第8話 逃げろ!

 地上へつながるゲートはひとつじゃない。実は地下街のあちこちにある。

 アルの話によると、ほとんどのゲートはシャッターが下りていて、統率軍の本部にあるコントロールパネルを操作しないと開かないらしい。


「ということは、停電していた北地区のゲートを目指すんだね」

「いや、統率軍のやつらが一番恐れているのは、モンスターとガスだ。北地区の停電が直ったと知ったら、すべてのシャッターを下ろすだろうさ。

 もっとも、昨日北地区を走っていてもガスの気配はなかったから、どのゲートも開いていないんだろうな」


 んー、ハズレた。

 じゃあ、どこから地上へ出るつもりなんだろう?


「ロニ、北地区の一番奥には何がある?」

「えーっと、たしか階段が……あ!」

「そう、『チカテツ』へつながる階段だ」


 ボクたちが住んでいる南地区、それに停電していた北地区があるのは地下一階。そのさらに下の階に「チカテツ」がある。

 チカテツっていうのは、ニンゲンをギューギューに押し込めた「デンシャ」という乗り物が走る場所だって、前にアルから教えてもらった。

 きゅうくつな思いをしてまでデンシャに乗るニンゲンって、本当に変わっている。ボクはトライシクルで走っているとき、ヒゲで風を感じるのが好きだから、きっとデンシャは好きになれない。


「チカテツの向こう側は、統率軍のコントロールパネルで操作できないエリアになっている。あそこならゲートが開きっぱなしのはずだ」


 というわけで、ボクたちはチカテツを目指してトライシクルを走らせていた。



 ただ、問題が起きた。

 統率軍による北地区の調査が始まっていたんだ。

 北地区の入り口近くにトライシクルを停めて、兵士に見られない位置から様子を見る。あちこちで赤いマフラーを巻いた兵士が忙しそうに動き回っていた。


「くそっ、昨日までビビッてたやつらが、停電が直ったら我が物顔で走ってやがる。ムカつくぜ」


 アルが腹を立てている横で、トコが統率軍のバギーの荷台を指さす。


「おいしいの、いっぱい」


 プラスチックの塊をたくさん積んだバギーが、南地区の方へ走っていく。食料不足だったから、街のみんなが喜ぶだろうなと思った。


「……大半の兵士が北地区に集まっている。ということは、統率軍の本部のほうは警備が手薄なんじゃないか? コントロールパネルまでの道はわかっている……トライシクルを裏に待機させて……ゲートをこっそり開けて……」


 アルは顎に手を当てて、ぶつぶつとつぶやきはじめた。思考モードに入ったみたい。思いついたことを口に出しながら、作戦を組み立て直している。

 トコも顎に手を当てて、ふむふむとうなずいている。どうやらアルのマネをしているみたい。

 今、ボクにできることは何だろう?

 頭の中の地図を広げる。どこか抜け道はないかを考える。

 調査は始まったばかりで、統率軍は入口近くに固まっているから、そこさえ抜けたら後は楽そうだけど──


「うわっ!」


 考え事をしていて、背後に注意が向いていなかった。誰かに肩をつかまれて、そのまま地面に引き倒された。


「いたたた……な、なに?」


 顔を上げると、ハジメがボクを見下ろしている。

 昨日アルとケンカしたときよりも眉間にシワを寄せて、鼻息も荒い。

 えっと、もしかして、ものすごく怒っている?


「お前ら、いったいどういうつもりだ!」


 ひょっとして、バレた……⁉

 ボクらがトコを連れていること?

 それとも、地上へ出ようとしていること?

 思い当たることが多すぎて、どれのことだかわからない。


「な、何のこと?」

「とぼけるな! なんで俺が停電を直したことになってんだよ!」

「へ?」


 思っていたのと全然違った。

 街ではハジメが停電を直したことになっているの?


「ちょ、ちょっと、ボクら何もしらな、うぐっ」


 まだ話している途中なのに、ハジメにシャツの胸部分をつかまれて、無理やり立たされる。首がしまって苦しい。


「俺はお前らが停電問題を解決したと本部に報告したんだ! それなのに、お前らは断った上に、俺の手柄にするように言ったんだろ!」

「ハジメ、落ち着け。オレたちは昨日、お前と別れてから誰とも会ってねえよ」


 アルが止めに入る。

 でも、ハジメの怒りはおさまらない。


「じゃあいったい誰のしわざだ!」

「知らねーよ。別にいいじゃねーか。せっかくだから、オレらの代わりにほめられとけよ」

「バカにするなっ!」


 怒りに任せた声に、投げやりな返事をしていたアルもさすがに驚いた顔をしている。


「俺はそんなもののために軍に入ったわけじゃない! 遊んでばかりのお前らからのおこぼれなんて、死んでもごめんだ!」


 顔をゆがめながら、ハジメは叫ぶ。

 どうしてそんなにボクらを毛嫌いするの?

