10・暗雲

 螺旋らせんが天井に向かって伸びていた。

 図書室へつながる階段の下である。そこで俺は壁に背中を預けて、螺旋階段を見上げていた。隣には林田が並んで壁に寄りかかっている。そして俺と同じように顔を上に向けている。

蝸牛かたつむりの殻の中に入ったみてえだよなあ」

 呑気のんきな声で林田が言った。そうだな、と俺は答える。

「で、話しってなんだ?」

 林田が天井から俺へ視線を移す。横顔に刺さるその視線に、俺はなんとなく痛みを感じた。

「うん、それなんだけどな」

 咳払せきばらいをして、本題に入った。

「おまえ、俺のこと恨んでないか?」

 顔を正面に向けたまま、あえて林田を見ないようにしてそう訊いた。

「恨む?」

 正面を向いているので林田の仕草は横目にしか見えないが、それでも首を突き出すようにして眉を寄せているのはわかった。

 林田は首をひねって、なんだよそれと言った。分ッかんねえなァと腕組みをしてまた上を見る。

「なんで俺がおまえのこと恨まなきゃならないんだ?」

 とぼけているようにも思えなかった。本音を抑え込んでいるようでもない。

 もともと、そんな腹芸のような真似はできないたちだ。それは分かっていたが、訊かずにはいられなかった。

 さっきまではあえて正面を見据みすえていたが、俺は壁から背中を離して体ごと林田に向き合った。

「だってさ、俺は今回はじめて、おまえを抑え込んでレギュラーになったんだぞ」

「知ってるよ。良かったじゃんか。おめでとう」

「本当に、そう思ってるのか?」

「嘘つく理由がねえよ」

「そう――か」

 ――そうなのか。

 俺だったら、レギュラーを奪われたらそんなふうに素直には思えないかもしれない。

「正直なこと言うよ」

 また壁に背中を預けて、俺は下を向いた。どうしたんだよ改まっちゃってと林田が茶々を入れてくる。普段なら怒るところだが、今は自分の非を認めようとしているところだ。怒ることなんてできなかった。

「俺はさ、おまえのことうらやましかったよ」

「なんでよ」

「だって、馬鹿のくせにサッカーだけは上手くて、いつも俺の一歩前を行ってただろ。しかも、いつもレギュラーだよ。だからだよ。羨ましかったし――」

 恨んだこともあったよと俺は告げた。まあたしかに俺は馬鹿だよなあと林田は言って笑った。否定も怒りもしないところが林田らしい。

「でもよう、なんでそんなこと言うんだよ」

「なんでって、そりゃあ――」

 ――なんでだろう。

 あらためて考えてみるとよくわからない。

 言葉に詰まっていると、おまえは真面目まじめだからなと林田が言った。

「真面目?」

「そうだよ。真面目だから、やましい気持ちを自分一人じゃ抱えきれなかったんだろ」

「そんなこと――」

 ――いや。

 そうなのだろうか。

 そんなこともあるんじゃねえかなと林田は続ける。

「俺から見ればそんなのは罪でもなんでもないけど、おまえは罪だと思ってたんだろ。だから俺に打ち明けることで正直者ぶって、楽になりたかっただけなんじゃねえか?」

 何も言えなかった。

 正直であろうとすることは悪いことではないはずだ。では、なぜ正直でありたがるのかと言えば、潔白でありたいという欲求を満たすためだったのかもしれない。潔白でありたいのなら、その欲求を満たしたいという気持ちをも告げるべきだろう。

 隠していたわけではないものの、それを告げなかった俺は、林田の言うとおり、正直者ではなく、正直者ぶった偽善者なのかもしれない。

 それでもいいよと林田が言った。

「友達が楽になるならそれに付き合うのもまた、友達の役目だしな」

「おまえ――」

 馬鹿な奴だとばかり思っていたが、林田の観察眼は案外鋭いのかもしれない。

「ありがとな」

 そう言うのが精一杯だった。

「良いって良いって、気にすんな。そのかわり、今日の宿題の答え見せろよな」

 巫山戯ふざけているのだろうか。それとも、深刻な雰囲気を吹き飛ばすためにわざとおどけているのだろうか。

 いずれにせよ、林田は間違いなく俺の親友だ。

 握手をした。


「ちょっといいか」


 背後から呼びかけられた。

 首をひねって後ろを見る。

 猿渡が立っていた。なんですかと訊くと、きみじゃないと言われた。首を戻して林田を見る。

「じゃあ俺?」

 林田が、自分の鼻先を人差し指の先で触っているところだった。視線がやや上がっているのは、俺の頭越しに猿渡の顔を見ているからか。

 そうだきみだと猿渡が言った。

「林田くん。全部聞いていたよ。きみが犯人だ」

「何言ってるんですか」

 俺は体をひるがえして猿渡に向き合う。

「林田が犯人じゃないってことは、たった今証明されたばかりです。信じられないなら校長先生に訊いてみてください。その場にいましたから」

「勘違いをするんじゃない。きみを突き落とした犯人ではないのことは百も承知しているよ」

「じゃあ、なんですか」

ということだよ」

「は?」

 林田を振り返る。

「俺が絵を破いたって?」

「そうだ。きみはずっと美術室にいたそうじゃないか。とすると、もうきみしか犯人はいないんだ。話を聞くから美術室に入りなさい」

 猿渡は林田の腕を掴んだかと思うと、力づくで引っ張った。

「俺はそんなことしてねえよ」

 林田は抵抗する。しかし大人の力にはかなわないようだ。ずるずると引きられていく。俺も林田に加勢したかったが、足を傷めている上に片腕には松葉杖を抱えているから何もできない。

「じゃあ、俺も行きます」

 そう言うのがやっとだった。せめて林田の心細さを和らげてやろうと思ったのだ。

 猿渡は一瞬動きを止めたがすぐに、

「好きにしたまえ」

 と言ってまた林田を引っ張り始めた。林田はやはり抵抗する。その林田に俺は囁いた。

「大丈夫だ。猿渡が何を言っているかわからないが、事情を俺も聴く。それでにまた相談してみるよ」

 そうすればまた冤罪を晴らしてくれるはずだ。

「わかったよ」

 理解してくれたらしい。林田は大人しく、猿渡に引っ張られるままに美術室へ入っていった。俺もその後を追った。松葉杖をつきながら、遅い足で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る