第一章 運命の歯車は動き出す

「運命」

 ソルは孤児だった。5歳になってしばらく経った頃に両親を事故で亡くした。両親が急ぎの用事だというもので、ソルを村の知り合いに預け、街に行くと言ったその晩だった。馬車で森を抜ける時に獰猛な魔物に襲われて亡くなったという。知り合いの老爺は、子供一人育てる財力はないと、申し訳なさそうにソルを孤児院へ送った。

 ソルの両親は商人だったという。しかし、そこまで裕福ではなかった。肖像画を残す金なんてあるわけがない。春が訪れるたびソルの心に浮かぶ両親の顔にもやがかかる。


 ソルの生まれた村は小さな村だ。その名を「スコーピオン」。村は安易な木の柵で囲まれていて、獣が入ろうと思えば簡単に入ってこられる。柵に沿って村を一周すれば、恐らく20分もかからない。村の至る所に小麦畑があり、大層な風車がある。なんだかんだ言って歴史がある村だそうだ。


 ソルには幼馴染がいた。名前はルーナ。

 ルーナとの出会いはソルが孤児院に入ってすぐだった。


 両親が死んだ事実は幼いソルの精神に傷を刻んでいた。当時の彼は人は簡単に死んでしまうことを悟っていた。だったら誰とも関わりたくない、大事な人を失いたくないと彼は極端に周りとの交流を避けていた。


「ねぇ!遊ぼうよ!」


 そんな彼に最初に声をかけたのがルーナだった。ソルはずっとルーナを無視し続けていたが、めげずに何度もしつこく声をかけ続けた。7歳のある時だ。ソルは痺しびれを切らしてルーナに怒鳴った。


「どうして僕と仲良くしたがるんだ!君だっていつか僕の前からいなくなるんだろ!」


 哀しみに満ちた怒りだった。それを見ていた院長は心を閉ざしたソルには無理に関わらせない方がいいと、ルーナを離そうとした。だが、ルーナはその手を振り切り、言い返した。


「いつかいなくなるなら、それまでいっしょにいようよ!いっしょにいる時間を少しでも長く、大切にしようと思わないの!?」


 ソルにはそんな発想はなかった。いつか失うものならば何も得ない方が良いというものが彼の考えだった。ルーナの考えは成長すれば、採るかどうかは別として、見出すことのできる観念であろうが、幼いソルにとっては全く知らない新視点だった。


「失ってからじゃおそいんだよ!」


 ルーナは続けてそう言う。これではソルとルーナ、どちらが大人なのかわかったものじゃない。


「君は…ずっと僕の近くにいてくれるの?」

「うん!もちろん!」


 曇りのない笑顔をソルに向ける。彼の初恋だった。



 小麦が実る秋のある日である。ソルはこの時16歳で、ルーナはまだ15歳だった。しかし、この年のうちに16歳になるというものだから、ソルと同じタイミングで寿命宣告を受けることになった。村にたった一つの教会へ足を運ぶ。保護者として付き添ったのは孤児院の院長である。周りには他にも16歳、あるいはそれになる予定の子供達が数人集まっていた。

 白い祭服をまとった小太りの司祭が講壇に上がる。一つ大きな咳払いをしてから、教会の席の最も右側にいる子を見て、こっちに来いと言わんばかりに人差し指を折り曲げる。


「名前は?」


 司祭が名前を尋ねる。


「エリアスです。」

「ふむ…41歳だ。」


 表情ひとつ変えずに言い返す。この時代、寿命の平均は40歳程度なので、エリアスと名乗った彼はほぼ平均と言えよう。


「次。」


 司祭は淡々と宣告を続ける。23、37、50…規則性のない2桁の数字が教会の中に木霊する。

「次。」


 ソルの番になった。


「ソルです。」

「ふむ…君は随分と長生きだね、65。」


 座っていた少年達がざわついた。60を超える者はこの小さな村では珍しい。医療が発達しておらず、一度伝染病にかかってしまえばあとは死を待つだけだと言われるこの村で、65年も生きることがかなり難しいということは理解できるだろう。少年達は「ソルはきっと街に出るんだ。そこで良い医者を見つけるんだろう。」などと小声でソルの長生きの理由を考え始めた。

