第9話 世界を滅ぼしていたはずの元・暗黒騎士の胸の内
パーティーが終わった後、ルシウスはあてがわれた部屋に戻った。
礼服の上着を脱いで、ベッドに腰掛ける。
実に、無駄な時間だった。教会内部が腐敗していることなど、ルシウスはとっくに見抜いている。はらわたの腐った連中との会話など、自分の時間をゴミダメに捨てているのと同義だ。
ルシウスの根底は『透明で純粋な水』のようなものだ。
原作では、その透明さゆえに、真っ黒な憎悪に染まり、世界を滅ぼすに至った。純潔なルシウスからすれば、腐臭のする連中など視界にも入れたくないのだ。
「本当にどうしようもなくくだらない1日だろうと思っていたけど――」
そこで、口元がニヤリと笑う。
「まさか、こんなに素晴らしい日になるとは」
本当は最高の1日と言いたかったが、それは今後のために取っておくことにした。今日は、始まりでしかないのだから。
アリシア――
彼女との再会は実に喜ばしいことだった。
思わず、
――人の役に立ちたかったからかな。
先ほど、アリシアになぜ教会に来たのか、と問われて、そう答えた。
だけど、それは全くの嘘だ。
本当の答えは、子供の頃のアリシアが教会に入ると言っていたから。教会に入ればアリシアと再会できると思っていたからだ。
「ああ、アリシア……君に逢いたかった」
彼にとって、それほどアリシアという存在は大きかった。
8年前に出会ったアリシアは、妄執に取り憑かれた祖父との地獄のような生活に現れた女神だった。ずっと人など信じるに足りない、ゴミどもばかりだと思っていた。可能ならば、価値のない世界ごと滅ぼして絶滅させてやりたいとすら思っていた。
ずっとずっと、そんな暗い感情が澱のように心の中に溜まっていた。
だけど、そんな世界の見え方を変えてくれたのが彼女だった。
年下にも関わらず、アリシアの優しさと包容力は傷だらけで闇に沈んだルシウスの心を確かに癒したのだった。
アリシアと別れてからも苦しい日々は続いたが、以前とは心の持ちようが変わった。
アリシアと過ごした日々が、ルシウス少年を支えてくれたから。
ゆえに、アリシアという存在が彼の中で日に日に大きくなっていくのは仕方のないことだった。今やアリシアへの感情は信仰のような深みにまで至っていた。
だから、教会の門を叩いた。
女神への敬愛でも、人々への奉仕も存在しない。
ただ、アリシアに出会いたいという感情だけがそこにあった。
剣の腕に長けていたルシウスはすぐに頭角を表し、あっという間に第一級聖騎士にまで上り詰めた。
そこに至り、ルシウスが喜んだのは、
(ああ、この権力があれば、アリシアを探しやすくなる)
それだけが理由だった。
宗教都市カラドナへの訪問が決まったとき、その可能性には気づいていた。滞在先であるツァイトシュロス教会では聖女候補の教育と選抜が行われていたから。
だから、聖女候補たちの名簿を取り寄せて興奮した。
そこに、アリシアの名前が見つけたからだ。
同じ名前の別人という不安は少しも考えなかった。聖女候補を目指すアリシアが、あのアリシア以外ないのだから。
そして、パーティーに参加して――
幻滅した。
アリシアの姿がどこにも見当たらなかったからだ。
「この教会で聖女候補を目指して修行をしております、クランテネロ侯爵の娘エレノアでございます。以後お見知り置きを」
そんなことを言いつつ、シスターとは思えない派手な身なりの女が挨拶をしてくる。横に立っていた教師がその後を続けた。
「エレノア嬢はとても優秀な生徒で、当教会の聖女候補ナンバーワンでございます」
「素晴らしいですね」
にこやかに応じる。その後はエレノアが自分を売り込もうと、いかに自分が優秀で将来有望かを語ってくれた。笑顔で相槌を打っていたが、ルシウスの心はここになかった。視線はエレノアを見ているようでいて、その背後の景色を映していた。必死にアリシアの姿を追っていた。
――結局、見当たらない。
カラドナには長い滞在が決まっている。アリシアを探す機会は明日以降にもある。
だけど、それではダメだった。
もう8年間ずっと我慢していたのだ。会いたい、会いたいという気持ちは積もりに積もっていた。そもそも、ルシウスは我慢をするタイプではない。
「申し訳ありません。今宵の素晴らしさに我を失って、興奮がおさまりません。少し夜風に当たってきます」
そんなことを言って、会場を抜け出した。
(どこだ、どこにいる?)
そして、見つけた。8年間、ずっと探し求めていた女性を。
その瞬間の喜びを、ルシウスは忘れない。真っ暗な夜の海を進むような人生が、まるで灯台を見つけたかのように光り輝いた。
8年ぶりに出会ったアリシアは、昔に比べて落ち込んでいるように見えた。
聖女になりたい、人のために尽くしたい、そんなことを楽しげに語っていた彼女の表情は陰り、曇っていた。
ルシウスの女神は輝きを失っていた。
それはルシウスの失望を意味しない。
「なんて素晴らしい展開なんだ」
むしろ、喜びすら覚えてしまう。
ルシウスはアリシアを自分だけのものにしたかった。アリシアはルシウスを救った女神であり、現人神なのだ。それほど大きな存在――分つことの難しい半身のようなもの。
アリシアが再び自分の手を離れていく未来など、あってはならない。
心を痛めたアリシアに寄り添えば、二人の絆は深まるだろう。ルシウスにとってアリシアが特別なように、アリシアにとってもルシウスが特別な存在になる。
それはきっと素晴らしいことだ。
もう8年前の薄汚れたルシウス少年ではない。実力も名誉も金銭も、1人の女性を幸せにするには有り余るほどのものを持っている。
アリシアにとっての『特別』になりたい――それは決して不遜な考えではないだろう。
「もう2度と離さないよ、アリシア……」
アリシアをずっと近くに置き、ずっと笑顔にし続けたい。
聖女になる、という夢を叶えれば、それも可能だろう。アリシアは無理だと言っていたが、ルシウスは全くそう思わない。
「アリシア以外の人間が聖女になるなど、ありえない」
心を真っ黒に染めた少年時代のルシウスに光を見せてくれたのがアリシアなのだ。あの優しさが聖女に届かない道理などありはしない。
女神がアリシアを選ばないとすれば?
それは、女神が間違えている。
そんな女神はいらない。見つけ出して殺し、アリシアを聖女にする。
「アリシア、君こそ聖女にふさわしい。必ず私が君を聖女に導こう」
そのとき、アリシアはどれほどの喜びを抱いてくれるだろう。そんなアリシアを見て、己はどんな恍惚を覚えるだろう。来る未来を想像し、ルシウスは楽しげに笑った。
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