5・アリバイ

 本人だけが陽気だった。

 生徒会室である。

 黒板を背にするかたちで、大きな机がひとつ置かれている。その机をコの字の縦棒に見立てるかたちで、長机が二つ配置されている。

 窓側の長机の真ん中の席に、林田は座らされていた。

 左隣には部長の大松が、そして右隣には小柄ながらも鬼瓦のようないかつい顔をした老人が座っている。背は低いものの肩幅は広くて、全体的に四角形に見える。ここ三栖手里みすてり中学校の校長、鴨志田完兵衛かもしだかんべえだ。

 俺と築垣は、たった今ノックも挨拶もせずに生徒会室の戸を開けたところだ。

 大松と鴨志田が、同時にこちらを見る。どちらも深刻そうな顔だ。

 犯人扱いされている林田だけが笑みを浮かべて、

「やあ」

 と陽気に片手を挙げて挨拶をした。

「いやあ、参っちゃったよう」

 あげた手で丸刈りの頭をで回す。その毬栗いがぐりを思わせる丸い顔を傾げて、林田はうなるように言った。

「本当に俺はやってないのにさあ、犯人扱いされちゃって」

 言葉と表情が合っていない。事態はわかっているようだが、その深刻さを理解していないようだ。これだから林田は要らない敵を作ってしまうのだ。

 むしろ深刻そうな顔をしているのは、両隣に座っている二人の方だった。大松は唇を噛んでいるし、鴨志田は眉間にしわを寄せている。

「きみたちは、何をしに来たの?」

 しわがれ声で、鴨志田が面倒臭そうにただした。声に怒気は感じられない。ただ顔つきと状況から緊張感はにじみ出ていた。

「林田先輩の無実を証明しに来たのです」

 築垣のよく通る声が空気を貫いた。

「きみは、誰」

 鴨志田が節くれだった人差し指で築垣を指す。

「一年六組の築垣麗です。探偵です」

「探偵?」

 復唱したのは大松だった。

「ありがてえなあ」

 林田が喜んだ。机の上に身を乗り出す。早くなんとかしてくれよ、と大して困ってもいなさそうに頼み込む。

 ――これだから林田は。

「待てって」

 大松が林田の隣から腕を伸ばし、肩を押さえつけるようにして無理矢理座らせた。林田は抵抗することなく椅子に腰を下ろした。ちぇ、とわざとらしく舌打ちをする。

 大松は築垣に鋭い視線を向けた。

「築垣――さんだっけ? 無実を晴らしに来たって言うけど、どうする気なんだよ」

 敵対心を抱いているわけではないらしい。ただ純粋に、疑問をぶつけているように見える。

 証言を検証するのです、と築垣は答えた。

「検証?」

「そうです」

 俺たちは入口に突っ立ったままだったが、築垣は勇ましい足取りで部屋の中に入っていった。俺はその背中を見ている。

 築垣は手前にある長机を迂回して、林田たちが座っている机の前へ移動した。

「まず、なぜ林田先輩が疑われているかというと、現場から逃げたという証言があるからですよね」

 うん、と鴨志田が頷く。

「そういう――ことだったよね」

 林田越しに大松に確認する。そうですねと大松は頷いた。

「大貫健太という生徒がそれを見たと言ってます」

「そこです」

 築垣は人差し指を立てた。癖なのだろうか。俺にとってはすでにお馴染みの仕草しぐさだ。

「証言があるから信じた――というのであれば、こちらにも証言があります」

 そこで築垣は振り返り、目尻の垂れた目で俺を見る。

「そうですよね、水沢先輩」

「え」

 いきなり話を振られて戸惑ったものの、そうですそうですと慌てて何度も頷いた。

「俺は階段から落ちてから見たんです。犯人は女子です。服装からそうわかりました」

 いやいやいや、と大松先輩が首を横に振る。そして俺に視線を向け、

「廊下でも話しただろう。それは信じられないって。だっておまえはこいつと親友だから」

 そう言って隣に座る林田の背中を力強く叩いた。そうだ親友だ、と林田は腕組みをして深くうなずく。

「だからかばっているかもしれないって――今も校長先生に話したところだ」

「僕にはその解釈がかたよっているように思えてならないのです」

 築垣が左手で右肘を支え、右手を顎に添えた。

「どういうこと?」

 鴨志田が鬼瓦じみた顔を斜めにする。

「大貫先輩が、現場から逃げる林田先輩を見たというのも、水沢先輩が、現場から逃げる女子を見たというのも、どちらも証言です」

 大松先輩が口をとがらせて抗議する。

「だから言ってるだろう。親友だから庇っている可能性があるって。だから俺は大貫の――林田が犯人であるって証言――の方が信じられるって思うんだよ」

「それもひとつの可能性でしょう。しかし林田先輩は、聞いたところによるとそれほど信頼のあつい人物ではありません。いやむしろ信頼なんてないに等しい。もっと言うなら嫌われていた。そう考えるなら、林田先輩をおとしいれるために大貫先輩が嘘をついているという可能性だって出てくるのです」

「俺、ちょっと落ち込んだ」

 林田が首をすくめて下唇を突き出した。

「お互いに可能性の域を出ないのですから、これ以上目撃情報について話しても無駄です」

「じゃあ、どうすんだよ」

「本人に聞いてみるべきです」

 築垣は林田の前へ移動すると、机の上に両手を置いた。

「林田先輩」

「なんだよ、おっかねえな」

「水沢先輩が階段から落ちたとき――つまり一時間目よりも前の時間、どこにいましたか? 何をしていましたか?」

 ふ、と横に座っている大松が鼻から息を漏らす。

「それが分かってたらはじめから疑われてはいないよ」

「そうだ、そういえば」

 美術室にいたよ、と林田は言った。

「なにッ?」

 大松はった。それから拳で机を叩いて、

「なんではじめから言わなかったんだよ」

 と林田に顔を近づけた。鼻息が荒い。林田は首を引いて、いやすっかり忘れてたわあ、と苦笑いを浮かべる。

 反対側に座っていた鴨志田も、その短躯たんくを前に傾げて机にひじをつき、

「きみねえ、自分が危ない立場だってもうちょっと自覚しなさいよ」

 冤罪を着たら大変でしょうが、と林田をさとした。すんません、と林田は謝る。が、相変わらず誠意が見られない。

「よく話してくださいました」

 唯一築垣だけが林田を褒めた。

「美術室には、誰かと一緒にいましたか?」

 いたいた、と林田は毬栗いがぐりのような頭をせわしなく上下させる。

「二年二組に竹中詩織たけなかしおりちゃんっていう人がいるじゃんか」

「竹中?」

 その人物なら俺も知っている。油絵を得意とする美術部の生徒だ。一年生の頃から才能を発揮し、幾度いくども絵画のコンクールで賞を獲っているという。

 正直――好みだ。

 背中を覆うほどの長い黒髪は光沢を帯びるほどつややかで、長い睫毛まつげに縁取られた瞳は宇宙を凝縮したように黒くて深い。か細い体は硝子ガラスで出来た人形のようにはかなくて、何より、冷たい。すべてを拒むような冷気を常にまとっている。学校で一番美しいのではないだろうか。

 その竹中と――。

「何してたんだよ」

 入口に立ちっ放しだった俺は、そこではじめて部屋の中へ踏み込んだ。うらやましいだろと林田が揶揄からかう。

「何って、部屋の中で二人っきりだぜ」

 愛を語り合っていたに決まってんじゃねえか、と林田は左右の肩を寄せるようにして身を細めた。満面の笑みだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る