「何かね、きみは」

 猿渡は汚物でも避けるように顔をそらせる。僕は探偵ですよと築垣は答えた。

「探偵?」

 猿渡はいぶかしげに顔をゆがめる。突き飛ばされた橋本も、探偵とは珍しいねえ、と言いつつ、築垣の挙動を見守っている。二人ともおそらく理解できないのではなく、困惑しているのだ。探偵を名乗る新入生をどう扱っていいものか。

 しかしそんな二人の反応など築垣は気にかける様子もなく、いきなり教頭にこう言った。


「奥さんと喧嘩して苛立いらだつ気持ちもわかりますが、だからといって他人に当たり散らす態度はいただけませんね」


「なにッ?」

 猿渡の声は裏返っていた。額に垂れたままだった髪を、震える手でかきあげる。あきらかに狼狽ろうばいしている様子だ。

「べ、べつに喧嘩などしていない。何を根拠にそんなことを」

「簡単なことです」

 築垣は背後で両手を組み、猿渡の正面を左右にゆっくりと往復しながら語った。

「聞けば猿渡先生は、ここ最近は学校でも家でも絵を描いてばかりいるそうですね。生活をするための時間も絵のために犠牲にしていたのでしょう。それにも関わらず、髪はきっちり七三分けにしていたし服装にも乱れはありませんでした」

 おそらく昨日までは、と築垣は人差し指を立てる。

「しかし今日は様子が違います。服はしおれているしネクタイも緩んでいますね。髪も乱れています。時間のない生活は昨日今日のことではないはず。それが今日に限って乱れているということは、生活を支えていた何かが失われたということです。その何かとは――」

 つまり奥さんです、と言って築垣は足を止めた。

「な、な、何を」

 猿渡はわなわなと唇を震わせている。そんな猿渡に築垣はとどめを刺した。

「左の頬だけが赤いのは、大方おおかた平手打ちを食らったからでしょう」

「黙りなさいッ」

 猿渡が甲高い声でいた。鳥のような声だった。

「いい加減なことばかり言うものではありません! きみは今すぐにその探偵ごっこを辞めることです! いいですね!」

 猿渡は一方的にそう言いつけると、築垣の返事も待たずにその場を後にした。赤い頬を抑えて、振り返り振り返り、こちらへ歩いてくる。背後の築垣が気になるのだろう。

 そして行く手に立っていた俺に当たって蹈鞴たたらを踏んだ。俺も蹌踉よろめいたが、なんとか持ちこたえた。

「廊下の真ん中に突っ立っているものではありません!」

 身体全体を震わせて叫ぶと、猿渡は早足で今度こそ去ってしまった。

 猿渡の姿が見えなくなると、あちこちから笑い声があがった。猿渡のさらした醜態が可笑おかしかったのだろう。普段から溜め込んでいた鬱憤が晴れて気楽になったせいでもあるかもしれない。まばらに拍手も起きている。俺も久々に爽快な気分になって、はらの底から笑った。

 そばで見ていた橋本だけが、目を丸くして築垣を見ている。

「嬢ちゃん、あんたすげえなあ。辻斬りならぬ辻推理だ。ひと目見ただけで何もかもお見通しじゃねえか」

 しかも別嬪べっぴんだ、と余計なひと言を付け加える。とんでもないです、と築垣は目を閉じて澄まし顔をつくった。

「僕は探偵ですから、このくらいは簡単なことです。困ったことがあったらいつでも相談に乗りますので、視聴覚室の探偵部までおいでください」

「探偵部?」

「そう。僕が創った部活です」

 では、と築垣は片手をかざす。

「僕はこれから急用がありますので、これで」

 そして橋本に背を向けると俺の方へ寄ってきた。そして俺の背後をまっすぐに指差し、

「余計なことをしてすみませんでした。さあ、行きましょう。生徒会室へ」

 俺の横をすり抜けて行ってしまった。置いてけぼりを喰う形となった俺は、またしても築垣を追う羽目になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る