第29話 破れそうな胸の痛みと新たな壁②


「桃子、平気か?」

「……ん」


 何度も深呼吸して、呼吸を整える。

 そんな私の背中を、匠刀がゆっくりと撫でてくれている。


「兄貴の試合になりますよ~っ」

「ありがとーっ、今行く~~」


 施術室の方から父親の声が返って来た。

 そして、パタパタと複数のスリッパ音が重なる。

 常連の奥平さんと、私の両親だ。


「すみません、施術中に」

「いやいや、津田さんとこのせがれだと聞いたら、応援しないとな」

「虎太郎君の調子はどう?」

「結構いい仕上がりになってるみたいっす」

「そうか、それなら一安心だね」


 匠刀の父親は、親世代ではかなり有名な人だ。

 だから、うちの鍼灸院でも津田家はかなり有名なご利用者さん。

 オリンピックメダリストが地元にいたら、そりゃあヒーローだよね。


「出て来たね」


 大会のスタッフに誘導され、白い道着に青い帯姿だ。


「結構緊張してんな」

「そうなの?」

「首を左右に小振りにする時、結構緊張してる時だから」


 虎太くんでも、やっぱり緊張するよね。

 表情ではそんな様子、全く分からないけれど。

 相手に読まれないためにポーカーフェイスを決めるのも実力のうちだと、前に匠刀から教わった。


「頑張って……」


 無意識に手が合わさり、テレビに向かって祈ってしまう。


「大丈夫。彼女の前でカッコ悪いとこ見せらんねーから」

「……うん」


 そうだよね。

 雫さんにカッコいい姿を見せるためにも、きっと必死に頑張るはず。


「始まった」


 審判の合図で、深く一礼した両者。

 制限時間と点数、ペナルティの回数を表示するスコアが、テレビ画面の右下に表示された。


 体格はほぼ互角。

 だけど、贔屓目かな。

 虎太くんの方が、強そうに見える。


 開始から1分が過ぎようとした、その時。

 右足を軸にして、相手のお腹部分に虎太くんの左足の蹴りが決まったように見えた。


「入ったね」

「中段蹴り、技ありで2点っすね」

「虎太くんが取ったんだよね?」

「あぁ」

「すごーいっ!」


 思わず拍手。

 その昔、津田兄弟の試合を観に行ったこともあるけど、ルールがわからず、ただ応援してるだけだった。

 物凄い迫力で、試合会場にいるだけで圧倒されてしまって。

 正直言うと、怖くて全部観れた試しがない。

 いつも途中から目を瞑って、無事に終わるのを待っていただけだった。


「頭の防具、無いんだね」

「メンホーな。あれはオリンピックはしないな」

「……そうなんだ」


 前に観た匠刀の試合では、ヘッドギアみたいなやつを着けていた。


「おっ、また決まった」


 お父さんの声が待合室に響く。


「上段突き、有効1点。……兄貴、頑張れ」


 冷静に解説してるのだと思ったら、やっぱり匠刀も心配だよね。

 試合中は会場全体が静けさに包まれる。

 審判の声と選手の気合の声しか聞こえて来ない。


「あと1分」


 絞り出すような匠刀の声。

 瞬きも忘れ、眉間に深いしわが刻まれてる。


 きつく握られた匠刀の拳。

 その手に、そっと手を重ねた。

『大丈夫。虎太くんなら』

 視線をテレビに固定したまま、握り返された手。

『ありがとな』という匠刀の気持ちが伝わって来る。


 制限時間残り30秒を切った、その時。


「っぅああああぁぁーいっ!!」


 試合開始から何度も叫ばれている気合いだが、一番大きく聞こえた。

 しかも、動きが早くて目が追い付かない。


「よしっ」

「決まったの?」

「ん。技自体は、左上段突き、右上段突き、左中段回し蹴りの連続技で、最後の中段回し蹴りが決まって2点追加した」

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