7・い

眼鏡めがねが、壊れてしまったのですか?」

 築垣の問いかけに、大貫健太おおぬきけんたは、かけてもいない眼鏡の高さを調節するように中指で鼻梁はなすじこすり上げた。

 生徒会室である。すでに昼食を済ませた俺は、食堂から直接ここへ来ていた。築垣もほぼ同時に生徒会室へ来た。それからそう時間をおかずに、大松と林田と大貫が来た。さらにその後で詩織が来た。最後に鴨志田がやって来た。

 鴨志田は思ったとおり生徒思いで、俺が三時間目の終わりに校長室へ行って事情を話すと、生徒のためならと、必要な面子は昼休みに生徒会室に集まるよう、鴨志田みずから校内放送で呼びかけてくれたのだ。

 そして、面子は揃った。

 鴨志田は教卓を前にして座り、生徒たちはコの字型に配置された机を前に、窓を背にして座っている。教卓の側から、大松、林田、詩織、大貫の順だ。俺は末尾の席に座っている。

 築垣だけが立っていた。

 全員が席についたところで、築垣が大貫の顔を机越しに正面から眺めおろし、さっきの問いを投げかけたのだ。

「きみとは、どこかで会ったかな」

 墨で描いたような眉を歪めて、大貫は築垣の顔を見あげる。成績優秀でいつも本ばかりを読んでいる大貫はやや小太りで背も低い。人と話すときは相手を見あげることが多い。

 会ってませんね、おそらく、と築垣は答える。

「じゃあ、なんで、この僕が眼鏡を使っていると分かったんだ」

「少しだけ跡が残っているからですよ。ここに」

 築垣は頭痛を散らすような仕草で、自分の目止めの間を摘んだ。

「なるほど。さすがは探偵だ」

 大貫は背凭せもたれれに背中を押し付けて反り返った。

「なぜ、今は眼鏡をかけていないんですか」

「僕は電車で通学しているんだけどね、電車の中で眼鏡を落としてしまったんだよ。拾おうと思ったときはもう手遅れさ。近くに立っていたサラリーマンに踏まれて壊れてしまった」

 反り返した状態を今度は前に曲げて、大貫は息をいた。

「早く本題に入ってくれる?」

 詩織が言った。せっかくの昼休みなんだからと不貞腐ふてくされる。そうですねと築垣は答え、僕も探偵部の勧誘をしたいしと言った。

「では本題に入りましょう。まずは事実関係から」

 築垣は人差し指を立て、長机の前を左右に往復しながら語る。

「今朝――一時間目よりも前のことです――水沢先輩が何者かによって音楽室前の階段から突き落とされました。そして、その犯人として名前があがったのが、林田先輩です」

 俺じゃねえよと林田は肩を体の前で寄せるようにしてしょぼくれた。大丈夫ですよ林田先輩と築垣は励まし、言葉を続ける。

「では、なぜ林田先輩の名前があがったのか。それは、階段近くから逃げる林田先輩の姿を見たという目撃証言があったからです。その証言をしたのが――」

 築垣は大貫の前で歩みを止めた。

「――大貫先輩です」

 そうですねと確認する。そうだよと大貫は前のめりになった。

「僕は見たんだ。林田が逃げていくのを」

「見た状況を説明してもらえませんか」

「状況?」

 そうだなと大貫は斜め上に視線をあげる。

「俺は一階の廊下を歩いていたんだよ。一時間目の授業が音楽だったから、音楽室へ移動する途中だった。そしたら二階の廊下を、林田が走ってたんだよ」

「二階の廊下?」

「そう。音楽室へ行くには二通りの道があるだろ? 階段から登っていくのと、二階の廊下から回り込むのと」

「ありますね」

「その二階の廊下を林田が走ってたんだよ。もちろん、音楽室から遠ざかる方向へ、だ。それとほぼ同時に、だよ。階段から叫び声が聞こえた。もちろん水沢の声さ。何かと思って駆けつけてみたら――」

 水沢が階段の下で倒れていたんだよと大貫は俺へ視線を向けた。そうだよなと念を押すので、そうだと頷いた。林田の冤罪は晴らしたいが、だからといって嘘をつくことはできない。大貫の名誉のためにも、俺は大貫の言葉に補足を加えた。

「それから俺は大貫に助けられながら、保健室へ言ったんだ。それで処置してもらった」

 椅子に立てかけていた松葉杖に手をかけ、包帯を巻いた足を机の下から築垣の方へ振り出して見せる。

 築垣は顎に指を当てる。

「その話自体には矛盾は見当たりませんが、しかし水沢先輩」

 築垣は俺に顔を向けた。

「水沢先輩は、自分を押した犯人を見ているんですよね。確か――」

 築垣は天井を見あげて犯人像をそらんじる。

「性別は女子。いや、性格に言うならセーラー服とスカートをまとった誰か。背が高くて髪が短った――んですよね」

 天井に向けていた顔を俺に向けた。そうだよと俺はうなずく。

「どう思いますか」

 今度は大貫に、築垣は顔を向けた。

「どうって言われてもなあ」

 僕は僕の証言に自信を持っているから、そっちが嘘だと思うよと大貫はあくまで強情を張った。腕組みしてそっぽを向く。目撃証言が俺と異なることについては、まだ相容あいいれないどころか対立感情を抱いているらしい。

 築垣は大貫の前に立ち、では質問しますと言った。

「林田先輩を見たとき、なぜそれがところだと思ったんですか? ただ歩いていただけの可能性は?」

「ない」

 大貫は断言した。なぜですかと築垣は問いを重ねる。

「なぜって、挙動が怪しかったんだよ。何度も何度も振り返りながら歩いていたからさ。普通に歩いているだけならあんな動きはしないね。明らかに焦ってたな。実際、水沢は倒れていたんだし」

「仮に焦っていたとして、です。焦って助けを呼びに行くところだったのかもしれませんよ」

「だったら突っ走るだろう。振り返る必要がどこにある」

 必要はないですねと築垣はあっさりと認めた。

「ただ、それは必要がないというだけのこと。仮に林田先輩が本当に犯人だったとしても、振り返るよ」

「それはそうだが――」

「もうひとつ質問します」

 築垣は人差し指を立てた。言葉をさえぎられた大貫は、空気を飲み込むかのように喉仏を上下させた。

「林田先輩のほかに、廊下に人はいませんでしたか」

「そりゃあ、いたさ。あそこは人が多いんだからね」

「だとしたら、見間違いではないですか。似た生徒はいるでしょう」

「見間違えないよ」

 大貫は拳で机を叩き、林田の方へ顔を向けた。俺からは顔が見えないが、きっと真っ赤になっていることだろう。

「この馬鹿みたいな顔を見間違えるわけがない」

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