「そう思います」

 俺も頷いた。そうだろうと猿渡は上半身をらせた。

「忍川にはもっと直接的にものを言うようにといつも注意しているのだが、一向に聴く気が見られない。芸術家としての才能はたしかにある。それを伸ばしてやりたいと美術教師としては思う。だが、それが地の性格になってしまっては忍川のこれからの人生に差し支えるだろうとも思うのだよ」

 唸るしかなかった。俺はまだ中学生だし、世の中のことなんかほとんど知らないけれど、それでも仲間と語り合うことの大切さはわかる。ときには敵とも意思の疎通を図らなくてはならない。それができないと、いじめや喧嘩に発展してしまうのだ。

 でも――。

「でも先生、そのことと、絵を破いた犯人が林田だっていうことは、関係ないように思えますけど」

「ああ、そうだったな。話が本筋かられてしまった」

 すまないと猿渡は話の軌道を修正した。

「トイレから出た私は、廊下にいた忍川と鉢合わせた。そしてその絵を持っていたから、そういうやり方は駄目だと叱ったんだよ。でも忍川は私を無視した。だからきちんと言い含めるために、私は彼を職員室へ連れて行ったんだ。もっとじっくりと話してやらなきゃわからないと思ってな」

 ところが一向に忍川は聴く耳を持たなかったのだという。

「そのうちに一時間目と二時間目が終わってしまったのだよ。実に二時間も説教していたことになるな。話は終わらなかったが、三時間目以降は授業が入っていたからね。仕方なくそこで話を切り上げたよ」

 そして美術準備室へ戻ったのだという。

「そうしたら、どうだ。私の自慢のあの絵が――魔の夜が――切り刻まれて床に散らばっているではないか」

 なんということだと猿渡は両手で髪を掻き乱す。

「マノヨルってなんだ?」

 林田が、質問するというより独りごちるように言った。あの絵のタイトルだよと猿渡は体を震わせる。

「すまない、興奮してしまった」

 猿渡は詫びて、話を続けた。

「私は腹を立てたよ。絶対に犯人を突き止めて、あんなことをした理由を問い質してきつく叱ってやるとね。でも、だ。真っ正直に犯人探しをしたところで素直に情報をくれる生徒がいるとは思わない。なぜなら私は生徒から嫌われているからだ」

「そういう自覚はあったんですね」

 気が抜けて思わず口許が緩んでしまった。居丈高いたけだかで気取った態度しか見たことがないし、自分が正しいと思いこんでいる嫌な教師としてしか見ていなかったので、意外だった。だからといって好きになったわけではないのだけど。

 自覚はあったさ、あったよとなかば自棄やけを起こしたかのように猿渡は認めた。だから犯人の情報は生徒に訊いても得られない、それなら別の手段を考えるしかないと判断したのだそうだ。

「でも、別の方法といっても特に名案があったわけじゃない。仕方がないから、散らばっている絵を回収して、破られていることを隠そうと思ったんだよ。絵が破られたことがおおやけになれば、生徒も私を警戒するだろうからね。警戒されて余計に聞き出しににくくなるよりは、知られない方が良いだろうと思ったんだよ。だから、とりあえずは隠した」

 具体的には絵の破片を集めて美術室準備室に運び込んだのだそうだ。準備室にはほかの絵をはじめ、卒業生の作品やお手本となる絵画、彫刻に画材に書類にといろいろなものがあるから隠す場所には事欠ことかかなかったという。仮に目に止まっても気にされることはないだろうと思ったそうだ。

「そして三時間目に授業をして、四時間目だ。また時間が空いたので私は絵の製作に取り掛かろうとした。しかし体育の鬼瓦先生が準備室へ来てね、ちょっと来てほしいと、私を職員室に呼び出したんだよ」

「先生が先生に呼び出されることもあるんだなァ」

 呑気のんきな声で林田が呟いた。君たちを呼び出すのとは訳が違うよと猿渡はあきれる。

「私もなにかと思ったんだがね。職員室へ行ってみると、あろうことか忍川の奴、絵を描いていたんだよ」

 わずかに憤りを見せる。

「絵を? どういうことですか」

「私が授業のために席を外したあと、鬼瓦先生が私の説教を引き継いだそうだ。それで次の授業は欠席になってもいいからと言って時間をかけて言い聞かせるうちに、どう話が転んだものか実際に絵を描いて見せるように言ったのだそうだよ」

 職員室だから、もちろん大した画材はない。そこで鬼瓦は、そこらへんにあるボールペンと藁半紙わらはんしを渡して描かせたそうだが――。

「それで完成した絵が、鬼瓦先生にとっては想像以上の出来だったんだそうだ。するとそのときにいたほかの教師も自分を描くように言って次から次へとずっと絵を描かせてばかりいたそうだよ。その出来があまりにも良いので美術教師の私に見せたかったっていうんだ。まったくけしからん話だよ」

 そんなのは教師じゃない、画学生だと猿渡は鼻から息を吹き出した。

「しかし先生、その話が――」

「分かっている」

 俺の顔の前に、猿渡は手のひらをかざした。

「話が脱線していると言いたいんだろう」

 その通りだった。だが猿渡は、話はつながっているんだと主張した。

「私が職員室へ行ったとき、美術準備室に隠しておいたはずの、あの『魔の夜』の切れ端のひとつが床に落ちたんだよ」

「どういうことですか」

「破られていた紙片の中には細かいものもあってね、そのひとつがシャツのそでにくっついてたようなんだよ」

 それが職員室で落ちたのだと猿渡は説明した。

「しまったと思ってすぐに拾ったんだが、遅かった。忍川に見つかってしまった」

 ここで話がつながるんだよと猿渡は言った。

「忍川はこう言った。それは先生が描いた魔の夜ですよねと。そうだと答えると忍川は、それを破った犯人を見たと言うんだよ」

「まさか、それが――」

 隣を見る。林田が顔を強張こわばらせていた。

 そのまさかだと猿渡が言った。

「さっきも言った通り、私は一時間目が始まったときにトイレから出て忍川と鉢合わせた。忍川は教室へ急ぐ途中だったらしい。その途中で、美術室の中から出てきた林田を見たというじゃないか」

 じろりと林田をにらむ。

「林田が出ていったあとの美術室には――」

 八つ裂きにされた魔の夜の破片が散らばっていたのだ――と忍川は証言したそうだ。

「待ってください、そんな証言だけで」

 思わず机を叩いて立ち上がりかけたところで、左足に痛みを覚えた。激情に駆られて、捻挫していることを忘れてしまっていた。

「痛てて」

 痛みを噛み締めて椅子に座り直す。きみの言いたいことはわかるよと猿渡が言った。

「忍川の証言だけでは林田が犯人だと断定できないと言いたいんだろう」

 そうですよと言うと、私だってそれだけで犯人を断定したりはしないよと猿渡は口の端から息を抜いた。

「だがね、きみ。きみたちは証明したじゃないか。あのとき――朝の会が終わってから一時間目が始まるまでの十分間――

 じゃあもう林田以外に犯人はいないじゃないかと猿渡は語気を強めた。

「詩織だっていたんですよ」

「それも知っている。それを踏まえた上で、だ」

 きみにこう、と猿渡は体の向きを変えて林田に向き合った。

「竹中詩織は絵を破いたかね」

「え――いや」

 破いてねえよと林田はしょんぼりと下を向いた。

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