第8話 聖女になるのは君だ

「私は――」


 言葉がそこで止まった。あまりにも光り輝ける道を進む彼と比べて、今の私の現状はあまりにもみすぼらしい。暗くて、湿気っていて、惨めで――

 それを口にすれば、彼が持つ、彼にとっての救世主である私の幻想を打ち砕いてしまうのかもしれない。それが怖い。

 ……だけど、ここで虚飾を語るのもおかしなものだろう。そもそも、素朴に近い私の性格はそうではないのだから。

 砕けてしまうのならば、それも仕方がない。


「あの後、両親を事故で亡くしまして……その後、聖女になる夢を追って教会に入ることにしました」


 厳密には、聖女になる夢は私の本体であるアリシアちゃんの夢なのだけど。彼女の意思がどれほど残っているのか不明だけど、その想いや感情の残骸は私の行動に影響を及ぼす。

 なので、私もその夢を追うことにしたのだ。

 両親が亡くなった以上、手っ取り早く寝食を確保する最善の方法であったのも事実だけど。


「それでこそアリシアだ。で、聖女に至る道の現状はどうだい?」


「……かんばしくありません」


 勇気のいる言葉だったが、胸の痛みとともに押し出した。それに、隠しても意味がない。教会でも高位に位置する第1級聖騎士であれば、調べようと思えばすぐにわかるのだから。


「修行には励んでいるつもりですが、私の力はあまり向上が見られません。お恥ずかしい限りですが、最低位の序列である状況です」


「で、首席があのエレノア・クランテネロ侯爵令嬢というわけか」


「エレノア様をご存知なのですか?」


「パーティーで会話をしたからね、派手なドレスに身を包んで、聞いてもいないのに私が首席だと豪語されたよ。侯爵家の令嬢というのも教えてもらったよ。聞いていないけど」


 まるで道化でも見たように、ルシウスが笑う。


「あまり興味のわかない人物だったね」


 その言葉は、私を不安にさせた。

 確かにエレノアが『性根のいい人物』とは思えないが、実力も立場も軽んじていい相手ではない。若くして第1級聖騎士になった傲慢さだろうか。それは、彼の未来に良くない。

 彼のための言葉を届けなければ――


「ですが、成績が素晴らしいのは事実で、この教会からの聖女候補として選出される人物だと目されています。縁を大事にしたほうがいい人物かと」


「ふふん、私のことを心配してくれているんだね」


「ご迷惑かとは存じますが――」


「いや、君が私のことを気にしてくれた事実が嬉しいよ」


 微笑を浮かべてルシウスが応じる。


「ただね……聖女になるのは彼女ではないからね」


「エレノア様では、ない……?」


 確かに、この教会で選出されるのは、あくまでも『聖女候補』だ。選抜された聖女候補たちが王都にある大教会に集められて、最終選抜を行うことになっている。第1級聖騎士であるルシウスであれば、他の候補者に関する情報を知っていてもおかしくはない。

「誰か心当たりがあるのですね」


「ああ、それは――君だよ」


 キミダヨ、という言葉の意味が全く理解できなかった。頭の中にストンと入ってこなかった。その単語が、そこに続くとは思ってもいなかったから。

 すぐに反応を見せない私に、ルシウスが言葉を重ねた。


「君だよ、アリシア。君が次の聖女になる。私はそう確信している」


「――!」


 さすがの私でも、言葉がすとんと胸に落ちてきた。だけど、それはあまりにも荒唐無稽すぎて、信じられる要素がなかった。


「ええと……気を遣っていただいて、ありがとうございます?」


「私は本気だよ」


 冗談めいた私の言葉を、ルシウスが逃げる余地のない一言で粉砕する。


「次の聖女になるのは、君だ。アリシア」


 その言葉には間違いなく本気の感情があった。心の奥底からの本気で、ルシウスは私が聖女になると言っている。

 それはありがたいことで、喜ばしいことだけど――

 申し訳ない気分が大きくなる。

 なぜなら、その言葉はルシウスの色眼鏡から出ているからだ。幼い頃の、強烈な体験。自分を導いた存在への憧憬。そんなものが混ざり合って、ルシウスの中で私への評価が美化されている。


