ライブラ

 馬車を走らせて数日間、前方に大きな門が見えてきた。間違いない、あれがライブラだ。


 ライブラはスコーピオン村から一番近い都市であり、かつ産業革命期に大発展を遂げた都市の一つであり、そして世界有数の学園都市でもある。幼稚園マテルネル初等学校プリメア中等学校コレージュ高等学校リセ大学ユニヴェルシテといった教育機関が集まり、それらの数は合わせて二百を超える。そのため、学びたい学問がどこの学園にもないという不自由はない。興味のある研究を行える大学ユニヴェルシテはどこかにあるし、そこに優先的に進むことができる学園もどこかしらにある。

 ライブラの人口は百万人近くいて、その半分は学生である。一人暮らしの者もいれば、家族で越してきた者もいる。ライブラはまさに学生のための街である。



 馬車は門から続く車道の脇を、蹄の音を高らかに鳴らしながら走る。道行く人は物珍しそうに馬車を眺めている。周りを見渡せば、道を行き交うのはどれも車。ソル達が見たこともない文明の利器。赤黄緑の信号が至る所に建てられて、その信号に従って、理路整然と車が列を成して走っている。ライブラの市民にとっては、馬車など時代遅れな移動手段である。

 マルスとヴィーナはまるで絵本を初めて見た幼子のように興奮している。馬車から身を乗り出しそうな勢いで、横へ流れる車を目で追っている。


「すげぇ!馬車よりも速いぜ、あれ!」

「初めて見た!」


 ソルとルーナも声には出さないものの、ライブラの光景に驚いていた。


「ライブラはサジタリウスと交流があってな、サジタリウスの技術が結構入っているんだ。」


 カリストが自慢げに説明した。よそ見と疑われないように前を向きながら。

 馬車が交差点を右に曲がる。鉄の建物が立ち並ぶライブラの市街地に入っていく。歩道には街路樹が等間隔で植えられていて、落ちた葉っぱが道を埋め尽くす。車輪が葉っぱの絨毯をサクサクと潰す。しばらく進んだ後、今度は交差点を左に曲がった。


「どこへ向かってるんですか?」

「宿さ。今走ってるのがライブラの大動脈。この道を進めばあるはずだ。」


 周りを走る車の量が最初の大通りよりも明らかに増えている。赤、緑、黒、白、カラフルな車が大通りを走り抜ける。ふと横を見ると、馬車と同じような荷台をつけた大きな車が、彼らの馬車を追い抜いていった。


「あんな形のものもあるんだ。」


 ソルが車の凄さに感心する。何かの力を借りず、自分の力で動く車。仕組みなどソルには見当もつかなかったが、車が便利であるということは一目で理解できる。


「そろそろ着くぞ。」


 馬車が徐々に減速し、路肩に止まる。真横にあったのは三階建ての巨大な建物。家を十何個も呑み込めるような広大な敷地に建っている。


「ここは?」

「ここが宿さ。」


 カリストの言葉に開いた口が塞がらない。もっとこじんまりした質素な宿だとばかり思っていた。


「ここっ、こんな大きいのが宿なんですか?」


 あまりにも豪華な宿に動揺が収まらない。震えた声で訊き返す。


「ああ、そう言ってるだろ?俺は馬車を移動させなきゃならねぇから、ジュピターと一緒にチェックインしといてくれ。」

「ちぇっくいん?」


 カリストが馬車へと走ると、入れ違いでジュピターがやってくる。行くぞ、と短く声をかけ、宿の扉を開ける。


「いらっしゃいませ。」


 紳士服を着た壮年の男がジュピター達に挨拶する。


「サジタリウスからいらっしゃった皆様ですね。ホテル・ライブラにようこそいらっしゃいました。」


 男はにこやかにジュピター達を部屋へ案内する。赤いカーペットの敷かれた階段を上がると、長い廊下が現れる。


「お客様のお部屋は211号室から214号室まででございます。」


 男は四つの鍵をジュピターに渡すと、「ごゆっくりどうぞ」と声をかけて階段を降りていった。


「二人部屋を四つ取ってある。お前達は213と214の部屋を使え。」


 ジュピターが振り向くと、ソル達はホテルの煌びやかな内装に心ここに在らずの状態であった。


「聞いているのか?」

「あ、はい!」


 怒りか、あるいは呆れか、低くなったジュピターの声にソルが慌てて反応する。鍵を2つ受け取り、一方の鍵はヴィーナに渡した。


 ソルとマルスが鍵をけ、白く塗られた木製のドアをひらく。部屋の中はとても綺麗だった。埃ひとつないふかふかの絨毯に、真っ白な壁。ベッドは大きく、毛布は整えられている。置いてある椅子の背もたれは若干後ろに傾いていて、座り心地がとても良い。トイレとシャワールームも部屋の中に完備されている。孤児院の狭苦しい個室とはえらい違いだ。