 ルーナの隣の席に戻り、座る。ルーナから「すごいね。」と言われる。「偶然だよ。」とソルは返す。


「次。」


 ルーナの番だ。ルーナの後に呼ばれる者はいないので、彼女の宣告が終われば司祭は役割を終えて講壇から降りる。


「18。」


 教会内が静まり返った。


「え?」


 次いで発されたのはルーナの困惑の声。先ほど23歳と宣告された少女もじっとルーナを見つめる。


「以上で宣告を終わる。」


 司祭は茫然ぼうぜんとするルーナをよそに去っていく。ソルがルーナの顔を見ると今にも泣き出しそうな顔をしていた。誰しも自分があと2年しか生きられないという宣告を受ければ、それは泣きたくなるものだろう。

 しかもこれは、病による余命宣告などでは決してない。決まりきった運命を述べる「寿命宣告」なのだから。


 寿命宣告は外れたことがない。村であと10年は死ぬことがないだろうと言われていた筋骨隆々の大工は宣告されていた寿命通り死んだ。享年26、死因は転落死だった。大工の仕事途中に足を踏み外し、屋根から真っ逆さまに落ちたのだ。


「ソル…どうしよう…」


 ルーナは涙声で助けを求める。いや、助けなんてさらさら求めてはいない。運命を捻じ曲げることなど不可能であると悟っているから。


 今、子供の頃に交わした約束は破られようとしていた。幼い頃に結婚の約束をした、なんて話は空想ではよくある話だ。だが、ソルとルーナの約束は、そんな生温かいものではない。ソルの人生観そのものに関わる重要な約束で、二人ともそれを忘れたことはなかった。だから、ルーナは寝たり風呂に入ったりするとき以外ずっとソルの隣にいたし、ソルも遊ぶ時にはルーナの手をずっと握っていた。絶対に離すまいと誓ったはずの手は、残酷な運命により引き離されようとしていた。

 それを理解した二人にしばし沈黙が訪れる。


「僕が、僕がルーナの運命を伸ばしてみせる!」


 すすり泣くルーナに向けて、ソルが新たな誓いを打ち立てた。


 虚勢のような誓いだった。しかし、心の底から願っていることではある。運命を伸ばすなど砂上の楼閣にすぎない。方法は何一つとして見当たらない。それに至る手掛かりすらもつかめない。

 そんなソルの相談を受けたのが、同じ孤児院で育った一つ上のマルスとヴィーナである。赤髪の少年、マルスはソルにとって頼れる兄貴分だ。豪快で大雑把な面はあるが、仲間の危機にはすぐにかけつけてくれるような優しい男だ。金髪の少女、ヴィーナは姉というよりもむしろ母親に近い。マルスが暴走したときに抑えられるのは恐らくこの孤児院では彼女か、本気になった院長だけだ。ただ、この場合の母親はただ面倒見がいいだけではない。いざという時には頼れる存在、マルスのいいとこ取りと言っていい。野生に暮らす獣は子を守ろうとして時に強大な相手にも立ち向かう。ヴィーナの「母親」はこれだ。


 さて、そんな頼れる二人であるけれども、この問題に関しては手も足も出ない。結局歳は一つしか変わらないので、経験も知識もソルと大して変わらない。


「院長にいてみるのはどう?」


 ヴィーナがそう提案した。確かに子供だけで勘案したところで得られるものは少ないようだ。


「院長、少しいいですか?」

「何でしょうか?」

「運命を変えることは、できないんでしょうか?」

「無理でしょうね。なぜなら、邪神ラプラスは健在ですから。」


 院長から帰ってきたのは女神教に汚染された、院長らしいといえば院長らしい答えだった。


「そこを何とか!」

「うむ。孤児院の地下に蔵書が沢山あります。先代、あるいはそれよりもずっと前の孤児院の関係者が置いていった本です。君達には難しい本が多いからと死蔵してきました。その中にもしかしたら、手掛かりはあるかもしれませんね。」

「ありがとうございます!」


 3人で早速孤児院の地下へ降りようとする。


「待ちなさい!あそこは暗いですから、ランタンを持っていきなさい。それと、本を読むならばいくつか選び取って上で読んだ方がいいですよ。」



 地下への階段は螺旋らせん状になっていて、天井や手すりに蜘蛛くもが巣を張っている。地上よりもひんやりとした空気が不気味さを増している。

 書庫の扉は金属でできていた。とても人力で空きそうにない。


「これ見ろよ!」


 マルスが何かを見つけたようで、ランタンで指差すものを照らしてみる。丸い、舵のようなもの。しかし、同じような金属で作られていて、壁につながっている。


「これを回せば何かなるんじゃないか?」

「そんな上手くいくかな。」

「物は試しだ、俺の力があれば回せるだろ!」


 マルスが力一杯それを回すと、重い扉が大きな音を立てて開いた。


 黒で覆われた書庫へと足を踏み入れる。長い間使われていないようで、地面にはほこりが溜まっている。これでは本は虫に喰われているだろうとソルは思った。しかし、手に取ってみると、本の状態は非常に良く、染み一つない。よく観察してみると、この部屋自体が一つの大きな箱のように金属に囲まれていることがわかった。


