ルーナ

 生身の人間とは思えない速さで空を飛ぶルーナ。それを追いかけるアルファルドの魔法。前から、横から、後ろから、あらゆる方面から襲いかかる無数の攻撃をかわす、かわす。


 ルーナが一瞬だけ動きを止めて、無数の火炎を体の周りから発射する。不規則な軌道を描いきながらアルファルドに向かう。


 アルファルドは水の鞭でそれらの弾の軌道を逸らす。着弾したところで爆発して、地面がえぐれる。


「覚醒したかと思えば、この程度ですか?」


 まだまだ余裕だという表情を見せる。完全にルーナを見くびっていた。


 戦闘は激化する。宙を駆け巡る魔法は数を増す。どちらも互角。抜きん出た攻撃もない。アルファルドを守る水の盾はルーナの魔法をことごとく打ち消し、アルファルドの魔法は素早いルーナを捉えられない。


「あれが、ルーナなの……?」

「一体、何が起きているんだ……?」


 ヴィーナとマルスはただ呆然と眺めていることしかできない。激闘の中に加わったところでルーナの助けにはならない。むしろ、ルーナの気を逸らす邪魔者にしかならない気がした。

 2人の戦闘はまるで絵画。霧の額縁に飾られた淡白な絵画。彩るのは灰色の鉄筋と、繰り出される魔法と、ルーナを照らす僅かな色彩。外から眺めていることしかできない、触れられない世界。




 思考が体に追いついていないよう。むしろ、体が勝手に動いているような、そんな状態。私の知らない魔法をなぜか放つことができる。まるで体に染み込んでいるかのように無意識に。


 周りの音が遠くなる。この世界にいるのは私1人であるかのような静寂が訪れる。視界には狂気の笑みをたたえた敵がいるというのに。視覚と聴覚の乖離かいり。味わったことのない奇妙な感覚。


 どうすればアルファルドに勝てるのだろう。強固な水の盾を突破できる魔法。火では駄目。水も意味がない。風や土だって弾かれる。金も勢いを削がれて終わり。毒や氷という手もある。だけれど、もっと有効な手段があるんじゃないかな。そんなものよりもずっと速い、虚空を駆け巡る存在が。


 魔法はたくさんある。私がイメージできていないだけで、きっと水に有効な魔法は存在する。もしかしたらこの体ならやってくれるんじゃないかという期待があった。


 体に聞いても答えてはくれないだろう。でもすがりたい。あの水さえどうにかできるならどんな魔法だって良い。水に有効な魔法を教えて。もう一度私に声をかけて。


「髮キ縺ョ鬲疲ウ輔r逋コ蜍輔&せ縺セす」


 何を言っているのかはわからない。何も確証はないけれど、きっとこれなんだと思った。


 アルファルドの水の針が私の元へ一直線に向かってくる。


「今。」



 ルーナが手をかざす。天誅てんちゅういかづちが放たれ、アルファルドに襲いかかる。アルファルドは水の壁を作ろうとしたが、間に合わなかった。落雷の轟音ごうおんが辺りに響く。


「か、雷など……私にとっては大したものではない……」


 フォルトゥナの再生能力は異常だ。体に走った黒い落雷の跡は数十秒も経たないうちに回復してしまった。


「ううん。隙を作るための雷。」


 ルーナは既にアルファルドの懐に入っていた。氷の刃を生み、アルファルドの胸を貫く。


 言葉にならないうめき声を上げてアルファルドは倒れ込んだ。そして、跡形もなく消え去った。


 ルーナはもう1人の存在を思い出して構えるが、そのフォルトゥナはいつの間にかいなくなっていた。

 戦いが終わったことに安心する。一気に疲れが押し寄せた。ルーナの倒れ込む音がヴィーナ達の耳に届く。その瞬間、鑑賞者だった彼らはルーナの世界に吸い込まれた。


「ルーナ!?」


 近くへ寄ってルーナを抱き上げる。ルーナは眠りについていた。力の反動だろう。


「大丈夫なのか?」


 マルスはもう1人倒れている方、ソルの元に向かいながらヴィーナに尋ねる。


「うん。寝ているだけ。ソルは?」

「こっちも寝てるだけだな。顔色は良さそうだ。傷も治っている。やっぱあの時のルーナは幻じゃなかったわけか。」


 霧が晴れる。タイル張りの道に作られた凸凹でこぼこと煉瓦造りの建物についた傷がルーナとアルファルドの激闘を物語っている。


「お前達!大丈夫か!」


 ジュピターが駆けてきた。その声に反応したのか遅れて他の3人もやってきた。


「すまない。こちらも全員がはぐれてしまってな。」

「全員迷っていたの?」

「うん。いつの間にか。」

「それにしてもこの惨状は一体?」

「お前らだけでフォルトゥナを退けたとでも言うのか?」

「いや、私達というよりも、ルーナが。」


 寝息を立てるルーナを見る。4人全員が驚愕の表情を浮かべる。支援系の魔法、しかもその基礎しか習得していないはずの少女がフォルトゥナを倒したなど、驚天動地の出来事だ。


