第7章
第28話 破れそうな胸の痛みと新たな壁①
8月某日、ブリスベン オリンピック16日目。
匠刀の兄である虎太くんが、空手の組手で出場する。
虎太くんは、出発前日まで部活に顔を出していたらしい。
部長だから、部員のことを第一に考えてのことらしいけど。
オリンピックと言ったら、4年に一度しかないし。
競技生活をしている中で、そんなに何度も機会があるとは思えない。
だから、責任感の強い虎太くんらしいねぇと匠刀と話していた。
*
「桃子~、始まった?」
「まだだよっ」
鍼灸院の待合室にあるテレビの前にスタンバイしている桃子。
奥の施術室から、父親の声が届く。
日本とオーストラリアのブリスベンとの時差は1時間。
北半球と南半球で距離的には凄く離れてるけど、意外にも時差は殆どない。
「次の次の試合だって」
「お父さーん、次の次だって~」
「テレビに映ったら呼んでっ」
「はーい」
留守番の匠刀は、私と一緒に鍼灸院の待合室にあるテレビで映し出されるライブ映像で兄の応援をする。
国際電話で母親に電話して確認した匠刀が、待合室の椅子にドカッと座る。
今日くらい休診にしたらよかったのに、予約が何人か入っていたらしい。
とはいえ、虎太くんの試合になったら
「なんか、緊張して来た」
「何で桃子が緊張すんだよ」
「だって、虎太くんだよ?」
「だから?……まだ気になってんのかよっ」
「違うよ!!」
好きだった人だからじゃない。
あんたのお兄さんだから、家族みたいな気持ちになっちゃうんだよ。
「オリンピックに出れるだけでも凄いことだよ」
この舞台に立つために、たゆまぬ努力をして来たんだろうから。
「あ、親父映ってる」
「え?」
サポーター席にカメラが向けられ、日の丸の旗を振っている匠刀のお父さんが映った。
「おばさんいないね」
「さっき俺と話したらか、たぶん会場の外に出たんじゃね?」
「そっか」
「兄貴の彼女、どこだろ」
テレビに張り付くようにする匠刀。
うちのテレビで応援しなくてもいいのに。
一応、自宅のテレビで録画してるみたいだけど。
雫さん、気が気じゃないだろうな。
恋人がオリンピックの舞台に立つんだもんね。
「あっ、いた」
「どこ?」
「一番上の席。すげぇデカいカメラ構えてる」
「ホントだ!」
プロカメラマンみたいな、超どデカい望遠レンズ付きのカメラを三脚にセッティングしてスタンバイしてる。
しかも、クールな表情で。
さすがだ。
自身でも、何度も試合で優勝経験があるから違うのかな。
私には絶対真似できないよ。
会場の熱気がテレビを通して伝わって来る。
いつもテレビでしか観たことないけれど。
知人が出るとなると、緊張感が違う。
「匠刀もオリンピックに出たい?」
「……いや、俺は別に」
「そうなの?」
「空手をすんのは、兄貴だけで十分だろ」
「そんなことないと思うけど」
虎太くんと同じように、匠刀もずっと空手を続けてるから。
いつかはオリンピックに出場するのを目標にしてるのかと思った。
父親がメダリストだから。
兄も同じ道を辿っているから。
何の疑いもせずにいたけれど、匠刀はこの先、どうするのだろう。
*
組手の試合は3分。
注意や警告が入る度に制限時間が停止し、技が決まってポイントが入る度にも一時停止する。
だから、正確には3分より少し長くて。
知らない人の試合なのに、既に心臓がバクバクと大きく振動している。
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