少女の死は更なる歪みを生む

「幼き少女の死」

 こう題された新聞はレオの街の全ての話題を1日も経たずにさらった。兄を亡くした少女の決断は、人々の悲哀を買い、憐憫を買った。兄を追い、天国への船旅を選んだ少女。レオの街を貫く大河を〈冥府の川コキュートス〉にでもなぞらえたのだろうか。


 新聞を見てソル達は嘆いた。やはりソフィアを1人にすべきではなかったと、己の行動を後悔した。


「私達は……ソフィアも守れなかったの……?」

「クソッ!レールモントフさえ守れたなら!」


 どれだけ叫んだところで失われた命が蘇ることはない。たかが1日過ごしただけの相手。それでも救えなかった悲しみは大きい。


「1つ、考えたことがあるの。」


 キュリーが神妙な面持ちで話し始める。


「今から言うことは、決して私達がレールモントフを助けられなかったことの責任逃れとか、そういうつもりじゃない。だけれど、この考えなら腑に落ちると思う。」

「一体、何を考えたの……?」

「運命の歪みの修正。私はそれが起きたんじゃないかと思う。」

「歪みの修正?」

「言い換えれば、元々、2人とも死ぬはずだったんじゃないか、ということ。」


 その言葉に皆が絶句する。少ししてマルスが疑問を呈する。


「待てよ。ソフィアは運命宣告されてないんだ。」

「宣告される前から運命が決まっているならおかしな話ではないでしょ?宣告を聞くのは16歳前後。その前に亡くなる子供だっている。」

「でも、根拠がないでしょ?」


 ヴィーナが反論する。


「ルーナ、ソフィアと出会った後のこと覚えてる?」

「う、うん。ずぶ濡れのソフィアちゃんと会って、その後……あ。」

「車が突っ込んできた、そうだったよね?」

「まさか、本当はその時にソフィアちゃんが死ぬ運命だったということ!?」

「うん。だけれど、ルーナと出会ってしまったことでソフィアの運命が歪んだ。」


 そのキュリーの言い方にソルが違和感を覚える。違和感の正体にはすぐに気付いた。


「もしかして、僕達がレールモントフと出会うことまでは運命通りだった……?」

「私はそう思ってる。そうでなきゃソフィアとレールモントフの喧嘩は起こらない。多分元々の運命ではレールモントフがソフィアを探しに行ったんだと思う。だけれど家を出る前に私とルーナがソフィアを連れ帰った。あるいは、ソフィアの死を聞いて、絶望の果てに今回のソフィアと同じように自殺する運命だったのかもしれない。」

「そんな……」


 頭が真っ白になりそうだった。自分達が遭遇したことがまさしく運命が進むトリガーだったかもしれないだなんて。


「根拠はもう1つ。ベラトリックスが『どっちも死ぬ』みたいなことを言っていたから。ソフィアの死は実際のところ、運命を辿たどった結果なんだと思う。」

「ソフィアを生かしていた方が運命は大きく歪んでいたということか。複雑な気分だ。」


 椅子の背もたれに寄りかかりながらマルスが言った。


「そうね。ソフィアが死ななかったらもっと大勢の人が犠牲になったかもしれない、ということを考えると……本当、残酷な結末ね。」


 ヴィーナも溜め息をつきながら世界の残酷な仕組みを嘆く。


「だが、俺とイオは運命の歪みが完全に修正されたとは思っていない。」


 カリストが不意に現れる。皆、いつの間にいたのかと驚いた。カリストは空いていた椅子に座ると、真面目な顔で話し始めた。


「修正されていない?一体どういうことですか?」

「今回の少女、ソフィアだったか、彼女の自殺はレオの大衆に少なからず影響を与えている。特に若者達にな。既に2人の自殺者が出ているそうだ。」


 目を見開いて驚いた。体をカリストの方は向け問う。


「自殺者?どうして!?」

「ソフィアの自殺に触発されたんだろうな。」

「他人の自殺に触発?そんなことあり得るの?」

「そいつがあるようなんだ。詳しいことは俺も知らないが、とにかく、このままでは自殺者を中心に連鎖的に運命の歪みが発生する。間違いなくフォルトゥナが修正にかかるだろうな。」




