フォルトゥナ
少し歩くと二台の馬車が見えた。その前には二人の男女。男の方は黒髪の屈強な大男で、剣を携えていた。女の方は細身で、銀の長髪を後ろで編み込み、耳に何かを着けている。
「戻ってきたか、ジュピター!」
「後ろの四人は?」
「フォルトゥナに襲われかけていた者達だ。」
ジュピターはそれだけ説明すると、馬車へと向かう。だが、女がジュピターの腕を掴む。
「師匠!もう少しちゃんと説明して!」
「そうだ!なんで連れてきたかくらい説明してくれよ!」
女が手を解くと、ジュピターは後ろを向き、彼女に向かって言った。
「お前と同じ志を持つ者達だ。」
その言葉で二人は察した。しかし、すぐに男が反駁した。
「ま、待ってくれ!“サジタリウス”でならまだしも、こんなところじゃフォルトゥナと戦うだけの力は与えられねぇだろ!」
女の方は目を逸らして黙っている。
「我々の指導があれば最低限戦えるようにはなるはずだ。違うか?」
「そうかもしれないが……だとしてもせいぜい“二等星”相手が限界だろ!もし“一等星”に遭遇したら!」
「その危惧は分かるが、仕方あるまい。」
「仕方ないって……はぁ、全く。つくづくお人好しだな……」
呆れて反論を諦めた男はソル達に近付き、声をかける。
「お前達、あの化け物と戦いたいんだろ?」
「はい。」
「今からでも遅くない。止めておけ。」
「どうして!?」
「お前達は、何のために戦うんだ?」
「ルーナの運命を変えるためです。」
男はヴィーナとルーナを交互に見る。少し俯き気味な紫髪の少女を見て、納得したように首を小さく振る。
「なら、一つ残酷な真実を教えてやる。運命を変えるってことはな、必ずしも寿命が伸びるわけではないということだ。」
「どういうことですか?」
「寿命が縮むこともあるってことだ。」
ソルがはっとする。ルーナを置いて死んでしまうかもしれないと思うと、急に怖くなり、ルーナの方を見る。ルーナも不安を顔に浮かべている。
「もしルーナの運命が僅かに伸びたとしても、お前達が先に死んじゃ元も子もない。命あっての物種って言うだろ?お前達が死んだ後、運命が寄って
真剣に諭す男。ソルは答えを出せない。最初に沈黙を破ったのはマルスだった。
「ふざけんな!黙って運命を受け入れろってか?事を起こしてみなきゃどうなるか分かんないだろ!」
真っ直ぐと男の方を見るマルス。湧き出る覚悟が表情から読み取れる。その覚悟は空気を伝わり、ヴィーナに伝播する。
「そうよ!黙って死ぬより抗って死んだ方が本望よ!私はその覚悟が出来ている!」
男は呆れたのか、大きなため息を吐く。
「自己犠牲なんて考えるな。まあ、お前達二人の覚悟は伝わった。で、お前はどうなんだ?」
ソルに問いかける。
「僕は……」
恐怖がないと言えば嘘になる。確定的な未来を不確定にする。その行為が正の方向へ働くかあるいは負の方向に働くか、そんなことは知り得ない。だからやっぱり怖い。
だが、それ以上にルーナを救いたい思いがある。ほんの僅かでもルーナの命が伸びるなら、幸せな時が訪れるなら……
「僕は、何があっても進みます。
「それがお前の選択か?」
「はい。」
強く、低く、ゆっくりと。この二音にどれほどの覚悟を込めただろうか。
「なるほど、これならジュピターが流されるのも無理ないか。イオ、良いよな?」
男は呆れたように頭を掻きながら、後ろにいた女、イオに大声で訊ねる。女は小さく頷いた。
「んじゃ、お前達は今から俺達の、“
男が白い歯を見せて笑う。マルスは少し身震いした。訓練の厳しさを感じ取ったのだろう。
「とりあえず馬車に乗りな!まあ、四人分乗れるくらいのスペースはあるだろ!」
「どこへ向かうんですか?」
