第9話 気に食わねぇ

 ……。

 ……。

 ここは、どこだ……?

 上から、光が……あれは、穴……?

 そうだ……オレ、トライシクルから落ちて……。


「いッ!」


 肩に激痛が走る。どうやら思い切り打ちつけたらしい。起き上がろうにも、痛みのせいでろくに腕が上がらない。

 どのくらいの高さから落ちた? 下の階層まで落ちたなら、ここはチカテツか?

周りを見渡そうにも、光が足りない。


 カサリ、カサカサ、カサリ。


 何の音だ? すぐ近くまで何かが迫っている。

 目を凝らしてみる。

 ゴミだ。空き缶、スナック菓子の袋、カップのフタ、紙くずに足が生えている。ゴミの群れがゆっくりと近づいてくる。

 腕が上がらない状態で、ライフルを撃つのは無理だ。

 しかも、吐き気までしてきた。最悪だ。ガスを吸っちまったらしい。

 クソ、こんなところでくたばってたまるかよ……!


「オラァ!」


 バキバキガシャンッ!


 鼻の先まで迫っていた空き缶のモンスターが、一瞬にして吹っ飛んだ。

 体格のいいネズミが、ハンマーでゴミの群れをなぎ払いながら叫んでいる。


「……ハ、ジメ?」

「無事か⁉」


 もう一度、ハンマーがモンスターに振り下ろされる。


「……どこが、無事に見える?」

「減らず口は叩けるみたいだな」


 腕っぷしの強いハジメには、こんな雑魚モンスターなんて相手にすらならなかった。あっという間にゴミの群れを蹴散らした後、手持ちライトのスイッチを入れながら、オレのところへ戻ってきた。


「ケガは? どこが痛む?」

「……肩……あと、吐ぎぞう……」

「ガスを吸ったな。地下街より下の階層はガスがたまりやすい」


 そう言うと、ハジメはタオルを口に巻いてガス対策をする。


「わかってんならさ……マスク……かぶせてくれよ」


 オレは腰に下げたガスマスクの存在を、視線だけでハジメに伝える。


「その前にこれを食べておけ」


 ハジメは手持ちライトを床に置いたあと、ポケットから鉄製の小さなボトルを取り出す。中にはプラスチック製のボタンがいくつか入っていた。

 五つのボタンを手の平に乗せて、オレに差し出す。


「腕、上がんねぇんだけど」

「ああ、すまん」


 ハジメは文句も言わずに、オレの口の中にボタンを入れていく。

 プラスチックの甘さがじんわりと舌の上で溶けて、とろりと喉へ落ちる。一つ食べるたびに、肩の痛みが和らいでいく。

 オレたちの身体にどう作用しているのかわからないけど、プラスチックを食べると、簡単なケガなら数秒で完治する。だから、統率軍の兵士はプラスチックを薬として携帯しているって聞いたことがある。

 なるほど、ボタンみたいに一口サイズなら、死にかけているときでも食べやすいな。

 吐き気も収まって、気がつけば、プラスチックの持ち運びについて考えられるくらいには回復していた。


「立てるか?」


 オレは起き上がって、ハジメの目の前で腕をぐるぐると回して見せる。そして、腰に下げたガスマスクを装着した。


「よし、ここから脱出するぞ」

「他の兵士はどうした?」

「ロニとニンゲンを本部まで連行している。お前も連れていくからな」


 オレが動けることを確認すると、すぐに脱出準備が始まった。


「助けてもらってなんだけどさ、いくら腕に自信があるからって、一人で地下に下りるのは無謀だと思うぜ」

「……」


 ハジメは何も言わずに、穴から垂れ下がったワイヤーロープのフックをベルトに取り付けている。

 ハジメは返答に困るとしゃべらなくなる。しゃべらなくても、顔に全部出ていてバレバレだってことを本人は知らない。

 それに、いつも誇らしげに巻いている赤いマフラーがなかった。

 ──なるほど、そういうことね。


「お前、本部の命令を無視して、オレのところへ来ただろ?」


 ハジメの眉間のシワが濃くなる。その表情が正解って言っているようなもんだ。


「……ありがとう、マジで助かった」


 オレは素直に礼を言った。こういうことはちゃんと言葉にしないと伝わらないって、オカミさんが言ってたからな。

 実際、ハジメがいなかったらモンスターに食われていたかもしれない。


「当然のことをしただけだ」


 オレのベルトに縄を通しながら、ハジメは言う。


「たとえそいつが、防火システムをいじって街中を水浸しにしたり、スピーカーをジャックしたり、迷惑なことばかりしてきたヤツだとしても、助けるべきだと思った」

「ただ水をまいたわけじゃねぇよ。あれはスプリンクラーを使って雨を再現しようとしたんだ。それに、スピーカーはちょっと借りただけだって」

「それを『ジャック』と言うんだ」

「ちげーって。アナウンスのお姉さんも毎日毎日、節水だの、節電だの、同じことばっかりしゃべっていたら疲れるだろ? だからオレが代わってやったのさ。知ってるか? ニンゲン社会には『ラジオ』ってものがあって、おもしれぇ話や音楽を電波で届けていたんだぜ」


