ソフィアの思い
雨が降り注ぐ。地面に落ちた涙は、雨と同じ模様をタイルに刻む。誰かの悲しみを代弁する雨音は傘を差す2人の少女、ルーナとキュリーの耳にも届いているのだろう。
「この辺り、街の中心部から離れているけど、訓練場とかあるのかな。」
「観光ついでみたいなものだから。そんなに固く考えなくて良いと思うけど。」
「キュリーは数日訓練しなくても大丈夫かもしれないけれど、私達は不安だよ。」
まだ日没までは時間があるというのに、街行く人の数は少ない。雨音と少女の話し声だけが両脇に並ぶ建物に反射する。
突如、ルーナに二つ結びの少女がぶつかった。ライブラでのキュリーとの出会いを想起させる。尻餅をつくと同時に、傘の落ちる音が響いた。
「ル、ルーナ?大丈夫?」
「いたた……」
「ご、ごめんなさい!」
少女はルーナ達よりもずっと幼く見える。髪には大量に
「大丈夫。それよりもどうしたの、そんなに泣いて?」
「あ、いや、私、その……」
少女は途切れ途切れの言葉で何とか説明を試みるも、どうしてもうまく話せない。
「何か事情があるんだね。」
「ルーナ、どうする?」
「とりあえず落ち着ける場所へ行かない?どこかのお店とかさ。」
ルーナは少女の手を引いて立ち上がる。歩き出そうとした瞬間、背後から車が走ってくる音が聞こえた。後ろを振り向いたキュリーが叫ぶ。
「ルーナ!危ない!」
水たまりに入り制御が利かなくなった車が、ルーナ目掛けて突っ込んできた。
キュリーは腰に差していた杖を取り出し、強力な風魔法を車の側面に当てた。車は風の勢いで横転し、ルーナは九死に一生を得た。
「あ、危なかったぁ。」
「ルーナ、大丈夫!?」
「う、うん。私は大丈夫。あなたは?」
少女に声をかける。しかし、少女はひどく怯えていた。
「イヤ、イヤ、イヤ。イヤだよ、死にたくない、私、まだ死にたくない。」
返事もままならない。死に恐怖している少女をルーナが優しく抱きしめる。
「大丈夫だよ。キュリーが守ってくれるから。」
「私任せなの?」
「私、何もできなかったから、私達って言うと説得力ないかなって。」
ルーナは人差し指で頬を掻きながら、口元だけで笑った。
少女は落ち着きを取り戻した。近くのカフェに入って話を聞く。
「私、お兄ちゃんがいるの。」
両手を膝に乗せ、目を
「お兄ちゃんとケンカしちゃって、それで、家から飛び出してきたの。」
「どうして喧嘩しちゃったの?」
「だってお兄ちゃん、私のこと何もわかってくれないもん!」
「分かってくれない?」
「お兄ちゃん、私のためにってケーキを買ってくれたの。もうすぐ死んじゃうから最後にって。」
2人は息を呑んだ。そうか、この子の兄も宣告された寿命が近いのかと、この子にも、顔を知らないこの子の兄にも哀れみの情を抱く。
「でも、それはお兄ちゃんの優しさなんじゃない?」
「それは……わかってるけど……」
「もしかして、ケーキが嫌いなの?」
「ううん。違うの。ケーキが嫌いなわけじゃないの。」
「じゃあ、どうして?最後にお兄さんがくれるものなんでしょ?」
「お兄ちゃん、うまいもの食わせてやれなかったからって言ったの。でも私はそうは思ってないの。お兄ちゃんの手料理はずっとおいしかったの。だから、最後にくれるのはお兄ちゃんの手料理が良いの……」
ソフィアの涙を止める堤防が決壊した。人前で泣いたことはきっとこれが初めてだ。兄に迷惑をかけまいと押し殺していた感情を、兄でない少女2人に吐き出した。
「それは
「わかってるの。ワガママだってわかってる。でも、最後くらいワガママ言いたいよ……」
ルーナとキュリーは泣きじゃくるソフィアを静かに見る。
「それは、私達じゃなくてお兄ちゃんに言った方が良いと思うよ。」
ルーナがソフィアに助言する。
「お兄ちゃんに謝って、自分の思いを声に出そう。大丈夫。私達も一緒に行ってあげるから。」
席から立ち上がり、ソフィアの横に行く。優しく手を伸ばす。ソフィアはルーナを見上げ、ゆっくりその手を掴んだ。
レールモントフは悩んでいた。何がいけなかったのだろうと自問自答していた。
父が死に、母が消えてから、ソフィアをずっと1人で育ててきた。長年いたのにレールモントフはソフィアのことを分かってやれていなかった。そんな自分に失望する。
「ソフィアちゃん、ケーキ嫌いだったのかな。」
「そういうことじゃないと思うけどな。」
ソル達もソフィアの飛び出した理由をあれこれ考える。しかし、不毛だと悟ったのか、少し話しただけで考えることをやめた。
「お兄ちゃん……」
ソフィアが何かを言おうとする前にレールモントフはその身体を強く抱きしめる。
「心配したんだぞ!1人で飛び出して!」