「今すぐ問い詰めたいところだが、無理矢理起こすわけにもいかないな。宿へ連れて行けるな?」

「ええ。」




「おかしいわね。明らかに動きが狂ってる。」

「どうした、【スピカ】。」


 円卓を囲む男が【スピカ】という女に問いかける。


「ライブラで起きた“バタフライ”。あの2人さえ殺せば最小限に抑えられるはずだったのだけれど……」

「まだ続いているってわけ?」


 今度は、男の真向かいに座っていた女が溜め息をつきながら尋ねる。


「そう。それも大幅な乱れ。幸い、人物に影響を及ぼしているわけではなさそうだけれど。」

「〈人物には〉か。」

「そう。自然に対しては狂っている。」

「それは修正できるのでしょう?」

「ええ。でも、これほどの“バタフライ”を起こせるなんて、一体何者なの?」


 すると、扉が開き、黒装束をまとった男が靴音を鳴らしながら入ってきた。


「【ベガ】より報告があります。アルファルドがやられた、と。」

「それは本当か、【アルタイル】!」


 円卓の男が驚きのあまり立ち上がる。


「本当です。」

「アルファルドって確か二等星の中でもそれなりに強かったよね?」

「ああ。アルファルドを倒した奴が“バタフライ”の根源と見て間違いないだろうな。」

「では、アルタイル。あなたが向かいなさい。場所はわかるのでしょう?」

「今はライブラに留まっております。次の街となれば、小さい街ではありますがヴァルゴかと。」

「分かったわ。基本的には貴方に任せるわ。ただし、殺さずに捕らえること。」

「殺さずに、ですか?」

「ええ。これがラプラス様の意思ですから。」

「了解。」


 スピカは1人残って、あれこれ思索していた。


「もし根源がミネルヴァだったら?いえ、そんなことあるわけがないわ。万が一のために全土にフォルトゥナを分散して探させているというのに!まさか、報告のし忘れかしら?下っ端の二等星ならやりかねないわ。ああ、もう!計画が台無しになるわ!」





 ルーナが目を覚ますと、心配そうに覗き込むキュリーの顔が映った。


「あ、キュリー……」

「ルーナ!」


 涙を流してルーナに抱きつく。腕を固く組み強く抱きしめる。


「心配したんだよ!もう目覚めないんじゃないかって!」

「ごめん。」

「もう……大丈夫?」

「うん。大丈夫。」


 その言葉を聞いて、キュリーは腕の力を弱めた。拘束を解いて、椅子に座り直す。


「あのさ、ソルはどうなってるの?」

「まだ眠ってるよ。でも大丈夫。もう少ししたらきっと目を覚ますから。」

「良かった。」


 キュリーが部屋を出ると入れ違いにジュピターが入ってきた。真剣な表情で、低い声で開口一番にこう質問した。


おおむね察せられるが、何があった?」

「……フォルトゥナに遭遇しました。」


 ルーナは語った。アルファルドのこと、ハープ弾きの女のこと、自身の内に眠る「何か」のこと。

 それを聞いたジュピターは、外で聞き耳を立てている誰かがいないことを確認すると、

「ハープ弾き、か。思い当たる者が1人いるな。」

と言った。


「待ってください!キュリーだとか言わないですよね!」

「何?キュリーもハープが弾けるのか?」

「え?」

「私が言っているのは、イオのことだ。イオのハープの腕も中々のものだ。お前の言うハープ弾きの女に当てはまる。」


 驚きのあまり言葉に詰まる。キュリーがあのハープ弾きだとは思っていない。だからといって師匠であるイオがフォルトゥナに与していると思えるだろうか?それは無理だ。


「イオは妹なんですよね?それでも疑うんですか?」

「そもそもイオとは血が繋がっていない。あいつは私が拾ったんだ。」


 ジュピターの話では、イオは5年くらい前のフォルトゥナ討伐作戦中に出会った少女だという。両親がいて、友人がいて、そして本当の兄がいて、幸せな生活を送っていたという。

