第1章 運命の歯車は動き出す

フォルトゥナ【アルファルド】

 庁舎の前にはライブラ広場がある。フォルトゥナが勝負を仕掛けるならば比較的広いところだと踏んでいた。


 しかし、司祭が人通りの多いところで戦うことはないだろう。となると、何か特殊な状況を作り出しているはず。それは宿屋を出てすぐに理解した。


「なんだ、この霧は……」


 周りの仲間すら認識するのが難しくなるほどの濃霧。これでは、広場に行くことすら困難になる。


「この濃霧では、交通は動かないな。」

「多分どの店も閉まるし、外出する人はほとんどいないでしょうね。」


 はぐれないように前の人の背中を追い、慎重に街を歩いていく。先導するは土地勘のあるキュリー、続いてジュピター、イオ、カリストが、その後ろにソル達が。


「庁舎は確かこっちの道のはずです。」


 前方が方向を変える。ソルもカリストの背中に合わせて方向を変えようとした。しかし、何かにつまずいてこけてしまう。


 まずい、と思った時にはもう遅い。既に前方4人は濃霧の中に消えてしまい、後を追うことは不可能だ。


「ごめん!」

「気にしないで。それよりも、霧の中に閉じ込められたのはまずいわね。」

「何か建物あるかな?」

「とりあえず、横に進んで建物の壁に当たった方がいいんじゃないか?」

「どっちが壁なのかわかる?」


 ライブラの街は直線的で、しかもそれが規則正しく縦横に並んでいる。もし壁に当たらなければ、それは長い長い距離を歩くことになるだろう。


 濃霧の中では方向感覚も掴めない。どちらが北でどちらが東か。目印となるものは何一つ見えない。どうにもできずにその場に固まる。とりあえず濃霧の中からの襲撃に備え、防御魔法を出す準備をした。


 そんな一行に彼らを死へといざなう優美な演奏が聞こえてきた。


「この音なんだろう?ハープ?」


 美しいハープの音色が一行の耳に届く。方向はルーナが見ている方向だ。


「もしかしてキュリーじゃないか?ハープ上手いんだろ?」

「でも、ハープなんて持ってなかったよ。」

「じゃあ、一体誰が?」


 ヴィーナの答えは一行の不安を高まる。もしこれがフォルトゥナのおとりだったら?当然フォルトゥナはジュピター達から離す、つまり庁舎とは逆の方向におびき寄せるだろう。

 しかし、もしキュリーが何かしらの方法で奏でている音色だったら?彼女達がそこにいる存在証明だったら?これほどの安心感はない。


 敵の罠か、味方の知らせか。死と生の狭間にいる感覚だ。このまま動かずにいれば、フォルトゥナに襲われる可能性は格段に上がり、そして対処もままならない。ハープの音に近づくか、離れるか。これほどない簡単な選択で自分達の生死はほぼ確定する。


 ハープの音は段々大きくなっている。彼らに選択を迫るように。


「ルーナ!どこなの!」


 ハープの方から女の声がした。口調はキュリーに似ている。


「この声、きっとキュリーだよ!やっぱりあれはキュリーだよ!」


 ルーナが駆け出した。


「待って!罠よ!」


 ヴィーナ達はその声がフォルトゥナであると確信していた。ハープの音が届くほどの距離なのに、キュリーが彼女達の声に気づかないわけがない。ルーナの後を急いで追いかける。


 走っていると、急に霧が晴れた。目の前にあったのはライブラのシンボル・研究者塔。普段は人で溢れている広場に人気ひとけはない。6人を除けば。4人はソル達だということは言わずともわかるだろう。問題は残る2人。


 1人は白装束に身を包んでいる。女のようだが、顔は隠れていて見えない。研究者塔の鉄骨に座り、ハープを奏でている。


 もう1人は若い男で、黒い紳士服に白い手袋、頭には紳士帽シルクハットを被っている。灰色の髪を整え、杖を持ち、片眼鏡モノクルを身につけているその容貌は、まさしく紳士の体現。


