キュリー
二人はどこへ行ってみようかと歩きながら話し合う。車のエンジン音は話し声を掻き消しそうになるほど鳴っている。
「まずあの塔へ行ってみない?」
ルーナは言ってみた。「いいね」とソルも賛同し、大きな通りを歩いていく。街並みの全てが新鮮だった。ただでさえ都市の景観など見たことがない二人。初めて見たのがライブラの街では、他のどの都市にも
少し歩くと、街の中心部を貫く巨大な道路が現れた。車線は上下それぞれ四つに分かれ、歩道は五人並んで歩けるほどの幅がある。両脇には様々な店が立ち並ぶ。レストラン、宝石店、服屋、時計屋、デパートもある。
そして、道路の奥には巨大な塔が見える。遠く離れているのに、塔の頂上は自分の目線と同じ高さだ。
この大きな道路からはいくつも横道が出ていて、至る所に横断歩道がある。縞々の白線も彼らにとっては目新しいものだ。土の道にはこんなもの敷かれていない。ライブラの市民達が横一杯に並んで信号が変わるのを待っている。緑色のランプが点灯し、全員が一斉に歩き出す。見慣れない光景に僅かな戸惑いを覚えながら、二人は塔へ向かってまっすぐ歩いていく。
塔の下は円形の広場で、多くの人が行き交っていた。
「すごい人の数。押し潰されちゃいそう。」
不安そうなルーナの手を取り、しっかりと握る。電波塔を見上げる。剥き出しの鉄骨は所々錆びていて、遠くから見えた頂上は、下からでは霞んで見える。その巨大さに圧倒され、声も出ない。漠然とした恐怖を感じる。この鉄の巨人に飲み込まれてしまいそうな、そんな恐怖。
「すごいでしょ?ライブラの電波塔は。」
後ろから声がした。振り向くと、同じくらいの年齢の少女が立っていた。水色の髪を束ねて、馬の尾のように垂らしている。耳にはソルと同じようにコブウィムを着けていた。
「あなたは?」
「私はキュリー。ライブラの学生の一人。」
溌剌とした声でそう答える。
「二人はえーっと……」
「あ、僕はソル。彼女はルーナ。」
ルーナがぺこりとお辞儀する。
「ソルとルーナは観光客?」
「えっと、多分違うと思います。」
「違うの?」
「私達、旅の途中で。」
「旅人なの!?良いなー!私も世界を旅してみたいよ!」
両手を結び、目を軽く閉じて、憧れを口にするキュリー。
「それで、どう?ライブラは!」
「まだ来たばっかりなんですけれど、凄いですね。車とかこの塔とか。」
「まあ、ライブラは他の街よりもかなり進んでるからね!」
えっへん、というように手を腰に当てる。
「私ね、学校終わるとよくこの広場に来るんだ。見慣れていても、やっぱりこの電波塔は凄いなって思うんだ。私の時はこんなのなかったから。」
「キュリーさんはライブラの出身じゃないんですか?」
「えっ!?あ、うん、そうなんだよ!私は田舎者でさ、最初に来た時はすごく戸惑ったんだ。二人もそうなの?」
「はい。私達はスコーピオン村っていう村の出で。だから、ライブラの街に戸惑う気持ち、とても分かります。」
「私達、案外気が合うかもね。もし良ければ、ライブラの街、案内するよ!」
「是非!」
広場を出て、色々な場所を巡った。大きなデパート、美味しいお菓子屋、自然あふれる庭園。
次に案内されたのは劇場。神聖さを感じる白い外壁。二階の部分には縦長の窓がいくつも付いている。やや膨らんだ屋根は青緑色に塗られていて、入り口には二体の女神の銅像が置かれている。
「ここはアストラ劇場。二百年以上続く歴史ある劇場なの!」
中に入ると、その優美さがソルとルーナの目を奪う。大理石の床に、二手に分かれた階段、天井からはシャンデリアが吊るされていて、天使を描いた天井画もある。煌びやかな内装は、全く古さを感じさせない。
「私、ここに良く演劇を見に来るんだ。もし時間があるなら今から一幕見ない?」
「見てみたい気持ちは山々ですが、遠慮します。陽が落ちる前に帰れと言われていて。」
「そうなんだ、残念。」
劇場を出ると、僅かに空が茜色に染まっている。歩いてホテルに戻ればちょうど良い時間だろうか。
「今日はありがとうございます。また、機会があれば……」
「待って!」
食い気味にキュリーが言った。
「泊まってるの、どこ?」
「ここから歩いて三十分くらいの宿です。」
「私も行っていい?いや、その!泊まりたいとかじゃなくて、明日もまた街の中を案内できたらなって……」
