第10話 ハジメの本音

 ワイヤーロープの巻き取りが終わった。

 穴をよじ登って、タイルの上にしっかりと立つ。ガスマスクを外して天井を見上げると、電灯の光がまぶしい。

 チラリとハジメの様子を見る。ヒゲが力なく垂れている。

 ……やべぇ、言い過ぎたか?

 だから、心がないって言われちまうんだろうな。

 こういうとき、ロニだったらなんて声をかけるだろうか。アイツは優しいからな。

 最初の一言をどうするか悩んでいたら、ハジメの方から話しかけてきた。


「北地区へ冒険に行った日のこと、覚えているか?」

「ああ、ハジメのバギーに乗って、そんで道に迷った」


 オレは、自分のベルトに結んでいた縄を解きながら答えた。


「俺は、お前たちの誘いに乗らなければよかったと、今も後悔している」


 カチンときた。あの冒険は、オレたちにとって特別なものだと思っていたのに。


「ははん? 『マジメのハジメ君』は、尊敬するオヤジさんにこっぴどく叱られたのがそんなに嫌だったんですかぁ?」


 オレはわざと挑発するように言ってやった。

 でも、ハジメの表情は暗いまま。


「あの日の夜……父さんが倒れたんだ」

「え?」



 ハジメのオヤジさんは、ニンゲンとの戦争中に統率軍を結成して、ネズミたちの先頭に立った。

 戦争が終わった後も、オヤジさんは総統として立ち続けた。世界が滅んで、身体も大きくなって、何もかも変わってしまって、ネズミたちは混乱していた。誰かが大勢のネズミをまとめる必要があった。

 街を守るオヤジさんを、ハジメはガキの頃から尊敬していた。



「父さんは、無断で北地区へ行った俺を叱った。身勝手な行動が多くのネズミを危険にさらした。街の一員としての自覚が足りないって……怒鳴っていた父さんが突然ふらついて、目の前で倒れた。

 医者によると、働きすぎが原因らしい……それなのに、翌日には本部で兵士たちに指示を出していた」


 あの日の夜を思い出しているのか、ハジメの垂れたヒゲが震えている。


「休んでほしいと言った。でも、聞いてくれなかった……父さんのニンゲンに対する憎しみはそれだけ根深い。このままじゃ父さんが死んでしまうと思った」


 眉間のシワがさらに深くなっていく。


「だから、統率軍に入隊した。少しでも父さんの助けになりたかった。でも、街の状況は良くなるどころか、悪くなる一方だ。それでも、俺は父さんを信じて頑張ってきた。なのに、父さんはアルを見殺しにしようとした……」

「ハジメ……」

「もうどうしたらいいか、わからないんだ……」


 言葉が出ない。ハジメがこんなに悩んでいたなんて知らなかった。

 正しさだけじゃ、上手くいかない。心ってやつはそう簡単じゃない。

 オレは、それをよく忘れちまう。

 文字の解読や機械の組み立てのほうがよっぽど簡単だ。

 ハジメを見る。オレよりもデカい身体のはずが、背中が丸くなって小さくなっている。

 こんなしみったれた姿なんて似合わねぇ。オレのダチは、堂々と胸張っている姿が一番似合う男だ。

 絶対なんとかしてやる。そう思った。


「心は簡単じゃない……わからないから難しい……」


 思いついたことを口にして、思考を整理する。

 考えろ。初めてニンゲンの道具を修理したときも、初めてひらがなを読んだときも、初めてだから難しいと感じたんだろ?

 わからないから難しいと感じるだけ。ひとつずつ分解して考えていこう。


「今、オレたちに必要なのは情報だ」


 オレの一言に、力を失ったハジメの瞳がこっちを向く。


「オヤジさんの心の問題を解決するには、情報が足りねぇんだよ」


 オレはようやくまとまった思考を披露する。


「今までの情報は、ハジメから見たオヤジさんの様子だ。だけど、オヤジさんが何を思っているのか、本人の口からはっきりと聞いたわけじゃない。きっとまだ誰にも話していない本音ってやつがあるはずだ。