「あー。最終的には俺達の本拠地、サジタリウスってところに着く予定なんだが、今はライブラに向かっている。」
その街はソル達も知っている街だった。彼らの生まれ育ったスコーピオン村から最も近い都市の一つ。街では数えきれない程の車が走り、電話も開通しているという。
近いとはいえ、馬車では一週間はかかる。そのため遠出できない貧乏な村人達には憧れの地であった。ヴィーナは目を輝かせている。
「ヴィーナ、そんなに凄いところなのか?」
「そりゃそうよ!鉄道よ!電話よ!見てみたいじゃない!」
普段の彼女では考えられないほど興奮している。しかし、ソルはライブラへの憧れなど感じている余裕はなかった。彼の頭の中を支配しているのは怪物と
「どうした?さっさと乗れよ!」
男が馬車の近くから声をかける。マルスとヴィーナが小走りで馬車に向かう。後からソルとルーナが追いかける。
「そういや、まだ名前を聞いてなかったな。」
馬車が走り出して少しした頃に、思い出したように男が言った。
「そういえば……僕はソルです。」
「私はヴィーナ。」
「俺はマルスだ。」
「ルーナです。」
順番に名前を言う。続いて男も名乗る。
「俺はカリストだ。んで、あっちの馬車を引いているのがイオ。ジュピターは、もう知ってるな?」
「はい。」
「ジュピターは気難しそうに見えるが、結構流されやすい。あと仲間想いだ。イオは、普段は強気だが案外脆いところもある。そしてジュピター以上に仲間を大切にしている。まあ、あいつには色々あったからな。」
カリストは詳細に仲間のことを紹介した。その中の「色々あった」という発言が引っかかる。
「色々とは?」
そう聞くと、ジュピターは人差し指を立て、横に数回振った。
「あんまり人の過去を詮索するもんじゃないさ。」
カリストに
段々と陽が落ち、空が茜色に染まる。前方を走る馬車が徐々にスピードを落とし、止まる。背の高い木々が立ち並ぶ森林の中にぽつんと空いた空間。付近には泉があり、小動物が水を飲んでいる。
「今日はここで野宿か。」
「森林のど真ん中で?」
「仕方ないだろ。暗い中馬車を走らせる方が危険だ。」
カリストは馬を近くの木に繋ぐと、荷台からいくつか箱を下ろし、野宿の準備を始めた。先に降りていたジュピターとイオは夕食の準備をしている。長く旅をしているのだろう、三人とも手際良く準備をしていて、ソル達が手伝う暇もなく野宿の準備は完了してしまった。
「フォルトゥナって何ですか?」
食事中、ソルが唐突に尋ねた。イオとカリストは、どこで知ったんだ、と言わんばかりに疑問を浮かべている。その二人の疑問に解を与えたのはジュピターだった。
「私が言ったのだろう。」
ジュピター自身も意識的に言ったわけではなかった。しかし、「フォルトゥナ」という単語は、ソルの脳に強くこびりついた。
「フォルトゥナは端的に表すならば、“運命を操る存在”とでも言おうか。」
「運命を、“操る”?」
「そうだ。そして、邪神ラプラスの手下でもある。」
その言葉にソル達は凍りついた。「ラプラス」、女神教で伝わる運命を創り出した邪神。最初に聞いた時は信じていなかったが、実際にフォルトゥナの姿を見た後では信じざるを得ない。
「まさか、あの本が真実なわけ……」
「あの本?」
ヴィーナは馬車の荷台に置いていた本を小走りで取ってくると、ジュピターに見せた。表紙に書かれた「ミネルヴァ」の文字をまじまじと見る。中を開くと目次を見て、ペラペラと数枚めくった後、本を閉じ、地面に置いた。
「……この本は真実だろう。」
ソル達は信じられないといった顔をしている。
「ミネルヴァは私達
神話の人物は実在した。あまりにも驚愕な事実だ。世界がひっくり返るかもしれない。
「そしてフォルトゥナは、ラプラスが