 ボクら、遊んでいたわけじゃないよ。

 ボクらなりに、できることをしてきたんだよ?


「ぐっ、う……」


 言いたいことがたくさんあるのに、声が出ない。シャツをつかむ手が強くなって、さらに首がしまっていく。

 く、くるしい……息が……できな、い。

 もがいていたら、視界の端で何かが飛び跳ねた。

ハジメと同じ目線までジャンプしたトコが、腕を振り上げる。


「ろに、いじめちゃ──」


 小さな手が、ものすごいスピードで振り下ろされる。


「メーーーーーーーーーーーッ!」


 バチコーンッ!


 トコの平手打ちが、ハジメの頬に思い切り炸裂した。

 ええええええええええ~~⁉

 ボクよりも身体の大きいハジメが、簡単に吹っ飛んでいったんですけど⁉

 喉が解放されて咳き込むボクをかばうように、トコがハジメの前に立つ。


「ろに、いじめちゃ、メッ! いたいいたいしちゃ、メッ!」

「ぐぅっ……な、なんだ、こいつ!」


 ハジメは叩かれたほうの頬に手を当てて、トコを睨みつける。

 パサリ。

 勢いよく叩いたときの反動で、トコのかぶっていた帽子が落ちた。

 ピンクの髪、顔の横についた耳、低い鼻が丸見えになる。


「に、ニンゲン……?」


 トコの顔を見たハジメは、叩かれたときよりも目を丸くしている。


「ロニ、トコ、逃げるぞ!」


 アルの声で、ボクはハッとした。

 すぐにトコの手を引いて、トライシクルに向かって走る。

 全員乗り込んだのを確認して、アクセルペダルを踏む。


「おい待て! チッ! こちら一号車! トライシクルが北地区に向かって逃走中! ニンゲンだ! ニンゲンが乗っている! 絶対に逃がすな!」


 背後でハジメが通信機に向かって叫んでいる声が聞こえる。

 トライシクルは、どんどんスピードを上げていく。

 ヤバい! ヤバい! ヤバい! ヤバい!


「どどどどどうしようっ⁉」

「こうなったら強行突破だ! そのまま北地区を突っ切れ!」


 アルの指示を信じて、ボクはハンドルを握りしめる。


『緊急事態発生! 緊急事態発生! 市民の皆さんは建物の中に避難してください! ニンゲンです! ニンゲンが出現しました!』


 いつもと違って、スピーカーから流れるアナウンスも必死だ。

 追いかけてくるバギーの群れ。

 後ろだけじゃない。前を見ると別のバギーが待ち伏せている。

 ボクは邪魔されるたびに、角を曲がってやり過ごす。

 大丈夫、チカテツまでのルートはまだつながっている!

 アルが座席の上に立つ気配。

 サイドミラーを確認。

 ガチャリッ。

 アルが背負っていたライフル銃を構えている。


「アル、だめだよ!」

「殺しはしない」


 そう言うと、アルは上に向かって銃を撃った。

 バキッ! ガシャン!

 命中した看板が音を立てて落ちる。落ちた看板のせいで道がふさがって、バギーたちは前へ進めない。


「へへ、どんなもんだ!」


 アルがライフル銃を背負い直して自慢げに笑う。


「アル、すごいよ!」

「しゅごいしゅごい!」


 トコもうれしそうに手を叩く。


「よし、このままチカテツまで一気に──」


 このとき、ボクは完全に油断していた。

 頭の中の地図ではルートがつながっていたから、ちゃんと前を見ていなかった。

 昨日、北地区を探索していたとき、あれほど気をつけていたのに。

 まさかタイルが崩れて、床に大きな穴が空いているなんて──。

 キキキキーッ!

 ハンドルを切って、トライシクルを真横に滑らせる。

 お願いぃぃぃぃ! 止まってぇぇぇぇぇぇえ!

 摩擦熱。ゴムタイヤが焦げるにおい。

 トライシクルは、穴の縁のギリギリで止まった。

 ただ、止まったときの反動が大きかった。

 トコとボクは座席に座っていたから大丈夫だった。

 アルは看板を撃ち落とすために、立ったままだった。

 アルだけがトライシクルから投げ出された。

 目を見開いたアルが、真っ暗な穴の中へ落ちていく。


「アルーーーーーッ!」


 ボクは急いでトライシクルを下りて、穴をのぞき込んだ。

 何も見えない。返事も聞こえない。暗闇が広がっているだけ。


「そんな……嘘だ……」


 ボクのせいだ。ボクがよそ見していたから。

 どんなに完璧に地図を覚えたって、仲間が無事じゃなきゃ意味がない。

 絶望的な状況に頭が真っ白になった。気がついたら、追いついた統率軍がボクの手に縄をかけていた。


「ヤダッ! イヤァ!」


 統率軍の兵士から逃れようと、トコが暴れている。

 いけない! このままじゃ兵士が力づくでトコを捕まえようとする!

