それで噂で聞いたんです、と尾花が言った。

「今日が忍川さんの誕生日だと。だからいい機会だからって、瀧本さんは今日のためにプレゼントを用意してきたんです」

「なるほど、それが、その、手に持っている箱というわけだね」

 築垣は腰を折り曲げて、瀧本が手に乗せている小箱を指さした。そうです、と尾花が頷く。

「ちなみに、中身は何なんだい」

「い――」

「言わないで!」

 じっと固まっていた瀧本がはじめて反応を示した。下がっていた眉尻があがっている。

「忍川先輩への大切なプレゼントなんだから。教えないでって言ったでしょ。尾花さんに教えたのは、親しくしているからなんだから」

「そっか、そうだったね」

 ごめん、と尾花は謝った。

「無理に言わなくてもいいよ」

 築垣が快活になだめた。続けて尋ねる。

「で、なんで困っていたんだい?」

「今朝のことなんですけど、私が忍川先輩を呼び止めたんです。瀧本さんがプレゼントを渡せるように」

 答えたのはやはり尾花だった。それで、と築垣が先を促す。

「今私たちが立っているこの場所に、なんとか留まってもらったんです。それから、プレゼントを渡す勇気がないって尻込みしていた瀧本さんをなかば無理矢理に引っ張ってきて、それでプレゼントを渡させようとしたんです。でも――」

 そこで問題が発生したという。

「待ってもらっていた忍川先輩が、猿渡先生に連行されて行ってしまったんです」

「連行とは穏やかじゃないね」

 築垣が顔をしかめる。

「なんでも猿渡先生の似顔絵を描いたとかで、説教をするって猿渡先生は言っていました」

「説教ねえ」

 築垣は顎の下に人差し指を当て、呼び止めなかったのかいと尋ねた。無理ですよと尾花が眉を八の字にする。

「だってもう休み時間は残り少なかったんだし、何より――」

 猿渡先生は怖いですから、と尾花はしょぼくれた。そうだね、と築垣は共感を示す。

「ところで猿渡先生は、忍川先輩をわざわざどこに連れて行こうとしたんだろう」

「きっと職員室ですよ。あっちに連れていきましたから」

 尾花は西の方角を指さした。どん詰まりから見て右だ。美術室は反対側の左にある。

「だから今日は無理だろうって言ってたんです」

「よくわからない。どうして職員室に呼ばれるとプレゼントを渡すことが無理になると思うんだい?」

「だって、わざわざ連れて行くってことは、相当怒っているってことですよ。きっと長々と説教を垂れるに違いないです。もしかしたら一日じゅうかかるかも。そうしたら、もう今日は渡せないじゃないですか――と瀧本さんは言ってるんです。明日になったらもう誕生日じゃないから」

「一日遅れくらいなら、まだ誕生日プレゼントとしては有効だと僕は思うけどね」

「私もそう思うんですが――」

 尾花はそこで、また瀧本を振り返る。今日じゃなきゃ駄目なんですと瀧本が鋭い声で言った。

「忍川先輩は人気がありますから、ほかにも忍川先輩を射止めようとしている人はたくさんいるはずです。その中で、出遅れたくないんです」

 学年棟には怖くて行けないし、職員室はもっと行きたくないと――滝本ではなく尾花が言った。

 ――そういうことか。

 やっと事情が飲み込めた。順序を追って聞かなければわからなかっただろう。築垣の話の聴き方が上手かったからここまで理解できたのかもしれない。もっとも、この話を理解したところで俺にはなんの得もないのだけれど。

「そういうことなら僕に任せておきなよ」

 築垣が拳で自分の旨を叩いた。

「僕なら学年棟にも職員室にも、恐れずに行くことができる。ちゃんと瀧本さんからのプレゼントだって言って渡してあげるよ」

「本当ですか」

 尾花は瀧本と顔を見合わせた。もちろんサと築垣は胸を反らせる。

「だって僕は探偵だからね。受けた依頼は必ず成し遂げてみせるよ」

「探偵?」

 二人はまた顔を見合わせた。それからまたこちらに顔を向ける。二人とも眉間にしわを寄せていた。

 戸惑っているのだろう。プレゼントの中身を明かすことさえできないのだ。それを人に頼んで渡してもらうことに抵抗を覚えるのも無理はない。


「下級生をおどしているなら見過ごせないね」


 背後から声がした。

 振り向くと、雪女を思わせるような美少女が立っていた。

 光沢こうたくを帯びた、背中を覆うほど長い髪。長い睫毛まつげに縁取られた瞳。宇宙を凝縮したように黒くて深い瞳孔。か細い体は硝子ガラスで出来た人形のように儚くて冷たい。ジャージ姿だが、これが制服姿だったらもっと美しく見える。

 竹中詩織だった。

 学校一とも言えるこの美少女だ。やっぱり林田と愛を語り合っていたとはとても思えない。

「別に脅してるわけじゃない」

 冷ややかな視線を向ける詩織に、俺は言った。

 ならいいんだけど、と詩織は俺の前へ回り込み、尾花と瀧本の二人に言った。

「二年生とわけのわからない一年生が迷惑かけてごめんなさいね。いやなら逃げていいよ」

 尾花と瀧本の二人はしばらく逡巡しゅんじゅんする様子を見せていたが、お互いに頷き合うと、

「で、では失礼します」

 小走りで駆け去っていった。

「あなたが、噂の竹中詩織先輩ですか」

 築垣が目を丸くして尋ねた。驚いているというより、興味をそそられている感じだ。

 噂になった覚えはないけれど、と詩織は表情ひとつ崩さずに言った。そうだろう。林田のアリバイが成立するかしないかという話は、ついさっき立ちあがったところで、竹中の知るところではない。

「あなた、一年生でしょ。自分から名乗りもせずに他人に名前を尋ねるなんてちょっと図々ずうずうしくない?」

 築垣と正面から向き合う。

 背の高さは同じくらいだった。

 これは失礼いたしましたと築垣が詫びた。

「僕は一年六組の築垣麗といいます。探偵です」

 右腕を胸の前にまわして水平に保ち、礼をする。

「あなたって、いつもそうなの?」

 無表情だった詩織の顔が曇る。俺と同じ疑問を持ったようだ。この探偵を名乗る長身ちょうしん麗人れいじんからは普段の生活が見えない。

「ところで詩織先輩。今朝、一時間目が始まる前ですが――どこで、何をしていましたか」

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