 ソルは本の背表紙の題名を見ながら、どの本を上に持っていくか厳選していた。どの本もやたら分厚い。まるで院長が部屋に置いている経典のようだ。


 横の棚にはめぼしい本は無かった。どれも百科事典のようだ。いくつかめくってみたものの、孤児院育ちのソルにとっては理解できない見出しが多かった。

 書庫の奥へと進んでいくと、一つの書見台があり、その上にこれまた蔵書に引けを取らない、あるいは他のどのものよりも分厚いのではないかというほどの本を見つけた。著者は「ミネルヴァ」。


「なあ、これこんなに目立つように置かれてるんだ。何か意味があるとは思わないか?」

「確かにそうかもしれないけれど、ソル、どう思う?」

「わからない。とりあえず上に持っていくのはこれにしようか。他に役立ちそうなものはなかったからね。」



 書庫を探していた時間はソル達には数分のように感じられたが、実際には既に1時間が経った後だった。孤児院の窓から夕陽がしている。


「読むのは明日にしようかな。」

「同感ね。」


 解散して各々の部屋に戻ろうとしたところに院長が顔を出す。


「持ってきた本はどれですか?」

「この本です。」

「おお、ミネルヴァの本ですか!」


 少々興奮気味に院長が言う。


「そんなに凄いのですか?」

「ミネルヴァはかなり昔の人物ですが、今の時代に生きる私達よりも遥かに優れた思想家ですよ。科学にも長けていたと聞きます。一説には女神教を広めた人物だともされていますね。」

「ということは、教祖?」

「教祖かどうかはわかりませんが、とにかく偉大な人ですよ。この孤児院も古くはミネルヴァによって建てられたそうです。」


 どうやら、この本は当たりらしかった。女神教を広めた人物の分厚い著書。ここに運命についての記述があるに違いない。なぜだか、ソルには確信があった。まるで運命の女神に導かれているように…。


 本を初めて開いたのは書庫をあさった翌日のことである。初めに何を表しているのかよく分からない挿絵が複数あり、次に目次があった。その目次の中にソルの目を引くものがあった。


【運命とは何か】


 かなり後に書かれている章だ。これは大切に違いないと思ったソルは本を後ろから開き、その章の文章を読み始める。


【読者諸君、運命などというものを信じているだろうか。私は運命というものを信じてはいない。そんなものが世界にあってはならない。各人は自由な存在であるべきで、運命に縛られるべきではない。】


 このような書き出しで始まった【運命とは何か】の章は運命を否定したがるソルの期待を膨らませる。


【だが、非常に残念なことに、読者諸君がこの書を見ている時、運命は存在している。全ては忌まわしきラプラスのせいだ。あれは私達のごうだ。ラプラスを生んだのは失敗だった。】


 「ラプラス」。院長が言っていた、女神教の邪神。人々の運命を作り出し、それを宣告するという所業を考え出した悪魔。ラプラスを生んだということは、ミネルヴァというのは女神の一人だったりするのだろうか。ソルは自分自身で立てたこの仮説に、無意識ながら世界の真理を見出そうとしていた。


【決まりきった運命を変えることはラプラスにしかできない。しかし、それを私の手で行うことは残念ながらできない。これを読んだ勇敢な者よ、どうかラプラスを滅ぼしてくれないか。ラプラスを世界から消し去らない限り、定まった運命を変えることは、消滅させることはできない。私達はラプラスが存在する限り、あれの奴隷なのだ。】


 ソルがこの本から得た運命を変える方法は、その元凶を潰すことである。ラプラスは神話の存在、そう思っていた。しかし、ミネルヴァに言わせるとどうやらラプラスは実在するらしい。ミネルヴァは誰かに助けを求めている。仮にミネルヴァが女神だとしよう。ラプラスは女神も助けを求めるほどの敵ということである。そんな存在に子供が挑んだところで、ラプラスにとっては赤子の手をひねるようなものだろう。つまるところ、ソルは運命を変えることを諦めていた。


 午後、ソルは食堂でマルスとヴィーナに読んだ本の内容を伝えた。彼が読んだのは【運命とは何か】という恐らくあの本の中で最も短い章であり、運命が存在することと、運命の根源たるラプラスの存在を伝えた。


