第7話 再会

 意識が現実に舞い戻ってきた。

 あれから8年の時間が経って、今、目の前には成長して好青年になったルシウスが立っている。

 その顔も声も『エリクシアの花冠』に出てくるラスボス暗黒騎士と全く同じだ。


 ……まさか、あの少年が本当にあのルシウス・・・・・・と同一人物だなんて……。


 名前を聞いたとき、それがよぎったのは事実なんだけど、たまたまだと思っていた。洗練された悪役であるルシウスと、まだ粗暴さの残る子供時代の姿が重ならなかったのだ。おまけに声変わりもしていなかったし。

 まるで、夢を見ているかのようだ。現実感がない。

 月明かりが美しい夜空の下、あの森で不思議な日々を過ごした少年とこうやって再会するなんて。

 おまけに、その少年が『エリクシアの花冠』の暗黒騎士ルシウスなのも驚きだけど、今は教会でも重要な存在である第1級聖騎士となっている。

 なんで!?

 ゲームのルシウスにそんな設定はなかった思うんだけど!?


「少し座って話そうか」


 ルシウスが教会の庭にあるベンチに視線をやる。私が返事をするよりも早く、さっさと移動して広げたハンカチを敷いた。


「どうぞ」


 おお……あの粗暴な少年が、なんとエレガントに……。

 ちょっとした立ち振る舞いを見ているだけでもわかる。歩き方ひとつ見ても、気品ある美しさがあった。

 話したい。

 世界を滅ぼそうとする暗黒騎士ルシウス――は確かに怖いけれど、彼は8年前に出会った少年であり、ルシウスとは違う道を歩んだ聖騎士様なのだ。

 話をしてみたい。だけど。


「ええと……その……、大聖堂の掃除があって――」


「ははは、真面目なところは相変わらずだな。別に少しくらいいいだろう?」


「それはそうなんですけど……」


 不在にも関わらず、中途半端で止まっている状況を見られたら、エレノアや教師のヴィクターにどう咎められるかわからない。


「一緒に掃除をしているシスターがいるから悪いとか?」


「あ、いえ、私一人なんです」


「アリシア、一人?」


 理解できない、という表情でルシウスが首を傾げる。


「あの大聖堂の掃除は一人でやれるほどのものではないだろう。ましてや、今日は私の叙任パーティーのはずだが?」


「ええと、その……罰と言いますか……」


 成績が悪い、という言葉は飲み込んだ。

 そんな悲しい現実は、光り輝ける第1級聖騎士との夢のような再会を醒めさせてしまうのではないかと恐れて。


「だとしても、過ぎているね。気にしなくていいから、座りたまえ」


「え、でも……」


「アリシア、私は君と話がしたい。どうしても言い淀むのなら、命令してあげよう。アリシア、何よりも優先して、私のために時間を作れ」


 そこでニヤリと笑う。


「安心するといい。この教会内で私に逆らえる人間などほとんどいない。もちろん、君もね、アリシア」


 ルシウスの言葉は本当であり、第1級聖騎士という存在は稀有であ離、重要なのだ。

 そのルシウスの命令――

 下っ端シスターに過ぎない私に逆らう余地はない。


「わかりました、ルシウス様」


 言われた通り、私はベンチに腰掛ける。


「ありがとう、アリシア」


 ルシウスも私の横に腰掛けた。


「あの、ありがとうございます」


「……ありがとう? 何がだい?」



「その……森から助けてもらって」


 8年前、気がついたら私は森を脱していて村で目を覚ました。回復した私を見て、両親はとても喜んでくれた。その両親から、ルシウスが森から助け出したことを教えてもらえたのだ。

 ルシウスに感謝の気持ちを伝えようとしたが、できなかった。

 ルシウスの祖父が、


「帰れ。お前といると、奴の心が腐る」


 とだけ言って追い返されたからだ。何度か訪ねたが、しまいにはルシウスの祖父が剣を持ち出して威圧してきたので諦めたのだった。


「そうか、礼を言ってくるのか」


 楽しげに今のルシウスが笑う。


「なら、こちらも礼を言うとしよう。ありがとう、アリシア」


「……え?」


「あの森でのこと、全てだよ。君がくれた食料も、君がくれた優しさも。どれほどの感謝をしてもし尽くせない」


「……ッ」


 少年時代は、簡単に感謝すらしてくれなかったのに、大人になったらこんなにスラスラと言えるなんて!

