「愛?」

 ――愛。

 おそらく世界で一番崇高すうこうな概念であるはずなのに、言葉にした途端に世界で一番陳腐ちんぷな概念になりさがってしまうように感じるのは俺だけだろうか。いや、流行りの歌だったらそうは感じないから林田が言ったせいだろうか。それとも、俺の感性が単に鈍いだけなのだろうか。

「なんだよ、愛を語るって」

 俺が言ったわけでもないのに、なぜか恥ずかしくなってくる。顔が熱くなってくる。

 暑さとは別の理由で噴き出した汗を拭いつつ投げかけた質問に、林田は答えた。

「いや一緒にさあ、椅子に座って窓から景色を眺めながらお互いに思いやる気持ちを語り合ってたんだよ。そうしたら詩織ちゃんがさ、ねえ途中で、目をつむってよ、なんて言い出して――」

 訳も分からないままに目を瞑ったのだと林田は語った。しかしいつまでもそのままでいるわけにいかないから、いつまで瞑っていればいいのか尋ねたという。しかし答えがない。もうそろそろいいかと聞くもやっぱり返答はない。

「早く教室に行かないと朝の会に遅れちまうしさあ、だから俺、返事はなかったんだけど目を開けたんだよな」

 腕組みをしつつ、林田はそう言った。

「そうしたら――」

 もう詩織の姿はなかったのだという。

「恥ずかしがり屋さんなんだな」

 林田は軽率な結論をつけた。その隣りで鴨志田は、鬼瓦みたいな顔をさらにけわしくゆがめ、妙な話だねえ、などと呟いている。

 ――ともあれ。

「では、その竹中詩織さん――という先輩に話を聞いてその通りだったら、林田先輩のアリバイは成立するわけですね」

 そう築垣は言った。その通りだ。だが、何か引っかかるものを感じる。竹中は、言わば男子生徒の憧れの的だ。本人も気づいているだろう。そんな高嶺の花とも言える竹中が――こう言っては失礼だが――林田みたいないい加減な男と愛を語り合ったりするものだろうか。

 何より、なぜ途中で目を瞑らせて姿を消したのだろう。

「さあ、水沢先輩」

 築垣が振り返る。

「そうと分かれば、さっそく詩織先輩のところへ確認に行きましょう」

「ちょっと待ちなさい」

 鴨志田がてのひらを掲げて築垣を止めた。

「なんでしょう」

「調べるのは構わないがね、いつまでに答えを出すつもりだい」

「いつって――」

 築垣は唇を軽く摘む。鴨志田が椅子から立ちあがった。

「あのね、これは事件なんだよ。学校としても校長としてしても、このままいつまでも問題を見過ごしているわけにはいかないんだ。なるべく早く教育委員会に知らせないとならない。場合によっては警察にも知らせる必要があるんだ。だから、そんなには待てないよ」

 築垣は初めて焦りを見せた。

「じゃあ、明日の放課後までには必ず」

 早口でそう言った。しかし鴨志田は、ゆっくりと首を横に振り、それじゃあ遅いねえと言った。

「明日の昼休みでは?」

「今日の昼休み」

「それはいくらなんでも――じゃあ、明日の朝では」

「今日の放課後まで、かな、限界は」

 築垣はしばらく唇を噛んで考える様子を見せてから、わかりましたと言った。

「じゃあ、今日の放課後までに答えを出してみます」

 築垣は壁にかかっている時計に目をやり、時間がありませんと言った。

「期限が切られたからには急ぎましょう」

 そう言って、生徒会室から飛び出していった。

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