第15話 聖女候補選抜試験
聖女選抜試験を明日に控えた夜も、私はルシウスと一緒に夜の訓練に明け暮れていた。
と言っても、相変わらず『聖グレゴリウスの瞳』に手をかざし祈り続けるだけなのだけど。
「――終わりました」
ふぅ、と息を吐き、私はかざしていた手を下ろす。
最初の日から2ヶ月が経ち、だいぶ慣れてきた。最初は精神が消し飛ばされそうなプレッシャーをいつも感じていたけれど、今は突風に煽られているくらいかな? かなり辛いけど、覚悟を決めて臨めばどうにか耐えられないこともない。
ぱちぱちぱち、と離れた場所で座っていたルシウスが手を叩いた。
「素晴らしい。よく頑張ったね!」
「ルシウス様のおかげです」
心の底からそう思う。特に最初の2週間くらいは、頻繁にあちらの世界に召されかけていたから。それを繋ぎ止めてくれていたのはルシウスのおかげだ。
今でこそ離れた場所に座っているけれど、1週間くらい前までは、いつも私のために横で待機していてくれたのだ。
「すごく助かりましたけど、退屈じゃなかったですか?」
「全然。真剣に祈りを捧げるアリシの顔はとても美しくて、見ていて飽きないからね」
「な――!」
そんなことを言われると心臓に悪い。
……ルシウスは少し意地悪なところがあって、こういう感じの言葉を吐いて私を戸惑わせる。
「冗談はやめてください」
「心の底からの本気なのだけどね」
ルシウスが肩をすくめる。
「明日の聖女選抜試験が楽しみだね。特級聖具すら扱えるようになった君の実力がどれほどものか」
「そうですね」
私も少しは期待してしまう。灰色だった日々とは違うことを積み上げてきたのだから。第1級聖騎士ルシウスと、特級聖具を使った修練。そんなことを昔の私に告げても信じないだろう。
それほどの絵空事。
現実的ではないことが起こったからこそ、期待は膨らむ。積み上げたもので、薄暗がりに沈んでいた未来が輝くんじゃないかと。
だけど、それでも、やはり現実感はない。
本当に成績抜群のエレノアに勝てるのだろうか?
「大丈夫、私が保証しよう。君は必ず聖女候補に選ばれる」
「……だったらいいんですけど……」
「教会組織そのものを破壊してでも君を選抜させるから」
「……そ、そこまでしなくても大丈夫なんですけど……」
たまにルシウスはこの手の、行きすぎたジョークを口にしてくる。当然、ジョークなのだけど、原作キャラが世界を滅ぼそうとするラスボスなので、ちょっと心配になってしまう。ジョークなのだろうけど。
「不安に思わなくてもいい。君が選ばれる未来だけは絶対だから。まだまだ私も協力を惜しまない。二人で栄光をつかもう」
「はい!」
そうだ。私がしっかりしなければ。ルシウスがこんなにも『できる』と言ってくれているのだから。張本人である私が『負けるかも……』と弱気でどうする。
積み上げたものに自信はある。胸を張って挑もう。
そして、一度は諦めかけた夢を今度こそ掴むのだ。
「頑張ります!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
聖女候補選抜試験の当日となった。
試験会場は教会内部にある大きなホールで行われる。宗教都市カラドナだけあって、聖女候補の選抜は大きなイベントであり、ホール内には名士たちが集っている。
彼らを前に、聖女見習いたちが学んできた魔法を扱い、その優劣を競う。最終的には教会に所属する審査員たちが厳正なる判断を下し、聖女候補を選抜する。選ばれた聖女候補は王都へと旅立ち、最終的な聖女の座を、同じ聖女候補たちとともに争うことになる。
そんな運命を結する会場を見下ろす個室に教師ヴィクターは陣取っていた。特等席から、聖女見習いたちのパフォーマンスを鑑賞している。
(厳正な結果、エレノアが選ばれるのは確定しているがな)
くくく、と口元に笑みを浮かべる。
買収済みの審査員とは口裏を合わせている。万にひとつも優勝者は変わらない。そもそも、エレノアの実力がナンバーワンなのは揺るぎない。エレノアの両親から賄賂をもらったヴィクターが、徹底的に依怙贔屓をして育て上げたのだ。
(実力の上でも差がある。波乱は起こらない)
この仕事がうまくいけば、エレノアの実家である侯爵家の覚えもめでたくなるだろう。侯爵家は教会に近く、多くのツテを持っている。つまり、ヴィクターの未来も安泰なわけだ。
(ふははは、どれほどの未来が広がるのか、実に楽しみだな!)
