第1章 運命の歯車は動き出す

「運命」

 運命とは、なんと残酷なものであろうか。純情な少年少女も、皆から慕われる心優しき紳士淑女も容易く捻り殺してしまう。そんな残酷で、無慈悲な運命を変えたいと願う少年がいた。



 小麦が実るある秋の日。大陸南方の村、スコーピオン村の教会に集められた少年少女。今日は「寿命宣告」の日。

 「寿命宣告」とは、全ての人が十六歳になったら受ける儀式。どのような儀式かと言われれば、その名の通りとしか言えない。寿命だけが宣告される、ただそれだけだ。いつどこでどう死ぬのか、そんな具体的なことは伝えられない。


 そんな寿命宣告に臨む茶髪の少年と紫髪の少女、ソルとルーナ。二人は不安な気持ちで教会の椅子に腰掛けていた。


 ソルは孤児だった。五歳の時に両親を事故で亡くした。両親が急ぎの用事だというもので、ソルを村の知り合いに預け、街に行くと言ったその晩だった。馬車で森を抜ける時に獰猛どうもうな獣に襲われて亡くなったと聞いた。知り合いの老爺ろうやは、子供一人育てる財力はないと、申し訳なさそうにソルを孤児院へ送ったのだ。


 ルーナはソルの幼馴染だ。透き通るような白い肌に、特徴的な紫の長髪。琥珀色に輝く瞳で、身長は低い。孤児院にいるどの子供よりも大人しく、どの子供よりも優しい少女。

 ルーナとの出会いはソルが孤児院に入ってすぐだった。両親が死んで悲しみの底にいたソルに寄り添ってくれたのが彼女だった。

 ルーナがその時にソルと交わした約束、「ずっとそばにいる」というありきたりかもしれない約束が、今のソルを繋ぎ止めている。


 ソルはこの時十六歳で、ルーナはまだ十五歳だった。しかし、数日後に十六歳になるので、ソルと同じタイミングで寿命宣告を受けることになっていた。


 白い祭服をまとった小太りの司祭が教会の奥から現れ、講壇に上がる。一つ大きな咳払いをしてから、教会の席の最も右側にいる少年を見て、こっちに来いと言わんばかりに人差し指を折り曲げる。


「名前は?」


 司祭が名前を尋ねる。少年は期待と不安が入り混じった顔で名前を言う。


「エリアスです。」

「ふむ……四十一歳だ。」


 表情ひとつ変えずに言い返す。寿命の平均は四十歳程度なので、エリアスと名乗った彼はほぼ平均と言えよう。少年はほっとしたような顔で壇を降りていく。


「次。」


 司祭は淡々と宣告を続ける。二十三、三十七、五十……規則性のない二桁の数字が教会の中に木霊する。

「次。」


 ソルの番になった。緊張で思うように身体が動かない。ぎこちない歩きで司祭の前に向かう。


「ソルです。」

「ふむ……六十五。」


 座っていた少年達がざわついた。六十を超える者はこの小さな村では珍しい。医療が発達しておらず、一度伝染病にかかってしまえばあとは死を待つだけだと言われるこの村で、六十五年も生きることがかなり難しいということは理解できるだろう。少年達は「ソルはきっと街に出るんだ。そこで良い医者を見つけるんだろう。」などと小声でソルの長生きの理由を考え始めた。

 ルーナの隣の席に戻り、座る。ルーナから「すごいね。」と言われる。「運が良かっただけだよ。」とソルは返す。


「次。」


 ルーナの番だ。ルーナの後に呼ばれる者はいない。ゆっくりと壇に上がる。窓から陽光が差し込み、神々しくルーナを照らす。


「十八。」


 教会内が静まり返った。陽光は雲に遮られ、壇上を影が支配する。


「え?」


 次いで発されたのはルーナの困惑の声。先ほど二十三歳と宣告された少女もじっとルーナを見つめる。


「以上で宣告を終わる。」


 司祭は茫然ぼうぜんとするルーナをよそに去っていく。ソルがルーナの顔を見ると今にも泣き出しそうな顔をしていた。誰しも自分があと二年しか生きられないという宣告を受ければ、それは泣きたくなるものだろう。

 しかもこれは、病による余命宣告などでは決してない。決まりきった運命を述べる「寿命宣告」なのだから。


 寿命宣告は外れたことがない。村であと十年は死ぬことがないだろうと言われていた筋骨隆々の大工は宣告されていた寿命通り死んだ。死因は転落死だった。大工の仕事途中に足を踏み外し、屋根から真っ逆さまに落ちたのだ。


