第17話 絶望世界

 ホールを照らす煌々とした輝きを見て、エレノアは蒼白だった顔面を完全に真っ白なものにした。


(そ、そんな……!?)


 アリシアが生み出した光はエレノアの想像を超えた。広いホールそのものを照らすほどの光を一瞬で生み出した。しかも、その光には人々の気持ちを穏やかにする力があり、観客たちを心地よくさせている。

 エレノアにとって屈辱なのは、エレノアの動揺した心もまた、アリシアの魔法の影響を受けていることだ。それを『快なり』と無意識が判断している。


「……認められない……認められるはずがない……!」


 観客からの万雷の拍手に手を振って応えるアリシアの姿を舞台袖から眺めながら、エレノアは唇を噛む。

 敗色濃厚だが――

 エレノアは負けるわけにはいかないのだ。

 なぜなら、エレノアは侯爵家の威信を背負っているからだ。エレノアを大成させるため、多額の裏金が使われている。それだけの援助を受けた以上、敗北など許されるはずがない。


(ヴィクターは何をしているの!?)


 あの無能は本当に役に立たない! と、はらわたが煮えくりかえるような思いだ。

 エレノアの読みの通り、最大のリスクはやはりアリシアだった。その可能性を告げておいたにも関わらず、この結末だ。


(魔法を阻害する服を着せるんじゃないの!? どうして、魔法が使えているのよ!?)


 ヴィクターはそれを正しく遂行しているのだが、もちろん、エレノアはそんなことを知らない。結果だけを見て、ヴィクターの怠慢だと断じた。

 興奮は最高潮に達しているが、まだ心の中に余裕はあった。

 ヴィクターが審判団を買収しているからだ。

 買収している以上、エレノアの勝利は揺るがない。疑惑の勝利となったことは残念だが、しょせんは『人の感性』に基づく評価だ。厳格なルールで採点が定まっているわけではない以上、どうとでも言い逃れの余地はある。


(……ふふふ、残念ね、アリシア。あなたの魔法は立派だったわ。でも、勝つのは私、聖女候補になるのも私だから。発表を聞いて、悔し涙でも流しなさいな)


 高笑いしたい気持ちを抑える。今はまだ笑う時ではない。

 どんな形でも勝てばいい、それがエレノアの信念だった。

 アリシアの演技が終わり、審判団による討議が始まった。彼らの意見をすり合わせて聖女候補が決まり、発表される。


(議論することなんてないでしょう!? もったいぶらずにさっさと発表しなさいよ!)


 早く自分の勝利を確定させたい。この不安な気持ちを終わらせたい。そんなイライラとした気持ちで発表を待つエレノアの元に、とんでもないニュースがもたらされた。


「ヴィクター教師がお亡くなりになられました。何者かに殺されたようです。犯人はわかっておりません」


「は?」


 青天の霹靂とはこのことだった。ヴィクターが死んだ? 裏で全てを取りっ仕切っていたヴィクターが死んだ? 

 なぜ? どうして?

 いや、そんなことはどうでもいい――


(買収の事実はどうなるの?)


 買収した人間が死んでしまったのだ。果たすべき義務は存在しない。

 もちろん、対象となるエレノアは生きている。彼らはヴィクターの資金源が侯爵家であることも知っているだろう。ならば、一定の強制力は残っている。

 だが、どれほどの強制力なのか?

 ヴィクターはこのタイミングで、不審な死を遂げている。ヴィクターという裏側を知る人間の暗殺――その事実は強いメッセージでもある。

 この件から手を引け。

 でなければ、お前たちの命も保証しない。

 審査員たちは、果たして今も死んだヴィクターへの義理や、侯爵家の威光を恐れるだろうか? 疑惑の勝利を与えたと後ろ指を刺されてまで?

 全ては命あっての物種――


(するはずが、ない……)


 だって、エレノア自身ですら、死の恐怖に怯えているから。ヴィクターはどこまで話したのだろう? ヴィクターを殺した人間はどこまで知っているのだろう?

 自分がターゲットの中にいるのか、外にいるのか。エレノアは底冷えの夜のような悪寒を背中に覚えた。

 やがて、審査結果の発表となった。聖女見習いたちが舞台の中央に集まる。


「――聖女候補として、アリシアを選出する!」


「ありがとうございます!」


 両手を胸の前に組み合わせて、アリシアが喜びの表情を浮かべている。両目から涙をこぼし、成し遂げたことへの万感の想いが滲んでいる。

 栄光を手にするアリシアの姿を、エレノアは絶望に包まれた気分で眺めた。足元が崩壊し、奈落の底へと落ちていくようだ。

 やはり、審判団は己の命欲しさに方針を変えたのだ。

 エレノアが鋭い視線を飛ばすが、彼らは決して視線を合わせない。もうエレノアなど存在しないかのような態度だった。

 エレノアはぎりっと歯を噛み締めると、舞台袖へと引っ込んだ。

 怒りは煮えたぎっているが、しかし、悲しみや悔しさも込み上げてくる。エレノアにはエレノアの譲れないものがあり、家のため、己の未来のために戦った。勝つためにあらゆる手段を講じた。

 なのに――


「う、ぐっ……う、あああああ!」


 我慢できなくなった涙を流し、エレノアが膝を折る。

 敗北の許されない戦いで、全てを賭して戦い、見事に敗北した。エレノアは無価値になり、輝ける未来も消えてしまった。

 消えたどころではない。

 ヴィクターの死という要因は、エレノアに不吉な予感すら与える。

 終わりのない、絶望と破滅への転落――

 全てを失ったエレノアは、かわいそうな己の身を思い、さめざめと涙を流した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る