 ハジメは見せつけるようにデカいため息をついたけど、そんなのは無視。知らねぇ。

 ハジメがワイヤーロープを一度だけ強く引くと、ゆっくりとロープの巻き取りが始まった。靴裏が地面を離れて、オレとハジメの身体が吊り上げられていく。


「お前のオヤジさんは、オレのことが邪魔みたいだな」

「ちがう。ニンゲンがいたからだ。ネズミたちがパニックにならないように、急いで本部へ連行する必要があった。だから、お前の救助が二の次に──」

「ウソつかなくていいって。どうせ『反乱者だから放っておけ』とか言われたんだろ?」


 ハジメの顔が苦々しく歪む。


「……兵士たちを危険にさらすわけにはいかない……そう言われた」

「命を天秤にかけたってわけだ。まあ、トップに立つ者として当然の判断だと思うぜ」


 ハジメの眉間のシワがまた深くなる。本当にわかりやすいヤツ。


「停電の件をハジメの手柄にしたのも、多分お前のオヤジさんだろうな」

「……どういうことだ?」


 わかっていないのか。

 まあ、わかっていたらあんなにブチ切れたりしねぇよな。

 仮説だけどな、と前置きをしてからハジメに説明する。


「統率軍は、ニンゲンという存在を敵とみなしている。ニンゲンが残した技術になるべく頼らず、ネズミの力だけで街を守っていきたかった。

 だけど、限界ってもんがある。街ではあらゆるものが不足して、みんな不満タラタラ。

 そんな中、ニンゲンの道具を専門とするメカニックのオレが、街の停電を直したって聞いたら、ネズミたちは統率軍のことをどう思う? 『ニンゲンが残した技術って悪くないかも』、『統率軍の言っていたことは間違っている』って思うだろうな。

 逆に、総統の息子であるお前が停電を直したと聞いたら、『やっぱり統率軍が正しかった』ってなるわけだ。そりゃ情報操作くらいするさ」

「……」


 また、だんまりか。

 いいさ。この際だから、言いたいことは言わせてもらう。


「前から思っていたんだけどよ、お前のオヤジさんさ、ここまで頑なにニンゲンのことを拒むのは異常だぜ。お前だってわかっているんだろ? 本当にこの街のことを考えるのなら、なりふり構わず、ニンゲンの道具と知識を取り入れるべきだ」

「……父さんは、モンスターに親を殺された。ガスで兄弟を亡くした。ニンゲンのせいで、たくさんの仲間を失った……憎しみはそう簡単に消えたりはしない。心というのは簡単じゃないんだ」


 ハジメは痛みに耐えるような顔で言った。

 なんでお前がそんな顔すんだよ……気に食わねぇ。


「その憎しみってオヤジさんのもんだろ? お前が苦しむ必要ないじゃん」

「親が苦しんでいるんだぞ!」

「でも、殺されたのはオヤジさんの仲間であって、お前は会ったこともないネズミばかりだ」

「アル……お前には、相手を思いやる心ってものがないのか?」


 ハジメの悲しい生き物を見るような目に、思わず苦笑いする。

 オレはおもしろいことが好きだ。楽しいことをして生きていたいし、憎しみとか、怒りとか、そういうもので頭をいっぱいにするのは、もったいねぇと思っちまう。

 ましてや、自分じゃない誰かの感情を引き受けているヒマなんてない。

 だから、思っちまうんだ──


「──オヤジさんが、苦しいまま死んじまってもいいのか?」

「……!」


 ハジメの目が見開く。


「お前さ、統率軍に入ってから笑わなくなったよな。オヤジさんもそうなんじゃないか? ずっとニンゲンを憎んで、もういなくなった敵に怒りを燃やして生き続けているんじゃないのか?」

「そ、それは……」

「なあ、オヤジさんの笑った顔を見たのっていつ?」

「……」


 結局、ハジメは穴から出るまで黙ったままだった。

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