「ソル…どうしよう…」


 ルーナは涙声で助けを求める。いや、助けなんてさらさら求めてはいない。運命を捻じ曲げることなど不可能であると悟っているから。行き場のない絶望の感情をどうにか外に出したいだけなのだ。

 ソルは自分の無力さを心の中で嘆いた。だが、どうしても諦めることはできない。受け入れることはできない。


「僕が、僕がルーナの運命を伸ばしてみせる!」


 すすり泣くルーナに向けて、ソルが誓う。

 虚勢のような誓いだった。しかし、心の底から願っていることではある。運命を伸ばすなど砂上の楼閣にすぎない。方法は何一つとして見当たらない。それに至る糸口すらもつかめない。


 そんなソルの相談を受けたのが、同じ孤児院で育った一つ上のマルスとヴィーナである。

 マルスはソルにとって頼れる兄貴分。赤毛の髪を短く切っていて、その髪色とは対照的な青い瞳を持つ好青年だ。豪快で大雑把で、空回りしてしまうこともあるが、孤児院の仲間を大切にしてくれる優しい男だ。

 美しい金髪と灰色の瞳を持つ少女、ヴィーナは、ソル達の姉といったところだろう。いざという時はマルスよりも頼れるかもしれない。ヴィーナが孤児院に入ったのはソル達よりも少し後だったが、当時はすさんでいて、あまり周りと話したがっていなかったのをソルは覚えている。そんなヴィーナに熱心に話しかけ、彼女の心を取り戻したのもルーナである。


 さて、普段は頼れる二人であるけれども、この問題に関しては手も足も出ない。


「院長にいてみるのはどうだ?」


 マルスがそう提案した。院長は既に60を超えた白髪の老人で、物腰穏やかな人だ。

 確かに子供だけで勘案したところで得られるものは少ないだろうとソルはその案に賛成した。


「えぇ?院長に訊くの?」


 しかし、ヴィーナはあまり乗り気ではなかった。なぜかは知らないが、ヴィーナは院長のことを毛嫌いしている。


「だって院長が一番知識あるじゃんか。」

「そうだけども……あの人、女神教信仰してるし、まともな答え返ってこないって。」

「まあまあ、ものは試しにやってみようよ。」


 ヴィーナを宥め、ソル達三人は院長のところへ行った。


「院長、少しいいですか?」

「何でしょうか?」

「運命を変えることは、できないんでしょうか?」

「無理でしょうね。なぜなら、邪神ラプラスは健在ですから。」


 院長から帰ってきたのは、ヴィーナの予想通り、女神教に汚染された答えだった。


「そこを何とか!」

「うむ。孤児院の地下に蔵書が沢山あります。先代、あるいはそれよりもずっと前の孤児院の関係者が置いていった本です。君達には難しい本が多いからと死蔵してきました。その中にもしかしたら、手掛かりはあるかもしれませんね。」

「ありがとうございます!」


 三人で早速孤児院の地下へ降りようとする。しかし、院長に呼び止められた。


「待ちなさい!あそこは暗いですから、ランタンを持っていきなさい。それと、本を読むならばいくつか選び取って上で読んだ方がいいですよ。」



 地下への階段は螺旋らせん状になっていて、天井や手すりに蜘蛛くもが巣を張っている。地上よりもひんやりとした空気が不気味さを増している。

 書庫の扉は金属でできていた。とても人力で空きそうにない。


「これ見ろよ!」


 マルスが何かを見つけたようで、ランタンで指差すものを照らしてみる。丸い、舵のようなもの。しかし、同じような金属で作られていて、壁につながっている。


「これを回せば何かなるんじゃないか?」

「そんな上手くいくかな。」

「物は試しだ、俺の力があれば回せるだろ!」


 マルスが力一杯それを回すと、重い扉が大きな音を立てて開いた。


 黒で覆われた書庫へと足を踏み入れる。長い間使われていないようで、地面にはほこりが溜まっている。これでは本は虫に喰われているだろうとソルは思った。しかし、手に取ってみると、本の状態は非常に良く、染み一つない。よく観察してみると、この部屋自体が一つの大きな箱のように金属に囲まれていることがわかった。


 ソルは本の背表紙の題名を見ながら、どの本を上に持っていくか厳選していた。どの本もやたら分厚い。まるで院長が部屋に置いている経典のようだ。


 横の棚にはめぼしい本は無かった。どれも百科事典のようだ。いくつかめくってみたものの、孤児院育ちのソルにとっては理解できない見出しが多かった。

 書庫の奥へと進んでいくと、一つの書見台があり、その上にこれまた蔵書に引けを取らない、あるいは他のどのものよりも分厚いのではないかというほどの本を見つけた。著者は「ミネルヴァ」。