 ……残念ながら、現実の私は飛べない鳥にしか過ぎない。


 同時に、ルシウスをこのままにしておくのはダメだと思った。教会に所属したことで、その内部は『政治的な空間』だと痛感している。子供めいた憧れを口にするルシウスのロマンチズムを解く必要がある。それが彼の将来のためだ。

 それが、たとえ、ルシウスの私に対する幻想を失わせることであったとしても。


「そう言ってくださるのはとてもありがたいのですが、今の私の現状を見る限り、それは夢物語でしょう。子供の頃の記憶を大切になされるあまり、今の私が見えていません――」


 己の心を殺すつもりで、次の言葉を吐いた。


「……私は、ただの落ちこぼれです」


「いや? 君が聖女になるのは間違いないけれど?」


 人の話を聞いていたのかーーーーーーい!

 全くもって、伝わっていない!


「どう考えても、私は聖女になりません! 聖女候補にすら選ばれません! エレノア様のほうが遥かに可能性が高いです!」


「ああ、あの俗物か……」


 くすくすとルシウスは笑う。


「あんなものを選ぶのなら、女神も実に趣味が悪い。課金主義だから不思議でもないか」


「か、かき……?」


 女神に対する皮肉めいた言葉に混乱してしまう。それに、課金主義と言ったか……? どういうことだろう……?


「いずれわかるよ」


 そんな私の疑問を察したようにルシウスが言う。


「どれだけ言っても、君は私の言葉を信じないし、君は君自身を信じない。論より証拠だ。君が私を第一級聖騎士に導いたように、私が君を聖女に導くとしよう。明日の夜から時間を取れるかい?」


「え?」


「しばらくこの街に滞在する予定なんだ。君が聖女になれるよう、私がレクチャーしてあげよう」


「――!」


 なんという行幸だろう。第1級聖騎士となったルシウスの教えだ。無駄になることはない。それで聖女になれると思うほど短絡的ではないけれど、袋小路に迷い込んだような薄暗い感情を少しは和らげることができるかもしれない。


「……ありがたいのですけど、本当にいいのですか?」


「何が?」


「私なんかに肩入れしていることがバレたら、よくないのでは?」


「君が気にする問題じゃあない。私が気にならないのだから」


 そう言って、ルシウスが右手を差し出す。


「君が選ぶことはね、アリシア、私のこの手を取るかどうかだ。もし、取らないとしたら――」


「取らなければ?」 


「この場ですぐ、こちらから君の手を取るか、あるいは、君に私の手を取るように命令するか、どちらがいい?」


 冗談めいた言葉だけど、決して冗談ではない。ルシウスの目には本気の輝きがあった。あなたを絶対に逃さない。私に残された道は1つしかない。

 どうせ1つしかないのなら、己で選びたい。

 与えられたよりは、選んだと胸を張りたい。


「……お願いします」


 私はルシウスの手を取った。長身の騎士に相応しい、大きくて硬くなった手を。


「うん、これで契約成立だ」


 ルシウスは満足したのか、明日の待ち合わせについて話をすると、機嫌がよさそうな様子で「やれやれ、気乗りしないけどパーティーに戻るかな」と言って立ち去った。

 再び、私は寒風が吹くなか、冷たいバケツとともに取り残された。これから戻って掃除を続けなければならない。

 教会を見上げる。

 パーティー会場は煌々と輝き、きっと暖かい場所で美味しいものを食べながら、楽しい会話が繰り広げられているだろう。

 だけど、今までの惨めな感情は沈静化していた。

 まだ大きな期待はしていないけれど、何かが変わった。小さくても未来の光が再び見えた――そんな実感があるから。


「頑張ろう。頑張らなきゃ」


 きっと、久しぶりに気持ちのいい明日を迎えられるだろう。



 

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