 しかし、それはフォルトゥナによって打ち砕かれた。討伐作戦中に一等星【アークトゥルス】が襲来したのだ。【アークトゥルス】は【うしかい】の能力を振るってイオの街に大量の魔物を解き放ち、イオの家族も友人も皆殺しにした。イオは命からがら逃げ出して、逃げた先でジュピターに助けられたのだ。

 イオは復讐のためにジュピターの弟子となり、フォルトゥナの討伐隊に加わった。


「イオは元は外部の人間だ。フォルトゥナが偽っている可能性だって捨てきれん。」

「そんな……」

「ハープ弾きは他にもいる。これはあくまでも可能性の1つにすぎない。私はイオもキュリーもくだんのハープ弾きではないと思っている。そもそも2人がフォルトゥナであれば、お前をすぐにでも殺しているはずだろう。」

「確かにそうですね。今は変なこと考えない方がいいですよね。」


 それでもルーナの心から疑念というもやは晴れなかった。命を狙われているルーナは自分に負けられた刃に敏感になっている。アルファルドと共にいたハープ弾きの女。彼女に関する恐ろしい妄想が脳にこびりついて離れなかった。



 翌日、ソルはすっかり回復していた。ソルもルーナから事情を聞き、アルファルドとの戦いがどのようなものであったかを想像した。ルーナには1つだけソルに黙っていたことがあった。ジュピターの話した、イオが裏切り者である可能性。それは他の仲間にも同じく伝えなかった。ジュピターとルーナだけの秘密としたほうが安全であると考えたのだ。


 ジュピターは今日、予定より早くライブラを出ると告げた。そもそもライブラに寄った理由はライブラのフォルトゥナ、アルファルドの討伐であり、その目的は果たされた。ライブラにこれ以上残る意味はないのだ。


 キュリーは学園から休みをもらい、故郷のヴァルゴ村まで彼らの馬車旅に同行することになっている。予定が早まってしまって大丈夫なのか聞くと、優等生であるキュリーは学園長の信頼を得てるから問題ないと返された。


 ヴァルゴ村までは馬車で数時間。野宿は必要ない。宿屋から出て、用意された2頭の馬車に乗り込む。キュリーはイオ、ルーナと共にカリストの引く馬車に乗った。ライブラの塔が段々と遠ざかっていく。門を出る頃には、薄い影になっていた。


 今日の森林はやけに穏やかだった。それなりの数の魔物が生息する森だが、今回は運がいいのか、全く遭遇しない。1時間ほどかかったが、戦闘なく抜けられた。ソルやルーナは気に留めていなかったが、ジュピター達抵抗者や勘のいいヴィーナにはなんだか嵐の前の静けさといった感じがしてならない。その考えが杞憂であることを望む。


 森林を抜けた先はところとごろ岩が露出している丘であった。右手には川が穏やかに流れていて、左手には広大な草地が広がっている。


「街から少し出るだけでこんなにも自然豊かなんだね。」

「私達が最初に村を出た時もこんなのだったよ。」

「長いこと出ていないから、もう忘れていたな。こんなに世界は美しいんだね。」


 すっかり都会に慣れてしまったキュリーには新鮮だった。都会に来る前に何度も見たはずの景色だけれど、初めて見たよう、そんな未視感ジャメヴを味わう。


「ヴァルゴまではあとどのくらいかかるんですか?」

「あと少しじゃないか?ほら、あの辺にある村がヴァルゴ……」


 手綱を握っていたカリストの言葉が途切れる。何事かと窓から外を見る。ちょうど小高い丘に登っており、大した起伏のないヴァルゴ周辺を見渡すことができた。


「何?あれ……」


 カリストが見ていた方に黒い跡が点々とあった。まだ遠くてそれが何かは確認できなかったが、一度街を襲われた経験があるイオは似た光景を目にしたことがある。あれはきっと焼け跡だ。


「まさか、ヴァルゴが!」

「そんな!?」

「くそっ!一足遅かったっていうのか!?」

「まだわからない。生存者がいる可能性だってあるよ!」


 不安、恐怖、悲哀、一縷いちるの希望、様々な感情が交錯する。下り坂に差し掛かり、馬の足が若干早まる。ヴァルゴに近づくにつれ、馬車と共に心臓の鼓動も早まる。


 後続のジュピター達が着く頃には、カリストはヴァルゴ村、だったものの瓦礫の中を生存者がいないかと必死にさがし回っていた。イオは既にヴァルゴの奥へと進んでしまったようだ。


「どうして、どうしてヴァルゴ村が……」


 キュリーはルーナの胸で泣いている。膝は地面に崩れ落ち、ルーナの服の両脇を掴んであふれる涙を押し付けている。


 運命の歪みが波及してしまった。

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