「なあ、これこんなに目立つように置かれてるんだ。何か意味があるとは思わないか?」

「確かにそうかもしれないけれど、ソル、どう思う?」

「わからない。とりあえず上に持っていくのはこれにしようか。他に役立ちそうなものはなかったからね。」



 書庫を探していた時間はソル達には数分のように感じられたが、実際には既に一時間が経った後だった。孤児院の窓から夕陽がしている。


「読むのは明日にしようかな。」

「同感ね。」


 解散して各々の部屋に戻ろうとしたところに院長が顔を出す。


「持ってきた本はどれですか?」

「この本です。」

「おお、ミネルヴァの本ですか!」


 少々興奮気味に院長が言う。


「そんなに凄いのですか?」

「ミネルヴァはかなり昔の人物ですが、今の時代に生きる私達よりも遥かに優れた思想家ですよ。科学にも長けていたと聞きます。一説には女神教を広めた人物だともされていますね。」

「ということは、教祖?」

「教祖かどうかはわかりませんが、とにかく偉大な人ですよ。この孤児院も古くはミネルヴァによって建てられたそうです。」


 どうやら、この本は当たりらしかった。女神教を広めた人物の分厚い著書。ここに運命についての記述があるに違いない。なぜだか、ソルには確信があった。まるで運命の女神に導かれているように…。


 本を初めて開いたのは書庫をあさった翌日のことである。初めに何を表しているのかよく分からない挿絵が複数あり、次に目次があった。その目次の中にソルの目を引くものがあった。


【運命とは何か】


 かなり後に書かれている章だ。これは大切に違いないと思ったソルは本を後ろから開き、その章の文章を読み始める。


【読者諸君、運命などというものを信じているだろうか。私は運命というものを信じてはいない。そんなものが世界にあってはならない。各人は自由な存在であるべきで、運命に縛られるべきではない。】


 このような書き出しで始まった【運命とは何か】の章は運命を否定したがるソルの期待を膨らませる。


【だが、非常に残念なことに、君達がこの書を見ている時、運命は存在している。全ては忌まわしきラプラスのせいだ。あれは私達のごうだ。ラプラスを生んだのは失敗だった。】


 「ラプラス」。院長が言っていた、女神教の邪神。人々の運命を作り出し、それを宣告するという所業を考え出した悪魔。ラプラスを生んだということは、ミネルヴァというのは女神の一人だったりするのだろうか。ソルは自分自身で立てたこの仮説に、無意識ながら世界の真理を見出そうとしていた。


【決まりきった運命を変えることはラプラスにしかできない。しかし、それを私の手で行うことは残念ながらできない。これを読んだ勇敢な者よ、どうかラプラスを滅ぼしてくれないか。ラプラスを世界から消し去らない限り、定まった運命を変えることは、消滅させることはできない。私達はラプラスが存在する限り、あれの奴隷なのだ。】


 ソルがこの本から得た運命を変える方法は、その元凶を潰すことである。ラプラスは神話の存在、そう思っていた。しかし、ミネルヴァに言わせるとどうやらラプラスは実在するらしい。ミネルヴァは誰かに助けを求めている。仮にミネルヴァが女神だとしよう。ラプラスは女神も助けを求めるほどの敵ということである。そんな存在に子供が挑んだところで、ラプラスにとっては赤子の手をひねるようなものだろう。つまるところ、ソルは運命を変えることを諦めていた。


 午後、ソルは人が去ってがらんとしている食堂で、マルスとヴィーナに読んだ本の内容を伝えた。彼が読んだのは【運命とは何か】という恐らくあの本の中で最も短い章であり、運命が存在することと、運命の根源たるラプラスの存在を伝えた。