「あなた達、一体何者なの?」

「それは皆様方が1番お分かりであると存じますがねぇ。」


 ヴィーナの疑問に懇切丁寧な、しかしどこか気味の悪い口調で答える。そして、その一言で彼らがフォルトゥナであることは察せられた。


「そこの女は誰?」

わたくしの同胞、いえ、上官でございます。」

「なら、一等星……?」

「そのような質問にはお答えしかねますねぇ。御嬢様のお気持ちは分かります。皆様方の命を狙う存在が急に現れれば、混乱もするでしょうし、何より恐怖する。」


 次の瞬間、紳士がヴィーナの目の前に現れる。一瞬の出来事だった。スコーピオンの司祭を凌駕りょうがする速さ。


「なにも私共わたくしどもは皆様方を殺したい訳ではないのですよ。皆様方がここで身を引いて下さるのならば、これ以上の犠牲は出ませんし、出しません。誓ってくださるのならば、見逃して差し上げましょう。」

「冗談言うんじゃねぇ!犠牲を出さない?お前らフォルトゥナが運命作る限り、俺達はそれの犠牲じゃねぇか!」

「赤髪の少年、紳士たるものそう感情的にはなってはいけませんよ。考えてご覧なさい。私共が運命を定めて、それで何か皆様方に悪影響を及ぼしていますか?」

「どういう意味だ!」

「どうもこうも。皆様方はいずれ死ぬのです。早かろうと遅かろうとねぇ。私共はそれを伝えているだけではありませんか。結果が変わるわけではありません。必然のことです。」

「伝えることが悪質だと言っている!」


 紳士は辟易へきえきしていた。なぜ理解できないのだろうか。フォルトゥナの行動で未来が変わるわけではないというのに。


 彼は当初の位置に戻り、白装束の女に目線を送る。白装束の女は声を出さずに、4人を指差す。まるで、「殺して良い」とでも指示するかのように。


「私に行けとおっしゃるのですねぇ。えぇえぇ、良いでしょう。話をしても無駄なようですからねぇ。」


 紳士が再び前に出る。今度はゆっくりと、靴音を鳴らしながら。


「さぁ、皆様方。残念なことに上官は皆様方を殺すように命令なさった。この私、【アルファルド】が、皆様方を死へと誘って差し上げましょう!」


 紳士としての顔を捨てたアルファルドの顔は、さながら戦闘狂の顔。アイデンティティである丁寧口調だけは崩さずに、しかし暴力的な声である。


 アルファルドの背中から数本の太い水の針が現れた。地面に針を叩きつけると、その部分のタイルが飛び跳ねた。当たったら死ぬ。誰もがそう思って必死に針をける。


「さあさあ踊りなさい。針に当たれば、退場ですよ。」


 手を数回叩き、狂気に満ちた声でアルファルドが声をかける。必死に避け続けるソル達を愉悦に満ちた表情で眺める。


「とても、トテモ良いですねぇ。ですが、長々とやっている暇もないんですよ!」


 次の攻撃は横長のむちのような魔法。首を狙って鞭を水平に振る。ソル達は間一髪のところでしゃがんで避けた。


 強い、攻撃する暇がない。アルファルドの絶え間ない攻撃にソル達は反撃できずにいた。水の針も鞭も攻撃範囲が広く、最も後ろにいるヴィーナすら油断すればそれらに呑まれる。


 変幻自在のアルファルドの水魔法は攻撃のためだけにあるわけではない。向かってくる敵を水に閉じ込めることができる。やわな魔法ならば打ち消すことができる。二等星の中であればアルファルドはかなりの実力者だった。

