6・似顔絵

「二年生の教室まで来るのか」

 廊下を歩きながらそう尋ねると、隣を歩く築垣は当然ですと事もなげに答えた。

「なかなか度胸があるじゃないか」

 三栖手里みすてり中学校は学年ごとにむねがある。一階から三階まで、一組から六組までの教室がそれぞれ二つずつ収まっている。学年棟には、各クラスの教室以外に部屋はない。つまり、どの学年棟にも、ほかの学年の生徒が立ち入る理由はほとんどないのだ。もし行くとすれば、上級生が下級生を呼び出すか、さもなくば下級生が上級生に呼び出さるか、だいたいそのどちらかということになる。そしてどちらの場合においても、ろくな理由でないことが多い。だから――。

 度胸があると思ったのだ。上級生の学年棟に自ら乗り込んでくる生徒は滅多にいない。

 そう言った。

 大丈夫ですよと築垣は言う。

「僕は――自分で言うのもなんですけど――一年生にしては背が高い方ですからね。女子が喧嘩を売ってくることはまずないでしょう」

 たしかにそうだ。俺だって決して小さい方ではないが、そんな俺よりもなお、築垣の方が背が高い。背が低い女子から見れば脅威だろう。

「でも男子にはさすがに適わないだろ。いや――別に性差別的な意味じゃなくて――だぞ。事実として筋肉の量で言ったら男子の方が多いんだし」

 築垣は背丈せたけこそ高いものの、体はほっそりとしているから腕力という意味では劣っているはずだ。

 しかし築垣は、それも大丈夫ですと言って、人差し指を立てた。もう見慣れた仕草だ。

「男子はそもそも、どんなに強くても女子に喧嘩を売ってくることはありません。強さを誇っているならなおさらです。自分より弱い相手に喧嘩を売るなどという行為は、強さ自慢をしている人間ほどしないものです。が許しませんからね」

「そんなものかな」

 いや、そんなものなのだろう。どこまでも理詰めで考える築垣は、見た目こそうるわしいが、同時に冷たかった。機械じみている。

 俺は返事もせずに黙々と歩を進めた。

 やがて左手に美術室が見えた。それを二十歩ほど過ぎる。

 廊下は直進しているが、やや先に右に折れる通路もある。右に折れた先は、通称『どん詰まり』と呼ばれている場所だ。文字通り行き止まりで、物置と掃除用具入れとトイレしかない。

 そのどん詰まりから、女子のものと思われる話し声が聞こえてきた。


「また渡す機会はあるから。だからそんなに落ち込まなくても大丈夫だよ」

「それはあるだろうけどさ、今日じゅうにあるとは限らないでしょ。むしろ今日じゅうはもうないよ」

「なんでよ」

「だって猿渡に連れていかれちゃったんだよ」


 嗚咽おえつが響く。猿渡という名前も相まって、なんだか聞き捨てならなかった。今朝のこともあるし、あの鼻持ちならない美術教師は、ほかにも八つ当たりをしていたのかもしれないと心配になる。

 そのまま歩を進めて曲がり角に至った。

 曲がり角は右に伸びている。そこに――。

 思った通り、二人の女子の姿があった。上履きの色から、二人とも一年生であることがわかる。

「どうしたんだ、二人とも」

 俺が尋ねると、二人のうち一人は下を向いた。もうひとりは俺の顔をみて固まっている。

 俺の顔を見ている方は病人のような白い肌をしていた。髪をカチューシャで後ろに押さえつけて額を丸出しにしている。眉尻を下げているのは怯えているからか。手には、小箱が抱えていた。片手に乗るほどの小さな箱だが、あえて両手で持っているところを見ると、よほど大事なものなのだろう。箱には赤いリボンが十字に巻きつけられている。プレゼント――だろうか。まだ開けられた様子は見られない。

 一方下を向いたほうは、色黒とは言わないもののやや日に焼けていて、前髪は額にらしていた。こちらの女子は何も持ってはいなかった。

 対照的な二人だ。だがどちらも、目立たなそうな雰囲気ではある。その意味では共通している。

「どうしたんだよ」

 黙り込んでいるのでもう一度尋ねたが、やはり反応はない。

「水沢先輩、時間がないんですよ」

 築垣が急かした。

「そうだったな」

「でも――」

 築垣は目を閉じて、放ってはおけないかなと言った。それから俺を押しのけるようにして前へ出ると、

「僕は一年六組の築垣麗」

 俺のかわりに一年生と向き合った。

「困っているなら、僕が解決してあげるよ」

 時間がないんだろと言うと、探偵として困っている人を放ってはおけませんと返された。

 探偵の何たるかを俺は知らないが、だとしても、俺だって困っているという話だ。しかも切羽詰せっぱつまっている。そう言おうとしたのだが、

「私は一年一組の尾花と言います」

 前髪を垂らした女子が先に口を開いたので、俺は黙った。

「尾花さんね」

 築垣が名前を復唱する。

「こっちの子は同級生の瀧本さん」

 尾花はもう一人の女子の背中に手を当ててそう紹介した。その女子――瀧本――は俺の顔を見たままだ。

 すみません、と尾花が謝った。

「この子は人見知りで、とくに上級生が怖いらしいので、固まってしまっているようなんです」

 それでどうしたんだい、と築垣が尋ねた。それに答えたのは尾花だった。

「瀧本さんは実は、二年生の忍川おしかわさんという人が前からだったみたいなんです」

「上級生が怖いのに?」

 俺が訊くと、上級生が怖いのにです、と尾花は繰り返した。

「忍川ねえ」

 忍川康介おしかわこうすけ――。

 その名前の生徒は、二年生には一人しかいない。付き合いはないが、見たことくらいはある。ひょろひょろとした体つきで、伸ばした癖毛くせげで片目を隠している姿はすぐに思い出せる。だらしがないとか不潔だとかいう感じはしないが、どことなく暗い。喋り方もはっきりしない。直接口を利いたことはないが、廊下で友人と思われる生徒と話している忍川とすれ違ったときに声を聞いたことはある。その声は、小さくて言葉も明瞭ではなかった。聞くとはなしに聞いてしまった話の内容も、支離滅裂だった。いや――。

 ――そうでもないのかな。

 あらためてその時のことを思い直す。

 忍川と話していた生徒も相槌あいづちを打ったり返事をしたりしていたからあながち支離滅裂とも言えないのかもしれない。美術部に所属していて、しかもあの猿渡と真っ向から対立しているともいうから、体育会系の俺には忍川の言葉を理解する力がなかったというだけなのかもしれない。

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