1・様子のおかしな一年生

 探偵とはどんな人物なのだろう。

 廊下を歩きながらそればかりを考えていた。俺自身は本や映画には興味がないからわからないけど、父が好きで、そういったものをよく観たり読んだりしている。去年なんかは、金田一耕助のコメディ映画が公開されたといって、あまり乗り気とは言えなかった俺も映画館へ連れて行かれた。

 それほど父は好きなのだ、探偵が。

 その父によると、シャーロック・ホームズは皮肉屋、エルキューレ・ポワロは極度の潔癖、金田一耕助はむさ苦しいらしい。

 三人とも、真夏の暑さでただでさえ参っているときに、すすんで会いたいと思えるような人物ではない。

 想像を巡らせて少し憂鬱になったところで、視聴覚室の前へたどり着いた。

 右手は松葉杖でふさがっているので、空いている左手で戸を開ける。


「ようこそ探偵部へ」


 よく通る声で俺を迎え入れたのは、予想に反して女子だった。

 窓を背に、入口に立っている俺と向き合うかたち立っている。背筋をぴんと伸ばして両手を背中に回している姿勢からは、執事のような上品さが感じられた。

 背は俺よりもこぶしひとつ分くらい高いだろうか。せていて色白で、髪は眉の上で切り揃えられている。そのおかげか表情が明るく見える。後ろ髪も、毛先が肩に当たらないくらいに短い。

 透明感があって活発そうな雰囲気に、左目の下にあるほくろ愛嬌あいきょうえていた。

 想像していた名探偵像とは程遠い印象だ。ほっとした。

「きみが、探偵?」

 ほかに人はいないから間違いないだろうと思ったが、一応確認する。

「そう、僕が探偵ですよ」

?」

 探偵を自称する線の細い後輩の女子は、手を後ろにまわしたまま、ゆったりとした歩調で歩み寄ってくる。

の名前は築垣麗つきがきれい。一年六組です。探偵部の部長です」

「探偵部?」

 聞いたことがない。そんな部活はないはずだ。そう言うと、僕がつくりましたと女子――築垣麗は言った。

「でも今はほかに部員がいません。だから学校からはまだ正式な部活としては認められていませんが、いずれ大きくしていくつもりです」

 よく通る低めの声は、アルトというよりテノールに近い。

「そんな先行き不安しかない探偵部に、記念すべき一人目の依頼者がやって来た。感謝します」

 話し終えると同時に、築垣は俺の目の前で足を止めた。

 後ろに回していた左手を差し出してくる。握手を求めているのだろう。

 仕草も喋り方も、どことなく芝居じみている。まるでミュージカルで男役を演じている女優のように凛々りりしい。その雰囲気に飲み込まれそうになりつつも、俺も手を出して、

「よろしく」

 握手をかわした。

「ところで水沢先輩」

 まだ名乗ってもいないのに名前を呼ばれてどきりとしたが、ジャージの胸元に名札が縫い付けられていることを思い出して納得した。

 学年は左足に履いている上履きを見て分かったのだろう。右足にだけ履いている上履きには、赤色のラインが入っている。赤は二年生の色だ。

 ちなみに一年生は黄色で、三年生の色は青だ。その青が、来年の一年生の色となる。三つの色を順繰りに使いまわしているのだ。

 唐突に、築垣が言った。


「朝練で怪我をしたばかりのことで不安かもしれませんが、その程度の怪我ならすぐにサッカー部にも復帰できますよ」


「なんで知ってるんだよ、そんなこと」

 ――まだ何も話してもいないのに。

 築垣は俺の情報を知っている。知っているはずがないのに知っている。

 なぜ知ろうとした? どうやって知った?

 背筋に寒気が走る。

 まだ手を握りあったままだったことに気づいて、素早く引っこめた。築垣の手はまだ握手をした形のまま残っている。

 ――こいつ。

 様子のおかしな一年生だとは聞いていたが、それは風変わりという意味だと思っていた。

 でも、それだけではないようだ。人の秘密を知る方法を持っている。それがどんな方法かはわからない。

 それだけに、得体が知れなかった。

 ――これは確かに。

 

「知っている? 何を、でしょう」

 とぼけているのだろうか。築垣は細い首を傾げる。

「俺のことだよ」

 築垣の態度に苛立いらだちを覚えて、声を荒げた。

「俺がサッカー部に所属していることも、怪我をしたのが朝練でのことだったことも、俺はまだ話してない。なのに、どうしてそれを知ってるんだよ」

 松葉杖を後ろにつき、一歩さがった。さっきまでは予想外のさわやかさに安心していたが、築垣に対して覚えている感情は、今や恐怖だ。ホームズやポワロや金田一のほうがまだ良かったかもしれない。