 机の上に置かれた箱には円盤がついている。回してみると音が流れた。「本日のライブラの天気は快晴。……」と女の声で箱が喋る。

 壁につけられているのは電話というものだろうか、二つの目がある四角い生き物のような見た目だ。


「すげぇな。ライブラってこんなに発展してんだ。」

「僕達の村にもこういうの欲しいよね。」


 到底叶わないだろう夢物語を口にする。マルスはベッドに飛び込んだ。柔らかいベッドがマルスの身体を跳ねさせる。

 ソルは窓からライブラの街並みを見てみる。下を見ればおびただしい数の車が停まっていて、上を見れば細い電線が絡まるように配置されている。遠くには高い塔も見えた。


「あの塔は何だろう?」

「さあな。行ってみたらどうだ?」

「勝手に出て行っていいのかな。」

「んじゃあ、俺がカリスト達に言っておく。」


 マルスはベッドから動きたくないようで、横たわったままソルに言う。ソルは躊躇ためらいもあったが、はやる好奇心は抑えられず、鍵を机に置いて部屋の外に出た。


「ソル?」


 偶然にもルーナも同じタイミングで部屋を出ていた。


「ルーナ、どうしたの?」

「ちょっと街を見てみたくなっちゃって。」

「奇遇だね。僕も同じ。」


 同じ考えをしていたことに若干の嬉しさを覚える。ホテルの階段を降りると、これまた偶然、馬車を停めてきたイオとカリストに会った。


「なんだ?出掛けるのか?」

「ちょっと街を見てみたくなって。良いですか?」


 カリストは、うーん、と唸る。イオの方をちらっと見て、判断をあおぐ。


「構わないけれど、夜にはしっかりと戻ってきて。ライブラの夜は危険も多いから。」


 イオは我が子をいたわる母親のように注意しつつも許可を出した。ソルとルーナの顔がぱっと明るくなる。


「それと、車には注意すること!」


 指を立てて、最も重要な注意を言った。


「わかりました!」


 ルーナの手を引いてホテルの外に出る。車の走る音、街の人々の話し声。喧騒の中を2人は走って行った。




 ジュピターはホテルを出ると、街の一角にある道具屋に足を運んだ。鉄で出来た周りの建物とは違い、木造のこじんまりとした建物。しかし、外装は綺麗で、商売が上手くいっていることを暗に示す。

 カランコロンと客の入りを教えるベルが店内に響く。中の陳列棚にはずらりと魔法道具が並び、窃盗防止用のガラスケースがついている。


「らっしゃい!」


 髭を生やした店主の男が大声で出迎える。


「お客さん!今日はどんなものをお求めで?」

「いや、私は客ではない。サジタリウスの遣いの者だ。」


 それを聞いた途端、豪快な口振はどこへやら、手を擦り合わせ、猫撫で声で話しかける。


「これはこれは、サジタリウスの方でしたか!これは失礼……ささ、こちらへ。」


 男の案内で店の奥に通される。黒塗りの立派なソファに、綺麗に拭かれた机、部屋を彩る観葉植物。太客のための応接室だ。椅子に座ると、店主が話を切り出した。


「遠路遥々ありがとうございやす。それで……コブウィムの取引についてなんですが……」

「取引だが、学園の生徒数が年々増えているそうだな。」

「えぇ、ですから、もっと取引量を増やしてはいただけねぇかと……」

「構わないが、他の地域への輸出もあるからな、現状の1.5倍が精一杯だそうだ。」

「十分でございやす!」


 店主は喜びを隠そうともせずに、にやにやとしている。続いて、ジュピターが神妙な面持ちで店主に尋ねる。


「我々が要求するのは司祭の情報だ。何か知らないか?」

「はい。新しく就任した司祭、とは言っても以前サジタリウスの方々が来られてからのことですので、ここ五年程度のことになりやすが、新たな司祭は“アルファルド”というお方です。あっしは一介の道具屋でしかありませんゆえじかにお会いしたこたぁ、ありませんが、お客さんの話によれば、紳士的な若ぇ司祭であったと。」

「成程。直接会えるとしたら、いつだ?」

「一番近ぇ日だと、一週間後にライブラの学園総出で行われる合同学園祭なる行事がございやす。そこでは毎年司祭の挨拶がありやすので、お目にかかれるかと。にしても、サジタリウスの皆様はどうしてそこまで司祭に会いたがるんですか?」


 店主からの質問に、ジュピターは人差し指を口に当て、「無用な詮索は己が身を滅ぼすかもしれない」と警告する。店主はここで深入りすれば取引がパーになると、直感が働き、口を噤んだ。


「私の用事はこれまでだ。情報提供に感謝する。」

「いやぁ、こちらこそ。」


 ジュピターは店を出ると、難しい顔をする。


「一週間か。全く、長いのか短いのか……」


 重い足取りでホテルまでの道を引き返した。

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