 彼には自信があった。あんな弱い少年少女ごときに自分が負けるはずがないと。事実、彼は全力を出していないのに、彼らを圧倒することができている。


 ヴィーナが後方から数十の火のたまをアルファルドに向けて撃つ。ソルとマルスはアルファルドを挟み撃ちにするように陣取り、斬りかかる。


「無駄だと言っているのですけどねぇ。」


 アルファルドが指を鳴らす。途端、アルファルドの周りを水がドーム状に囲う。剣も魔法も勢いが削がれ、近づいた2人はアルファルドに蹴飛ばされた。強く地面に打ちつけられ、痛みで立ち上がることも難しい。


「貴方達では私には勝てないんですよ。降参なさい。」

「降参なんて……するものか……」


 倒れていたソルが歯を食いしばり、ふらつきながらも立ち上がる。彼の眼は諦めを感じさせない、強い意志のある眼だった。アルファルドが嫌いな眼だ。


「自分の立場がわかっていないようですねぇ。」


 その声は怒りに満ちていた。アルファルドはソルの首を掴むと、再び地面に叩きつける。


「そこまで諦めないと言うのならば、徹底的に痛めつけてやりましょう。」


 アルファルドは水の針をソルの脚と腕に突き刺した。激痛が走り、ソルが叫ぶ。それはもうライブラの端から端まで届くのではないかというほどの絶叫。


「この水にはねぇ、毒が入っているんですよ。苦しんで苦しんでクルしんで、それから死になさい。」


 アルファルドはこの場でとどめを刺さなかった。毒がまわってもだえ苦しむソルを放置して、その様を楽しんでいる。


 ルーナは憤っていた。ソルを痛めつけて悦に入るアルファルドにも勿論だが、それ以上に、そんな光景を前にしていながら何もできない自分自身に怒りを覚えた。涙が流れる。どうして私はこんなにも無力なのだろう。大切な人が目の前で痛めつけられているのに。どうして!


《Detected heightened emotions. Remove restrictions.》


 ルーナの耳に何かの声が届く。言葉の意味はルーナにはわからなかったが、それは何か大きな力を与えてくれた気がした。魔法が次々と頭に浮かぶ。見たこともない、想像したこともないはずの魔法が。これなら、きっと。



「さて、後何分生きられますかね?」


 ソルの毒はもう全身に回り、呼吸することすら辛くなっている。苦しい、くるしい、誰か助けてくれ。届くはずもない心の声で助けを求める。

 意識が途切れる直前、体が軽くなった気がした。自分を包み込んでくれる存在を感じた。毒の痛みが和らいだ。


「ル……ナ……」


 それだけ呟いて、癒してくれたルーナの顔を見ることなくソルは意識を失った。



「ゆっくり眠ってね。」

「貴方は……」


 アルファルドをにらみつける。


「私はあなたを許さない。」

「ふっ、はっはっはっ!よく言いますねぇ。まさか、毒を解除した程度で私に勝てると思っているんでしょうかねぇ!」


 先ほどまで見ていることしかできない小娘に何ができるものかと嘲笑う。


「今の私なら、できる!」


 アルファルドが一瞬固まる。しかし、すぐに笑い出し、

「滑稽ですねぇ。先程まで後ろで怯えていた貴方が!私に勝てると断言ですか!」

 そうルーナを馬鹿にする。

 だが、そんな余裕はすぐに打ち砕かれることとなった。アルファルドの腕が吹き飛んだ。

 何が起きたのか、アルファルドはおろか、マルスとヴィーナにも理解できなかった。


「ル、ルーナ……?」

「ルーナ……なんだよな……?」


 少女の顔は一変した。大切な人を傷つけられた悲しみを、何もできなかった自分への怒りを力に変えた少女は、報復者の顔へと変わったのだ。


「はははっ!良いでしょう、良いでしょう!貴方にそのような潜在能力があったのならば、こちらも全力でお応えせねばなりませんねぇ!」


 狂気の笑いをあげる。戦闘狂の血が騒ぐ。もがれた腕を一瞬で復活させ、今までの攻撃とは比にならないほど大量の鞭を出現させる。


「さぁ!殺し合いましょうか、御嬢様!」

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