聖女見習いたちが次々と試験を消化していく。
やがて、エレノアの順番がやってきた。エレノアは舞台の真ん中に立つと一礼し、讃美歌を歌い始めた。
それがテストの1つ目だ。普通の歌ではなく、聖なる力を宿して歌う。その結果、人々の心を和ませる鎮静効果を与えるわけだ。
どれほどの影響力を持つのか、をテストするわけだが――
(ふむ、観客たちが聞き入っている。さすがはエレノアだな)
他の聖女見習いたちのときは、退屈そうにしている客もいたのだが。エレノアの歌には耳を傾けるだけの価値があるわけだ。
歌が終わり、観客たちの拍手が会場に響く。
続いて、次のテストが始まった。
シスターが舞台の袖から台車を押して現れる。台車には、ぐったりとした大きな犬が寝込んでいた。その表情に活力はなく、虚な様子だった。
次のテストは回復魔法である。
この犬には、薄い毒を含ませた食事を与えている。魔法によってどこまで癒せるかを実験する。
エレノアが寝込んだ犬に手を押し当てて祈りを捧げる。手のひらに現れた聖なる輝きが犬の体に流れていく。
垂れていた犬の耳がピンと伸びる。閉ざされていた瞳が開き、疲労困憊とばかりに開いていた口が閉じる。まだ少しよろめきながらも、一定の元気を取り戻した犬は4本の足で敢然と立ち上がった。
おお! と観客たちから歓声を挙げて、再びの拍手が続く。
(ふむ、上々だな)
他の聖女見習いたちであれば、犬は少し楽そうになるとか、その程度のレベル。完全回復まで持ってくるとは、素晴らしい結果だ。
そして、最後の試験が始まる。
会場の明度が落ちた。薄暗くて、観客からエレノアはぼんやりとした人影くらいにしか見えないだろう。
最後の試験は、聖なる光を灯す試験だ。
エレノアを中心に、スイカほどの大きさの、ぼんやりとした光の玉が浮かび上がる。
(ここまでなら、他の見習いもやれたが?)
だが、エレノアは違う。『複数』の光球を出現させた。それだけではない。とん、と光の玉を押して、中空を滑らせる。観客席のあちこちに移動した光の玉が、柔らかい光を投げかけた。
幻想的な光景に、観客たちが感動の声を漏らした。
(素晴らしい!)
心をくすぐる演出もよく決まっている。今までの生徒たちとの実力差も明らかだし、エレノアが選ばれることに不思議はない。
(審査員の買収は不要だったな)
自分の勇み足を悔いる。万難を排するため、侯爵からもらった予算を使ったわけだが、余っていれば自分の懐に入れることができたから。
エレノアは観客たちの拍手に送られて会場を去っていった。
その拍手には、エレノアこそ聖女候補である、という熱が確かにこもっていた。彼らの中でも選抜は決したのだ。
ここで終わっていればよかったのに――
(……やれやれ、蛇足だったか)
最後の試験が残っている。
劣等生アリシアの試験が。
エレノアの試験結果で場が盛り上がることはヴィクターにも予想ができた。よって、その後の、最も演技がしづらいところにアリシアを置いた。
劣等生アリシアの微妙な結果を強調し、嘲笑うために。
エレノアに肩入れするゆえに、ヴィクターのアリシアへの接し方はエレノアの意向に引きずられるのだ。
だが、エレノアの会で終わっておけば良かったと後悔している。美しく描かれた絵画に、薄汚れた黒を雑に落とすようなものだ。
会場の空気は、すでに試験への興味を失っている。ざわざわとした会話が続いている。
その空気の中、アリシアは一礼、讃美歌を歌い始める。
(……ふふふ、恥をかくだけなのになあ……)
小さく笑ってしまう。
アリシアの歌は微妙な結果どころか、完全な失敗に終わる。なぜなら、彼女の着ている『試験用の聖女の正装』には聖なる力を散らす繊維が織り込まれているからだ。
なんの効用もない歌声をさらすだけ。そんなもの、ここに集まった観客たちには失笑でしかない。
(ほらほら、観客たちが静まったぞ。退屈で仕方がな――)
そこで、ヴィクターは異変に気がついた。
エレノアの結果に熱狂していた観客席が一瞬で沈静化していることに。観客たちは最前までの気持ちを忘れ、アリシアの歌に聞き入っている。
(そ、そんな……バカな!?)
確かに、この歌には人々の心を穏やかにする効果がある。だけど、あそこまで興奮していた人たちを沈静化させるには、生半可な効果では足りない。おそらく、エレノアですら無理だろう。
おまけに――
「あ、ありえない……」
彼女の聖なる力は今、ヴィクターの策略によって大きく減じている。そもそも魔法が発動するはずがないのに――
「どうしてこんなことが……理解できない……」
割れた声が口からこぼれる。
背後から、不意に若い男の声が聞こえた。
「――何が、ありえないのかな、ヴィクター教師?」
「――!?」
ヴィクターが慌てて振り返ると、出入り口に黒髪黒目の男――第1級聖騎士ルシウスが立っていた。
口元に、肉食獣のような笑みを浮かべて。
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