 が、築垣は脳天気な声で、ああ、そのことですかと言った。

「知っていたわけではありませんよ。見て、分かったんです」

「見て?」

「そうです」

「どういうことだよ」

「簡単なことですよ」

 築垣はくるりと背中を向けた。肩口で切り揃えられた髪がさらりと揺れ、スカートがふわりと膨らんで、しぼむ。それから左手の人差し指をぴんと立てて、今度は俺から遠ざかりながら語りはじめた。

「水沢先輩は日に焼けています。そこから体育会系の部活であることはわかりました。うちの学校で体育会系といえば、バスケ部とバレー部とバトミントン部と野球部とサッカー部と陸上部です。しかしやはり日焼けの具合から見るに屋内競技ではないでしょう。これで野球部とサッカー部と陸上部に絞られますね。さらに坊主頭でないことから野球部でないことはわかります。そこで今度は足を見ます。顔の日焼けに比べて足は妙に白い。それは靴下を履いているからではないか。陸上部は靴下を履きません。となれば、もう――」

 窓際まで遠ざかっていた築垣は、またくるりと体の向きを変えて俺に向き直り、

「――残された部活はサッカー部しかありません」

 そう言った。人差し指はまだ立てたままだ。

 俺は息を飲んだ。

「なるほどな」

 さすがは探偵を自称するだけのことはある。言っていることに筋は通っているように思えた。事実、築垣の言葉は正しい。

 だが、まだ疑問はある。

「怪我をしたのが朝練のときだっていうのは、どうしてわかったんだ」

「まだ一時間目が終わったばかりです。ならば朝練しかありません」

「その一時間目に怪我をしたかもしれないじゃないか」

 ないでしょうと築垣は首を横に振る。なぜそう言えるんだと俺は問い詰める。

「ジャージについている泥が乾いているんですよ」

「泥?」

「そうです。まず前提として、怪我をしたのは激しく動いたからだ――と考えてみます。では、激しく動いたのはいつのなのか。泥が一時間目についたものなら、まだ少しは湿っているはずです。それがこぼれ落ちるほどに乾いている。ついでに髪も固まっています。汗が乾いたせいでしょう。髪も泥も、汗をかいてから時間が経っていることを示しています。もちろん昨日以前ということはありません。昨日以前に怪我をしていたのであれば、今日は汗をかくほど動くことはできないはずですから。となると激しく動くことができたのは一時間目の前しかありません。一時間目より前に激しく動く理由といえば――」

 朝練くらいのものでしょう、と築垣は言った。

「なるほど」

 築垣の回答に、はないように思えた。

 知っていたのではなく、見て分かった――その言葉に偽りはないようだ。ならば、恐れる必要はない。加えて、腕は良さそうだ。

 ――これなら。

 もできるだろう。

「頼みがある」

 俺は近くの椅子を引いて、それに腰を掛けた。松葉杖は机に立てかける。

「何なりと」

 築垣は相変わらず気取った足取りで窓際から歩いてくると、俺の隣に腰掛けた。

 体の正面を俺に向け、背凭せもたれに肘をかけて頬杖ほおづえをつき、右足を左足に乗せる。まるで王者だ。

「どんな依頼ですか」

 よく通るのテノールで問いかける築垣に、さっそく依頼を持ちかけようとしたのだけど、その前に警戒心が働いた。

「はじめに、聞きたいことがある」

「なんでしょう?」

「相談した内容は、誰にも漏らさないでほしい。もちろん俺のことも、誰にも言わないと約束してほしい」

 築垣はアハハと快活に笑って、当然ですよと答えた。

「依頼人の秘密を守ることは探偵の信条です。もちろん依頼人に不利益になるような働きもしません。ご安心を」

 信頼を得ないと探偵部を発展させることもできませんしね、と築垣は最後に付け加えた。

 ――それもそうか。

 まるっきり信じることはできないが、騙されることを覚悟で信じてみる価値はあるだろう。

「実は、俺の親友が危機に陥っているんだ」

「ほう、危機ですか。穏やかじゃないですね。どんな危機です」

「今朝のことなんだけど――」

 俺は順を追って事情を説明した。

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