 そうなったら、トコが暴れて、兵士とトコ、どちらもケガをしてしまう……!


「トコ、ダメだ! 大人しくして!」

「う、ううぅぅ」


 本当は嫌なはずなのに、トコは振り上げた拳をゆっくり下ろしてくれた。兵士たちは恐る恐るトコの腕を縄でしばっていく。


「いい子だね。大人しくしてね……ごめん……ごめんね」


 悔しそうに潤んだピンクの瞳に、ボクは謝ることしかできない。

 遅れてハジメがやってきた。

 兵士たちは、ハジメに向かって敬礼をする。


「ハジメ隊長、反乱者一名、ニンゲン一人を捕らえました!」

「もう一人の反乱者はどうした?」


 ハジメがボクの顔を見る。


「ハジメ……アルが……アルが……」


 目の前の穴を見て、何が起こったのか気づいたみたい。ハジメの顔が青ざめていくのがわかった。


「今すぐ救出へ向かう。あと二名、俺についてきてくれ」

「はい!」


 ハジメはすぐにバギーに設置されている巻き取り用のホイールから、ワイヤーロープを引き伸ばす。先端についているフックを自分のベルトにひっかけながら、兵士に声をかける。

 他の兵士も同じように救出準備をしていると、ハジメの持っている通信機が鳴った。


『全兵士に告ぐ。至急、捕らえた反乱者とニンゲンを連れて本部へ帰還せよ』


 この声、知っている。

 統率軍で一番えらいネズミ。

 総統・カヅキ。ハジメのお父さんだ。


「反乱者が一人、地下に落ちました。救出に向かいます」

『ダメだ』

「なっ……!」


 ど、どういうこと? アルを見捨てるっていうの?


「総統! 市民を守るのが、我々統率軍の責務ではありませんか!」

『地下二階は手つかずの場所だ。モンスターがどれだけいるのかわからん。ガスが充満している可能性もある。一人の救助のために兵士を危険に晒すわけにはいかん』

「ですが!」

『聞こえないのか、ハジメ隊長。これは命令だ。至急、帰還せよ』


 ハジメは下唇を噛んで、うつむいたままだ。他の兵士たちはハジメのことを気にしながらも、本部へ帰る準備を始めている。

ハジメと目が合った。


「ハジメ、お願い……アルを助けて……」


 縄で縛られたボクはハジメに助けを求める以外、どうすることもできない。

 ハジメは一度目を閉じて、深く息を吐いたあと、統率軍の証である赤いマフラーを外して床に投げ捨てた。


「だったら、俺は統率軍を辞める」


 突然の出来事に、周りにいる兵士たちがざわつく。ボクだってびっくりした。

 でも、それ以上にハジメがアルのことを考えてくれたことに、泣きそうになった。


『ハジメ! ダメだ! 勝手な行動は許さん!』


 総統は通信機に向かって怒鳴りつける。だけど、ハジメの気は変わらないみたい。


「俺はみんなを助けるために兵士になったんだ。父さんが何と言おうと、俺は友だちを助けに行く」

『ダメだ! 第一部隊、ハジメを取り押さえろ!』


 周りにいた兵士たちは戸惑いながらもハジメに近づいていく。

 すると、ハジメは背負っていたハンマーをつかんで素振りをしてみせる。床に落ちていた砂粒が飛んでいくほどの勢いに、兵士たちはたじろぐ。


「ハジメ君、ここはお父さんの指示にしたがって……」


 一人の兵士がハジメをなだめようとする。


「すみません、こればっかりは曲げられないです。邪魔するなら相手します」


 それに対して、ハジメはていねいな言葉で警告してから、また救出の準備を始めた。


「……総統、私たちでは息子さんを止めるのは無理です」

『ええい、勝手にしろ! 他の兵士は反乱者とニンゲンを連行しろ!』


 兵士のゆるい声に、総統はカンカンに怒った。荒れた声で命令したあと、総統からの通信は切れた。


「ハジメ、ありがとう……」


 ボクの声は聞こえているはずだけど、ハジメは無言で救出の準備を続ける。

 トコとボクを乗せたバギーは、本部に向かって走り出す。

 別れ際に見たハジメの横顔は、怒りと悲しみが混ざっていて、ボクは胸が苦しくなった。

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