そう答えるだろうと思った。おそらく本当なのだろう。仮に詩織が犯人でも、林田は詩織をかばってそう答えていたに違いない。

「では、きみたちが美術室にいたとき、忍川は入ってきたかね」

「それも――」

 ない、と林田は背中を丸める。

「では美術室を出てから忍川に出会ったかね」

「会ってないです」

 見たまえと猿渡は俺を見た。

「聞けば朝の会の終わりから一時間目が始まるまでのおよそ十分間、美術室には詩織と林田の二人しかいなかったというじゃないか。そこにほかの人間は居合わせていなかった。しかも林田は、後半の五分間は一人だったんだろう」

 ほかに誰が犯人だと言えるんだねと猿渡は声をあらげた。

「待ってください。だとしたら証言者である忍川がいちばん怪しいじゃないですか」

「私もはじめはそう思ったさ。だから今、確認したんだ。林田が美術室にいる最中に忍川が入ってきていないか、美術室から出て忍川に出会っていなかったか――と」

 どちらも否定しているじゃないかと猿渡は言った。

「しかも怪しまれている林田本人が、だ」

「忍川本人には訊かなかったんですか」

「訊くわけがない。仮に犯人だったとしたら、正直に白状するはずがないのだからね」

「それは――」

 そうですねと言った。愚問だったと思う。

「まだ何か質問はあるかね」

 俺は考えた末に、ないと答えた。正確にはないのではなく、何を訊けば良いのかわからなかったのだ。どこかをつつけば矛盾や疑問が生まれてくるのだろうが、林田が犯人でないことを下手に証明をすると、今度は俺を突き落とした事件の犯人にされてしまう可能性がある。

「俺は本当にやってないんだ。誰もかばってない」

 いつになく真剣な表情をしている。確証はないが、真実だと思った。

「分かってるよ」

 分かっているが、証明のしようがない。いや、証明してはいけないとも言える。

 ――でも。

 もしや、あいつなら――。


 築垣なら――。


 この窮地を脱する妙案を思いつくかもしれない。

「なんとかしてみるよ」

 俺は林田にそう告げて、今度は足首に体重が加わらないように松葉杖を抱えて慎重に立ちあがった。

「待ちたまえ」

 猿渡の声に振り返る。猿渡もちょうど椅子から立ちあがるところだった。

「どうせだ。美術室の片付けをしていってくれないか」

「片付け?」

 掃除ではなく。

 そう片付けだと猿渡は言った。

「授業が終わったら片付けるようにいつも言っているんだがね、ご覧のとおりだ」

 猿渡は室内を見渡す。

「窓は半開きだし椅子は机の下に仕舞ってないし、教壇もずれている。絵の具の汚れも目立つし水滴も落ちているし、汚いと言ったらない」

 猿渡はうんざりしたとでも言いたげに息を吐き、だから片付けていってくれないかと言った。

「先生はどうするんですか」

「私は初めにも言った通り、仕上げなければならない絵があるからね。また準備室へ籠もるよ」

「俺たちだけでやれってことですか? 昼休みを潰して?」

「もちろん無理にとは言わないが、やれば絵を破いたことをしばらくは問題にしないでおいてやる」

 今日の放課後までは――と猿渡は口の端を歪めた。

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