「“常識から外れた”?」
ソルがジュピターの言葉を繰り返す。
「そうだ。その証左に、奴らは異常なまでの再生力を持つ。」
ジュピターが淡々と説明する。
「フォルトゥナは腕を千切られようと、腹を貫かれようと、再生する。奴らは不死身に近い。」
「近い、ということは死なないわけではないんですね?」
「そうだ。お前達の前に現れたフォルトゥナは死んだだろう。フォルトゥナの弱点は二つ。頭か、“コア”かだ。」
「コア」という聞き慣れない単語にソル達の頭にハテナが浮かぶ。
「こあって何ですか?」
「まあ、そうだな、心臓のようなものだ。」
「……なるほど?」
ソル達にはあまり伝わっていないようだ。
「師匠、こういうのはなんだけど、今の時代を生きる彼らが私達と同じレベルの知識を持っているとは思えないわ。」
イオがジュピターの耳元でひそひそと言う。
「では何と説明しろと?」
イオはしばし考えた後、
「コアを壊せばフォルトゥナは死ぬ。それだけ覚えていれば十分よ。」
と、ソル達に言った。
それで
「さて、フォルトゥナについて話さねばならないことはもう一つある。」
ジュピターが話を続ける。
「フォルトゥナには序列がある。上位の者を“一等星”、下位の者を“二等星”と呼んでいる。」
「上位と下位はどれくらいの差があるですか?」
「天と地ほどの差がある、と言いたいが、二等星について言えば、弱い奴もあれば、一等星にも引けを取らない強さを持つ奴もある。だが、一等星は違う。今までに
「ジュピターなら勝てるのか?」
マルスの問いにジュピターが目を瞑る。少し苦しそうな表情を浮かべながら、「勝てない」と答えを絞り出した。
ソル達は驚愕した。二等星を一瞬で葬る様を目の前で見ていたからジュピターがどれほど強いのかはある程度予想できる。そんな彼ですら勝てないという相手。
「そんなに強いのか……」
「だが、ラプラスと対峙する上ではいずれ出会うことになるだろう。そのために私達がお前達を強くするんだ。」
その時、森の奥からずしんと大きな音がした。
「どうしたんだ?」
「静かにしろ!」
小声でジュピターが注意する。イオが魔法で火を消す。辺りは闇に包まれた。
音のする方向に巨大な影が見えた。木々の大きさから考えれば数メートルはあるだろう。影はソル達の方には気付かずに過ぎ去っていった。
音が遠のくと、再び薪に火をつける。
「今のは一体?」
「魔物だ。お前達は遭遇したことがないのか?」
ソルは首を横に振る。
「そうか。魔物自体は知っているか?」
「何となくは。」
魔物、院長が以前話していた覚えがある。大陸全土に生息する巨大な生命で、人を見つけると襲ってくる獰猛な性格を持つと。
「魔物は何かと厄介だ。特にこんな森の中ではな。そもそも奴らは……」
「奴らは?」
「……いや、何でもない。言ったところでまだ理解できないだろう。」
ジュピターが言うのをやめてしまったので、ソル達は落胆した。
「いつか話す。今がその時じゃないだけだ。」
ソル達は大人しく馬車へと戻ろうとする。立ち上がった時、ジュピターがヴィーナに「この本を預かってもいいか?」と訊く。ヴィーナは、その本が孤児院のものだと説明して、だから院長に許可を取って、とジュピターに言った。ジュピターは「分かった」とだけ返事をする。ヴィーナは小走りで馬車に向かっていった。
ソル達が眠りに着いた頃、ライブラにて、窓辺から夜空を見上げている一人の少女。空に流れる星を見て両手を固く結び、祈りを捧げる。
「流れ星……どうか、私の願いを叶えてください。どうか、サティを……」
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