「急に何なの?」

 詩織は半歩さがる。警戒しているのか、それとも様子のおかしな一年生を嫌悪しているのか。

「俺からも頼むよ。その時間どうしていたのか教えてくれ」

 同じ学年で多少は面識のある俺の頼みなら教えてくれるかもしれないと思ってそう尋ねた。

「なんなの二人とも」

「頼む」

 詩織は眉をひそめると、長い睫毛まつげを伏せ、それから口許を手で隠した。

「そうね、その時間は――」

 美術室にいた、と詩織は答えた。

 思わず築垣の顔を見る。築垣は俺を見ていなかった。真剣な眼差しを詩織の顔に向けている。

「そのとき、誰かと一緒じゃありませんでしたか」

「一緒だったよ。サッカー部の林田と」

 愛を語り合っていたね、と詩織はあっさりと言った。

 ――本当だったのか。

 ねたみとも驚愕きょうがくともとれない感情が胸に広がる。

「ところで詩織先輩」

 築垣が尋ねる。何、と一応返事をする詩織の顔には、明らかに嫌悪の表情が浮かんでいた。

「体育の授業でもあったのですか」

「ないけど? なんで?」

 ――なかったのか。

 では、なぜジャージを着ているのだろうか。

「では、これから体育ですか」

 築垣が重ねて問いかける。

「別にそうじゃないけど――」

 なんなのさっきから、と詩織は大袈裟に声に抑揚よくようをつけた。

 怒っている。いや嫌がっている。

 それに築垣は気づいているのだろうか。気づいていないのだろうか。それとも、気づいていながらあえて気づいていないふりをしているのだろうか。

 美女と美女の対決は、今にも何かが爆発しそうな緊張感を帯びていた。しかし、その緊張の糸はすぐに切れた。すみません、と築垣がびたのだ。

「なんでも気になってしまうたちなのです。詩織先輩が人差し指に絆創膏ばんそうこうを巻いていたので、体育で怪我でもしたのかと思って」

 見れば確かに、詩織の右手の人差し指には絆創膏が巻かれていた。

 残念でした、と詩織は勝ち誇ったように顎をあげる。

「この傷と体育は関係ない。だいたい体育で、こんな局所的きょくしょてきな傷なんて負わないでしょ。突き指はするかもしれないけど、それなら絆創膏じゃ済まない」

 探偵を名乗る癖に推理力はいまいちだねえ、と詩織は小馬鹿にしたように言い、絆創膏を巻いた人差し指で築垣の頭をつついた。

「それじゃあ、頑張ってね探偵さん。私は今日、日直だから忙しいの」

 そう言い残して雪女のような美少女は背中を向けて去っていった。

「僕の推理もまだ未熟なのかな」

 残された築垣は小首を傾げた。右手を左ひじに添え、右手の人差し指を頬に当てる。

「どこで間違えてしまったのだろう」

「それよりも築垣。これで林田のアリバイは成立したんだから、早く林田を助けてやってくれないか」

「そうでしたね。でも――」

 チャイムが鳴った。

 時間切れのようです、築垣は言った。

「ちょうど良いかもしれませんね。関係者を全員呼んでまとめて納得してもらいましょう。次は昼休みです。林田先輩を疑っている人はたくさんいますが、今はサッカー部の部長の大松先輩に信じてもらいましょう。それから、先生にもいてほしいですね。生徒だけでは有耶無耶うやむやにされてしまいかねないので。それと、今回林田先輩が疑われるきっかけになった――現場から逃げる姿を見た――という証言をした大貫先輩にも来てもらいましょう。その証言さえ崩せれば誰も林田先輩を疑えなくなります。そのためには、詩織先輩にも来てもらいたいところです」

 ちょっと待て、と築垣の話を止める。

「いろいろ言ったが――」

 築垣の言ったことを頭の中で反芻はんすうしながらまとめる。

「俺と築垣と、疑われている林田が同席するのは当然として、あとは、立会人として大松先輩と先生がひとり、それから証言者として詩織と大貫がいればいいんだな」

「それで足りるでしょう」

 詩織と大貫は同じ学年だから声をかけやすい。鴨志田は信頼できるからなんとか頼み込んでみよう。もし来てくれるなら、鴨志田から大松を呼び出してもらえばいいだろうか。

 算段がたったので、

「わかった。面子は俺がそろえるよ」

 そう言った。お願いします、と築垣は抑揚のない口調で言った。

「ただ――」

 築垣は痛みに耐えるように唇を噛んだ。

「どうした?」

「ひとつだけ、穴があります」

「穴?」

「そう、穴です。その穴をかれたら――」

 林田先輩のアリバイは成立しません、と築垣は言った。

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