

「筋は通っているみたいだね」

 忍川は憎々しげに鼻から息を抜いた。

「この会話が交わされたのは休み時間の前半までということになります。他の人には聴かれたくない話だと言っていたし、何より他でその話はしていないということでした。なのにそれを知っているはいた。そのがいたのは、あの廊下側ではありません」

 築垣は、中庭の向こうに見える廊下を指差す。

「あの廊下は使い道がないのでほとんど人が来ませんし、何より人の気配があったら、二人は話を中断していたでしょう。中庭にいても同じことです。あの廊下から見えず、かつひそひそ話程度の声が聞こえる場所といえば、美術室ここくらいのものです。話を聞いていた美術室ここにいた。だから二人は聴かれていることも知らずに話していたのです。実際に、他で話していないはずの話がこうして漏れているのが、その証拠です」

 瀧本さんと尾花さんは休み時間の前半に差し掛かる時間帯に廊下あっちで内緒話をしていたのです――と築垣は改めて主張した。

「でも、待ってよ」

 次に割り込んだのは詩織だった。

「だとしても、可怪おかしいでしょ。二人がその話を休み時間の前半あたりに話していたとしても、だよ。四分五十六秒もの話のすべてをここ――美術室――で聞いていたとしたら、やっぱり橋本さんと鉢合わせちゃうじゃん」

 そうなのです、と築垣は体の正面を詩織に向ける。

「林田先輩はその話のすべてを聞いていたことで、美術室にいたと証明しました。ですが、本当はそうではない。おそらく、話のごく最初の方は聞いていないのでしょう」

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