「ご、ごめんなさい。」
「怪我はないか?こんなに雨に濡れて、寒くないか?」
兄の心配が伝わる。安心感に包まれたからか、ソフィアは再び大声で泣き出した。
「ごめんなさい!ごめんなさい!お兄ちゃんにいつも迷惑かけてるのに、今日もまた迷惑かけちゃって!私のワガママなの!」
心の中で思ってることを全部吐き出そうとする。心のうちに閉じ込めることは止めにした。
「私ね、お父さんもお母さんもいなくって、お兄ちゃんが仕事に行ってる間、ずっと寂しかったの。それでも、お兄ちゃんは毎日元気に帰ってきてくれて、私のために料理してくれて、それがうれしかった。」
レールモントフの目が潤む。ソフィアの肩を掴んで、膝立ちになって、彼女の言葉に耳を傾ける。
「私、お兄ちゃんが死んじゃうって知って、すごく悲しかった。私はまたひとりぼっちになっちゃうんだって。ずっと寂しいんだって。でも、それじゃあきっとお兄ちゃんは安心してくれないって思ったの。お兄ちゃんが死んじゃう時に心残りを少しでも無くしてあげたかったのに。そう思ってたのに、私のワガママのせいで、お兄ちゃんの心残りを晴らせられなくしちゃった。」
「俺は、ソフィアのためにって思ってた。でも、ソフィアのためにやるなら、ソフィアが1番やってほしいことをやりたいんだ。我儘でいい。今だけはどんな我儘だって叶えたいんだ。だから、言ってくれ。ソフィアはお兄ちゃんに何をしてほしいんだ?」
「私ね、最後にお兄ちゃんの手料理が食べたいの。ケーキもすごくうれしかったの。でも、ケーキみたいなおいしいものを食べちゃったら、お兄ちゃんの作ってくれた料理の味を忘れちゃうんじゃないかって思っちゃって。だから、食べたくなかったの。」
「そうだったんだな。」
レールモントフは流れた涙を腕で拭う。
「だったら、お兄ちゃんが腕によりをかけて作らないとだな!」
笑って、元気にそう言った。ソフィアも泣き笑いを浮かべ、「ありがとう!」と返したのだった。
「これで一件落着かな?」
ソフィアを連れてきたキュリーがソル達に声をかける。
「キュリーとルーナ、どうしてソフィアちゃんといるの?」
「街でたまたま会ったの。まさかソル達もいるだなんて思わなかったな。」
「ソフィアが家を飛び出した後に会ったのか。」
「とんだ偶然ね。」
「よし!それじゃあ、お兄ちゃんが最後に美味い料理を作ってやらなくちゃな!」
レールモントフは立ち上がり、食材を買うために棚の財布を手に取り、ソフィアの手を繋いで家を出る。雨脚は先ほどよりも強くなり、夕方のはずだが夕日は見えない。
「ここまで暗いなら、明日でもいいんじゃないか?」
「そうね。この状態で外を歩いたら、それこそ貴方が死ぬ理由になってしまうんじゃない?」
「確かにそうだな。ソフィア、明日でも良いか?」
「うん、もちろん。」
「悪いけど、アンタらの寿命はここまでなんだよ。」
扉を閉めようとした時、女の低い声が雨音と共にはっきりと聞こえた。薄暗がりの中に光の点が見える。耳につけた四角いピアスに僅かな光が反射している。僅かな光に照らされて浮かび上がったのは、燃えるような赤い髪をした女。身体を鉄の鎧で覆い、右手に持った片刃の大剣は肩に乗せ、大きく口を開いて不気味な笑みを浮かべている。
「誰だ!お前は!」
マルスが背中に背負っていた大剣を取り出し、レールモントフと謎の女の間に立つ。続けてヴィーナ、ソル、キュリーも2人を庇うように間に入り、ルーナはソフィアを守るようにしゃがみ込み、謎の女を凝視する。
レールモントフは謎の女の姿をどこかで見たような気がしていた。しかし、肝心のところが思い出せない。
「お前、フォルトゥナだろ!」
「ああ、アタイは【ベラトリックス】。アタイが名乗ったんだからアンタらも自分達がどんなのかくらい言ってくれるよな?」
「俺達はフォルトゥナを倒す者だ!」
マルスの言葉を聞いて、突然ベラトリックスが声を上げて笑い出した。
「何がおかしい!」
「そりゃおかしいだろ!アンタらがアタイを倒すって?そいつは無理な話だ!」
その時、何がきっかけかは分からないが、レールモントフはどこでその女を見たのか思い出した。
「そいつ、司祭だ!」
「あ?アンタ誰だっけ?」
「覚えちゃいねぇよな、1年後に死ぬやつの名前なんて!」
「あぁ、いたいた。アタイが宣告した時泣き崩れた無様な奴が!そうか、それがアンタか!」
「てめぇ……」
「レールモントフ、怒りは分かるけれど、今は抑えて。こいつは僕達が何とかする。」
戦いの始まりを告げる雷鳴が轟いた。
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