第4話 好奇心のアル、お人よしのボク
「こりゃ驚いた。ニンゲンが残した映像記録なんて初めてだ」
アルの声は、新しいおもちゃを見つけたみたいに弾んでいる。
だけど、トコのお母さんは思いつめたような顔をしていた。
『このメッセージを見ているということは、私とマコ以外の人が装置を開けたのね』
映像のニンゲンが口を開くと、ペンダントから音声が流れる。映像だけじゃなくて、声も残せるなんて、すごい機械だ。
マコって、トコのお母さんのとなりにいる子どものことかな?
トコは映像の二人に向かって手を振っている。もちろん、相手は映像だから反応しない。
トコのお母さんの表情は、オカミさんが大切な話をするときの表情と似ていた。ボクは、言葉を取りこぼさないように耳を傾ける。
『トコ、置いて行ってごめんなさい……身体の弱いあなたを一緒に連れていけなかった。ガスの耐性がつくまで、コールドスリープマシンで眠らせるしかなかったの』
たいせい? こーるどすりーぷましん?
知らない言葉がたくさんでてきて、ボクにはチンプンカンプン。
アルは、トコのお母さんが言っていることをちゃんと理解できているみたい。「なるほお、そういうことか」ってつぶやいている。さすが天才。
アルがボクの視線に気づいてくれた。アルは大きな銀色の箱を指さしながら、わかりやすく説明してくれる。
「要するに、トコはあの箱の中で冬眠しながら、ガスに身体を慣らしていったってわけ」
冬眠ならボクもわかる。昔のネズミは冬の間ずっと眠っていたらしい。ガスを吸って変わったボクらはずっと眠ることはなくなったけど、それでも寒い時期になるとすごく眠くなるんだよね。
そういえば、トコって何年前から寝ていたんだろう?
ひょっとして……ボクが産まれるよりもずっと前?
疑問が次々と頭に浮かんでくる間も、ペンダントから音声が流れ続ける。
「私たちニンゲンは、ネズミとの戦争に負けた」
戦争という言葉に、ボクはドキッとした。
「本当はネズミたちと協力して、この地下で生きていけたらよかったけど、ネズミたちはニンゲンを憎んでいた。ニンゲンのせいでたくさん仲間が死んだばかりですもの。当然よね」
トコのお母さんは、トコに似た長いまつ毛を伏せる。
「あなたを置いていくしかなかった……本当にごめんなさい」
悲しみがにじむ声に、ボクの胸はしめつけられる。
今まで地下街を追い出されたニンゲンの気持ちなんて、考えたことなかった。
ニンゲンは悪いやつらで、ネズミの敵で、追い出されてもしかたない生き物だと思っていた。それに、とっくの昔に滅んだ生き物で、自分とは関係のない存在だった。
でも、映像に映る悲しそうな目を見ていると、もう他人事とは思えなかった。
「私たちは、トーキョーへ向かうわ」
とー、きょー?
初めて聞く場所の名前。
「トーキョーには、ここよりも設備が整ったシェルターがあるってお父さんから連絡があったの。トーキョーで準備を整えたら、お父さんと一緒にトコを迎えにいくわ……でも、もしものときのためにメッセージを残します」
もしものときのため──すごく悲しくて、意味を考えるのがいやになった。
もしものときっていうのは、トコのお母さんに何かあって、トコを迎えに来られなくなったときのことだから。
トコのお母さんと目が合う。すがるような眼差しに、ボクは目をそらすことができない。
「このメッセージを再生された方は、もしかするとネズミなのかもしれません……ですが、どうかお願いです。この子を守ってください。この子は何も悪くありません。悪いのは私たち大人です。地球をダメにしてしまったのは私たちなのです。だから、どうか、どうか……お願いします。この子を守ってください」
声が震えている。大人が泣くときの声だ。
「もしもなんてない! 絶対にマコが迎えに行く!」
ずっと黙っていたニンゲンの子ども──マコと呼ばれる子──が叫んだ。
「トコ! お姉ちゃん、絶対トコを迎えに行くから!」
トコと同じ髪色をしたマコというニンゲンの子どもは、今にも泣きそうだ。
「絶対にあきらめないから! だから、トコもあきらめないで待っていて!」
ついにマコの目からポロンと涙が落ちる。そんなマコをトコのお母さんは優しく抱きしる。そして、トコのお母さんはやわらかくほほえんだ。
「トコ、大好きよ。どんなに離れていても、トコのことを思っているわ。元気でいてね」
その言葉を最後に、映像はほつれた糸のようにバラバラになって、ペンダントの中に消えていった。
「ママ、マコねぇ、ばいば~い」
トコは消えていった映像に向かって手を振る。全然悲しそうな顔をしていない。もしかしたらトコは、今の状況がよくわかっていなくて、お母さんたちとすぐに会えると思っているのかもしれない。ボクは喉の奥がぎゅ~と狭くなって息をするのが苦しくなった。
アルは二つに分かれたペンダントを拾って、フタをするようにパーツをくっつけた。元の形に戻ったペンダントをトコの首にかけながら、ボクに問いかける。
「……で、行くだろ?」
「行くって……どこへ?」
「トーキョーに決まっているだろ」
「えぇぇぇ⁉ 本気⁉」
「当たり前だ。トコだって家族と会いたいはずだぜ? なあ?」
「トコ、ママとマコねぇにあいたい!」
「ほら!」
アルはトコのことを思っているような口ぶりで言うけど、ずっとニヤニヤしていて全然説得力がない。トーキョーって場所に行きたいだけだ。
ボクだってトコを家族に会わせてあげたい。
だけど、本当にトコのお母さんたちはトーキョーにいるの?
