15・ケルベロスの隙

 最後に入ってきたのは築垣だった。

 美術室にはすでに、築垣によって指名された全員が集まっている。

「呼び出しといて遅れてくるって、どういうつもり?」

 美術室の棚に背中を預けて腕組みをしていた詩織が、むっすりとした顔で不満をぶつけた。

「待ちくたびれたぜ」

 美術室の真ん中あたりの席に座っていた林田は、机の上にうつ伏せになるようにして溜息を漏らした。

「きみが噂の探偵さんだね」

 そう言ったのは、林田の隣で背中を丸めて座っている――忍川だった。背は高いが痩せていて、癖っ毛が片目を覆うほどに伸びている。陰鬱いんうつで、喋り方もぼそぼそとしている彼こそが、猿渡に最も評価されている美術部員だ。

 俺はと言えば、出入り口付近の椅子に腰掛けていた。

 お待たせしてしまってすみませんでしたと築垣が言った。

「最後に少し、考えをまとめていたものですから」

「言い訳はいいから、早く終わらせてちょうだい。私だって美術部の活動をしたいんだから」

 詩織が右足をあげて左足にからませた。そうしましょうと築垣は言った。

「今日だけでふたつの事件が発生しました。水沢先輩の階段突き落とし事件と、猿渡先生の絵画八つ裂き事件です。私は、この二つの事件の真相を聴いてもらうために皆さんに来てもらったのです」

 そんなことはわかっているよと忍川が気障きざな声で言った。

「犯人は誰なんだい」

 築垣は顎に指を添えて、考え込んでしまったのかしばらく黙ってから、


「ケルベロスですね」


 と言った。

「はあ?」

 全員の疑問符が重なった。

 おいおいどういうことだいと忍川が半笑いを浮かべる。

「ケルベロスってのはたしか、地獄の番犬の名前だろう。首が三つあるんだっけ」

「まさにそれです。ちなみにケルベロスの頭は、三つのうち二つは交代で眠り、ひとつは常に起きていて見張りの役割を果たしていると言われています。しかしその見張り役の頭が優秀すぎたのでしょう。それに頼りきった残りの二つの頭はすべてを見通すことが出来ず、結果的に――」

 をつくってしまったようです、と築垣は言った。

 能書のうがきはいいよと忍川が止めた。

「事件の真相を語りに来たんだろ。だったら早く話すがいいさ」

「わかりました」

と築垣は頷き、そして言った。


「絵画八つ裂き事件の犯人は、忍川先輩――あなたです」


 人差し指を、まっすぐに忍川へ向ける。

 ふふふ、と忍川はくぐもった声で笑った。

「絵画が破られたのは、聞いたところによれば朝の会が終わる八時二十五分から一時間目が始まる八時三十五分の十分の間――とでも呼ぼうか――その間のことだったんだろ?」

「ええ、そうです」

「その時間は、詩織と林田がずっと美術室にいたって聞いてるよ。いや、正確には前半の五分は二人で、後半の五分は林田ひとりでいたのだったかな」

 よくご存知でと築垣が言うと、聞いた話を反復したまでさと忍川は答えた。

「それは一年生の――尾花さんと瀧本さんだったか――その二人の内緒話やら詩織の証言やら、何より林田本人の自白やら、さまざまな証拠によって証明されていると聞いたよ。それならその時間帯に僕が入り込む余裕なんてないじゃないか。僕による犯行は無理だ。きみ自身がそう証明したんじゃないのかい」

「そのときは、あくまで水沢先輩の『突き落とし事件』の冤罪を着せられてしまった林田先輩を救ってほしいという依頼に応えたまでのことです。探偵としては、依頼主の意に反することはしないと心がけていたものですから、そのときは突き落とし事件以外のことは触れることができなかったのです」

 ほう、と忍川は腕組みをして顎をあげる。前髪の下から、うつろな目で築垣を見あげる。見下ろす築垣の目とかち合う。

「つまりきみが証明した、疑惑の十分間の出来事は、でっち上げだったってことかい」

「いいえ、あのときに証明したことの半分は事実です。ただし、事実の繋ぎ方を少しばかり変えました」

「繋ぎ方を変えたとはどういう意味だい?」

「そのまんまの意味ですよ。事実をいくつかに切り分けて、その断片を都合よく繋ぎ合わせて、要らない断片は捨てたのです」

「聞き捨てならないな」

「しかし僕の依頼人は――」

 築垣は俺に手を差し伸べ、勇気のある方でしたと言った。

「友人のためならと、ぎだらけの断片を、捨てたものと合わせて正確に語ることを僕に許してくれたのです。自らの奥に潜むが暴露されてしまうことと引き換えに。そうですね」

 築垣は俺に目を向ける。

 すでに決断したことだが、あらためて問いかけられるとやはり心が揺れる。でも、ここまで来てやっぱり厭だとは言えない。

 俺は黙って頷いた。

「それじゃあ、その繋ぎ方を変えた事実とかいうのを、正確に話してもらおうか」

 それで僕が犯人だということにはなりそうもないけどねと忍川は言って、余裕ありげに口許を歪めた。

「語りましょう」

 立っている築垣は、座っている忍川の前へずい、と距離を詰めた。

「朝の会から一時間目までの十分の休み時間――忍川先輩の言葉を借りるなら――そのはじめの段階で美術室へ入ったのは忍川先輩です」

「疑問も異論もあるが、とりあえずは聴くことにしようか」

「美術室へ入った忍川先輩は、魔の夜を八つ裂きにしました。詩織先輩が美術室へやって来たのはその直後のことです」

 困惑したことでしょうと言いながら、築垣は忍川の前から離れる。そしてゆっくりと移動して、棚にもたれている詩織の前で止まった。

「取り返しのつかない犯行に及んでしまった忍川先輩が、このままではどんな罰を受けるか分かったものではありませんからね」

 詩織は黙ったまま横を向いた。

「しかし、詩織先輩は冷静さを失いませんでした。ほんのわずかな時間で、目の前の事件を片付けるための算段をつけたのです。詩織先輩――」

 築垣は、横を向く詩織にささやいた。

「ほんの一分にも満たないほどの時間で、一連の策をりあげた詩織先輩を僕は――皮肉でもなんでもなく――心から尊敬します」

「べんちゃらはいい」

 詩織は叫びつつ、左腕を築垣の胸許あたりに突き出した。しかし築垣は、偶然か意図的にか、それとほぼ同時に後退したので押されることはなかった。

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