「そんなまさか……」

「にわかには信じられない話ね。」


 マルスもヴィーナも冗談じゃないのかと笑っている。当然だ。神話の人物が実在すると言っても信じるわけがない。


「でも、もしこの本の内容が本当だったら……」


 頭を抱える。真偽を確かめる術などない。


「何をそんなに考えてるの?」


 ルーナがうなっているソルに質問する。そして、ソルの横に置かれた本に視線が移る。


「何この本?」

「あ、それは」


 ルーナが目次のページを開いて章を音読する。


「えーと、【罪の告白】、【かつての歴史】、【後世に伝えるべき……読めない、次は……【運命とは何か】?」


 ルーナが硬直する。


「宣告の日から数日間、ソルの姿を見ないなと思ったら、私の運命を変えようと?」


 「はい」と答えればいい。だが、ソルはその答えを言い出せなかった。本能が答えるな、否定しろと抑制しているように感じた。


「そうよ。」


 代わりに答えたのはヴィーナ。彼女はルーナにソルが伝えた本の内容をそのまま話した。


「そんなことが本当にあるのかな。」


 ルーナの言葉に期待の意は感じられなかった。ミネルヴァが語っているのは夢物語だと言わんばかりに諦めと悲哀に満ちた眼差しを向ける。


「い、一度司祭に聞いてみない?」


 まだ諦めてはいけないという意思表示のつもりなのか、ヴィーナがそう提案する。


「どうして司祭なんだ?」

「ほら、ラプラスとか、あれ女神教でしょ?だったら司祭の方が詳しそうだなぁと。」


 無理に作り出した笑みを浮かべる。行ったところでどうせ意味はないだろうと薄々感じている。その場しのぎの手段に過ぎない。


「まあ、何もしないよりはマシかもね。」

「ソルもそう思うでしょ?何かが得られるかもしれないっていう一縷いちるの望みにかけて、ね?」

「でも肝心の司祭は普段いないだろ?」


 司祭は普段から教会にいるわけではない。何かしらの祭事がないことには司祭は姿を現さないのだ。


「司祭が来る最も近い日は確か、一ヶ月後の祭事だって院長が言ってたよ。」

「だったら、その日までもう少し書庫を調べましょう!何か新しい発見があるかも!」



 一ヶ月の月日は簡単に流れた。結局新しい発見はなく、書庫に死蔵されていた他の本の内容は地理に関することだとか、言語に関することだとか、あるいは専門的すぎてよくわからないものばかりだった。


 ミネルヴァの本を携え、司祭がいるであろう教会へと向かう。祭事は夜で、準備は昨日の段階であらかた終わっている。朝早くの教会に人影はなかった。


「失礼します。」


 大きな音を立てて、単一色の装飾が施された扉が開く。中では司祭が祭壇の準備をしていた。


「どちら様ですか?」

「先月宣告を受けた者です。」

「ほう。こんな早い時間にどうしました?」

「この本の内容についてなのですが。」


 司祭に本を手渡す。表紙に書かれている名前を見た途端、司祭の顔が変わった。


「この本をどこで!?」

「どこって……」


 食い気味に質問する司祭。ソルは答えようとしたが、ヴィーナに肩を叩かれた。教えてはダメだと目線で伝えられる。


「答えられないのならば、まあ、結構です。この本はとても貴重な女神教の資料です。こちらで預からせていただいてもいいですか?勿論もちろん、タダでとは言いません。必要であれば教会が金を出しましょう。」

「申し訳ありませんが、私達はその本を渡すつもりはありません。少なくとも、運命は変わるのか、という答えを頂くまでは。」

「それは…」


 司祭が言葉に詰まる。何か重要な事実を隠している、そう確信したヴィーナは追及する。


「ラプラスについて、ご存知ですか?」

「そ、それは勿論ですよ。なんせ、彼は女神教の邪神なのですから。」

「存在はしますか?」

「わ、わかりませんね。顔を見たことはありませんから。」

「顔を見たことはない?まるで、会ったことはあるけれど顔は知らないみたいな口振りじゃないですか?」


 こんなのは言葉の綾に過ぎない。そう反論することは簡単だ。しかし、司祭は黙りこくってしまった。


「やっぱりラプラスは実在するんですね?」

「私は知らない!とにかくこの本は私が預かる!」


 司祭が部屋に戻ろうとするところをマルスが止める。司祭の前に仁王立ちする。


「そこをどきなさい。」

「本を返してくれたら良いぜ。」


 皆、司祭はもっと粘るものかと思っていた。しかし司祭は何も言わずに本をマルスに手渡した。去り際に司祭はこう言った。


「わかりました。交渉しましょう。ラプラスについてお話ししますが、話し終えたらその本は頂きます。教会の外でお話ししましょう。ここでは誰かが来るのを見ることができません。少し準備をします。外で待っていなさい。」