断られたらどうしようとでも考えているのか、段々弱々しくなる声。
「はい!お願いします!」
ルーナが明るい笑顔で言った。途端にキュリーの顔に笑みが浮かぶ。
ホテルに着いた時、キュリーは唖然としていた。
「どうかしました?」
「どうもこうも!ここ、ライブラで一番高級なホテルじゃん!」
ホテルの看板を指差しながら、顎が外れそうな勢いで喋る。ソルとルーナは「そうなんだ」と言うかのような冷めた反応を返す。キュリーは二人の無知さに呆れていた。
そんなキュリーの感情を
「明日は何時にどこへ行けばいいんですか?」
目を輝かせながらキュリーに訊く。
「私が朝迎えに来るよ。私ももう寮に戻らなくちゃいけないから、また明日!」
キュリーは手を振りながら去っていく。そのまま人混みの中へと消えてしまった。
「明日からまた訓練を再開する。」
食事中、ジュピターが唐突にこう言った。困惑したのはソルとルーナ。
「すみません!明日はちょっと用事ができてしまって……」
「用事?」
「実はライブラの人と一緒に街を巡ることになっていて……」
ジュピターの怒りを買うんじゃないかと、おろおろする。
「そうか。ならば明後日にしよう。」
ソル達は驚いて、ジュピターの方にバッと顔を向ける。ここまですんなり引いてくれるとは思っていなかった。
「え?いいんですか?」
「この街のフォルトゥナの情報を聞く限り、私達だけで対処は可能だろう。急を要するものでもない。」
ジュピターがステーキの最後の一切れを口に運ぶ。上品に口を拭き、
「ま、ジュピターも旅続きで疲れているんだろ。」
カリストが笑いながら言う。イオも食べながら頷いた。
「俺達も明日は休み!楽できるぜ!」
カリストが小さくガッツポーズをする。イオは食べ終わるとジュピターのように足早に食事会場を去っていった。
「なんだ?イオのやつ、反応が薄いな。」
「疲れてるんじゃないですか?」
「そうだな」とだけ反応し、カリストも席を立つ。四人だけが取り残された。
「二人は明日どこへ行くの?」
「私達も知らない。案内はキュリーさん、今日知り合った人に任せるから。」
「俺達もついていっていいか?」
「明日本人に聞いてみないと分からないなぁ。」
「良いよ!」
翌日、ホテルのロビーに迎えに来たキュリーは、マルスとヴィーナの同行を快く承諾してくれた。
「今日はどこへ行くんですか?」
「今日はね、カルチェ・エコールを案内しようかなって。」
「かるちぇ、えこーる?」
聞き慣れない単語を繰り返す。
「ああ、学校が集まる地区のことよ。カルチェが地区、エコールは学校っていう意味。だから、
道沿いに豪華な門が立ち並ぶ。門の奥にはこれまた豪勢な庭園に、大きな建物。あれがライブラの学園だろう。
「普段は学生しか入れないんだけど、今週末に行われる学園祭は特別!
手を広げ、興奮気味にキャリーが話す。
「キュリーはどこの学園に通ってるの?」
「私は
「俺達と同じくらいの歳に見えるが……」
「私は十六歳だよ。」
「んじゃあ、ソルとルーナと同じか。」
それを聞くと、キュリーはまた興奮してルーナの手を取り、ぶんぶんと上下に振る。
「そうなんだ!嬉しいな!」
「そ、そんなに嬉しいんですか?」
「そんな
ルーナはやや困惑しながらも、笑っていた。
「キュリーさんは……」
「キュリーで良いよ。
「じゃあ……キュリーは学園祭で何かするの?」
「私はね、ハープの演奏をするの。」
孤児院育ちの彼らは音楽を嗜むことがなかった。だから、ハープと聞いてもどんなものか想像がつかない。
「もしかして、聴いたことないの?」
「うん。僕達の村に演奏家はいなかったから。」
「じゃあ学園祭の時に聴きにきてよ!」
「分かった!」
それから色々な話をした。ライブラのこと、スコーピオン村のこと、学園のこと、孤児院のこと。キュリーとの話はとても盛り上がり、あっという間に日が暮れた。
ホテルに着く頃には空はすっかり黒く染まっていた。車のライトや窓から漏れる光は街灯よりも街を照らしている。
ホテルの入口で「また今度」と言って別れる。キュリーは夜の街を駆けていった。
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