3・現場検証

「どうだい? 怪我の具合は」

 廊下でそう話しかけてきたのは、サッカー部の部長である三年生の大松陸おおまつりくだった。背が高くて、鶏冠とさかのように立った髪が特徴的だ。といっても整髪料を使っているわけではなく、乾いた汗で固まっているか、寝癖でそうなっているかのどちらかであるらしい。だから教師からうるさく注意されることもない。日に焼けているのは、築垣の言った通り俺たち屋外競技をやっている生徒には共通していることなのだろう。

「これから待ち合わせなので、歩きながら話してもいいですか」

「もちろんさ」

 大松先輩はさわやかに答えた。

 待ち合わせ場所は、音楽室前の階段だ。俺が階段から突き落とされたことについてもっと詳しく知りたいと築垣が言うので、二時間目の終わりの休み時間にそこで待ち合わせることにしていた。

 怪我は大丈夫ですと俺は隣を歩く大松に言った。

「捻挫以外に怪我はありませんし、この捻挫も軽いものですから、すぐに部活に復帰できます」

 捻挫の具合については築垣に言われたことをそのまま伝えた。ただ、まだ医師にせたわけではないから本当のところはどうなのかわからない。

 半分以上は願望だった。そのへんのことを大松も察しているだのろう。

「それなら安心だな」

 そう言っただけで、深くは追求してこなかった。

「正直、がっかりだよ。今回はじめてレギュラーになったおまえの活躍を、俺も見たかった。でも、怪我ならしょうがないよな。治療は時間がかかってもじっくりしろよな。足はサッカー選手にとって命なんだから。俺たちは治るまで待ってる。おまえも努力してきたんだからゆっくり休め。それで――」

 たまにはクレッシダにも顔を見せてやれよと大松先輩は言った。

「え?」

 思わず歩みが止まる。大松も足を止めた。精悍せいかんな顔にはいつもの人懐こい笑みが浮いている。

 望月から聞いたぞと大松先輩は軽く息をついた。

「おまえ、クレッシダじゃ英雄扱いらしいじゃないか。それなのに顔も見せないなんて冷たいだろ。俺がクレッシダの新入生だったら、おまえに会いたいと思うな。もし会えたら間違いなくサッカーを目指すね」

 だからさ、と大松先輩は俺の肩に手をおいた。

「怪我の功名なんて古臭い言い回しだけど、せっかく休める機会に恵まれたんだし、クレッシダのちびっ子に会いにっ行ってやれよ」

 大松先輩に向けていた顔を、俺は正面に戻した。

 ――望月の奴、余計なこと言いやがって。

 歯噛はがみしつつも、表には出さなかった。

「考えてみます」

 また歩き出す。大松先輩も横についてくる。

「それにしても林田の奴、ちょっとやりすぎだよな」

 大松先輩が舌打ちをした。

「どういう意味ですか」

 俺は松葉杖を素早く繰り出し、横を歩いている大松の前へ回り込んで行く手をふさいだ。

「まさか先輩も、俺を突き落とした犯人が林田だと思ってるんですか」

 大松も立ち止まって、俺を見下ろす。そしてあっさりと、当たり前さと言った。なんでですか、と俺は問い詰める。

「考えてもみろよ。おまえはあいつからレギュラーの座を勝ち取ったんだぞ。いつも僅かな差で林田が勝ちっていたレギュラーを、今回は初めておまえに獲られた。恨みってほど大袈裟おおげさなものじゃないかもしれないけど、それなりの動機があいつにはあるだろ」

「それだけことで、仲間を疑うんですか」

「もちろんそれだけじゃないさ」

「じゃあ、なんで」

大貫おおぬきくんだよ。きみの同級生なんだろ。大貫健太。彼が見たって証言しているじゃないか。事件が起きた後、現場から林田が逃げていくところを見たって」

 ――やっぱりそこか。

 目撃証言があるというのは痛い。だが、目撃証言ならもうひとつある。

「そう言いますけど、じゃあ俺が見た女子生徒はどうなるんですか」

「女装くらい誰でもできるさ」

「そりゃそうですけど」

「大貫とはおまえも仲いいんだろ」

「まあ」

 クラスの中では親しくしている方だ。そう言うと大松先輩は、じっと俺の目を見て言った。

「親しい友人である大貫くんと、おまえ自身と、どっちが信じられると思うんだ」

「それはさすがに俺ですよ。自分が他人より信じられないなんて、絶望的にもほどがありますよ」

「まあ、それもそうか」

 大松先輩はあごでる。

「もう林田を疑わないでやってください。先輩の例えを引き合いに出すなら、見知らぬ女子生徒より、仲間である林田の方が信用できるはずです」

 とくに俺にとっては親友なのだ。だが大松先輩は、それでも首を縦には振らなかった。

「それでも俺は林田が怪しいと思うな」

「なんでですか」

「おまえが言ったことそのままさ。林田はおまえから見たら親友なんだろ」

「そうですけど」

「つまりおまえが林田をかばっている可能性がある。だから余計に林田は信じられないんだよ」

「いくらなんでもその見方はねじくれすぎですよ先輩」

 とは言ってみたものの、大松先輩の気持ちを変えることはできないことは目に見えていた。

 俺は説得を諦め、大松先輩の正面から避けて、再び廊下を歩きながら尋ねた。

「林田は、どうしてるんですか」

「生徒会室で、事情を聞かれているよ。校長先生から直々じきじきにね」

 また俺と並んで歩きながら、大松はそう答えた。

「校長先生から?」

 また俺は足を止めた。

 そりゃそうだよと大松は歩みを止めることなく答える。俺は急いで追いつきながら、なぜですかと訊いた。

「なぜって、だって階段から突き落としたんだ。下手したら死んでいたっておかしくない。そんな事件だぜ」

 校長先生も出てくるってもんさ、と大松は肩から力を抜いたようだった。

「俺もこれから生徒会室に行くんだ」

「なんで、先輩が」

「林田が普段どんな奴なのか、よく接してる俺からも話を聞きたいんだとさ」

 ちょうど廊下が丁字に交わっているところへ来ていた。

「じゃあな」

 大松先輩は手を振って、廊下を左へ折れて行った。

 ――まさか校長先生が出てくるなんて。

 そんな大事になるとは思ってもいなかった。なら、なおさら早く、林田の無罪を証明しなければ。

 もっとも、俺一人ではどうしようもないから築垣頼みなのだけど。

 ――築垣は。

 築垣はもう、階段の下にいるのだろうか。


「やあ水沢先輩」


 背後から声がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る