 当時は、なかなかこちらを見なかった黒曜石の瞳が、じっと熱を持った視線を向けている。なんだか吸い込まれそうなほどに綺麗で、胸の鼓動が激しくなるのを感じた。


「お変わりになられましたね。昔は、こう……」


「生意気で、無礼なやつだった?」


 くすくすとルシウスが笑う。


「人は成長するものさ。私はこんなにも背が高くなった。君が美しくなったようにね」


「あ、ありがとうございます……」


 別に自分の容姿にコンプレックスは抱いていないのだが、絶世の美男子――と言っても差し支えがないルシウスにそんなことを言われると恥ずかしいやらこそばゆいやら恐縮してしまう。


「あの……どうして聖騎士に……?」


「あの後、私の祖父が亡くなったのでね、思い切って教会の門を叩いたのさ。腕っぷし自慢を雇っていると聞いてね」


 祖父が亡くなった。

 その言葉には思わず背筋を冷たくする効果があった。何度もルシウス少年は言っていた。


 ――あいつをいつか殺してやる。


 である以上、可能性は残る。

 あなたが、お爺さんを殺したの?

 だけど、そんなことは聞けない。聞く勇気がなかった。昔のルシウスならともかく、今のルシウスにはそれほどの危うさを感じない。今の彼にはそぐわない質問のように感じられた。そもそも、もし肯定されたとして、私はどんな言葉を返せばいいのだろう。

 彼の事情は、彼の事情。

 だから、私は別のことを尋ねた。


「どうして教会に?」


「どうしてだろう? どうしてだと思う?」


 じっと、その黒い瞳が私を覗き見る。いたずらめいた輝きを目に宿して。


「わかりません」


「そうだね――」


 自分の心中にある答えを探すように沈黙した後、こう答えた。


「人の役に立ちたかったからかな」


「人の役に?」


「君の影響だ。君が私に語った言葉だよ。私はその言葉を忘れなかった。だから、私もその道を歩こうとしたんだよ」


「それは、本当に……」


 胸が感極まり、熱いものが広がった。自分の優しさが誰かの人生を変えた。しかも、それは普通の転向ではない。第1級聖騎士――教会の支柱となる貴重な人材につながった。別に損とか得とかを考えたわけではない。少年ルシウスが言っていたメリットなんて考えもしなかった。当然のこととして行っただけ。

 だけど、その真心は確かに通じた。

 これほど嬉しいことはない。

 教会にやってきて苦しい日々だった。もっと貢献できることがある、もっと人の役に立てると思って門を叩いたけれど、現実は甘くなかった。何もかもがうまくいかない日々だけど、『人の役に立ちたい』という想いのひとつは叶ったのだ。

 目の周りに柔らかな痛みを感じると、少しだけ視界が曇った。


「……ん、どうしたんだい?」


「ご、ごめんなさい!」


 こぼれた小さな涙を慌てて拭う。


「その……私の影響だと言ってくれたことが……あんたがこんなにも立派に成長したことが……」


「ははは、そう言ってもらえると嬉しいね」


 そして、私の手を取り、じっと瞳を見つめて、こう続けた。


「このルシウスを第1級聖騎士に導いたのは、間違いなくアリシアの言葉だ。それは、私自身が保証するよ」


「ありがとう、ございます……」


 ルシウスがにっこりと笑うと、私の手から手を離した。


「まあ、そんな私は私が主賓であるパーティーを抜け出してきた不良聖騎士なのだけど」


 なんて言いつつ、イタズラっぽく笑う。

 ぬ、抜け出した!?


「それはまずいんじゃないですか……? どうして抜け出したんですか?」


「さあ、どうしてだろう?」


 イタズラっぽい笑いの濃度を深めて、ルシウスが応じる。


「あまり興味のある人がいなくてね、退屈だったんだ」


 それから、話題を変えた。


「こちらの近況はこんなものだけど、アリシアのほうはどうなんだい?」


 

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