「まさか神話の存在が本当に実在するなんてな。」

「にわかには信じられない話ね。」

「でも、僕達じゃ神話の相手には勝てないよ。」


 頭を抱える。良い案が思いつかない。


「何をそんなに考えてるの?」


 ルーナがうなっている3人に質問する。ルーナがソルの横に置かれた本に視線を移す。


「何この本?」

「あ、それは」


 ルーナが目次のページを開いて章を音読する。


「えーと、【罪の告白】、【かつての歴史】、【後世に伝えるべき…読めない、次は…【運命とは何か】?」


 ルーナが硬直する。


「宣告の日から数日間、ソルの姿を見ないなと思ったら、私の運命を変えようと?」


 「はい」と答えればいい。だが、ソルはその答えを言い出せなかった。本能が答えるな、否定しろと抑制しているように感じた。


「そうよ。」


 代わりに答えたのはヴィーナ。彼女はルーナにソルが伝えた本の内容をそのまま話した。


「そんなことが本当にあるのかな。」


 ルーナの言葉に期待の意は感じられなかった。ミネルヴァが語っているのは夢物語だと言わんばかりに諦めと悲哀に満ちた眼差しを向ける。


「い、一度司祭に聞いてみない?」


 まだ諦めてはいけないという意思表示のつもりなのか、ヴィーナがそう提案する。


「どうして司祭なんだ?」

「ほら、ラプラスとか、あれ女神教でしょ?だったら司祭の方が詳しそうだなぁと。」


 無理に作り出した笑みを浮かべる。行ったところでどうせ意味はないだろうと薄々感じている。その場しのぎの手段に過ぎない。


「まあ、何もしないよりはマシかもね。」

「ソルもそう思うでしょ?何かが得られるかもしれないっていう一縷いちるの望みにかけて、ね?」

「でも肝心の司祭は普段いないだろ?」


 司祭は普段から教会にいるわけではない。何かしらの祭事がないことには司祭は姿を現さないのだ。


「司祭が来る一番近い日は確か、一ヶ月後の祭事だって院長が言ってたよ。」

「だったら、その日までもう少し書庫を調べましょう!何か新しい発見があるかも!」



 一ヶ月の月日が流れた。結局新しい発見はなく、書庫に死蔵されていた他の本の内容は地理に関することだとか、言語に関することだとか、あるいは専門的すぎてよくわからないものばかりだった。


 ミネルヴァの本を携え、司祭がいるであろう教会へと向かう。祭事は夜で、準備は昨日の段階であらかた終わっている。朝早くの教会に人影はなかった。


「失礼します。」


 大きな音を立てて、単一色の装飾が施された扉が開く。


「どちら様ですか?」

「先月宣告を受けた者です。」

「ほう。こんな早い時間にどうしました?」

「この本の内容についてなのですが。」

 司祭に本を手渡す。表紙に書かれている名前を見た途端、司祭の顔が変わった。

「この本をどこで!?」

「どこって…」


 食い気味に質問する司祭。ソルは答えようとしたが、ヴィーナに肩を叩かれた。教えてはダメだと目線で伝えられる。


「答えられないのならば、まあ、いいでしょう。この本はとても貴重な女神教の資料です。こちらで預からせていただいてもいいですか?勿論もちろん、タダでとは言いません。必要であれば教会が金を出しましょう。」

「申し訳ありませんが、私達はその本を渡すつもりはありません。少なくとも、運命は変わるのか、という答えを頂くまでは。」

「それは…」


 司祭が言葉に詰まる。何か重要な事実を隠している、そう確信したヴィーナは追及する。


「ラプラスについて、ご存知ですか?」

「そ、それは勿論ですよ。なんせ、彼は女神教の邪神なのですから。」

「存在はしますか?」

「わ、わかりませんね。顔を見たことはありませんから。」

「顔を見たことはない?まるで、会ったことはあるけれど顔は知らないみたいな口振りじゃないですか?」


 こんなのは言葉の綾に過ぎない。そう反論することは簡単だ。しかし、司祭は黙りこくってしまった。


「やっぱりラプラスは実在するんですね?」

「私は知らない!とにかくこの本は私が預かる!」


 司祭が部屋に戻ろうとするところをマルスが止める。司祭の前に仁王立ちする。


「そこをどきなさい。」

「本を返してくれたら良いぜ。」


 皆、司祭はもっと粘るものかと思っていた。しかし司祭は何も言わずに本をマルスに手渡した。去り際に司祭はこう言った。


「わかりました。交渉しましょう。ラプラスについてお話ししますが、話し終えたらその本は頂きます。教会の外でお話ししましょう。ここでは誰かが来るのを見ることができません。少し準備をします。外で待っていなさい。」