 今、オレたちのやるべきことは、オヤジさんから本音を聞き出すことだ」


 頭が冴えてきた。ハジメの落ち込む姿にちょっとばかし動揺していたみたいだ。まったく、らしくねぇぜ。

 簡単じゃないからなんだってんだ。オレは諦めが悪いんだ。

 見たこともない機械だろうが、難しい漢字だろうが、これまでに得た情報や知識を使って解いてきたじゃねぇか。


「……あの父さんが本音なんて話してくれるだろうか」

「オレには話してくれないだろうな。でも、ハジメなら聞き出せる」


 オレは断言した。確信があった。


「オヤジさんのことを一番見てきたのはハジメだ。一番そばにいたのはハジメだ。お前がやってきたことは無駄じゃない」

「でも統率軍をやめたんだ。こんな俺の話なんて聞いてくれない」


 またヒゲが垂れる。ハジメは完全に自信を無くしているように見えた。


「相変わらずマジメだなぁ。親の言うこと全部聞く必要ないんだぜ」


 しみったれた空気は苦手だ。こういうのは笑い飛ばせばいい。


「オヤジさんがハジメのことを見てくれるまで、何度だってぶつかっていこう。このオレ様がついているんだ。胸を張れって!」


 オレはできる限り口の端を上げて笑ってみせる。

 ずっと下がったままだったハジメのヒゲが、ようやく上を向く。


「……無理だと思っていたことも、アルが言うとできそうな気がしてくるから不思議だな」

「だろ? こんなに悩むくらいなら、さっさと相談しろよな。オレらダチじゃんか」


 ハジメは驚いた顔をした。


「……俺、お前に嫌なことばっかり言っていたのに、友だちでいいのか?」

「当たり前だろーが。まったく、これだから『マジメのハジメ君』はよぉ」


 そう言うと、ハジメはりりしい眉がやわらかくして笑ってみせた。本当に久しぶりの笑顔だった。


「よし、そうと決まったら善は急げだ。オヤジさんのところへ行こうぜ」


 縄でしばられた両腕でリズムを取りながら、バギー乗り込むために歩き出す。

 バギーの少し先、オレが落ちた穴から何かが飛び出ているのが見えた。

イスの脚だ。次にテーブルの天板、メニュー表、立て看板、グラス、またテーブル、トレイ、皿、フォーク、鍋、フライパン、またイスの脚、イスの脚、テーブルの脚、イス、テーブル、イス、イス、イス──それらがぐちゃぐちゃに合わさって、一つの塊となっていた。


 ──ギギギギギギギギギギギッ!


 この音、聞き覚えがある。アイスクリーム店で見た巨大な影を思い出す。

 大量のゴミでできたモンスターが穴から這い出て、こっちに向かって走ってくる。


「ハジメ! バッグにナイフ!」


 ハジメはすぐに反応した。オレの腰に下げたバッグからナイフを引き抜いて、腕をしばっていた縄を叩き切る。

 オレが荷台に飛び乗ると同時に、ハジメも運転席に飛び乗って、アクセルを踏んだ。

 バギーはぐんぐん加速していく。ライフル銃をつかむ。バッグに手を突っ込んで、ゴム弾を乱暴に詰める。その間もモンスターから目を離さない。

 とにかく、ゴミ同士の継ぎ目を狙う。


 バンッ!


 イスが一つ落ちた。でも──


「これじゃキリがねぇ!」


 バギーが横滑りしながらカーブを曲がる。今度は振り落とされないように、荷台の縁をつかむ。

 曲がった先で突然、モンスターの動きが止まった。


『ニンゲンは捕獲しました。ご安心ください。繰り返します。ニンゲンは捕獲しました。ご安心ください』


 南地区につながる道から、アナウンスが聞こえてくる。モンスターは身体全体を上に伸ばして、そのまま音がする方へ走り出した。


「クソッ!」


 ハジメは舌打ちをすると、バギーをUターンさせて、すぐにモンスターの後を追い始める。


「どうなっている! どうして急に街へ向かった⁉」

「音だ。アナウンスの音に反応しているんだ」


 あのドデカいモンスターは、昨日アイスクリーム店のすりガラス越しに見たアイツだ。トコと一緒に隠れていたときも、ちょっとした物音には敏感に反応していた。

 このまま街へ行けば、どれだけの被害が出るだろうか。

 オカミさん、それに孤児院の子どもたちの顔が頭に浮かぶ。

 落ち着け、焦るな。こういうときこそ深呼吸。視野を広く持て。

まず一番に、街のネズミたちを避難させなくちゃいけない。

 でも、スピーカーは人が多い場所に設置されている。避難を呼びかけるためのアナウンスをすると、音に反応するモンスターがやってきて、真っ先にネズミたちを襲うだろう。

 そのためには何が必要だ?

 今あるのは、バギー、通信機、ワイヤーロープ、工具が詰まったバッグ……よし、いける!


「ハジメ、あのモンスターを倒すぞ」

「できるのか⁉」

「できるできないじゃねぇ、やるんだよ! 天才アル様に任せておけ!」

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