「なんでわざわざ外で待たせるんだろう?」


 ヴィーナが疑問を口にする。ソル達は教会脇にあるベンチに腰掛けて司祭を待っていた。小鳥のさえずりが聞こえるほど静かだ。


「見張りも含めてじゃないかな?」

「私は教会を勝手に歩き回られると困るからだと思うな。」


 司祭の行動には確かにおかしなところがあった。しかし、そんなことは瑣末さまつな問題にすぎないと思っていた。


 教会の裏手から人影が見える。四人はその影を司祭だと思った。だが、違った。

 彼らの前に現れたのは、土塊に包まれた怪物。頭部には角を生やし、爪は異常に鋭い。


「は?」


 動けなかったのは驚きのせいだけではない。恐怖のせいで身がすくむ。

 次の瞬間、怪物が腕を上に突いた。直後、地鳴りがして、ソル達の立っていた地面が盛り上がった。足を取られ、倒れ込む。


「お、お前は一体なんなんだ!」


 マルスが叫ぶ。


「貴方達が悪いのですよ。私に歯向かうから、その身を滅ぼすこととなるのです。」


 いくつもの声が組み合わさったような奇妙な声。しかし、口調と内容は怪物が司祭であると考えるには十分な根拠となった。

 怪物は今度は腕を振り上げ、手前にいたルーナめがけてその鋭い爪を振り下ろそうとする。ルーナは咄嗟に魔法で光を出した。怪物の目が眩み、一、二歩後退あとずさりする。


「面倒ですね。本を傷つけたくないのですが、仕方がない。永遠に土の中で眠っていなさい!」


 怪物は今度は魔法を使おうとした。ソルがルーナの前に出て庇おうとする。しかし、魔法は撃たれなかった。

 怪物の心臓を剣が貫いた。胸から突き出ている銀色の刃が朝日を反射して輝いている。


「馬鹿な……」


 怪物が倒れ込み、そのまま腐敗して骨となった。後ろに立っていた男、彼の左頬には大きな傷があり、紺碧の眼は冷ややかだ。


「お前達、大丈夫か。」


 冷酷な目を止め、白銀の長髪をなびかせながら近付いてくる。


「は、はい。あなたは?」

「私はジュピターと言う。お前達に迫っていた危険は排除された。安心して家へ帰ると良い。」


 それだけ伝えると、ジュピターはソル達に背を向けその場を去ろうとした。


「待って!」


 ヴィーナが呼び止める。


「なんだ?」

「この怪物は何なの?」

「知る必要はない。」

「教えて!じゃないと気になってきっと夜も眠れないわ!」

「……お前達の運命を作り出した悪しき存在、とでも説明しておこう。」

「運命を、作り出したって、それはラプラスじゃ?」

「それ以上のことを言うつもりはない。」

「あの怪物達を倒せば、運命を変えられるんですか!?」


 今度はソルが質問する。


「それを聞いてどうする?」

「もし変えられるのならば、僕は怪物を根絶させて、ルーナの運命を変えたい!」


 ジュピターの眉が動く。


「そう軽々しく出来るものではない。夢を見るな、少年。」


 ジュピターの声はとても低く、僅かな怒りが垣間見える。


「ルーナを助けられるならその夢だって現実にします!」

戯言たわごとを言うな。そう簡単に夢が現実になるならば、誰も夢なんて持ちはしない。第一、怪物相手に逃げ出したお前が夢を叶えられるとは思えない!」


 先ほどと打って変わって、どすの利いた声でソルに現実を突きつける。しかし、ソルは食い下がる。


「確かに、僕は逃げ出しました。でも、これから強くなって、ルーナを残酷な運命から助け出す!」

「夢を語るなと言っている!」

「夢じゃない!これは覚悟です!」


 真っ直ぐとジュピターを見る。


「……俺も!俺も連れて行ってくれ!」


 ソルが驚いて振り返る。マルスもまた真剣な眼をジュピターに向けている。


「私も行く!ルーナを助けられるのなら、何だってする!」

「ソル達に任せっきりは嫌!私のことだから、私も戦う!」


 ヴィーナとルーナも声を上げた。

 ソル達の真剣な眼差しを見て、ジュピターは昔のことを思い出す。十年くらい前に同じ眼差しを見た。

 「必ずあいつを殺す!」

 少女の、あの強い意志に満ちた眼差しを。


「……全く、どうして私は……」


 ため息を吐き、ソル達に聞こえない小さな声で呟いた。「覚悟」という言葉には如何せん弱いのだ。


「今のお前達は無力だ。もしも奴らを、“フォルトゥナ”を滅したいと思うのならば、着いてこい。」


 ソルに光明が差し込んだ。絶望を打ち砕く希望の光が。


 こうして彼らの旅は始まった。ルーナの運命を変えるための壮大な旅が。

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