「なんでわざわざ外で待たせるんだろう?」


 ヴィーナが疑問を口にする。ソル達は教会脇にあるベンチに腰掛けて司祭を待っていた。


「見張りも含めてじゃないかな?」

「私は教会を勝手に歩き回られると困るからだと思うな。」


 司祭の行動には確かにおかしなところがあった。しかし、そんなことは瑣末さまつな問題にすぎないと思っていた。


 教会の裏手から人影が見える。4人はその影を司祭だと思った。だが、違った。

 4人の前に現れたのは、土塊に包まれた怪物。頭部には角を生やし、爪は異常に鋭く、それでいて司祭の服をまとっていた。


「は?」


 動けなかったのは驚きのせいだけではない。恐怖のせいで身がすくむ。

 次の瞬間、怪物が腕を上に突いた。直後、地鳴りがして、ソル達の立っていた地面が盛り上がった。足を取られ、倒れ込む。


「お、お前は一体なんなんだ!」


 マルスが叫ぶ。


「貴方達が悪いのですよ。私に歯向かうから、その身を滅ぼすこととなるのです。」


 いくつもの声が組み合わさったような奇妙な声。しかし、口調と内容は怪物が司祭であると考えるには十分な根拠となった。

 怪物は今度は腕を振り上げ、手前にいたルーナめがけてその鋭い爪を振り下ろそうとする。ルーナは魔法で光を出す。怪物の目が眩み、一、二歩後退あとずさりする。


「面倒ですね。本を傷つけたくないのですが、仕方がない。永遠に土の中で眠っていなさい!」


 怪物が魔法を使おうとする。しかし、直前でその操作は止められた。

 怪物の心臓を剣が貫いた。胸から突き出ている銀色の刃は朝日を反射して輝いている。


「馬鹿な…」


 怪物が倒れ込み、そのまま腐敗して骨となった。


「お前達、大丈夫か。」


 白銀の長髪をなびかせ、男が語りかける。他者には冷淡のように聞こえる低い声だが、ソル達には怪物よりもうんと穏やかな声に聞こえた。


「は、はい。あなたは?」

「私はジュピターだ。お前達に迫っていた危険は排除された。安心して家へ帰ると良い。」


 それだけ伝えると、ジュピターはソル達に背を向けその場を去ろうとした。


「待って!」


 ヴィーナが呼び止める。


「なんだ?」

「この怪物は何なの?」

「知る必要はない。」

「教えて!じゃないと気になって夜も眠れないわ!」

「…お前達の運命を作り出した悪しき存在、とでも説明しておこう。」

「運命を、作り出したって、それはラプラスじゃ?」

「それ以上のことを言うつもりはない。」

「あの怪物達を倒せば、運命を変えられるんですか!?」


 今度はソルが質問する。


「恐らく。」


 彼らは運命を変えるための糸口を掴んだ。


「頼みがあります。僕達も連れて行ってください。ルーナの運命を変えたいんです!」

戯言たわごとを言うな、少年。お前に何ができる?」


 先ほどの心配とは打って変わってどすの利いた声。それはソルの発言が軽率であったという非難。ソルは反論することができない。ソルには戦闘の経験がない。魔物が現れた時のために最低限の剣術は習ったものの、習った相手は村の素人だし、実際の戦闘は今までなかった。


「そうだ!私達、こんなものを持っているんだけど。」


 思い付いたかのようにヴィーナが例の本をジュピターに見せる。


「ミネルヴァの本だと?どこでこれを手に入れた?」


 司祭と似通った反応をする。


「やっぱりミネルヴァっていうのは特別なのね。そしたら交渉よ。私達をラプラスのところに連れて行く代わりに私達は本の在処ありかを教える。どうかしら?」


 しばし悩んだ後、ジュピターが口を開く。


「……良いだろう。だが、戦闘もできないまま戦場へは駆り出せん。我々の修行は受けてもらう。それで良いな?」

「勿論。それと、あの怪物のこと、もっと教えてちょうだい。私達も同行するんだから、知る権利はあるはずよ。」

「それもそうだな。奴等やつらは悪神ラプラスの部下、【フォルトゥナ】だ。」


 こうして彼らの旅は始まった。ルーナの運命を変えるための壮大な旅が。

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