それに、トーキョーって、今もあるの?
わからないことだらけで、とっても危ない。
でも、わかんないことだらけってことは、わかるまでとことんやるタイプのアルにとって、楽しくて楽しくてたまらないことなんだ。
この困った兄さんを諦めさせなくちゃいけない! そうしないと大変なことになる!
「ト、トコのお母さんは『守ってください』って言ったんだよ! 地上は危険だよ! 街で暮らしたほうがいいよ」
「街の大人がトコを受け入れてくれると思うか?」
「うぅ……」
「特に、統率軍はニンゲンのことを目の敵にしているネズミばかりだ。見つかったら、トコも、オレらも、ただじゃすまないだろうな」
ごもっとも。ぐうの音も出ない。
「そ、それなら、ここにトコの住み家を作って、バレないようにこっそり面倒見るとか」
そのときだ──金属のこすれるイヤな音が聞こえた。
ボクはそばにいるトコの口を押えて、床に伏せた。
「ん~!」
「しーっ、静かに!」
アルも音に気づいていた。全員で床に伏せる。
──ギギギギギギギギギギ。
レストラン通りを、何かがはいずっている。
アイスクリーム店のドアのすりガラスに、大きな影を落ちる。
さっき追いかけてきたハサミのモンスターなんて比べものにならないくらい大きい。
コツン。
トコが足を伸ばした拍子に、近くにあったイスが傾いて音が出た。
ギギギッ。
モンスターがこっちを見た気がした。でも、怖くて顔を上げられない。
気配を悟られないように息を止めて、じっとこらえる。
ギギギギギギギギギギ……。
諦めたのか、金属が擦れる音が次第に遠ざかっていく。
小さく首を上げると、大きな影はもういなくなっていた。
「……行ったみたいだな」
「そうだね。トコ、もういいよ」
トコが勢いよくボクに抱きついてきた。びっくりするくらい腕の力が強くて、あばら骨からミシミシと聞こえてきそうだ。
「ううぅ、ドゴ、ぐ、ぐるじいぃ」
トコの肩を見ると、震えていた。
あ、そっか……うん、そうだよね。
トコの頭をなでてあげると、腕の力がゆるくなった。ようやく息を思い切り吸える。
「びっくりしたね。大丈夫、もういないよ。怖かったね」
ボクはトコの震えが止まるまで、頭をなで続けた。
アルは起き上がって、何かが通り過ぎたほうを見つめている。
「通りのタイルが割れたり、穴が開いたりしていたのはアイツの仕業か」
そして、もう一度、ボクに問いかける。
「本当にここで面倒を見るつもりか?」
トコを抱きしめながら考える。
あんな恐ろしいモンスターがうろうろしている場所で、トコのお世話をするなんて無理だ。
だけど、トーキョーってどこにあるの? ボクは迷子になるのが死ぬほど嫌なんだ。
それに、地上は北地区よりもモンスターがいっぱいいて、ガスの心配だってあって、どう考えたって危険すぎる。
「……ボクが行かないって言ったら、どうするつもり?」
「お前は断らないさ」
アルは笑って言った。本当に困った兄さんだ。
ボクはトコの瞳を見つめる。
痛かったり怖かったりするとポロポロと涙を流して、うれしかったりおいしかったりするとにっこりと細くなるピンクの瞳。
ニンゲンは恐ろしい生き物だって大人たちは言っていた。
でも、ニンゲンってボクらと何も変わらないのかもしれない。
ボクらと変わらないってことは、家族のところに帰れないって心細くて、悲しいよね。
この街を出ていく。地上へ出る。想像しただけで怖くて膝が震えている。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
だけど、しかたない。
ボクは、困っている人を放っておけないんだ。
「アル、トーキョーって場所までの地図って家にあったっけ?」
アルがニヤリと笑う。
「お前ってやっぱり最高の弟だよ」
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