第14話 悪役会議

 ツァイトシュロス教会のような歴史ある巨大な建物には、ひとつやふたつ、ほとんどの人間が知らない隠し部屋のようなものがある。

 そんな狭い部屋のひとつに、聖女見習いエレノア・クラテネロ侯爵令嬢は苛立ちとともに座っていた。

 ドアが音もなく開き、中年の男が入ってきた。

 エレノアたちの教師、ヴィクターだ。


「お待たせして申し訳ございません、エレノア様」


 ヴィクターは授業中において敬語を崩さない男だが、その挨拶には敬語以上のへりくだりがあった。


「無駄な会話はいらないわ。ほら、さっさと座りなさい」


 エレノアがテーブルを指でトントンと叩く。

 生徒からの横柄な態度にも、ヴィクターは怒らなかった。


「もうすぐ聖女候補の選抜会があるわよね?」


「はい、その通りです」


「私は本当に優勝できるのかしら?」


「もちろんです。成績最上位はエレノア様ですから。普通にやれば合格です。みんなそう思っています。試験など、不要なくらいですから」


 ヴィクターがヘラヘラとした笑みを浮かべる。

 それは、この男の現実認識の甘さを表しているようで、エレノアの不快度はさらに濃度を増した。


「だったら、なしにしてくれない? 別に構わないでしょう?」


「い、いえ……それは、その……さすがに。形式というものがありますから。出来レースでも必要なのです」


 そんなことはわかっている。だけど、それをしないとエレノアの不安は消えない。


 ――エレノア。当家からはもう何代にも渡って聖女は愚か、聖女候補すら出せていない。どんなことがあっても聖女候補にはなるのだ。できなければ、わかっているな?


 そう言って、両親から教会に送り出された。教会と関係の深い名家にとって、その事実は恥以外の何者でもない。

 聖女候補の座を勝ち取れば、エレノアの実家における立場も飛躍的に高まるだろう。それは、逆に言えば、失敗すれば全て失うことを意味する。

 両親もエレノアの才能に全てを賭けているのだろう。惜しみのない協力が行われた。それは教師であるヴィクターに多額な賄賂を渡し、特別待遇を約束させることも含まれている。

 汚い部分まで抜け目なく実家がサポートしている。おかげで、普通にやれば合格できるのだ。

 つまり、失敗は許されない。

 エレノアにとっては『必勝』こそ重要だった。


「何を心配なされているのですか? 劣等生の駄犬と、あなたにシッポを振る走狗どもしかいないでしょう?」


「…………」


 即答できなかった。答えは閃いたが、それを口にすることをエレノアのプライドが許さなかったから。だけど、仕方がない。出来レースとはいえ、大勝負が控えている。決して抜かりがあってはならないから。リスクファクターの共有は重要だ。


「その駄犬が問題なのよ」


「駄犬――アリシアですか?」


 ヴィクターの表情は、全く理解できません、と物語っている。その察しの悪さと無能さがエレノアを苛立たせる。

 アリシアに才能があることを、エレノアはすぐに見抜いていた。

 もしも、聖女候補レースにライバルとして現れるのなら、この女だろうと確信していた。

 だから、迫害することにしたのだ。強く当たり、嫌がらせをして、その成長を邪魔したのだ。可能であれば、心を折って教会から退去させたかったのだけど。

 とはいえ、少し前まで、エレノアはアリシアの才能こそ認めていたが、脅威とは見做していなかった。その才能は開花する前にエレノアがスポイルさせたからだ。

 その自信が、この1ヶ月くらいで揺らぎ始めてきた。

 明らかにアリシアの魔法に、以前までと違う『何か』を感じるのだ。それはまだまだ乱雑で、稚拙で、自分自身ですら制御できていないようだが、確かに萌芽を感じる。

 取り巻きたちと一緒に失敗するアリシアを笑いものにしているが、エレノアの心には冷えたカミソリがそっと当てられていた。


 ――何かが、起こるかもしれない……。


「アリシアなど気になさらないでください。確かに唯一、あなたとは距離のある人物ですが……敵ですらありません」


 ここに金槌があれば、この愚か者の頭を叩いていただろう。ヴィクターの愚鈍さには飽き飽きする。アリシアの輝きに気づいていないとは! それでよく教師をしているものだ。

 だが、その事実こそが、教会側の人材の払底――あるいは、教会そのものの腐敗の象徴なのかもしれない。

 アリシアの才能を教えても良かったが、エレノアはやめた。エレノアのプライドがそれを許さなかったのだ。


「そうね、あの子はネズミよ。確かにね。でも、牙を剥いているのは確か。窮鼠猫を噛むというじゃない? 万に一つを避けたいの」


「素晴らしいお考えです、エレノア様」


 露骨な追従を口にする。


「ですが、このヴィクターに抜かりはありません。どれほどの結果を残そうと、勝つのはエレノア様です」


「断言する根拠は?」


「試験の審査員は、すでに買収済みです」


「へえ、やるじゃないの」


 ようやく、エレノアは機嫌が良くなる言葉を聞くことができた。意外と手回しのいい部分もあるようだ。

 確かに、それであれば負けるはずがない!


「これでご安心できましたか?」


「悪くはないわね」


 少し考えてから、エレノアは次の言葉を吐く。


「だけど……そうね、もし、アリシアが想像以上にすごい結果を出したらどうするの?」


「それでも審判団はエレノア様を勝者とします。お約束します」


「ええ、そうね。それは素晴らしいことよ。でもね、疑惑のある勝利は良くないでしょう? 私の家に傷がつくわ。目指すのならば、完勝するのはどうかしら?」


「素晴らしいところに目がつきますねぇ」


「何か解決案はあるのかしら?」


「そうですね……では、アリシアの着る服に細工を施しましょう」


 通常、聖女見習いたちはシスター服を着て生活をしているが、聖女候補の選抜には『聖女としての正装』を着て臨むことを義務付けられている。

 もちろん、聖女見習いがそんなものを持っているわけではないので、教会から貸し出す。その衣装に細工をするわけだ。


「アリシアの服に、聖なる力を阻害する繊維を織り込みます。たいしたこともできずに恥をかいて終わるでしょう」


「ふふふ、いいきみね。面白いわ」


「気に入っていただけたようで光栄です」


「何か疑問を持たれる要素はあるかしら?」


「ありません。アリシアが劣等生だということは知れ渡っていますからね。知っているものは疑問に思わず、知らなかったものも、知っているものから不思議はないと聞かされて終わりです」


 それは確かに道理の通る説明だった。

 この段になって、ようやくエレノアは満足した。この数日、苛々とした気持ちが急激に和らぐのを感じる。


「では、その通りに進めてくれる?」


「わかりました。滞りなく」


 上機嫌になったエレノアは、聖女候補として栄冠を掴む己の姿を見事に幻視した。




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