 暗い部屋。青白い光が【スピカ】の口元を照らしている。彼女の前には4つの人影。背の高い男が前に立ち、その後ろに3人がひざまいている。


「スピカ、なぜ我々を呼んだんだ?」


 手前の男が尋ねる。


「レオの運命修正をお願いしたいのです。」

「レオ?ああ、小娘の身投げで運命が歪んだあの街か。」

「ええ。どれほど歪みが出るかはまだ算出できていません。しかし、現状自殺している者達は、大概外部との接触を減らしている者達です。大きな影響にはならないでしょう。」

「我々がレオに向かう理由はあるのか?」

「貴方達の役目は運命の歪みの根源を見つけ出すことです。ライブラの1件もおそらく彼女が関わっているでしょうね。」


 スピカのその言葉に、男は疑問を口にした。


「彼女?お前は誰が根源がわかっているのか?」

「ええ、おおかた目星はついています。貴方にもいつか見せたでしょう。」

「“例の〈絵〉の女”か?」

「ええ。」

「なるほどな。命令はその女を殺すことか?」

「いいえ。生きて連れてきなさい。利用価値はあるでしょう。」

「そうか。だが、どうやっておびき出せばいい?我々には【ベガ】のような能力は持ち合わせていない。人目をはばかって戦闘することは難しいだろうな。」

「見つけ次第さらえば良いのです。夜の時間帯がいいでしょうね。人混みに紛れて攫えますから。」

「了解した。」


 男は後ろを振り向き、3人に向かって命令する。


「三つ星よ!ラプラス様の命令に従い、例の女を捕らえるのだ!」

「はっ!」


 3人は跪いたまま短く返事をする。




 夜、ソルはなかなか寝付けずにいた。月明かりに照らされた窓辺の椅子に腰掛ける。歪みはまだ収まっていない。カリストのあの発言が脳内で何度も再生される。


「僕達はどうすればいいんだろう。」


 大きく溜息をついた。


「まだ眠れないのか?」


 ベッドに横たわっていたマルスが体を起こす。


「そっちこそ。」

「ソルの溜息で起きたんだ。」

「そんな大きくなかった。」


 むすっとした顔で否定する。


「で?どうして眠れないんだ?」

「嫌な予感がして。」

「嫌な予感?」

「明日にでもフォルトゥナが行動を起こすんじゃないかって、そんな予感。」

「確かに運命が歪んでいる今、いつフォルトゥナが襲いにきてもおかしくはないな。」


 再びベッドに大の字で寝転んだマルス。


「しかし、考えすぎだとも思うけどな。」

「どうして?」

「ライブラで運命が歪んだ時があっただろ?でもあれは、言い方は酷いが、2人の犠牲で止まったんだ。今回もきっと時間が経てば止まると思うんだが。」

「そんなことがあるのかな。」


 不安は拭えない。しかし、ソルは今だけはその不安から目を逸らす。眠りにつくために、今だけは。


 翌日、イオとカリストはレオを出るための準備をするように言った。元々は祭りの数日後にレオを出る予定だったが、ベラトリックスを想定よりも早くたおしたので、早めに街を出ることにしたのだ。しかし、急な予定変更なので、馬車の手配がまだできていない。2人が言うには、出発は祭りの翌日になるようだ。


 この日の朝、ソルは何の用事もなく気がおもむくままに街をぶらついていた。


「今朝の新聞は要るかね!」


 白髭を生やした男が肩にかけていたバッグから新聞紙を1部取り出して、街行く人々へ声をかけていた。何人かが通りざまにコインを渡し、新聞を買っていく。

 ソルも手持ちの銅貨を手渡し、新聞を買ってみる。表紙は近頃続く若者の自殺の事件だった。昨日からほとんど変わっていない。昨日だけで自殺者は15人に増えたらしい。その多くは労働者階級の貧乏な少年少女。多くは川に身投げして亡くなっている。少なくはあるが、首吊りもいたという。朝から憂鬱な気分だ。


 ソフィアが身を投げた橋にはいくつもの花束が捧げられていた。白い花束が橋の欄干に立てられ、川にそれらの花弁が落ちていた。

 ソルは何も持ってきていなかった。しかし、何もしないで帰るわけにはいかないので、橋の上で祈りを捧げた。両手を胸の前で合わせ、静かに祈った。


 穏やかな1日だった。フォルトゥナが襲ってくることもなく、誰とも関わることがなく、そして夜になった。決して幸福な眠りにつけたわけではなかったが、どうかこんな穏やかな日々が続きますようにと願った。戦いに身を置いている自分達には、敵を斃すまでは平穏な日々が訪れるわけがないとわかっていたのに。


 翌日、早朝。レオの街に3人の人影が現れる。頭から爪先までを黒いローブで覆った不気味な格好をしている。3人はレオの中心の広場で分かれ、彼らの標的を探し始めた。

 この日、レオの祭りは惨劇と化す。

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